プシコの架空世界

ホレホレ触るとはじけるゾ。
理性がなければ狂いません(妄想の形成にも理性の助けがいる)。

「よく言った!」

2012年07月19日 16時37分06秒 | インポート

 「よく言った!」。

 ・・・。

いや、数ヶ月前、家の外から聴こえてきた声(幻聴?)なんだけど・・・。

なんか僕に向けて言われたような気がして・・・。

 威厳のある成人男性の声だったのだけど、僕のことを褒めてくれたような気がして・・・。

 今まで僕のブログで自分の秘密を洗いざらい記事にしたことに対するご褒美の言葉ではないかと・・・。

 僕のブログを読んで不快になった方(でもそういう方でも、否定的な形ではあれ、自分のブログの記事のネタにはできたのでは?)には申し訳ないと言う他ないが、だったら覗かなきゃいいのに・・・とも思う。

 とにかく書きたいこと、書かなければならないと思ったことは全て書いた。

 だから今の僕は満足している。

 辛い体験は思い出すだけでも辛い。

 自分で言うのもなんだが、よくがんばったと思う。

 これからは違うことをしたい。

 したがって、ブログ自体は残しておくけど、「認識の木をめぐって 統合失調症再生ノート」の更新は今回(714回目)をもって終了にします。

 今、経済学に関心があるので、そちらに重点を移すことにします。

 いままで応援してくれた方たちへ、どうもありがとう。

 みなさんの幸運を祈っています。

 それではさようなら!

にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 統合失調症へ
にほんブログ村
コメント (5)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

罰する者などいないのに

2012年07月18日 17時09分25秒 | インポート

 それにしても、僕のことを告発する悪魔も、裁き、罰し、償わせる神もいないのに、どうして負債の感覚に捕らわれたのか、不思議。

 そうか、幻聴だ。

 幻聴のせいだ。

 《本当のこと、言いなさーい!》などという。

 でも、実体はないが、そこには何らかの法則性があるような気がしてならない。

 そこってどこ?

 自分の心の中。

 気づいていないだけで、僕はそういうふうに作られてしまっているのではないかと思えてならない。

 それを僕は、いつの間にか、逸脱してしまっていたのではないかと・・・。

 これも妄想なのかなあ~。





にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 統合失調症へ
にほんブログ村

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

マアト

2012年07月17日 11時25分17秒 | インポート

 古代エジプト神話のマアトは死者の心臓の重さを量る場を取り仕切る神々の一人とされていたようです。

 もし死者の心臓の重さがマアトの羽と同じ重さなら、次の段階に進み、冥界の神としての役割を務めるオシリスに合流できて、黄泉の国で生まれ変わりの可能性がある場所が割り当てられるのだそうです。

 しかし、もし死者の心臓がマアトの羽より重ければ、気味の悪いワニの頭をした神に心臓は投げ与えられ、食べられてしまうのだそうです。

 マアトは女神だけど、特定の役割も分野もなく、書法の神でも豊穣の神でも畜産の神でもなかったそうです。

 それよりもっと重要だったそうです。

 マアト(maat)という言葉は、真実、正義、均衡、自然と宇宙の運行原理、そして年月日や季節など時間の進行まで意味するのだそうです。

 つまり、他人に対する礼節、正しい社会秩序、生者と死者の関係、誠実で公正で道徳的な行動基準、あらゆるもののあるべき状態など、そういうすべての概念が、たった一つの短い単語に練りこまれているわけだそうです。

 その反意語は、自然界の混沌、利己主義、虚偽、邪悪な行為など、神の定められた模範を乱すものだそうです。

 ああ、統合失調症がまだ寛解していなかった頃の僕の心は、今よりずっと重たかったなあ。

 それだけ心理的な負債を抱えていたということなのかなあ。






にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 統合失調症へ
にほんブログ村
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

無意識と名前

2012年07月15日 11時40分24秒 | インポート

 今日(2012年7月15日)、不思議な夢を見た。

 以前、精神障害者の作業所で一緒だったメンバーのK・TさんとM・T君がカップルになっていて、僕の家に訪ねてくるという夢だった。

 二人は花束を持って、これから僕の父の墓参りに行くから、一緒に行かないかと言う。

 昨日の夢と同じように背景は薄暗かった。

 ちなみに現実にはK・TさんとM・T君にはそれぞれ別のパートナーがいる。

 僕は、なぜあの二人が結びついているのか分からなくて、不思議な気になっていた。

 でもしばらくして突然、閃いた。

 なんだ、あの二人は「T」という名前が同じではないかと。

 無意識の話だが、深くはない。

 言葉の問題だったのだ。

 なぜ僕の父の墓参りなのかはよく分からないけど、今朝、母が「東京ではお盆が7月にあるんだよね」という話をした。

にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 統合失調症へ
にほんブログ村
コメント (9)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今日の真夜中に見た夢

