僕の小説の主人公は病まない。
ギリギリのところで精神病の発症を免れる。
そういう設定にします。
一線を越えてから帰還した僕にはどのあたりが限界だったか感覚的に分かるのです。
そして、その頃、どんな人物や言葉との出会いがあれば助かったのか察しがつくのです。
主人公は特別な才能の持ち主ではなく、ただ単に人に恵まれた運のいい奴にしようと思っています。
原稿用紙34枚まで書いてそう決めました。
「事実は小説よりも奇なり」。
いえ、こう表現されることがあるけど、本当だなって。
僕の小説、原稿用紙30枚まで書いたのですが、かなり話をはしょっております。
僕の身に実際に起きた出来事はこんなもんで済まないぞと。
もっと変化に富んで不思議だったのだぞと。
意識的に時系列を組み替えているせいで、あの頃の緊迫した状況を臨場感あふれる筆致で描写できないのが残念ですが、もし、当時の自分にこういう出会いがあったなら、統合失調症の発症を未然に防げたのではないかという想定で書いています。
これからどういう展開になるか、自分でもわかりませんが、少なくともあと30枚は書こうと思っています。
それでは!
今日は勤労感謝の日ですが、僕も体を使って働けることに感謝していますよ~。
僕の仕事はお弁当作りだ。
時給は350円と安いが、週に五日、平均5時間位、作業所の厨房で働いている。
そこで僕はとにかく目の前の雑用を片付けることに精力を傾ける。
3階の部屋にあるタイムカードを押してからエレベーターで1階まで降り、出入り口のドアの鍵を開け、給湯器のスイッチを入れる。白衣に着替えてマスクをしたら、ハンドソープで手を洗い、三台のテーブルの上を消毒液の入ったスプレーをかけながら乾いた布巾で拭く。
お弁当のケースを並べるのはそれからだ。
一回目にはだいたい100個位並べる。
それからテーブルの空いたスペースに梅干しや漬物の入ったケースやボウルを並べ、それらをつまむトングを五つ置く。
おかずが出来上がるまでに売り場内のレジのおつり用の小銭をセットしたり、商品にプラッターで値付けしたり、シャッターを開けたりする。
お弁当のプラスチック製の黒いケース内は大きい順にご飯枠と1枠と2枠と3枠に仕切られていてその中へボウルに入ったおかずをこぼれないように次から次へと移し替えて行くのだ。
その間に洗い物ができるとせっせと洗剤をつけたスポンジでこすってからゆすいで少し乾かした後に専用のタオルで拭き元の場所に収納する。
洗い物の種類は小物から鍋や釜といった大物まで様々だ。
おかずを盛りつけする時も洗い物をする時も不自然な姿勢で行うので腰を痛めないように気をつけなければならない。
以前はこの後、配達の仕事もしていたが、最近は他のメンバーさんに代わってもらっている。
そして、2階の工房で作ったパンを置かせてもらっている近くのバッティングセンターへ残り物を回収しに行った後に売り場とエレベーター前と厨房内を箒で掃いてからモップ掛けをして完了する。
この仕事の良いところとは目の前に現れたものに対処していくうちにお弁当が仕上がるということである。
結果が形となって目に見えるのがいい。
これからもがんばる。
雨は夜半過ぎにやんだ。
生まれ来る新しい生命の胎動が始まる。
15日の朝もまだ早くのこと。
それから20時間余り。
隆史よ。
お前は生まれた。
資本主義社会の中でつちかわれて来た労働者階級のエネルギーが資本主義社会の機構を打破し、新しい自らの社会を建設して行くように。
隆史よ。
お前も雑草の如くたくましく自分の道を切り開け。
これは父が僕のアルバムの冒頭に記した文章です。
このように当時の父は僕が「雑草」のように育つことを願っていたわけです。
でも、それから二十数年後、皮肉なことに保険会社に勤務していた父は出世して会社役員となり、ブルジョアという資本主義の権化に変わり果て、僕は社会的弱者に転落してしまいました。
一貫性があることが常に正しいとは言いませんが、儘ならぬ人生です。
もう済んだことだけど、子供の頃、僕が「頭が痛い」と言う度に「切っちゃえ!」と答えるような父だったなあ。
父は暴力こそ振るわなかったものの、その分、口が悪くて、時々悲しい思いをさせられたなあ。
でも、本人は割と無自覚で、悪気はないから許されるだろうと考えていたような節がある。
悪気はないと言ってもあったと思うのだけどね。
精神病が治らない人は誤解している。
精神病が治るのは、どれだけ恵みを与えてもらえるかというより、どれだけ恵みを感じ取れるかという問題だということを。
こういう人に限って、過程をないがしろにして、結果だけ見るので、金持ちだから恵まれた環境で育ったに違いないと決めつける。
そして、自分と比較して、さらに自己憐憫に浸るのである。
悩むだけで一仕事終えたような気になっている人。
愚か者に違いないが、問題の解決より、悩むこと、それ自体が自己目的化してしまっているんだね。
でも、勝手にすればいい。
但し、そいつの人生がどうなろうとおれの知ったことじゃない。
尊大な態度を取ったかと思いきや、ちょっとした躓きで自己卑下の態度に反転する。
そうなるのは精神の厚みがないからだ。
それはほぼ実績のことだから頭を悩ませているだけでは得られないのだ。
妄想者の厚意は薄っぺらで大人の魅力に欠ける。