踵痛のため仕事を休んでいた僕ですが履いていた靴が悪かったのだと判断してAmazonで厨房用靴を注文しました。
明日か明後日に届くようですが代引きにしたので配達時間帯に自宅にいなければなりません。
それでもこれで問題が解決するのならたいしたことではありません。
「この人は自分のことを絶対に裏切らない」という確信が得られたらそりゃあ安心して付き合えるだろうけどそのために証拠を要求するのは間違っていると思う。
相手の精神的な自由を奪ってしまうからだ。
絶対裏切らないのは死んだ人間だけ。
そう心得た方がよいのかもしれない。
答えよりも式が大事。
「これはよくてあれはダメ」とか事例ごとに答えを蓄積するよりも「なぜこれはよくてあれはダメなのか」物事の本質を理解すること。
そうすればもっと身軽に生きられるはず。
そのために自分の頭と心と体を使って試行錯誤して生きる。
罪人が本当に後悔するのは罰を受けるからではなく己が破壊してしまったものの価値の大きさに気づくからだと思う。
それが取り返しのつかないものであればあるほど深く後悔するのだと思う。
改心するには良心の呵責が必要だがそのために上から目線で「罪万死に当たる」などと罪悪感を植え付けようとするのは間違いだと思う。
それよりは良い(大切にされる)とはどういうことなのか感覚的に教えた方が望ましいと思う。
好きな相手に浮気してほしくなかったら直接「おれはお前が他の男に抱かれたかと思うと死ぬほど悲しいんだ」と伝えればいいのに「神がどうの、罪がどうの」とか観念的なことを言って相手を拘束しようとするのは筋違いではないかと。
なぜ男は素直になれないのか。
己の本当の気持ちを吐露できないのか。
ひとえに意地とプライドのせいだ。
それで問題を拗らせるのであろう。
そう言ったら母は「でもそんなことを言う男は女々しくていやだ」と言う。
男女の関係は難しいなと思った。
ゴッホの「星月夜」という絵を購入。
昨日届いたのですぐに額縁に入れて飾りました。
僕は色弱なのでそうでない人の目に映る画像がどういうものかわからないのですが、気に入っています。
なんかいいんです。
いい買い物をしました。
人が犯す罪など本物の神にとってはどうでもいいレベルの問題ではないかと。
人間たちの罪にいちいち目くじらを立てるのは実は神ではなく嫉妬深い男ではないかと。
とにかく自由に生きている奴が憎いと。
踵が痛いので仕事休ませてもらって病院へ行ってきました。
竜骨と踵骨(しょうこつ)の炎症と診断されて炎症を抑える薬と塗り薬を処方してもらいました。
厨房で働いているが履いている靴がいまいち合わないと言ったら底の柔らかい靴を履いた方がよいというアドバイスを受けました。
それにしても受付を済ませてから診察まで2時間も待たされくたびれました。
これからゆっくりします。
たとえ僕がキリストのように人の罪を贖うつもりで精神的に苦しんだとしても世の中のためにはならない。
実際は不幸な奴がこの世に一人増えただけ。
それよりは働くなり募金するなりした方が世の中のためになると思う。
大体、罪の贖いはキリストが済ましてくれたはずではなかったのかと。
それに感謝して機嫌よく行こう。