僕には、何も考えずに僕に従う恋人より、自分なりの意見を持っていて、時には僕に抵抗する恋人の方が魅力的に映るのですが、神もそうなんじゃないかなあ…。
恋人は僕(しもべ)ではないのだし…。
僕には、何も考えずに僕に従う恋人より、自分なりの意見を持っていて、時には僕に抵抗する恋人の方が魅力的に映るのですが、神もそうなんじゃないかなあ…。
恋人は僕(しもべ)ではないのだし…。
信仰心はあった方がいいと思うけど、それをいちいち他人に見せねばならないというのは面倒臭いなあ…。
聖書の神は己自身のことを愛の神であるなんて言ったかな…?
嫉妬する神であると自己言及している箇所はあるけれど…。
愛の神とは救世主や使徒たちの言葉じゃなかったっけ…?
神自身はそんなこと一言も言ってないのでは…?
それは神とはこうであって欲しいという人の願望に過ぎないのでは…?
足の両ひざが痛くて階段上るのが辛いです。
3月に所沢市の健診を受けた時には「体重に負けてる」と言われてしまったのですが、なかなか改善しません。
僕より太ってるのに大丈夫な人はたくさんいるのにどうして僕だけ…という気持ちでいっぱいです。
平坦なところを歩くのは平気なのです。
階段を下りるのも苦労しないのです。
ただ、階段を上るのが大変なのです。
そして、作業所のタイムカードを押すには3階まで上がらなくてはならないのです。
せっかく精神の調子はいいのに残念です。
今日の午前中、携帯電話を買い替えるために、所沢のドコモショップへ行ってきました。
新しいのはP-01Hというやつで色はレッドです。
30,476円しました。
ついでに料金プランもタイプSSからカケホーダイプランへ変更しました。
せっかくだからこれからはなるべく携帯電話を使おうと思います。
オレの運命よ、開けろ~!
失うものがない者は危険視されるけど、それならどうして失いたくないものを与えようという発想にならないのか、不思議。
何をもって狂うと言うのかも問題だが、一般的な意味で言うと、人はそんな簡単に狂わないと思う。
さらに原因を本人の弱さのせいにするのも間違っていると思う。
なぜ、狂人が置かれた環境のせいにしないのか疑問だが、そうすると社会が悪いことになり、為政者には都合が悪いのだろう。
計画を立てる前にオレにどうしても欲しいものがあっただろうか?
いつの間にか諦めてしまっているような…。
「思うようにならないのが人生」を過度に内面化してしまっているような…。
まずこの意識を何とかせねば…。
子どもが欲求や衝動を抑えられないのは脳の前頭前野という部位が未発達だからだそうです。
前頭前野は抑制機能を司り、これらを我慢させることができるのだそうです。
でも、前頭前野を発達させるには、叱ってもダメで(そうすると恐怖や不安を司る偏桃体を刺激するだけで抑制効果も一時的なものにしかならない)、ルールを与え、その理由を考えさせなければならないそうです。
ただ、前頭前野の本来の役割は、ただ我慢させるというより、そうすることでより計画的に(つまり人間的に)生きられるようにすることだそうです。
ところで、前頭前野と聞いて思い出すのは、統合失調症のことです。
脳科学の本に、理由は不明だけど、統合失調症者はこの部位が未発達なのだと書いてありました。
しかし、僕はこの知見を統合失調症者にも応用すればいいのではないかと思うのです。
統合失調症を罪悪視する偏見はいまだにありますが、未熟なだけなのです。
そのうち脳科学の発展が解消してくれるでしょう。
先ほど郵便局で障害者年金の記帳してきました。
1週間前の8日(金)は工賃日だったのですが、3月分は3日休んだために21870円といつもより少なかったので助かりました。
統合失調症者はお金の管理が苦手な人が多いようだけど、僕のように失敗を恐れずになるべく自分でした方がいいのではないかと思われるのですが、どうでしょうか…。
僕などは少ない額でもいろいろ遣り繰りするのが楽しくなってきたのですが…。
今日は歯医者さんで定期健診を受けてきたのですが、虫歯はなく、歯の掃除だけですみました。
そして、会計の際、「次回は2カ月後に来てください」と言われたので、「通知してもらえますか?」と尋ねたら、3カ月後からじゃないとできないと謝られたので了承しました。
すると6月15日(水)になり、「その日は僕の誕生日だな」と言ったら、女医さんが「本当だ。Oさんは昭和40年生まれなんですね~、若い!」と目を丸くして驚かれたので「今年で51になります」と答えておきました。
僕は若いと言われるのには慣れっこになっているのですが、実際、ほめてもらうと悪い気持ちはしないです。
これからも健康には気をつけようと思います。