隅の老人のミステリー読書雑感

ミステリーの読後感や、関連のドラマ・映画など。

1902.極北クレイマー

2019年03月31日 | メディカル
極北クレイマー
読了日 2019/03/21
著 者 海堂尊
出版社 朝日新聞出版
形 態 単行本
ページ数 436
発行日 2009/04/30
ISBN 978-4-02-250571-2

 

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者のデビュー作にして、このミス大賞受賞作『チーム・バチスタの栄光』を、タイトルから何かスポーツの話かと、勘違いしていたことがあって、読んだのはかなり後になってからだったが、著者が現役の医師だということが分かって、作品が僕の好きなメディカル・ストーリーだということも分かり、かなりの期間僕は夢中で読み続けた。
僕の思い込みという悪い癖が、というより無知がと言ったほうがいいか。時として変な誤解を生んで、傑作を見逃していることが、かなり多いのではないかと今では思っているが、それはそれで仕方のないことだという思いもある。
いくら好みの作品で面白いといっても読書量には限りがあるから、それらのすべてを読もうとするのは、現実的ではない。それでも欲張りな僕の頭の中には、もしかしたらいつかは読めるのではないか、という変な思い込みで、たまに立ち寄ったBOOKOFFなどで、好きな作家の本が安い文庫棚にあると、ついつい手が出てしまう。
そうして、自分の読書量については忘れて、買ってしまい積ン読の蔵書を増やすことになる。そうした悪循環を防ぐ意味からも、最近はめったなことで、古書店に立ち寄ることを控えているのだが・・・・。

 

 

本書はそうした積ン読の中の1冊で、結構海堂氏の作品を読んでいた時期に、BOOKOFFで『アリアドネの弾丸』(こちらも未読の積ン読)と一緒に買ったものだ。
最後に海堂尊氏の作品を読んだのが、2016年1月の事だから、その後出た新作は、かなりの数になるだろう。
もちろん機会があればそれらを次々と読みたいが、ほかにも読みたい本は山とあるから、思いが実現することはまずないだろうと、あきらめの境地だ。
昨年のパソコンの故障から、一時期ブログも読書も一時休息だったため、読書に対する情熱がなんとなく薄れているようだ。丁度パソコンの具合が悪くなったころに始めた、メール便配達という仕事も、読書への意欲を薄れさせた要因の一つだろう。

 

 

刊に限らず、本を一度自分のものとして手に入れて読む、そのために、ということもあって始めた仕事が、逆に読書への関心を落とすことになったのは、何とも皮肉なことだ。
その、“本を自分のものとして読む”というのは、古い話で中学3年の頃の、社会科の教師が、新しい本を買って最初に開いた時の印刷インキの匂いや、ほしい本を手に入れた満足感や喜びに浸る、そうしたことを嬉々として語る姿に、僕は大いに共感して今でも忘れることが出来ないでいるのだ。
だがそうしたことから、僕は平々凡々の至って凡庸な人間であり、一つ事にしか情熱を傾けることが出来ない人間だということを、今更になって気づく。現実を受け入れて、今は週に3回の仕事の方に努力を注いで、いつかまたほかの事にも目を向けられることを願おう。
暖かな日差しの差し込む部屋で、そんな思いを自分に言い聞かせているところだ。

 

 

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1901.オーダーは探偵に 謎解きいざなう舶来の招待状

2019年03月29日 | SF
オーダーは探偵に
謎解きいざなう舶来の招待状
読了日 2019/03/18
著 者 近江泉美
出版社 KADOKAWA
形 態 文庫
ページ数 321
発行日 2018/05/25
ISBN 978-4-04-892842-7

 

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ろいろたくさんのシリーズ作品を読んでいると、どの巻まで読んだのか、最新刊は何号なのか、といったことが分からなくなって、読み飛ばしたりすることもある。忘れっぽい僕のことだから、Amazonとか出版社のサイトで、そのシリーズが現在何巻発行されているのかを、調べてから図書館の在庫を確認して予約する。
このシリーズも自分の読書記録で、どこまで読んだのかを確認の上、最新刊のタイトルを調べて、図書館に予約して、しかる後に借り出した。それほどの手間ではないが、それでも余分な手間だとは思い、物覚えの悪さや忘れっぽさに辟易する。
この年になったら、それはもう避けられない運命として、うけいれるしかないのだが・・・・。
「いや、そんなことはないよ。」というような声も聞こえるが、それは何らかの努力を必要とすることだから、いまさらそんな努力はおろか、考えることすら億劫になっているから、そんなことはあるのだ。

 

 

