隅の老人のミステリー読書雑感

ミステリーの読後感や、関連のドラマ・映画など。

1781.エンプティ・チェア

2017年09月29日 | 安楽椅子探偵
エンプティ・チェア
The Empty Chair
読 了 日 2017/09/29
著  者 ジェフリー・ディーヴァー
Jeffery Deaver
訳  者 池田真紀子
出 版 社 文藝春秋
形  態 文庫2巻組
ページ数 430/392
発 行 日 2010/11/10
ISBN 上巻978-4-16-440588-6
下巻978-4-16-440589-3

 

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ニューヨーク市警の科学捜査部長のリンカーン・ライムシリーズは、現在何作くらい刊行されているのだろう。と、思って文春のサイトを見たら、最新刊「スキン・コレクター」で11作目ということだった。
まだ僕がBOOKOFFなどで100円の文庫棚を見て歩き、シリーズ作品が100円になるのを待っていた時は、遥か遠くに感じるが、それほど前のことではない。だが、最近は本を買うことをやめて、まあ、それは僕の経済的な面がその大半の理由なのだが、専ら図書館を利用することになって、頻繁に通っていたBOOKOFFにも足が遠のいた。
そして、文庫が100円になるのを待つこともなくなったのはちょっぴり寂しいような気もする。 手元には、本書の他にその頃買っておいた、「ウォッチメイカー」と「石の猿」の2巻組4冊がある。僕は何か勘違いをして、「石の猿」は4作目だが、5作目と思っていた「ウォッチメイカー」は、文春のサイトで7作目だと分かった。
シリーズは一話完結だから、無理して順を追うことはないのだろうが、やはり主人公の環境の変化とか、時代背景の移り変わりなど発表順に読んだ方が、よりストーリーを面白く読めるのではないかと思い、多少読むのが遅くなっても順番に揃えておこうと思って3作を買ったのだが、どうやらどこかで間違っていたらしい。

 

 

このシリーズを追おうと思ったのは、一つには安楽椅子探偵の面白さと、ひょんなことからリンカーン・ライムの助手となったアメリア・サックスの関係が、名コンビともいうべき間柄になったことだった。
映画にもなった第1作「ボーン・コレクター」の、主人公を演じたデンゼル・ワシントン並びにアンジェリーナ・ジョリー両氏の名演も、僕をひきつけてやまない要因の一つだ。映画館で見た後、レンタルDVDやテレビ放送と、少なくとも数回は見返している。だから、本を読んでいても映画の主人公たちの顔が浮かんでくる。
今回は、リンカーン・ライムが脊椎手術を受けるため訪れた、ノースカロライナ州で地元の警察からの捜査依頼に応えるといった設定だ。
男一人を殺害し、二人の女性を誘拐したという少年を追う事件で、例によってライムは集められた証拠から、少年の行方を推理するのだが、地元の保安官補たちと行動を共にするアメリア・サックスは、ライムの指示に従いながら、少年を確保する。
だが、彼女はその少年が殺人や誘拐を繰り返した犯人とは思えなかった。そして、少年の刑が確定して収監された場合、リンチによる死に至る場合もあるという、保安官補たちの話を聞いたアメリアは、こともあろうに拘置所から少年をさらって逃走するのだった。

 

 

鎖的な南部の小さな町の事件から、とんでもない状況へと発展して、手術を控えたライムをどん底の心境に追い込むことになる。大事なパートナーのアメリアが、なぜ犯罪者への道をたどったのか? しかも、少年とアメリアの逃走劇はさらに過酷な展開を見せて、どう転んでも彼女の収監は免れない状況を示し、少年とアメリアは重罪犯罪人として確保されるという終盤へともつれ込む。
リンカーン・ライムの証拠の分析をもってしても、ニューヨークの一流弁護士と検察との司法取引を持ってしても、アメリアを収監から救い出す手立ては、全くなく絶体絶命の状況が背筋をゾクゾクさせる。
本書の準主役ともいえる、ギャレット・ハンロンという16歳の少年は、昆虫少年と呼ばれるほどの昆虫博士で、その昆虫に関する膨大な知識が随所に示されて、自身の行く道の判断にも生かされるところが面白い。 リンカーン・ライムと、アメリアの心理的な食い違いが引き起こしたといってもいい、終盤のいきさつがどんな週末を迎えるのか、ページを繰るのももどかしくなるほどだ。

 

 

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1780.矩形の密室

2017年09月26日 | 本格
矩形の密室
読了日 2017/09/26
著 者 矢口敦子
出版社 徳間書店
形 態 文庫
ページ数 347
発行日 2009/09/15
ISBN 978-4-19-893044-8

 

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ラマになったのをみて、8年ほど前に「償い」を読んだ。内容は全く思い出せないのだが、その後本書を買っているくらいだから面白く読んだのだろう。面白い本を読んだ後、同じ作者の本を読みたいと思うのは、誰でも同じだろうと思うが、僕は特にその傾向が強いらしく、BOOKOFFなどで安い文庫本の棚を見て歩きながら、そうした本を探したものだった。
今では、図書館の本ばかりを読んでいるから、書店、古書店を問わず、足を運ぶことはなくなったが、たとえ買わなくとも、本を見て歩くことは楽しいことだ。が、最近僕はそれさえも無精になって、本屋さんに行くこともなくなっている。
ここ1週間ほどだが、間近に迫った天羽支部会に配る、会報の作成に追われて、読書も思うように進んでいない。
自ら蒔いた種だから―会報の発行は2年前に僕が独自に始めたことだ―自分で刈り取るしかないのだが、こうした仕事は、誰でもというわけにはいかないから、手助けを頼むにしても悩ましい問題なのだ。

