隅の老人のミステリー読書雑感

ミステリーの読後感や、関連のドラマ・映画など。

1926.蜜蜂と遠雷

2019年09月12日 | 音楽
蜜蜂と遠雷
読了日 2019/07/30
著 者 恩田陸
出版社 幻冬舎
形 態 単行本
ページ数 507
発行日 2016/09/20
ISBN 978-4-344-03003-9

 

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件もの予約が続いていたので、僕の番はもう少し先になるだろうと思っていたら、存外早く「予約の資料が用意できました」のメールが入った。このところ専ら図書館を利用していて、著者や出版社には申し訳ない気持ちもあるが、何しろ手許不如意も続いており、致し方なし。
原因はタイヤ交換他の、車の維持費の出費によるものだ。現役の頃は外回りも多い代わりに、車検を始めとして車両保険、燃料費など、車に関する費用はすべて会社持ちだったから、楽だった。
20年以上も前のことを言っても始まらないが、僕にとっての古き良き時代の話だ。

2017年度、第156回直木三十五賞、及び本屋大賞を受賞して、多くのファンの称賛を得た本書。
著者にとっても、またファンにしても長く待ちわびた直木賞の受賞で、中には何をいまさらという感じを持った人も少なくないのでは? だが、僕は本書を読み始めて、従来とは異なる恩田節といった感じを持った。

 

 

では正当恩田節とはいかなるものか? 僕はデビュー作の「六番目の小夜子」に続く、ファンタジックな流れが、それだと思ってきたのだ。一部のファンは恩田氏の作品は分かりにくいという人もいるようだが、僕はそうした分かりにくいと感ずる作品も、それはそれで恩田氏独特の作風だと思っている。

そういえば、本屋大賞は第2回にも「夜のピクニック」で受賞しており、書店員が大挙して推すところを見れば、多くのファンが恩田作品を読んでいる証拠でもある。
僕も今までに、恩田作品は28冊も読んでおり、本書で29冊目となるが、特に好きなのは『遠野物語』に準じたというか、現代に移し替えたようなシリーズが好きだ。「光の帝国 常野物語」、「月の裏側」、「蒲公英 タンポポ草紙」、「エンドゲーム 常野物語」などを魅力的に感じている。

 

 

て、本書は若き天才ピアニストたちの、コンサートの模様を描くストーリーだ。コンサートを勝ち抜くための努力や、彼らの演奏の素晴らしさと、行間から音が飛び出しているかのような、描写が感動を呼び起こした作品は、2012年に読んだ中山七里氏の、『さよならドビュッシー』ですでに味わっているが、この作品では少し趣の違った、一流ピアニストを目指す天才たちの、コンサート演奏が繰り広げられて、迫力のある描写が繰り広げられる。
3年ごとに開催される芳ヶ江国際ピアノコンクール。「ここを制した者は世界最高峰のS国際ピアノコンクールで優勝する」と言われているジンクスがあり近年、覇者である新たな才能の出現は音楽界の事件となっていた。
今回の出場者の中でも、養蜂家の父とともに各地を転々とし自宅にピアノを持たない少年・風間塵15歳についての演奏と、その描写の生々しさは驚異的ともいえる印象を与える。
だが、唯一この作品で惜しまれるところは、この少年の活躍について中途半端で終始しているところなのだ。読者としては、もう少し世界の一流音楽家の指導や、彼が認めた天才のいかに技術を習得したか、と言ったことも知りたいところだ。

 

 

台風の自然災害に関する記述で、僕は毎回被害のないわが千葉県の良さを吹聴してきた。ところが長い間の付けが回ってきたかのような、甚大な被害が停電という恐ろしい形で、今もなお続いている。
我が家も、これは僕のうっかりミスの結果なのだが、二階の僕の部屋の窓ガラスが割れるという被害があった。夜中に「バリンッ!」という大きな音とともに、窓ガラスが寝ている僕の胸に向かって飛んできた。幸いかけていたタオルケットの上に、平らな状態で落ちたので怪我はなかったが、危ないところだった。
雨戸を閉めておけばどうということはなかったのだが、前述のように僕の閉めたという思い込みが、小さな被害に及んだというだけだが、ひとつ間違えば重大なことになりかねなかった。僕の住む真舟地区は高台で水の被害もなく、さらに停電も免れている。
今日も台風一過の晴天に、被災者には申し訳ないが、よかったという思いでいっぱいだ。

 

 

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1925.羊と鋼の森

2019年09月01日 | 青春ミステリー
羊と鋼の森
読了日 2019/07/26
著 者 宮下奈都
出版社 文藝春秋
形 態 単行本
ページ数 243
発行日 2015/09/15
ISBN 978-4-16-390294-4

 

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の流儀(そんなものが在るとして)から言えば、本書のタイトルも僕が惹かれる要素が、含まれていたのかもしれない。内容を想像できないようなタイトルから、どんなストーリーなのだろう、という思いを持ったことから、あるいは本屋大賞に選ばれたということもあり、興味を持った。
しかし、それから早4年も過ぎたことを思えば、左程読みたいという欲求があったとは思えないが、先日図書館を訪れた際、目に入り衝動的に借りてきた。人気の作品も時が過ぎれば、待たずに借りられるという、見本みたいなものだ。
余分なことを言えば(僕のこの読書日記はほとんどが余分なことばかりなのだが・・・)、僕はしばしばタイトルに惹かれて、傑作を見出すことが過去にあった。僕の流儀というのは、そんな他愛のないことなのだ。
胸に響く、あるいはタイトルを見ただけで、「アア、これは僕の好みの内容だ!」と、思う時は懐具合も考えずに買うことにしている。
もっとも近頃はそうした行動とるには、あまりにも不如意な状態だから、おいそれと買うことは叶わないのだが・・・・。

 

 

「光陰矢の如し」とか、「少年老い易く学成り難し」とか、月の変わり目が近づくたびに、時のたつ速さに驚いている。先月8月はカミさんの誕生日があって、例によって娘を加え3人で、夜食を外食とする。
取り立てて贅沢な食事をするわけではなく、ごく普通の食事なのだが、普段のささやかなものと比べれば、いくらかは豪華と言えるか。それより女性陣にすれば、いつもの家事から解放されて、上げ膳据え膳の食事はことさら豪華でなくとも、満足できるようだ。

ところで本書は、7月26日に読み終わっている。とっくに内容は忘れており、主人公の名前さえ思い出せなくて、もう一度図書館で借りてきた。そんなことは僕にすれば日常茶飯のことで、珍しくもない。
別に主人公の名前が分からなくても一向に差し支えはないものの、ひょんなことからピアノの調律師を目指した少年が、その素直な感性と物事を見つめる率直な視線が、優秀な調律師に向かって成長する姿、そうした縦糸だけわかっていれば、その彼にかかわる様々な横糸が、自ずと技術の発展に役立っていく。

 

 

のストーリーは、ある種の成功物語なのだが、僕はそれより外村(とむら)という主人公が、高校2年生の折、学校を訪れた調律師の仕事ぶりを見るうちに、それまで関心もなかったピアノの仕組みや、調律によって音が変わるということに驚きを感じて、調律師を目指すという発端に、ストーリーの半分以上が語られているという感じを持ったのだ。

頭に染み込みやすい平易な語り口は、決して波乱万丈とは言えない展開ながら、僕をぐいぐいと物語に引き込んでいく。読み終わって、こんな人物なら調律師でなくても、きっと成功していただろうと思いながらも、いや彼がスタート時点で、調律師の仕事ぶりに興味を持った時点が、彼の生涯が決定したという点で、この物語の素晴らしさがあるのだ。

 

 

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