「愛と憎しみの平成時代」って言ったら大袈裟かな。
そんなこと言ったら昭和だってそうだったし、続く令和だってたぶんそうなるからね。
まあ、戦争をしなかったことは誇りにできるな。
ありがとう平成。
さようなら平成。
明日は即位の日だけどおれの新時代は精神科の受診で始まる。
「愛と憎しみの平成時代」って言ったら大袈裟かな。
そんなこと言ったら昭和だってそうだったし、続く令和だってたぶんそうなるからね。
まあ、戦争をしなかったことは誇りにできるな。
ありがとう平成。
さようなら平成。
明日は即位の日だけどおれの新時代は精神科の受診で始まる。
『雨花そして僕』『統合失調症再生ノート』『人間もどき六型』『妄想犯6号』に続く5冊目の本のタイトルを思いつきました。
その名も『妄想神エウ』。
小説にしようと思っています。
登場人物には狂人(名前はタシ)を含めるつもりですが、主人公は普通の人(名前はカナ)にしたいです。
でもどんな内容になるかは自分でもわかりません。
その前に中断していた過去のブログの記事の整理をしないと。
その中にヒントがありそうなので。
一番高い所で生きている生き物って何だろうか。
鳥だろうか、高山植物だろうか。
あ、人間だわ、宇宙ステーションで生活している。
彼らはテレビが置かれている高さにいるのではなかったのだわ。
おれは自閉というものを家に引き籠るようなことだと思ってきたが、本質的には他者と深い交流ができないことを指すのだろう。
でも日本人ってそういう奴ばかりではないかな。
礼儀正しいけど心を開いてない感じがするのだ。
すぐ身構えちゃう。
たぶん基本的にみんなシャイなのだろう。
傷つくのも傷つけるのも嫌なのだ。
だから真面目になる。
わかってくれとは言わないが、そんなにおれが悪いのか。
そんな気分。
そもそも何故自己中心性が強くなるのか。
たぶん心の発達段階で満たされるべきものが不足していたのだろう。
だから本人としては心の穴(弱点)を認めまいとする強がりを性格がひねくれているなどと非難されてしまうのは大変不本意なことなのだ。
欠けているものを自覚して、それを埋められればよいのだが、代わりになるものを求めれば求める程埋まらないものだということには気づいている(だから自閉的になった)。
しかし自分の方からも与えないと循環しないことが納得できない。
相手は神ではないので一方的にもらい続けるなんてどだい無理な話なのに。
だいたい人を偶像視するからダメなのだ。
それを知るべきだろう。
崖っぷち人生。
統合失調症患者の人生をこう呼んでも差し支えないだろう。
周囲の人にはわかりにくいかもしれないが、彼らは崖っぷちに立たされている。
追い詰められたのか、追い詰めたのか、判然としないが、ギリギリの所で生きているのが実情だ。
彼らには世界の命運は自分に委ねられていると思われているからだ。
それだけ自己中心的であり、それ故にそのような危機的な状態に陥った。
本人は他者の無理解にも苦しんでいるが、実際はそう思っているから苦しいだけだ。
世間知らずでわかってないのは自分の方だということを認められないのだ。
ありふれた不幸なのに未熟なため受け入れられないのだ。
A:なんでおれの人生はこうも不自由なのだろう。
B:自己中心的だからさ。
A:逆だろ。そうなれないから他者に支配されて苦しいのだから。
B:いや、みんなが自己中心的に生きてみろ。お互いの利害をめぐって衝突ばかり起きるのは必至だろう。
A:妥協も必要だってことか。
B:まあ、それができるのが大人だな。それができない奴は自閉的な生活を余儀なくされるだろう。
A:自我(エゴ)が強いと孤独になるのだな。
B:幼児ならいざ知らずそういう奴のそばには誰も寄りたくないからな。
神は妄想だ。
そう断言する科学者がいる。
確かにそうかもしれないが、少なくともおれには必要だ。
自分では抱えきれなくなった悩みを預けることができるからだ。
おかげで心理的負担が軽減されるのだ。
この世がユートピアにならないのは別に神を信じているからではないと思う。
神を排除した社会は世俗化が進むだけでさらに生きやすくなるわけではないと思う。