 

 

ところで、天羽支部会というのは、息子が入所してお世話になっている、ケアホームあけぼの荘を運営する、社会福祉法人薄光会の保護者・家族の会の一つで、年に4回ほど開かれる会合のことだ。
主に法人本部からの報告や通達と、ケアホーム事業部からの予定などの報告、利用者(施設を利用する障害者たち)の日常生活の様子などが、時にはプロジェクターの映像とともに報告される。
そうした内容とともに、薄光会の組織などについて、新しい保護者・家族の会の会員にも、知ってもらおうとする意味で、始めたのが会報だ。過去にしばらくの間、法人の役員をやっていたこともあって、会員相互のコミュニケーションをとることも含めて、いくつかある支部会との差別化も視野に入れて、始めたことなのだが、一年ごとに年寄り度を増す僕に、負担となってきたようなのだ。
しかし、少なくとも5年くらいは続けなければ、という思いもあってまだ投げ出すわけにはいかないので、ちょっぴりジレンマに陥っているというわけだ。

 

 

部会の役員、と言っても男女合わせて4人だが、話し合いで支部会の欠席者にも会報を郵送することになって、前回から50部を作成することになったから、そうしたことも負担を増す要因となっている。というのは言い訳でしかないか。30部も50部も作る手間はたいして違いがないが、小口を糊付けする製本―ホチキス止めは、時に錆びることもあり、重ねると平にならない、などという理由で僕が独自に考えた方法だ―は1冊ずつの全くの手作業だから、手間も時間もかかるのだ。
毎回18ページほどの小冊子が、今回は僕の記事の編集作業の失敗か、あるいは種類が増えたか20ページになった。余分なことだが、しばらく僕はこの製本方法が、独自の発案かと思っていたら、いつかソニー(だったと思う)から送られてきた何かの取扱説明書が同様の糊付け製本だったので驚いた。
この原稿を書くのに探したが、不要になって捨ててしまったらしく見当たらなかった。だが、人が考えることなどそれほど沢山はないのだと、思った次第だ。それでもこうした製本はその他には見たことがないから、ページ数の少ない印刷物にしか利用できないのだろうと、思っているがどうなのだろう?
なんだか訳の分からない話になった。

 

 

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1779.盤上の向日葵

2017年09月23日 | サスペンス
盤上の向日葵
読了日 2017/09/23
著 者 柚月裕子
出版社 中央公論新社
形 態 単行本
ページ数 563
発行日 2017/08/25
ISBN 978-4-12-004999-6

 

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月10日に行われた薄光会の保護者・家族の会、役員会で、使ったパワーポイントによるプレゼンテーションに、音声による説明を加えるため、ここ一日二日パワーポイントをいじくりまわした。 前にも書いたが、以前薄光会法人の監事を務めていたころは、プレゼンの作成も毎年行っていたから、割合慣れていたはずなのだが、しばらく離れていたことや加齢による物忘れも重なって、簡単なプレゼンにも結構手間がかかる。
そのプレゼンを来月(10月)1日に開催される天羽支部会で使おうということでの手直しなのだ。 音声による説明は、AIトークというアプリを使えば、男性の声も女性の声でも入力したテキストの通り、人が話すような自然なしゃべり方で、アウトプットができる。もうかなり前に購入しておいたものだが、今回初めて活用する。良く聞く電話の自動応答のような不自然なしゃべりでないから、大したものだと感心する。
それでも、中には平坦なイントネーションが、不自然に聞こえることもあるから、手直しを必要とすることもある。単語登録に付随するアクセント調整を使い直すのだが、なかなかこれが難しい。

 

 

2日がかりで何とか37個もの音声ファイルを作成。その一つ一つをプレゼンのアニメーションに合わせて、挿入する。作業はそれほど難しくはないのだが、話の強弱や速度などを治すたびに、挿入をし直さなければならず、そうした個々の作業が多少面倒だ。
しかしパソコンのアプリもいろいろと工夫が凝らされて、こうしたいという消費者の願望は、ほとんど満たされるのではないか、但しそれなりの費用は掛かるが。科学の進歩は便利さをもたらすと同時に、だんだん人を横着にもさせていくようだ。
会議での発表や報告には、単なる口頭の話より画像や映像が、何倍も目を引き気を引くから、こうしたプレゼンの形はますます増えていくのだろう。ほんの少し触っただけで、僕ももう少し勉強してみようか、と、そんな気にもさせる。

 

 