2012年07月14日 17時14分57秒 | インポート

 今日(2012年7月14日)の真夜中に見た夢。

 薄暗い部屋の中。

水の流れる大きな音がしている。

 僕は、皮のソファーに横たわり、流し台の方を見ている。

 そこには後ろ向きの女が立っているが、上半身はよく見えない。

 そして僕はちょっかいを出そうと右手をグーンと伸ばす。

 すると女は片足をぴょこんと上げる。

 ここで夢が終わる。

 真夜中だったが、忘れないように、頭の中で一度、再現してみた。

 この女を僕は最初、母だと思ったが、時間が経つに連れ、別人だと思い始める。

 とにかくこの女に関心があったことは確かだ。

 この女、誰だったのだろう。

にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 統合失調症へ
にほんブログ村

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

夢中になるのはいいけど狂ってはダメ

2012年07月13日 14時16分11秒 | インポート

 女の目的。

 男を自分の虜にすること。

 そのための投資は惜しまない。

 外面だけでなく内面も磨こうとする。

 自分に夢中にさせることができれば自己愛は満たされるし、優秀な男とその遺伝子を確保できるなら、十分、元は取れる。

 でも狂ってはダメ。

 夢中になっても理性はギリギリのところで保っていないと。

 だって現実の生活が何より大切だからねっ。

 女の人が上記のようなことを考えていると教わったわけではないけど、何となくそんな気がしたので書いてみました。

 妄想かな~。

にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 統合失調症へ
にほんブログ村

コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

生活能力と恋愛

2012年07月12日 11時17分20秒 | インポート

 生活能力を身につけた者から順に異性と恋愛関係を結んでいく・・・。

 こうであったら、さほど問題は生まれないのだろうけど、実際はそうではない。

 異性を好きになるのは事故みたいなものだと思う。

 条件を満たしているから好きになってやる、というよりも、何だかよく分からないけど好きになってしまう、というのが実情だからだ。

 とにかく恋愛感情は生活能力が身につくのを待ってはくれない。

 また異性を好きになるというのは危険なことだ。

 自己完結できなくなるからだ。

 そして、幸か不幸か、身を滅ぼす者もいる。

 それにしてもこの世に理性を狂わせるほど魅力的な存在があるということはどう解釈したらいいものか。

にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 統合失調症へ
にほんブログ村

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ホーバー(負債と罪)

2012年07月08日 10時21分27秒 | インポート

 イエス・キリストが話していた言語はセム語系のアラム語だったそうだ。

 そしてアラム語では「負債」と「罪」は同じ言葉(ホーバー)だったらしい。

 「罪とは何か?」と訊かれたら、「的はずれ」と答えていた僕だが、これからは「負債」と答えるとしよう。

 それにしても「誰」「何」に対する負債なのか。

 その「誰」や「何」を説明することは難しい。

 しかし、その負債の感覚こそが、その存在を確信させるのだ。

にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 統合失調症へ
にほんブログ村
コメント (4)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

連帯責任

2012年07月07日 10時42分20秒 | インポート

 橘玲著『(日本人)かっこにっぽんじん』から引用。

 だが中期になると、そこに自生的な秩序が生まれてくる。それが「連帯責任」だ。

 その当時、村にとってのいちばんの難題は、出奔(しゅっぽん)や逃散(ちょうさん)といって、借金を抱えた村人が耕作を放棄して村を出てしまうことだった。とりわけ豊臣秀吉が天下を統一し、伏見城や聚楽第(じゅらくだい)などの巨大建造物がつぎつぎとつくられるようになると、人足の需要が急増し、食い詰めた百姓たちが京都に流入して、近郊の村は深刻な過疎化に悩まされることになる。

 村の人数が減っても領主は年貢を減免するわけにはいかず、かといって村が貧しくなればますます逃散が増えるから、これは領主にとっても、村人にとってもきわめて深刻な問題だった。気に入らない村人を追い出して自分の土地を増やすのではなく、なんとか村に残ってもらうことが死活的に重要になったのだ。

 こうして、イエを単位とした土地の管理と、「五人組」などの連帯責任制度が始まった。

 中世のムラ社会では、土地は原則として分割も売却もできず、イエとともに長子がそのまま相続することになっていた。逃散などで放棄された場合でも、残った村人たちで分け合うのではなく、共有地として全員で耕作し、跡継ぎが成人するか、当人(正当な所有権者)が戻ってきたら返却されるのが慣わしだった。

 このように土地の所有権を確定したうえで、隣家同士が助け合い、監視し合いながら村の秩序を維持していく制度が自然と生まれた。これが「五人組」で、後に豊臣秀吉が京都の管理に利用し、それが江戸幕府に引き継がれて、戦前の悪名高い“隣組”までつづいていく。

