ブログは残しておきますが、にほんブログ村のランキングからフェードアウトします。
みなさん、今までありがとうございました。
陰ながら応援しています。
それでは失礼いたします。
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被害妄想的な傾向は残存しているものの、仕事もプライベートな生活も順調なおかげで、主張することがなくなりました(要するにネタ切れね)。
そのためこれから僕のブログの更新は滞ると思います(申し訳ない)。
だけど、まあ、全体的にはよい方向に進んでいるのでこれでいいのでしょう。
幸運の星とされる木星がホームである射手座に入ったそうなので、双子座にとっては対人関係が発展する一年となりそうです。
なんか期待しちゃう。
みなさんの幸運を祈ります。
それでは!
エマ・バーン/黒木章人訳『悪態の科学 あなたはなぜ口にしてしまうのか』から一部抜粋。
P.94
汚い言葉をよく言う人のことを冗談めかして“おまえ、トゥレット持ちだろ”と言ったりする人もいますが、実際には汚い言葉を連発する傾向がもっと多い疾病があるのです。統合失調症と一部のパーソナリティ障害には罵倒語や汚い言葉と強い結びつきがあることがわかっています。そしてこれらの疾患の患者が発するのは、大抵の場合は〈命題的罵倒語〉つまり相手に特定の効果を与えるために意図的に使われる汚い言葉です。一方、トゥレット症候群の患者たちは音声チックで自分でコントロールすることはできません。
統合失調症の急性期に職場の人たちの悪口を聖書に殴り書きしたおれ。
すまなかったね。
でも正直それほど悪いことをしたとは思ってないなあ。
エマ・バーン/黒木章人訳『悪態の科学 あなたはなぜ口にしてしまうのか』から一部抜粋。
P.64
悪態・罵倒語は右脳と左脳にある高い機能を持つ部位が主役となって生み出されますが、太古の昔から存在する、最も原始的な部位も力を貸しています。そのことは、実際にはどのような意味があるのでしょうか? 悪態・罵倒語が単純で本能に近いものだとしたら、比較的新しい時期に発達した、高度な機能をつかさどる脳領域がそんなに関わっているとは思えません。その一方で、悪態・罵倒語が感情とそれほど強く結びついていないものだとしたら、古い部位の扁桃核が重要な役割を果たしているとは思えません。それに、自分以外の人間の感情を想像する力を失ってしまったら悪態・罵倒語も失われてしまうという事実を見るかぎり、高度な社会性を持ち合わせていなければ汚い言葉を吐くことはできないと思われます。
つまり悪態・罵倒語は原始的で高度なものなのです。とんちんかんなことを言うんじゃないと叱られるかもしれません。しかしのちのち語っていきますが、人間の脳の進化という視点から見れば、とんちんかんどころか合点のいくことなのです。わたしたちは、ほかの人たちとうまくやっていくために言語を発達させていきました。たとえば、木の上からトラを見つけたときに群れの全体にそのことを伝えることができるサルは、それができないサルよりも種として存続する可能性が高いのです。さらにわたしたち人間は“もう怒ったぞ、失せやがれ!”とか“さっさと寄こせよ、イライラする!”とか、複雑な感情を伝える術を習得しました。悪態・罵倒語は複雑な内容を強烈に訴えかけることができる、感情がぎっしりと詰まった言葉です。ざっくり言うと、感情を手っ取り早く伝える高性能の道具なのです。恐怖とか敵意をシンプルに伝えていたものが、わたしたちが社会的にも脳的にも進化していく過程で洗練され複雑になっていったのです。だとしたら、悪態・罵倒語は脳内の高度な共同作業で生み出されているといってもおかしくないでしょう。
ウ~ン、「原始的で高度な」って言語矛盾ではないのだな…。
今、エマ・バーン/黒木章人訳の『悪態の科学 あなたはなぜ口にしてしまうのか』を読んでいるのですが、なかなか面白いです。
一部抜粋させていただきます。
P.9
それどころか、悪態・罵倒語や汚い言葉は職場でのチームワークづくりに役立っているという研究結果があるのです。全員で下品な隠語を使うチームは、使わないチームよりも労働効率がよく、メンバー同士の結びつきが強く、しかも生産性も高いことは、科学者たちによって証明されています。こうした傾向は工場から病院の手術室に至るまで、さまざまな労働環境で見られるそうです。わたしたちは痛みを感じたとき、”クソッ!“とか”ちくしょう!“とか、罵倒語を使って痛みをごまかそうとするものです。すごく役立つ使い方ですよね。ストレスを感じたときも同様です。罵倒語を利用するストレス管理術は、職場でのチームづくりで何よりも役立つという結果も出ています。
P.28
ソーシャルメディアでは、左翼的傾向のある人たちのほうが右翼的な人たちよりも罵倒語を使うこともわかっています。ボキャブラリーが貧弱だから罵倒語を使うわけではないということもわかっています。
ウ~ン、説得力あるな~。