者・柚月裕子氏の最新刊を木更津市立図書館で借りてきた。いつもは早く予約したつもりでも二番手か三番手だが、今回は本の状態から僕が一番手だったことがわかる。新しい本は比較的きれいな状態で読めるのだが、たまに煙草の灰が挟まっていたり、コーヒーのようなシミが有ったりと、本を大事に扱わない輩もいて、不愉快な思いをさせられることもあるから、できるだけ早く読みたいというのは、時間的なことばかりでなく、きれいな本を読みたいという気持ちがあるからだ。
僕は逆に自分の本はそれなりに大事に読むが、特に図書館で借りた本に関しては、慎重に取り扱うことを心がけている。まあ、当たり前と言えばそうなのだが、時に汚された本を見ると、そうしたことに神経を使わない人間性を疑いたくなるのだ。
きれいな本を読み始める前に、いろいろと思いが頭を駆け巡る。

 

 

タイトルから、囲碁、あるいは将棋といったゲームをテーマとしたストーリーだということは想像したが、最近世間の話題をさらった、藤井壮太四段のこともあって、何かグッドタイミングという気もするが、このストーリーは「読売プレミアム」というウェブ新聞に連載されたものだそうだから、実際の話題を先取りしたことになるのか。
僕も将棋そのもののやり方や、ルールなど最低限のことは知っているが、実力と言えば小学生並みで、などというと小学生だって、有段クラスは沢山いるだろうから失礼になるか。
駒の動かし方を知っているといった程度だということだ。
しかし、読み始めてところどころに表れる、棋譜によって勝敗の微妙な動きが描かれることに驚いた。 将棋の勉強をしたのか? あるいはもともと著者は将棋を指すことが出来たのか? 本文の棋譜を見ながらそんなことを考えさせる。

 

 

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1778.アイリッシュ短編集4 青髭の七人目の妻

2017年09月20日 | サスペンス
アイリッシュ短編集 青髭の七人目の妻・他
Bluebeard’s Seventh Wife & Other Stories
読了日 2017/09/20
著 者 ウィリアム・アイリッシュ
William Irish
訳 者 村上博基
出版社 東京創元社
形 態 文庫
ページ数 385
発行日 1974/03/01
ISBN 4-488-12006-7

 

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書店で安く買い求めたものでISBNの表記がなく、Amazonで新装版の番号を調べて書いた。
表紙には原題として上記のようにBluebeard’s Seventh Wife & Other Storiesとなっているが、新装版ではSilhoette & Other Storiesとなっている。もちろん表紙のカバーも変わっており、黒を主体としたしゃれたカバーになっているが、僕はこの古い版もなかなか味があって良いのではないかと思っている。
因みに当時の価格は後ろに320円と印刷してあり、時代の流れを感じる。若い頃の一時期、僕はこのウィリアム・アイリッシュという作家の作品にほれ込んで、ずいぶん読んだものだがその大半は忘れており、当時の記録もどこかに散逸してしまい、残っていないのが残念だ。
今回のようにふと思い出しては、読むようにしているのだが、若い頃のような驚きや感動は望むべくもなく、ただ懐かしさだけが蘇る。いや、そうでもないか、やはり傑作ぞろいの著者の作品は、いつになっても読むたびに新鮮な驚きと感動が胸をとどろかす。

 

もちろん作品にもよるのだが、この作者の別名、コーネル・ウールリッチ名義の作品も同様に、僕は好きでこちらもだいぶ読んだ記憶があるのだが、同じくその大半を忘れた。
アイリッシュ名義の方は、本書もそうだが東京創元社から短編集が6冊刊行されており、このブログではこれが4冊目となる。すべて読んでいるはずなのだが、本書の内容もところどころで思い出すこともあるが、初めて読むような気もして、僕の記憶のあやふやなところに何となくもどかしさを感じることも。
下の表で分かるように、本書には9編の短編が収められている。サスペンスの詩人と言われるだけあって、いずれの作品も胸が痛くなるような緊迫した状況の中から、抜け出そうとする人物の恐怖と不安が、読む者の胸にも押し寄せる。
松本清張氏の作品では、ごく普通の市民が思わぬことから事故や事件に、巻き込まれて人生を一変させるといったストーリーが、リアルさを表して従来の探偵小説とは異なる世界を次々と生み出した。
僕は、このウィリアム・アイリッシュ氏の作品にも、同様のどうということの無い一般市民が、一つの過ちからどんどん自分を窮地に追い込むような、行動をとってしまう危うさが、サスペンス・ストーリーの神髄を表しているような気がする。

 

者の代表作としては「幻の女」があげられるが、僕は本書に収められているような短編にも、後の作家に大きな影響を与えている作品が多くあるような気がする。
例えば本書ではサブタイトルにもなっている3番目の「青髭の七人目の妻」などは、一つのパターンがいろいろと形を変えて、応用されている。その一つがアガサ・クリスティ女史の「カリブ海の秘密」がそうだ。 1964年に刊行された同作がアイリッシュ氏の作品を意識したかどうかは分からないが、テーマとしては全く同様であることが面白い。
アイリッシュ氏の作品は、短編の中にも多くの要素を含ませており、単にサスペンスを感じさせるだけでなく、若しかしたら自分にもこうした事態が訪れるかもしれない、そんな恐怖をも感じさせたり、人を思いやる心を人間ドラマとして描くなど、短い作品から考えさせる要素も盛り込んで、秀逸。

 