 歴史の教科書では、五人組は権力者が農村管理のために押しつけた制度とされてきたが、近年の中世研究では、もともと村にあった制度を領主が追認したものだという見方に変わってきている。

 自営農家である中世の村人たちは領主に対しても一定の自主性を有しており、不満があれば村の側から主従関係を破棄することもあった。境界に位置する村は、双方の大名に半分ずつ年貢を納めて安全保障を買っていた。

 このように、領主と村人は相互依存の関係にあり、戦国大名といえども村人に耕作を放棄されればなす術はなかった。民衆の望まない制度を権力が一方的に強制することなど、できるはずもなかったのだ。

 ああ、僕は「連帯責任」という言葉を聴くと、つい民法の「連帯保証」を連想するなあ。

 「連帯保証人」は、単なる「保証人」とは違って、「催告の抗弁権」と「検索の抗弁権」を行使することができないのだったなあ。

 こういう法律、外国にもあるのかなあ。

にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 統合失調症へ
にほんブログ村
コメント (1)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

人間って悪魔みたい

2012年07月06日 11時48分30秒 | インポート

現代人の僕たちは「自分のしたことは自分で責任をとる」のが当たり前だと考えているけど、こうした“自己責任”は近代以前の社会には存在しなかったようです。

 橘玲著『(日本人)かっこにっぽんじん』から引用。

 戦国時代の農村は旱魃(かんばつ)や飢饉(ききん)が頻発し、農業だけでは村の人口を養うことができず、蓄えのつきる冬から春にかけては大量の餓死者が出た。このような極限状況のなかで、戦国初期の村はむきだしの暴力の世界だった。

 戦国時代の重要な合戦は、その多くが冬や春の農閑期に行なわれた。これは大名や領主が、放っておけば餓死してしまう農民を雑兵(ぞうひょう)として戦場に連れていき、なんとか生き延びられるようにしようとしたからだ。

 とはいえ、戦国大名は合戦に参加した百姓たちに給金を払ったわけではない。彼らは武士や侍たちのためにただ働きをするかわりに、戦場となった村での濫妨狼藉(らんぼうろうぜき)が許されていた。戦国時代の戦争は一種の公共事業で、大名たちは天下を統一するためではなく、村人たちに“職”を与えるために隣国に攻め込んだのだ。

 戦場での収奪は徹底的で、備蓄してある食料や衣服など換金可能なものを奪いつくすだけでなく、女や子どもをさらって売り飛ばすのが常だった。戦国時代にもっとも価値の高い「商品」は奴隷で、合戦が終わると町には人買いの市が立ち、国内で買い手がいなければ、長崎や平戸からポルトガル船に乗せられてマカオ経由で東南アジアへと売られていった。

 こうした暴力性は村の内部にも浸透していて、一部の長老たちが結託し、ささいな瑕疵(かし)を理由に村人の田畑や資金を取り上げ、家族もろとも追放するか、場合によっては皆殺しにすることもあった。農耕社会は土地を中心とする退出不可能な世界だから、ものごとは全員一致でしか決まらない。だとしたら、相手が合意しないときは物理的に消滅させてしまうほかはない。

 このように中世初期の村は、過酷な暴力の掟で運営されていた。

 ああ、酷い。

 こうして見ると、僕の「人間は悪魔である」という妄想は、あながち間違いではなかったのではないか・・・と思えてきます。

 とにかく一見、スマートに見える現代人の遺伝子にも、戦国時代の人たちの遺伝子が受け継がれています。

 そう考えると、少し怖くなる、僕でした。

にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 統合失調症へ
にほんブログ村

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

呪術的責任

2012年07月05日 16時59分42秒 | インポート

 橘玲著『(日本人)かっこにっぽんじん』より引用。

 古代の呪術世界では、王は民衆の支配者であるというよりも、神と交感する霊媒とみなされていた。その役割は豊作をもたらす神の恩寵を得ることで、日照りがつづくとひとびとは王を殺し、神の生贄にしてしまった。旱魃や洪水、地震などの天変地異は、神を怒らせた王の「責任」とされたのだ。

 こうした“呪術的責任”は、範囲の定めのない“無限責任”でもある。1923(大正12)年に起きた皇太子の狙撃事件にかかわりのある者は、その全員がなんらかの“けがれ”を負っている。餓死から譴責(けんせき)処分まで、それぞれが相応の「責任」をとらなければ社会全体の“けがれ”はぬぐわれない。

 政治学者の丸山眞男は、このきわめて過酷な“無限責任”が、日本を“無責任社会”にしたのだと論じた。

 日本では、いったん「責任」を負わされ、スケープゴートにされたときの損害があまりにも大きいので、誰もが責任を逃れようとする。その結果、権限と責任が分離し、外部からはどこに権力の中心があるのかわからなくなる。このようにして、天皇を“空虚な中心”とする、どこにも「責任」をとる人間のいない奇妙な無責任社会が生まれたのだ。