確かに左翼だったおれの親父は口が悪かったからな~。
平等を尊重する社会主義者は家族を否定する。
何故かというと国民の中で自分の家族をとりわけ大切にする態度が差別的に映るからだ。
でも、親がわが子を、子がわが親を愛するのは当然ではないか(例外はあるが)。
身内以外の他人にそれと等しいかそれ以上の愛をもって接するのは理想的かもしれないが、不自然だと思う。
人を分け隔てなく愛する神のようになりたいという願望はわかるが、一歩間違うと軽率のそしりを免れないだろう。
若い頃は社会主義に夢を見たこともあったが、今は現実的でないと思う。
家族という最小単位の人間関係もうまく築けなかった者に社会でよい人間関係を築けるとは思えないのだ。
松岡正剛著『千夜千冊エディション 少年の憂鬱』読了。
オビの「大人になっては いけなかったのだ。」に惹かれました。
古今東西の少年の魂を持った作家たちの作品が紹介されていて興味深かったです。
とりあえず中勘助の『銀の匙』という小説を読んでみたいです。
斗宿と女宿。
真言宗の弘法大師空海が中国から持ち帰った宿曜経という占いの話です。
ネットで調べると1965年6月15日生まれの僕は斗宿と出る。
しかし、23時25分と時間まで計算に入れると女宿と出ることがある。
何故かというと旧暦では一日の始まりとされる子の刻が23時から始まるからでしょう。
だから23時25分生まれの僕は斗宿ではなく翌日の女宿とする占い師がいるのだと思います。
けれども僕はこの占い方には懐疑的です。
何故かというと1967年4月30日11時35分生まれの弟が女宿だからです。
その弟と僕の性格は全然違うからです。
同じ女宿だとしたらおかしいじゃないかと思うわけです。
太陽星座が違う(僕が双子座で弟が牡牛座)からなのか。
それとも血液型が違う(僕がO型で弟がB型)からなのか。
判然としませんが、弟はとても要領がよく教え上手なのに対して僕は口下手です。
さらに弟は父親似なのに対して僕は母親似という違いもあります。
また弟は健常者ですが、僕は精神障害者です。
宿曜経は結構当たっていると思います。
でも絶対とは言えないと思いました。
「インフル縁者」とはオブリさんの造語で「inflence(影響)を及ぼす姻戚(結婚したためにできた親類)」という意味である。
くだらないことを言ってすまん。
因みに今年のインフルエンザの予防接種は先月の29日に済ませました。
ボロボロになった人形を手放せない少女にこころを見る。
たぶんそれは幼い頃の彼女に両親が与えてくれた人形。
それ以来喜びも悲しみも分かち合ってきた。
この子はそういう私のことを全部知っている。
古くなったから新しいものに買い替えようという問題ではないのだ。
こういう少女がパートナーを大切にする大人になるにはどういう道筋をたどればよいのか。
僕にはわからないが、少し気になる。
「アタマ」と「アクマ」は似ている。
単語を構成する文字が一つしか違わない。
さらにその文字の形(タとク)の差も僅かだ。
そこから妄想が発展する。
頭の働きから何か差っ引くと悪魔になるのかもしれないと。
悪魔とは欲望だけになった状態のことかもしれないと。
こういうことまで計算して言葉が創られているとしたらすごいなと。
ドラえもんのどこでもドア。
世間では便利なツールというイメージで語られがちだが、こんなものなくてよかったとホッと胸をなでおろすオブリさん。
だって突然誰かが勝手におれの部屋に入ってきたら嫌だもん。
恥ずかしいことをしている最中ならなおさらに。
そう考えるだけで不安になる。
四六時中落ち着かなくなる。
それどころか悪い奴が犯罪に利用する可能性は大である。
そうしたら最悪のツールとなり得るだろう。
未来ではそういう問題は端から起きないからといって、それを現代人にも適用するのは危険すぎる。
人類に盗んだ天界の火を与えた罪で罰せられたプロメテウス以上に罪深い所業ではないのか。
この様な危機に対処するにはどうすればよいか。
とりあえず法の整備が必要となろう。
勝手にそれを使えない人と場所と時間を定めておくのである(こうなるともはや「どこでも」とは言い難いが)。
「どこでもドア」は「いつでもドア」ともいえるから、プライバシー保護のために使用時間の制限も考慮せねばならないだろう。
一週間前、職場のIさんと焼き肉を食べに行きました(前回一緒に手打ちうどんを食べた時に約束しておいたのね)。
そして帰り際に「食べ友になって下さい」とお願いしたら「はい」という返事が返ってきました。
うん、よかった。
若い女性と一緒に食事ができておじさんはうれしいです。
年齢差は23歳なので、親子といってもおかしくないですが、僕は犯罪者ではありません。
次回はお寿司かウナギにするつもりです。
今日、今月の工賃をもらったら行こうという話になりました。
精神科の主治医には自閉と診断されている僕ですが、結構、充実した生活になってまいりました。
これからもこの調子でいきたいです。