収録作と原題
# タイトル 原題 発表年
1 毒食わば皿 Murder Always Momentum 1940
2 窓の明り The Light in the Window 1949
3 青髭の七人目の妻 Bluebeard’s Seventh Wife 1936
4 死の治療椅子 Death Sits in the Dentist’s Chair 1934
5 殺しのにおいがする He Looked Like Murder 1941
6 秘密 Silent as the Grave 1945
7 パリの一夜 Underworld Trail 1936
8 シルエット Silhoette 1939
9 生ける者の墓 Graves for the Living 1937

 

 

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1777.宿敵

2017年09月17日 | サスペンス
宿敵
読了日 2017/09/17
著 者 小杉健治
出版社 集英社
形 態 文庫
ページ数 571
発行日 1998/12/20
ISBN 4-08-748887-X

 

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杉健司氏の著作で未読の旧作は、まだ結構数多くあるから、新作にはまったく目を向けていなかった。それというのも、まだ古書店で本を購っていた頃に、古書店の棚を見ると時代小説が多くて、近頃は時代小説に転向したのか、とも思っていたからだ。
だが、最近になって書店を訪れた際に、単行本の棚には著者の新作が並んでいるのを見て、初めてまだ現代小説の新作を書いていることを知って、まあ、そういうことばかりではないが、また小杉氏の著作を読んでみようと思った次第。
だが、それにはまず手元にある旧作の文庫本数冊を消化してからだと、本書を手に取ったのだ。
この頃はもっぱら図書館を利用することが多くて、積ン読本の消化がままならない状態で、いつも心に引っかかっていたから、この際せいぜい手元の本を読むことに専念しようと、思い立ったがそれもいつまで続くかは全く分からない。僕の気まぐれは長年にわたって出来た悪習?だから、ちょっとやそっとで治ることもないだろうが、一応心がけておけば何とか・・・・ならないか。

 

 

小杉氏の裁判小説は、僕はよくガードナー氏のぺリイ・メイスンシリーズに例えたり、比較したりしているが、面白さや身近に感じることから、全く引けを取らないと思っている。
ガードナー氏は弁護士であり、法廷での検察側との駆け引きや戦術の出し方など、知り尽くしてのストーリーの組み立てだから、面白くないはずはないのだが、片や小杉健治氏に至っては法曹界とは無縁の人だ。 だが、その無縁の人が描く法曹界の内幕などは、手に汗握るほどの迫力に満ちている。まあ、それ相応の勉強をしたり資料を調べたりしているのだろうが、僕は作品を読む都度、作家とはすごいものだと感心するばかりだ。
今回のストーリーは、全日本弁護士連合会(全弁連)の会長選を巡って、有力候補・河合伍助の選挙対策委員長を務める、北見史郎の波乱ともいえる人生を描いている。
“いずこも同じ秋の夕暮れ・・・”といったようなことを思わせる選挙だが、古くは山崎豊子氏の「白い巨塔」で、大学病院の熾烈なる教授選が、ドラマや映画となって一世を風靡するような状況を作った。

 

 

書のストーリーは、選挙そのものを描いたものではないが、タイトルに表れているように、主人公北見史郎にとって、生涯の宿敵と言える検事・若宮祐二との関わり合いが、結局のところ大きなテーマとなっている。
「一人の人生には一つの小説になるくらいのドラマが隠されている」というようなことを言った人もいる。 ここでは、会長選挙の虚々実々の駆け引きや、情実に絡んだエピソードなど、様々な要素が盛り込まれるが、それぞれの過去のうかがい知れない事情が、現在にまで影を引きずっていて、悲しいまでの破局に向かって突き進む主人公に、僕は思わず涙を誘われたりして・・・・。
僕の人生は人の語れるほどのものではないが、それでも振り返ってみれば、80年近い年月だからいろいろなことが有り、後悔することが多いがそれでも数えるほどだが、良いこともあったと自分を慰めてみたり。

台風の思いがけない進路がまた九州地方や、各地に甚大な被害をもたらさなければいいと、願っているが自然災害はなかなか防ぎようがなく、大変だ。

 

 

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1776.東京ダンジョン

2017年09月14日 | サスペンス
東京ダンジョン
読了日 2017/09/14
著 者 福田和代
出版社 PHP研究所
形 態 単行本
ページ数 349
発行日 2013/05/21
ISBN 978-4-569-81208-3

 

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月10日に社会福祉法人薄光会の保護者・家族の会役員会が富津市の、太陽のしずくで行われた。
僕の息子はこの薄光会が運営する、ケアホームあけぼの荘に入所しており、すでに32年という月日が過ぎている。障害者を子に持つ親たちが立ち上げた法人が、最初の入所施設・豊岡光生園を建設したのち、南房総市の三芳光陽園、鴨川の鴨川ひかり学園、富津市の湊ひかり学園を建設して、ケアホーム6棟を有するケアホームCOCOを立ち上げて、ほぼ順調な歩みを見せながら、現在に至っている。
平成15年には、薄光会の運営に一身を投げ打ってきた、理事長・鈴木氏を失うという不幸に見舞われたが、それでも社会福祉法人としての歩みを止めることなく、障害者支援に努力を重ねてきた。
保護者・家族の会とは、各施設を利用する障害者の親・兄弟姉妹たちの組織で、施設ごとの支部長、副支部長の集まりが役員会だ。
今回の議題の一つに8月に行われた、他施設の視察についての意見交換があり、役員会担当の豊岡光生園の施設長から、僕は視察のまとめを依頼されて、パワーポイントによるプレゼンテーションの形でスライドを作成した。

 

 

法人の監事を務めていたころは、毎年5月の理事会において監査報告をプレゼンの形で行っていたから、スライドを作成することもあまり苦にはならなかったのだが、しばらくぶりで手掛けるプレゼンの作成は、ごく簡単なものにもかかわらず、結構手間がかかり苦労した。
なんといっても覚えていたことが少しずつ頭から漏れ始めているのだ。が、たまにはこうした仕事は、脳へと刺激を与えて、弛緩したような日常が新たに甦るような気がする。会議の中でプロジェクターの映像を見ながらの説明は何とか無事終わって、その後の意見交換も活発とは言えないまでも、委員たちにも多少の刺激となったようだ。
僕が用意していたグリーンレーザーを備えたプレゼンターは、なぜか機能せず本部職員の簡単なプレゼンターを借りての、プレゼンだったがスライドに施したアニメーションも、スムーズに動いてそれなりの効果を表して、10分ほどの時間は「アッ!」という間に過ぎ去った。
このプレゼンは、10月1日に行われる天羽支部会にも行う予定で、次は自分のプレゼンターの不都合を直して臨むつもりだ。

 

 

なんとなくテレビドラマの「怪物」(2013年読売テレビ制作)を見て、原作者の福田和代氏に興味を持った。残念ながら原作はまだ読んでないのだが、その年僕は「TOKYO BLACKOUT」という著者の作品を読んで、さらに著者に対して深い関心を抱くようになった。
が、その割には生憎というか、なかなか著作に手が届かず、その後昨年3月に「迎撃せよ」1冊を読むだけに終わっていた。著者の作品は図書館の棚を見ると、結構多様と思われるジャンルに及んでおり、本当はもっとたくさん読んでいてもおかしくない作家だと思うのに、それほど手が出なかったのはなぜだろう?

 

書は前回の「過ぎ去りし王国の城」と一緒に借りてきたもので、パニック映画を思わせるようなシーンも続く、サスペンスストーリーだ。
表紙の写真は思わず誘い込まれるような、地下鉄の軌道が奥の方で微妙に湾曲しているところが、何か危うさを感じさせて、読む前から物語の展開に不安をもたらす。

我々ごく普通の一般市民にはあまりかかわりのない、地下鉄の保線作業に打ち込む的場哲也だが、その最中に不審な人影を見たような気がする。それが後に重大な事件の発端になるとは、その時点で誰も気づいていなかった。
僕がこのタイトルが気になったのは、本書が発行された2013年のいつかだったと思う。ダンジョン(Dungeon)とは何だろうと、辞書を引いたら地下牢とある。著者の物語は前述の通り、まだ2冊しか読んでないのだが、図書館で見る著者の棚には、いろいろと異なるジャンル、と思われる本が並んでおり、そのバラエティ豊かと言えそうな本を、次々と読みたくなるような気にさせる。

 

 

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1775.過ぎ去りし王国の城

2017年09月11日 | ファンタジー
過ぎ去りし王国の城
読了日 2017/09/11
著 者 宮部みゆき
出版社 KADOKAWA
形 態 単行本
ページ数 397
発行日 2015/04/30
ISBN 978-4-04-102836-0

 

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年7月の「悲嘆の門」以来だから、著者の作品を読むのは1年2カ月ぶりか。
アンソロジーの短編などを抜かして、純粋な著作だけを数えても、宮部作品は本書で45冊目となる。僕にとっては、特別な作家ともいうべき宮部みゆき氏だ。これから先どのくらいの本を読めるかわからないが、一人の作家の作品が宮部作品の数を超えることはないだろう。
因みに今僕が全作品を読もうと思っている、中山七里氏の作品だって、まだ30冊だ。いやしかし、中山氏のようにこう矢継ぎ早に新作を発表していくとなると、数年先には宮部氏の作品数を追い抜くかもしれないな。
何しろ中山氏は2011年のデビューから今年2017年までの6年間で、31冊もの作品をものにしているのだから。いやはや、恐るべき執筆力ではないか。
またまた、話が違う方向にそれてしまった。宮部みゆき氏の作品は、僕に改めて国内ミステリーの面白さを教えてくれて、ストーリー展開やファンタスティックな物語にも、誘い込んでくれた。
印象の残る作品の一つに「火車」という、カード破産に関した一人の女性の数奇な運命を描いた作品がある。

 

 

作品はテレビドラマになって、それなりに完成度の高い映像にはなったが、いかんせん原作の狙いからは外れて、その点だけを考えれば、ぶち壊しと言ってもいい映像になった。というのも、宮部氏の狙いはラストの場面にあった。(それについては物語の肝心かなめの部分だから、未読の方には読んでもらうしかないが)元々、原作はある意味映像化不能だったのだ。
ミステリーには文字だからこそできるストーリー展開や、パターンが幾つもあって、それによって読者をミスリードすることが出来るから成り立つトリックもある。
「火車」の場合はトリックではないのだが、物語の重要な要素であったからこそ、映像化に際しては脚本や演出に一工夫も二工夫も欲しかったと思う。それについては、不確かな僕の頭でさえ考え着く方法はあったのだが、まあ、人それぞれで思いや考えは違うのが当たり前で、素人が何を分かったようなことを言ってる、と言われてしまえばお終いだ。
話がそれた。

 

 

ァンタジーと呼ばれる物語や、映像作品はたくさんあって中でも、英国の「ハリー・ポッター」シリーズは、世界中の読者や視聴者の絶大な人気を誇っている。わが国でも国際アンデルセン賞を受賞したことで、一躍時の人ともなった上橋菜穂子氏の作品が人気を集めており、NHKで「精霊の守り人」シリーズがドラマ化された。
宮部氏の作品にも冒険物語あり、ファンタスティックなストーリーは、同様に多くの読者の支持を得ている。
本書もファンタスティックなストーリーであるものの、過去の未解決のままになっている、少女の失踪事件が深くかかわる内容で、中学生の男女ともう一度人生をやり直したい思いを抱く中年男性の、冒険物語だ。 だが、宮部作品の特徴の一つに、若しかしたらそんな世界がどこかに存在するのでは、と思わせるような内容なのだ。
子供のころ読んだ手塚治虫氏のSF漫画の一つに、同様の思いを抱いた僕は、こんな歳(77歳)になりながら、今でも時にはパラレルワールドの存在を信じたくなる時があるほどだ。
そんな夢を持たせるのも、ファンタジーの役割なのかもしれない。ひと時を夢の世界にいざなえるなんて、物語はなんと素晴らしい世界なのか。

 

 

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1774.時限病棟

2017年09月08日 | サスペンス
時限病棟
読了日 2017/09/08
著 者 知念実希人
出版社 実業之日本社
形 態 文庫
ページ数 364
発行日 2016/10/15
ISBN 978-4-408-55316-0

 

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の数学2を読み終わるのに少し時間がかかって、8月23日の返却期限を一日過ぎてしまって、24日に返しに行ったとき、本書があったので借りてきた。知念実希人氏の著作は、どこでも人気があって、比較的新しいものは貸し出し中が多い。
本書もだいぶ長い期間貸し出し中だったから、棚にあったので迷わず借り出したというわけだ。前に読んだ「仮面病棟」という作品とシリーズともいえる作品のようで、それにしては大分間が空いたから、もちろん僕はその前作の内容はきれいさっぱり忘れており、全く白紙の状態で読めるのが良いことやらそうでないやら。
知念実希人氏の頭には物語のエッセンスがあふれるほどに詰まっているのだろう。そんなことを思わせるほどに、次々と作品を生み出す。それでいて、現役の医師だというのだから、世の中は不公平にできている。 「天は二物を与えず」などと誰が言ったか知らないが、そんなことはない。二物も三物も持った人はそこここにいるではないか。などと僕が言ったところで、僻みでしかない。
そうした人たちのお陰で、僕は面白い物語を読めるのだから。二物も三物も持った作家諸氏に、大いに頑張ってもらって、面白い作品をもっともっと生み出してもらおう。

 

 

一つも役に立つものを持たない僕は、こうやって面白い本を探しては読むという、楽しみを持っているから何にも持たないとはいえ、毎日を楽しく過ごす術の一つや二つは持っていることになり、それで辻褄はあっているのか!?
大型台風の通過によってなんだか早めの秋が来たようだ。いや、これを書いているのが今9月3日だから、この記事をブログに出すころにはまた暑さがぶり返しているかもしれない。
11月2日の誕生日までに何とか、1800冊を読み終わりたいとせっせと読んではいるが、別に誰に期限を決められているわけでもないし、自分で納得すればそれでいいのだが、なかなかそれが出来ないから自分を納得させるのも楽ではない。
僕はかつて「刑事コロンボ」を何度も見て、リチャード・レビンソン&ウィリアム・リンクのコンビの、ミステリードラマ作りの妙にただただ驚くやら関心するやらで、ドラマの中のセリフがいろんなところで、頭に浮かんではなるほどと思ったり、自分にあてはめたりしたものだった。

 

 

がアッチコッチ飛んでいくな。サラリーマン現役の頃は「君はいろんなことをやるが、一つことに集中したまえ」などと、よく会社のトップから言われたものだが、それはいまだに治ってなくて、集中してやらなけれなならない時に限って、まったく関わりのない下らない用事を自分で作っては、肝心の用事をほったらかしにする癖が抜けないのだ。
その「刑事コロンボ」のエピソードの一つ「闘牛士の栄光」で、カミさんと一緒にメキシコ旅行の最中に、「休暇中にも仕事を背負ってっちゃう」というと、相手のメキシコ人に「こちらではそういうのを間抜けと言います」と言われてしまう場面があるのだ。
僕は時々このシーンを思い浮かべて、僕も同様の間抜けなところがあるな、と思わされるのだ。少し前にもこんな事をここに書いたが、歳とともにコンセントレーションが衰えて、物事に飽きっぽくなって、といろいろ日常に小さな不都合を重ねていく毎日だ。

5人の男女が出口をふさがれた、元は病院だった廃屋に閉じ込められて、時間内に何とか脱出できないと、廃屋は爆発炎上してしまう状況に陥る。5人がこの廃屋に拉致されたのは、どんな共通点があるのか、次第にその要因がわかるにつれて、過去に起こった事件の真相が明らかになって、5人の意外な関係性と過去のつながりが・・・・。
手に汗握る、といったストーリー展開に夜の更けるのも忘れさせるばかりでなく、いろいろと面倒なことまで頭から抜けるのだ。

 

 

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1773.櫻子さんの足下には死体が埋まっている 蝶の足跡

2017年09月05日 | メディカル
櫻子さんの足下には死体が埋まっている
蝶の足跡
読 了 日 2017/09/05
著  者 太田紫織
出 版 社 KADOKAWA
形  態 文庫
ページ数 318
発 行 日 2017/03/25
ISBN 978-4-04-105202-0

 

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月19日土曜日に、木更津市立図書館から「予約資料がご用意できました。」とのメールが入って、翌日の20日に借りに行ってきた。もうそれほど予約が詰まっているわけではなさそうで、割合早く順番が回ってきた。刊行されているシリーズの最新刊だ。
僕も会社勤めの頃に3回ほど北海道を訪れているが、いつも1泊か2泊だったから、本当の北海道の良さといったものは味わったことがない。北の大地は寒いという印象があるが、残念ながら僕が行ったのはいずれも夏だったから、涼しさは感じてきたが、冬の本当の寒さは知らない。
このシリーズを読んでいると、舞台の旭川にも行ってみたい気もするが、今となってはもう行くことはかなわないだろう。情けない話だが、第一に経済的にそれほどの余裕がないことだ。
僕が30歳から45歳までのサラリーマンとして、もっとも充実した期間を勤めた会社は、年に2回の社内旅行があって、監事に当たった社員はそれこそ春と秋の時期になると、行き先の選定などに骨を折っていたもの だった。
社員の福祉を目的とした××会というのがあって、毎月給料からわずかずつ積み立ててはいたが、いつも大半の経費は会社持ちで、旅行に行けるのだから、大半の社員は楽しみにしていたと思う。

 

 

ところが僕ときたら、受け持ちの業務が多忙だったこともあって、旅行の時期になると、どうやって行かない理由をつけるかに頭をひねっていたのだから、今考えると本当にもったいないことをしていたものだ。
まあ、その頃は旅行に時間を費やすより、他に楽しみがあったのだろうが、振り返ってもそうしたことがとんと頭に浮かんでこないのだ。幸せの真っ只中にいると、それに気づかないことが多いというから、僕も多分その口だったのだろう。
だから今こうして好きな本を思い切り楽しめることを、至福の期間だといつも思うようにしているのだ。思い切り老人になってから、足るを知ってもどうしようもないとは思うが、でも認識しないよりはいくらかましだろうと、自分を慰めてみても始まらないが・・・・。
出来るだけ健康寿命を延ばして、多くの本を読みたいと思うから、毎日少しのストレッチ体操をしたり、起床、就寝を一定の時間にしたりと、そんなことがどれだけ役に立つかは分からないが、そうしたことが健康に繋がっていると思うことにしている。

 

 

でも楽観的に考えるのが、まあ、僕の数少ない長所の一つで、バカは長生きを実践している。
ついにシリーズも現行の最新作にたどり着いた。11巻目だ。だが、Amazonによれば8月25日にすでに最新刊・12巻目が発売されたようだ。著者・太田紫織氏もかなりの健筆家のようで、本書が今年3月の刊行だから、半年で1冊を書き下ろしてしまうのは、すごいことではないかと思うが・・・。
前作でばあやの梅さんと家を出て、行方の分からなくなった櫻子さんを、やきもきしながら磯崎先生や薔子さんとともに、探しに出かけて二体の遺体と遭遇するというショッキングなスタート、第壱骨の内容だ。
蝶の足跡の蝶はもちろん櫻子さんを刺しているのだが、行方不明者の、特に女性の行方を捜すというテーマは、ミステリーの一つの定番となっている、と言ってもいいだろう。
古くはウィリアム・アイリッシュ氏の「幻の女」が、その原点のようだが、僕はそうしたテーマを幻の女探しと称しているが、姿形を変えながら実に多くのミステリーを生み出している。本作はそれとは少し意味合いが違うが、正太郎少年の「若しかしたら彼女が犯罪者になるのでは?」という不安をを抱える。この正太郎少年の櫻子さんに対する思いは、今までの経緯を考えれば当然のことと言えるのだろうが、少し過保護(どっちが保護者かわからくなるが)と言えるのではないか?
最後に櫻子さんはそんな正太郎の心の内を知って、素直に正太郎の言葉を受け入れるのだが・・・・。

 

収録作
# タイトル
プロローグ  
第壱骨 蝶の足跡
第弐骨 灰色の追行
エピローグ  

 

 