 ところで、僕がブログを公開している理由のひとつは、責任を取りたいという気持ちがあるからです。

 簡単に言えば、僕は反面教師になりたいのです。

 僕の失敗談を語ることによって、同じ間違いをする人の数を減らせるのではないかと思っているのです。

 それから「道」を示したかった。

 どういうふうに発病し、どういうふうに回復していったか、そのプロセスを可視化したかった。

 さらに、まだまだ認知度の少ない統合失調症の症状や患者の内面を知ってもらえれば、知った分だけ、差別や偏見も解消されるのではないか、そうすれば精神医療の敷居もさらに低くなるのではないかと思いました。

 とにかくそれが自分なりの責任の取り方だと思っているのです。

 そう自分が決めたのです。

にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 統合失調症へ
にほんブログ村
コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

プーブリカーニー(収税吏)

2012年07月04日 08時38分41秒 | インポート

 ナザレのイエスは行ないの悪い三種の人間(収税吏、罪人そして大酒飲み)と親しくしていたことが新約聖書に記述されているけど、僕は最近まで、なぜ収税吏との親しい関係が道徳の枠からひどくはずれていると同胞たちに見做されていたのか、いまひとつ分かりませんでした。

 でも、マーガレット・アトウッド著、佐藤アヤ子訳『負債と報い 豊かさの影』という本を読んで、その理由がよく分かりました。

 ローマ帝国は、領土拡張期の紀元前1世紀に、継続的な軍事活動を支えるために徴税を委託制にしたそうです。

 指導者たちが村落全体の税率を設定し、その金額かそれ以上をローマに支払う権益を地元の収税吏たちに入札させ、最も高額な入札者を勝者としたのだそうです。

 そして収税吏は、実際にローマに支払ったよりも多くの金を徴収し、差額を自分のものにするという目標のために、あらゆる種類の詐欺と策略によって富を生み出そうとしたようです。

 例えば、現金の代わりに、過小評価した商品で税を払わせ、その商品を売って利益を手に入れたり、穀物市場を買い占めて品不足を引き起こし、税金の代わりとして搾り取った食糧を民衆に法外な値段で売りつけたりする、等など。

 まさに憤慨ものですね。

 そんな連中と仲良くすることに何のメリットがあるのか、疑問が湧くのも当然だと思われます。

 いや、メリット・デメリットという損得勘定以外の価値観もあることを、イエスはみんなに気づかせようとしたのかな?

 妄想かもしれないけど、そんな気がする僕でした。

にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 統合失調症へ
にほんブログ村
コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

その一行を書くために

2012年07月03日 09時00分04秒 | インポート

 僕は読書好きで、結構分厚い本でも読んでしまう。

だけど薄い本を侮っているわけではない。

だから詩集とか絵本も読む。

それにしても、作家がその一行を書くために、過去にどれほど多くの人々の血と汗と涙が流れたことか。

出来上がった本には実は苦悩と格闘した人間たちの時間が込められているのだ。

 そのことに気づくと、ちょっと身が引き締まる。

 たくさんあり過ぎるモノは価値が低くなるという経済感覚を身につけてしまっている僕だが、本には作品ごとに個性や価値があることを忘れないようにしたい。

にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 統合失調症へ
にほんブログ村

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

暴力と認識と支配

2012年07月02日 09時05分26秒 | インポート

 己の暴力性に全く気づけない者が、不測の事態が起こった時に、突発的な暴力を振るってしまう。

 それよりは、普段から己の暴力性に気づいている者が、不測の事態が起こった時でも、冷静でいられる。

僕としては後者の方が好ましいかと。

 とにかくそちらの方がより成熟した大人の態度だと思われる。

 また暴力性そのものを消してしまおうとする態度も暴力的だと思われる。

 己の暴力性を捨てたければ、まずそれを認識しなければならないというジレンマ。

 それ以外の方法があるとしたら、忘れてしまうことぐらいか。

にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 統合失調症へ
にほんブログ村

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

衝動

2012年07月01日 14時10分27秒 | インポート

 昨日、パソコンに向かってキーボードを叩いている時、外から《なんでかくの-》という大きな声がする。

 幻聴ではあるまい。

 声変わりしていない中学生くらいの声だ。

 そんなことも分からないのか、それとも非難しているのか、とチラッと被害妄想がよぎったが、「書きたいからさ」と口にしてみた。

 書きたいから書くのさ、やりたいからやるのさ。

 つまり己の衝動に従っているのさ。

 飽きるまで続けるのさ。

 死んでからでは遅いのさ。

にほんブログ村 メンタルヘルスブログ 統合失調症へ
にほんブログ村
コメント (2)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする