隅の老人のミステリー読書雑感

ミステリーの読後感や、関連のドラマ・映画など。

1171.交戦規則ROE

2011年07月28日 | 警察小説
交戦規則 ROE
読了日 2011/08/04
著  者 黒崎視音
出 版 社 徳間書店
形  態 文庫
ページ数 557
発 行&nbsp:日 2008/10/15
ISBN 978-4-19-892862-9

 

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0年ばかりネットへの接続に光フレッツを利用していたが、我が家の財務省からコストがかかりすぎるということで、事業仕訳にあって、打ち切りを迫られた。
NTTに電話したら、とりあえずライト・ファミリーという契約に切り替えてはどうかということで、7月から変更した。どの程度のコストダウンになるかは、8月の請求を見るまで不明だが、今までネットへの接続など気にしたことはなかったので、接続のつどコストがかかるという仕組みに、おっかなびっくりの毎日だ。
こんなことなら従来の環境でやっておくべきことがたくさんあったことに、いまさら気づいても遅い。

ブログの記事のないところを埋める作業を、今頃になってようやく着手し始めたところで、と言ったって本の内容はとっくに忘れているから、再読しながら記事を書いている。再読するたびに、なぜ読後すぐに何らかの記事を書けなかったのだろうと、思うばかりだが、昨日のことさえ忘れがちの今、そんなことがわかる筈もない。
そんなこんなで、新しい読書がさっぱり進まない。まあ、のんびり構えて成り行きに任せるしかないか。

 

 

昨年(2010年)10月に最新作を読んで以来の著者の作品は、最新作ではなく以前の作品だ。聞くところによれば、著者は気の毒に病の床にあるようだ。
最初に読んだ「警視庁心理捜査官」が好みの作品だったことから、目についたところから読み継いできたのだが、どうやら作品を書き続けられる状態ではないようで、なんと言ったらいいか、切ない気分にさせられる。一日も早い回復?を願うばかりだが・・・・。
ここ何年かの内に好きな作家が亡くなっており、その都度切なく哀しい気分にさせられる。著者の病も回復できるものならいいのだが・・・・。

 

 

が国も遠く離れた他国の紛争解決や災害復旧へと、自衛隊の派遣による協力を余儀なくされている。国際社会の中で先進国としての責任は次第に重くなりつつある。本書を読むまでもなく、我が国の自衛隊は他国から見れば軍隊そのものであるにもかかわらず、国民の意識はあいまいだ。
もちろん戦争というものに拒絶反応を示す僕にとっても、自衛隊はおろかアメリカの軍事基地としての我が国の立場が、国際社会の中で微妙な位置関係にあることは、承知しているつもりだ。冷戦時代が終結したとはいえ、有事の際の安全保障条約がどのように活かされるのだろう?などという疑問に対しては答えられるはずもない。
さて、タイトルが示す如く、本書は戦闘の際の自衛隊員に対する、実戦に即した規則を定めたものである。専守防衛のための自衛隊とは、どう動くのかが示さるのだが、世界有数の平和国であると、僕らが漫然と考えている国内で、実際に戦闘状態が発生したらと考えると、戦慄を覚える。
もうじき8月15日を迎える今、本書のような新たな戦いの火ぶたが切って落とされるかのような、予感を持たされる内容を読んでいると、遠い昔の記憶がつい昨日のように思い起こされる。それにしても、遠い国々での、今なお内外戦を問わずに繰り広げられている戦いは、どうしたら収束できるのだろうか?
専守防衛とはなんだろう?改めて考えさせるが、本書はあくまで娯楽のためのフィクションであってほしいものだ。

 

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1170.天使が開けた密室

2011年07月16日 | 本格
天使が開けた密室
読 了 日 2011/07/16
著  者 谷原秋桜子
出 版 社 東京創元社
形  態 文庫
ページ数 345
発 行&nbsp:日 2006/11/24
ISBN 4-488-46601-X

 

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京創元社から何冊か文庫が出ており、名前だけは知っていたが、初めて読む作家。珍しい名前なのでなんと読むのかと思っていたら、秋桜子でショウコと読むそうだ。
2001年に富士見ミステリー文庫で、本書の原型である「激アルバイター・美波の事件簿 天使が開けた密室」を発表してデビューしたという著者の略歴によれば、同年「龍の館の秘密」を発表した後、しばらく作家活動は停止していたらしく、2006年に再開したらしい。
過日、いすみ市の母を訪ねた際に立ち寄った古書店あずまで、目についた数冊の著者の文庫から、デビュー作だという本書を買い求めた。月に1回は館山市在住の末の妹とともに、いすみ市に一人暮らしをする母を訪ねることを恒例としている僕は、その帰り道に子の古書店を覗くことを常としている。

 

 

僕の住む木更津市近隣のBOOKOFFなどとは一味違った品揃えと、個人経営の店にしては割と安い価格設定も、魅力の一つだ。経済的に余裕のない僕にとって価格の安さは何より優先する。
さて、巻末の解説で鷹城宏氏によれば、ラノベ(ライト・ノベルという和製英語?の略らしい)系だということだが、あまりそうしたジャンルにとらわれることなく、僕は本格ミステリーとして楽しく読んだ。
ブログでの都合上カテゴリーという分類をしているから、その分類では学園ミステリー、あるいは本格ミステリーにしようと思っていたが、本来は分類など関係なく面白く読めればそれでいいのだ。ということで、僕は読み終わって、本書を手に入れてよかったという思いにとらわれた。
面白い本に出会えるのが、読書生活において一番の幸せである。たくさんの作家や作品に出会えることを目標にしているから、できるだけ偏らずに読みたいとは思うものの、安全策を取って同じ作家の作品を読み続けることになってしまうのは、ある程度やむを得ないことかもしれない。
だからこうして、新しい作家の作品を面白く読めたときの喜びは大きい。

 

 

初に発表された時のタイトル「激アルバイター・美波の事件簿 天使が開けた密室」から、倉西美波という高校1年生が主人公とわかるが、物語の探偵役は残念ながら彼女ではない。一応彼女はストーリーの語り手ではあるものの、その辺のどこにでも見られるようなごく普通の女子高生だ。
否、普通ではないか! その昔浪曲で謡われた「ドジで、間抜けで、オッチョコチョイ…」というのがあったが、そんなことを連想させるほどの女の子が倉西美波だ。そんな彼女にどうしてか、心強い親友が二人もいるのだ。一人は警視庁の警部を父に持つ立花直海と、もう一人は元華族の家柄を誇る西園寺かのこというのがその二人だ。立花直海は身長171㎝を超す均整のとれた肉体を持ち、宝塚の男役のような美形のスポーツウーマン。片や西園寺かのこはと言えば、おっとりとした物腰と言葉遣いで、政財界をはじめとして、あらゆるところに人脈を張り巡らすお嬢様だ。この対照的な二人の親友がオッチョコチョイで泣き虫の美波に何かと助け舟を出すのだ。
そんなストーリーを読んでいると、「物語はキャラクターだな!」とつくずく感じる。

この作品が、2001年に発表されたということで、作中若者たちの会話の中に「げろげろっ!」という言葉が出てきて、当時のことを少し思い出した。その頃こうした意味もない短い単語?を挟み込むのが流行していたことを思い起こす。
その少し前には「もしもし」というのが盛んに言われていた。まだ僕も現役のころで、会社の若い連中が何かというと、「げろげろっ!」と連発していたことが懐かしい。近頃は聞かれなくなったが、あれはなんだったのだろう。

話がそれた。立花直海の江戸っ子を絵にかいたようなべらんめー調の言葉遣いや、西園寺かのこの典型的なお嬢様のセリフは、肝心の事件を忘れさせるほどの面白さを示して、僕にすればこうしたキャラクターの登場だけで、この本の価値を十分に叶えているというものだ。 なんとなれば、こうした青春真っ只中の物語を読んでいる時だけは、僕も50数年前の高校生に戻ることが出来る?からだろう。

 

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1169.浜村渚の計算ノート

2011年07月10日 | 数学
浜村渚の計算ノート
読 了 日 2011/07/10
著  者 青柳碧人
出 版 社 講談社
形  態 文庫
ページ数 292
発 行 日 2011/06/15
ISBN 978-4-06-276981-5

 

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カパーの海外ドラマチャンネルの一つであるAxnミステリーにゲストルームという番組があって、毎月ミステリー作家などを迎えて、新しい作品についてや、最近のミステリーの傾向などについてインタビューを行っている。
同チャンネルでは他にも、出版社の推薦する新作ミステリーなども紹介しており、ミステリー読書の参考にしている。
つい最近番組の中で著者の青柳碧人氏と本書についての紹介があった。学習塾の講師をしているという著者の話は面白く、書いてみたいテーマに「フェルマーの最終定理」を挙げていた。
僕は数学が決して得意ではないのだが、嫌いではない。だからこの読書記録の中でも、数学に関した本も何冊か入れて読んでいる。本書も番組を見て面白そうなのですぐにも読みたいと思って、市内の割と大手の書店を見て回ったのだが、置いてあるところはなく、富津市にあるイオンショッピングモールにテナントとして出店している、すばる書店まで出向いて買ってきた。

 

 

表紙イラストで示されるのが、千葉市立痲砂中学校二年生、浜村渚のイメージだ。他の科目はともかくとして、数学に関する知識は天才的ともいえるもので、千葉県警の女性刑事、大山あずさが連れてきた助っ人である。
それと言うのも、今世間を騒がせている天才数学者・高木源一郎が率いるテロ集団に対抗するためだ。
事の起こりは、政府の学校教育に関する基本方針が、テストのためばかりで役に立たないという理由で、理数系の授業を正規の授業から外してしまったことによる。そうした状況に数学者高木源一郎は、このままでは日本の将来が危うくなるという思いで、「黒い三角定規」というテロ集団を作り、数学授業の復権を目指したのである。
かつて数学の授業には、大半の学校で高木の考案したパソコン・ソフトが、使用されており現在の15歳から40歳までの年齢層の人たちは、そのソフトによって教育されていた。ところが、高木はそのソフトに密かに後催眠術を仕掛けていたのだ。つまりそのソフトで教育を受けた人は誰でもが、高木の命令で殺人の加害者になりうるということだった。

 

 

野県で殺人事件が発生、現場には「黒い三角定規」をプリントしたカードが残されていた。そして、第二、第三の犠牲者が・・・。高木はどのような順序で犠牲者を決めているのか?
捜査本部に連れてこられた、天才少女・浜村渚の数学的推理は事件を解明できるのか? テロ集団との闘いということで、殺人事件が描かれるが、それはあくまで謎の提示という要素だから、凶悪な印象を与えてはいない。
また、なぜ警察の捜査に数学の天才とはいえ、中学生の少女が選ばれたのかということも、本編の中で相応の理由が示される。
時におかしく、また時に、なるほどと思わせる数学の面白さが、解説されて数学にそれほど興味のない人が読んでも、そこそこ面白く読めるのではないかと感じる。目次にも対数やルートを使うなどの簡単な工夫がされており、いくらかでも数学に興味のある人には、にやりとするのではないか。

 

収録作
# タイトル
log 10 ぬり絵をやめさせる
log 100 悪魔との約束
log 1000 ちごうた計算
log 10000 πレーツ・オブ・サガミワン

 

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1168.核心

2011年07月07日 | サイコ・サスペンス
核心
THE SCARPETTA FACTOR
読 了 日 2011/07/06
著  者 Patricia Cornwell
パトリシア・コーンウェル
訳  者 池田真紀子
出 版 社 講談社
形  態 文庫
ページ数 422/399
発 行 日 2010/12/15
ISBN 978-4-06-276837-5
978-4-06-276838-2

 

