子供がペニスの象徴(=ファルス)を作り出すことで、母親=世界におけるペニスの欠損を補おうとすることは、要するにペニスの実在性を諦めて、その模造品で満足しようとすることだから、象徴を獲得するということは、存在そのものの所有は諦める、ということと同じことを意味しているのだそうだ。
エディプス期におけるこの「去勢」こそが、人間が人間になるための、最初の重要な通過点なのだそうだ。
ここを潜り抜けることで、子供は初めて言語を語る存在(人間)になるからだそうだ。
なぜかというとファルスこそは、あらゆる言語(≒シニフィアン)の根源におかれた特権的な象徴に他ならないからだそうだ。
実体が伴わない代わりに、何にでも形を変えられる、この変幻自在な特性が、そのまま言葉の自由さ、柔軟性につながっているわけだそうだ。
ところで、これは推測に過ぎないけれど、僕の父は去勢の問題で悩んだように思われる。
去勢が行われる年頃に父には己自身の父(僕の祖父)がいなかったからだ。
父が2歳から6歳までの4年間、祖父は中国に渡っていて不在だったのだ。
これが父の型破りな人格形成に影響していたと思われる。
今から思うと、父には己の野生を飼い慣らそうと努力していたような跡がある。
時々、邪悪さが垣間見えるのだけど、自分でもすぐ気づいて、ただちにフォローするような感じ。
生前、父は母に責められた時、「オレは自分の子供にどう接していいのか、分からないんだ」と言ったらしいが、今にして納得できる話である。
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