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1772.なぜか惹かれる不思議な数学

2017年09月02日 | 数学
なぜか惹かれる不思議な数学ル
読了日 2017/09/02
著 者 蟹江幸博
出版社 実務教育出版
形 態 単行本
ページ数 213
発行日 2014/03/15
ISBN 978-4-7889-1073-7

 

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でもかんでも地球温暖化のせいにするのはどうかと思うが、しかし、こんな9月の初旬だというのに、秋の深まったような陽気は、どこか季節のサイクルが狂ってしまったとしか思えない。
急に寒くなったり、暑くなったりすると、着るものにも困る。身体機能の衰えつつある年寄りには、身体がついていけない。全く困ったものだ。そうしたこととは関わりないことなのだが、僕の左足がまた腫れあがってきて、昨日、病院に行ってきた。僕の足を見てドクターは不審そうだったが、痛みや炎症を抑えるロブ錠と胃炎を抑えるレバミピド錠を処方して、尿酸値を下げるフェブリク錠と並行して服用するようにという。
どうも足の腫れが痛風の発症ではないのかもしれない。ドクターは1週間ほど様子を見て、というのだが・・・。
歩くのに多少不自由を感じるくらいで、痛みもさほどでないから、様子を見るのはいいのだが、一体何が原因なのだろうと、訳の分からない足の腫れがちょっと気になる毎日だ。
陽気と関わりないといったが、若しかしたら急激な温度変化も多少影響しているのか?まさかね・・・・。

 

 

なぜか惹かれる 不思議な数学 なんと興味を引くタイトルではないか。そう思うのは僕だけではないだろうが、本当に数学はその神髄を僕に理解させないまでも、惹きつけてやまないのだ。
本書はどちらかと言えば、数学書というよりパズル書と言ってもいいくらいな、数学の魅力を身近な題材で面白おかしく解説している。内容は下表に示した通りだが、一つ一つのタイトルの中に、4つから8つの小項目を設けて、数の不思議さや問題を解く方法などを示している。
例えば、僕は最初の1項目で、消えた「1000円」の怪?というタイトルを見て、すぐさま過去に読んだパズル書「推理パズル」(藤村孝三郎著)を思い出す。この問題は数多くのパズル書などで、形を変えて紹介されているパズルの古典と言っていいだろう。僕もこのブログで、内田百閒氏の「第一阿房列車」の中で紹介している。僕がこのパズルを知ったのは、上記のように「推理パズル」なのだが、著者の藤村氏は内田百閒氏の「第一阿房列車」で語られるその話術がたんなるパズルを、文学の域に高めているといった旨を書いている。
僕はそれをもとに内田百閒氏の著作を読むことにしたくらいだ。
ここに収められた40数項目について書くわけにはいかないが、最初の一問くらいは紹介しても良いだろう。

 

 

人の男が1泊5000円の旅館に泊まった。翌朝チェックアウトの時に、旅館は3人で5000円割り引いてくれるという。5000円を3人で割ることは出来ないので、2000円を仲居さんにチップとしてあげて、3人は1000円ずつもらった。
3人の支払いは4000円ずつだから計12000円で、仲居さんへのチップ2000円を足しても、14000円にしかならない。1000円はどこに消えた?
というのがこの問題である。
と、このような問題とともに、考え方や問題への向き合い方などが、興味深く解説されて、なるほどと納得させられるのだ。この最初の問題は人が引っ掛かりやすい錯覚を利用した問題で、説明されればなるほどと納得できるのだが、人は時によってはパズルでなく重大問題を考えるときでも、錯覚や誤解は日常茶飯のごとくに陥りやすい。
大事な決断は、一度原点に立ち返って、冷静に考える必要がある。

もう一つ紹介しよう。2番目の確立を知ると「先が読める」? のところでも同様に錯覚に陥りやすい問題が提起されている。
確率は変化するという問題だ。テレビの番組でA,B,Cと三つの箱のどれかに賞品がはいっており、どれが当たるかはそれぞれ1/3ずつだ。あなたはその一つを選び賞品が入っていればもらえるものとする。あなたは仮にAを選んだとしよう。
テレビの司会者はCの箱を開けてみせ、何も入って無いことを示す。そして、「Cは空でしたから、あなたの選んだAか,もしくはBに入っています。今ならBに変えてもいいですよ」という。さて、あなたはそのままAを選ぶか?またはBに替えた方がいいか?確率は?という問題である。
確立については、19世紀のパスカルの時代から論じられている理論だそうで、各国の数学者たちによって論議がかわされてきたそうだ。まあ、ここではそうした難しいことはさておいて、あなたが選ぶ箱の問題だ。
確率は最初の1/3から箱が一つ減って、1/2ずつになった。だが、それではこの問題の本当のところがわからない。結論から言ってしまえば―というのは説明すると長くなるのだ―あなたはBに変えた方が当たる確率は高いというのだが、納得できるだろうか?

 

収録作
# タイトル # タイトル
1 推理する力で「解」が見えてくる 5 覆面算、虫食い算、小町算でアタマをひねる
2 確立を知ると「先が読める」? 6 論理パズルで状況を見抜く!
3 「数の後ろに隠された法則」を発見せよ 7 「最短最速の方法」を選び出せ!
4 幾何力が数学力を高める 8 視点を変えればルールも変わる

 

 

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