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よいよ「検屍官」シリーズも、第17弾となったことに、少なからず感慨を覚える。
僕がこのシリーズを1997年に読み始めたことがきっかけとなって、60歳の還暦から若い頃のように、再びミステリーを読み始めたことは、もう何度も書いてきた。
この読書記録を始める2年ほど前だから、14年にもなるのか。最初の「検屍官」が講談社から発売されたのは、それより前の1996年だから、シリーズは15年もかけて書き続けられているというわけだ。僕はこのシリーズを読むたびに、著者であるパトリシア・コーンウェル女史の、飽くなき試みに脅威すら感じてきた。
何作目かで、作中にスキューバダイビングの話が出てきたが、彼女は作品のために実際にスキューバダイビングを体験したらしい、ということをどこかで読んで、驚いたものだ。だがそんなことで驚いてはいられなかった。
その後、ケイ・スカーペッタの姪・ルーシー・ファリネリがヘリコプターを操縦するシーンのために(そのためばかりではないと思うが)ヘリの操縦免許を取って、なおかつヘリコプターまで導入したというから、ビックリだ。

 

 

「私は、そんなことはあり得ない、と言われるようなことは書きません」というのがコーンウェル女史の言葉だが、まさかヘリまで買い入れるとはまったく驚きだ。
このシリーズが8作か9作目の時だったか、他のシリーズが発表されたので、検屍官シリーズも終わりかと思ったことがあって、さびしい思いをしたことがあった。だが、間もなく10作、11作と続くに及んで、安心したのだが、その頃から少しずつストーリーの雰囲気が変化を見せて、以前ほど入り込めなくなったような感じがしてきた。
僕の読書の傾向とかも関係していたのかもしれない。これほど夢中にさせる小説は他にはない、そんな思いが長い間続いたから、僕が小説のストーリー展開の変化についていけなかったのだろう。
前作の「スカーペッタ」が2009年12月の発行で、その前から2年が過ぎており、僕は立て続けで読んでいたわけではないが、続編はいつになるのか気にはなっていた。そんなことから「スカーペッタ」の後もまた2年後になるのかと思っていたら、昨年(2010年)12月に本書が刊行され、なんとなく安心する。
2―3作前から僕にとって好ましい雰囲気が再び出始めた感じがして、のめりこむような感じで、読むことが出来るようになった。本作では、ハイテク機器や、その操作といったことに、ページを割きすぎている、といったきらいはあるものの、あっさりとした終盤と大団円から心地よい読後感を得られる。

 

 

のところ、以前読みっぱなしで、記事を書いてない本の再読をしながら、改めて記事を書くという実に馬鹿げたことをしており、この上下巻を読む間にも4-5冊読み直した。
もう古い本は大半が処分済みだから、そっちこっちの図書館で探しては借りてきて読むという、二重三重の手間をかけている。新しい読書がその分遅れるが、それも仕方がないことだ。最近はそうした愚にもつかないことをしないためにも、読後すぐに何とか書くようにしているが、何を書こうかと迷うことは少なくない、

さてと、ほんの少し内容についても書いておこう。
今回は、トニー・ダリエンという俳優の殺人事件から始まる。それと並行するように、経営コンサルタントで美人投資家のハンナ・スターが行方不明となる事件が発生する。 スカーペッタはニューヨーク検屍局の仕事の傍ら、カーリー・クリスピンという女性タレントが司会する、CNNテレビ番組に出演して法医学について語ることになった。だが、妙に司会者との間の会話がかみ合わず、スカーペッタはいらだちを強める。そんな状況の中でスカーペッタは大事なデータを満載したスマートフォンを紛失してしまう。しかも、スカーペッタはあろうことか使い勝手の悪さから、パスワードを解除していたのだ。
考えられるのはカーリー・クリスピンが持ち去ったらしいということだった。

このシリーズでは、何作か通して凶悪犯を追跡するという設定がなされるが、今回も2―3作前にベントン・ウェズリーたちが追っていたフランスの怪物・シャンドン一家の生き残り、ジャン・バプティストの影が漂う。
締めくくりから見れば、この大河ドラマはまだまだ続きそうだ。

 

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