プシコの架空世界

ホレホレ触るとはじけるゾ。
理性がなければ狂いません(妄想の形成にも理性の助けがいる)。

詩・恥ずかしがり屋の星

2018年10月30日 13時24分23秒 | 日記

あのね

夜空にね

星がね

輝いているのはね

目立とうとしているからではないんだよ

あれはね

実はね

恥ずかしがっているからなんだよ

それでね

時々耐えきれなくなってね

流れ星になっちゃうんだ

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一人の人間を大勢で叩くのは恥ずかしい

2018年10月29日 14時58分50秒 | 日記

悪者を叩くのは楽しい。

悪者が叩かれるのを見るのも楽しい。

その思いをみんなで共有できればなおさら楽しい。

そのためにはさほど罪のない者を悪魔にでっち上げることさえ厭わない(こうなるとどっちが悪者なのかといいたくなるが)。

そういう倒錯的なことが起きかねない日本社会である。

差別はなくならないと思う。

なぜなら、大人になってから差別意識を解消できるとしても、人間の自我の発達過程で必要とされる(違いを知って知能は高くなる)から。

それより問題なのは卑怯なことだと思う。

絶大な権力者ならいざ知らず、一人の人間を大勢で叩くのは恥ずかしい。

正義の建前(差別する者は差別されて当然)があっても美しくない。

それを知るべきだ。

白人が黒人を差別するなら黒人も白人を差別すればいいだけの話なのだが、それができないのは弱者だからというより少数派だからだと思う。

多数派の生き方に従わざるを得ないから少数派は苦しむのだと思う。

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狂気の理解

2018年10月29日 10時08分48秒 | 日記

狂気の扱いには知的な理解だけでなく美的な理解も必要になる。

そこには何かしら美しいものが潜んでいるから。

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「どこがいいの」と理由を聞く奴

2018年10月28日 12時48分33秒 | 日記

「どこがいいの」と理由を聞く奴。

残念な奴。

自分は持ってないことを白状しているようなものだから。

知識を得てせいぜい真似るだけ。

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恥じらうさまが美しい

2018年10月28日 12時27分26秒 | 日記

恥じらうさまが美しい。

合理的な思考に穢される前の。

人工知能を搭載したロボットには真似しかできない。

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弁護天士(略して弁天)

2018年10月28日 08時56分00秒 | 日記

弁護天士。

弁護士ならぬ弁護天士(略して弁天)。

いたらいいな。

普通の人間には知り得ない、本人すら忘れている情報を収集する能力を持ち、それによって被疑者を守るというような。

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逆説的な真実

2018年10月28日 07時31分26秒 | 日記

我を忘れた時が一番真実に近かったなんて。

なんという逆説。

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本気の愛は怖い

2018年10月27日 15時49分26秒 | 日記

本気の愛は怖い。

けれども真実。

理性的な人にはわからない類の。

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おれの人生背水の陣

2018年10月27日 12時49分59秒 | 日記

おれの人生背水の陣。

だが、おれを追い詰めている敵はおれ自身なのだ。

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純度の高い狂気は怖い

2018年10月27日 11時49分06秒 | 日記

純度の高い狂気は怖い。

物理的な破壊につながるからというより。

こちら側の正当性が揺さぶられるから。

そうなるのはある種の魅力があるから。

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死をめぐる予感

2018年10月26日 16時31分56秒 | 日記

そのうち死ねないことが劣等感の原因になる時代がやってくるような気がする。

生に執着することが恥ずかしいみたいな。

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堕落しようがしまいが救ってくださるのが神

2018年10月25日 18時06分09秒 | 日記

堕落しようがしまいが救ってくださるのが神。

のような気もする。

こういうのは人間技じゃねぇから。

そういうと真面目に生きている者のモチベーションを下げるという苦情が出そうだが、それは人間的な価値観である。

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人を堕落させるのが悪魔の目的なら

2018年10月25日 14時18分13秒 | 日記

人を堕落させるのが悪魔の目的なら堕落してしまった奴はもはや攻撃対象にはならないのだろう。

つまり責められているうちは何らかの美質を保っている証拠ではないかと思う次第。

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神が悪魔の存在を許している理由

2018年10月24日 15時57分18秒 | 日記

神が僕の前に出現したらどうなるだろうか。

「私は神です」とか自己紹介しちゃったりして。

だが、実はそれは悪魔かも。

どちらも人知を超えた存在なのでそれだけでは人間の僕には判別不可能だろう。

しかし、結局それを決めるのは己自身に任されていて、それには結果を待たねばならない。

ところで、僕をダメにしようと一生懸命な幻声は悪魔かもしれないが、それでも却ってよりよく生きることに役立てばよいと言えるのではないだろうか。

神が悪魔の存在を許しているのはこういう効果を熟知しているからかもしれない。

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赤の他人に本当に生きていて欲しいのなら

2018年10月22日 15時48分14秒 | 日記

赤の他人に本当に生きていて欲しいのなら、言葉じゃなく、態度で示すべきではないかと。

己の生きざまを見せるしかないのではないかと。

ボロボロにされても生き抜くさまを。

かっこよさに捕らわれているのはかっこ悪いと、自意識過剰な奴が一番恥ずかしいということを悟るまで。

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