白井聡著『武器としての「資本論」』より一部抜粋。
ヘーゲルの弁証法とは、どんな考え方なのか。一般的な弁証法のイメージは次のようなものでしょう。
Aという主張があって、それに対して、Bという対立する主張がある。「テーゼ」と「アンチテーゼ」です。そのAとBがぶつかって、Cという新しい立場が出てくる。これを「ジンテーゼ」と呼びます。
二つがぶつかり合うことで、AとBの至らざるところが改善され、より高度なCが生まれる。これをドイツ語で「アウフヘーベン」と言い、日本語では「止揚」「揚棄」などと訳されています。
この説明ではAとBはまったく別物のようなイメージですが、ヘーゲルの弁証法のポイントは、もともとAとBは一つのものなのだ、というところにあります。その一つのものの中に矛盾が内在しているというのが、ヘーゲルの考え方の肝です。一つのものの中にAなるものとBなるもの、テーゼとアンチテーゼが含まれていて、互いに矛盾し、葛藤を引き起こす。その結果、全体がCという新しいものに変化する。そういうイメージです。
ヘーゲルの弁証法を理解する例としてわかりやすいのは、たとえば生命現象です。つぼみから花が咲く。ではつぼみとは何なのか。つぼみはつぼみである。しかし、つぼみは花になる。つまり、つぼみ自身につぼみであることの否定が含まれている。つぼみは常につぼみでありながら、つぼみでないものになろうとしている。そこにはつぼみであると同時につぼみでないという矛盾が含まれている――ということです。
この矛盾、つまり一つのものの中に相反する二つのものがあることが、「つぼみが花となって開く」という生成現象をもたらす。このように考えると、ヘーゲルの弁証法のイメージが正確につかみやすくなるでしょう。
この過程は絶えず繰り返されるものです。それはヘーゲルが、「今あるものには常にその自己否定が含まれている」と考えられるからです。新しく生まれたCの中でも、やがて矛盾が起きてくる。それによってCはDへ、さらにEへと、無限に生成変化していくのです。
ヘーゲルはこの考え方を人間の歴史に当てはめました。「歴史とは何か。それは理性と自由が実現していく過程である。しかしそれは、人間が傾斜が一定の坂道を上るようにして、着々と理性と自由を高めていくということではない。理性と自由は弁証法的な矛盾、対立、闘争を経て、徐々に実現していくのだ」という見方です。フランス革命に震撼させられたヘーゲルは、それは人類史における理性と自由の現れであり、重要な契機である、と考えた。