何をわけのわからないことを書いているのだろう。 作者があとがきに書いているように、このシリーズは10巻になったから、2桁の大台に乗ったということだ。シリーズのタイトルに「オーダーは探偵に」とあるし、彼が持ち込まれるミステリーの謎解きをするから、ミステリーには違いないのだが、一方ではシリーズのメインキャラクターである、上倉悠貴と小野寺美久の恋模様の進展も気になるところだ。
こうした主人公の男女の間柄に、つかず離れずの恋模様は、昔からミステリーに取り入れられており、特に殺伐たる犯罪を描くストーリーには、そうした気配が漂うことで、清涼剤の役目を果たしている。
ずっと以前、「すべての小説はミステリーだ」といった人がいたが、僕はすべてのストーリーは恋愛小説だ、ともいえるのではないかと思っている。この世に男と女がいる限り、惹かれあう、あるいは反発しあう、といった現象は避けられないから、そうしたことがメインのテーマでなくとも、どこかに男女の関係が入り込んでいる。

喫茶店エメラルドの高校生探偵が、今回はどんなミステリーに挑むのか?前にいろいろと物議をかもした英国人・ダニエルが今回も登場して、上倉悠貴に推理合戦を挑むのだが、どんな結果になるのか?

 

 

し前に飛蚊症と診断されて、2種類の点眼薬を処方されて、日に3度の点眼をするようになってから、次第に気にならなくなってきた。眼科医の診断を受けた当初は、どうなることかと思っていたが、薬の威力か?(多分そうなのだろう)すべて消えたわけではないが、日に日に気にするほどでもなくなってきている。
歳をとるにしたがって、次々と不都合なことが起こるが、その一つは耳鳴りである。僕の耳鳴りは、常時鳴っているわけではなく、普段まったく鳴らないで、静かでいいと思っていると、突如数匹のセミが鳴きだしたようなうるささを発症する。耳鳴りは厄介で、完全に治ることはない、という人もいるが鈍感な僕はそれでも、なっていても気にならない時もあるから、仕方なくお付き合いをしている状態なのだ。
何かはっきりしない天気だが、また2-3日気温の低い日があるそうだが、それこそ日に日に、春は近づいているようで、うれしい限りだ。

 

 

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1900.昨日がなければ明日もない

2019年03月26日 | サスペンス
昨日がなければ明日もない
読了日 2019/03/11
著 者 宮部みゆき
出版社 文藝春秋
形 態 単行本
ページ数 396
発行日 2018/11/30
ISBN 978-4-16-390930-1

 

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今3月26日午後4時を回ったところで、ようやく陽の光が差してきた。いやもう少し前だったか?他の事に夢中になっていたので、部屋に日が差してきたのも気づかなかったのか?
気候の変動は春特有のものらしく、少し春めいた日があると、冬の気配が漂ったりして、体調の管理も難しい。特に僕のような暑がり、寒がりとなった身には、応えるのだ。その日差しを待っていたかのように、カミさんがスーパーに行きたいという。
若い頃には家事は120%彼女に任せておいて、障碍者の息子の世話も手を出さなかった僕は、今や、カミさんの買い物や、病院への送り迎えに努めることが、当時の少しばかりの罪滅ぼしのつもりでいる。今日は火曜日で、近くのスーパーが売り出しの日で、駐車場は満杯の状態だった。
その昔、僕はこのスーパーの子会社が経営する、コンビニのオーナーになる研修を受けたことがあったが、今考えると若さゆえの無謀な考えだったと思うが、もしそのまま続けていたらどうなっただろうか?フランチャイズのオーナーの、365日24時間勤務が問題になる中、7イレブンの本部も話し合いに応じる姿勢を示したようだ。何とか丸く収まることを、他人事ながら願っている。

 

 

堪え性のない僕は、ヨドバシカメラのゴールドポイントが少し残っていることが、気になってしょうがないから、本書と交換することにした。子供のころから、持ったお金はすべて使い切ってしまわないと、落ち着かなかった性格は、80歳になろうと変わることはない。
そうした点は、いい歳をして小さな子供より始末が悪い。分かっているつもりが、実は何にも分かっていないのだ。読みたい本も、読むべき本も、たくさん手許にあるにもかかわらず、新しい本を欲しがるのは、生来の貧乏性の表れか。
「貧乏は恥にあらず」とはいうものの、「貧すれば鈍す」とも言い、ともすると貧乏は人の心まで貧しくすることがある。誰しもがそうなるとは限らないが、せいぜいそうならないよう気を付けないと、僕にはそんな危険性も持ち合わせているような気がするのだ。

さて、このシリーズは、サラリーマンの杉村三郎が、巨大コンツェルン会長の娘と結婚するところからスタートする。ただこの会長の娘と言っても、愛人の子なのだ。杉村氏は結婚の条件として、会長から会社の役員にはならない等、もう一つ彼の会社に転職すること、の条件を言い渡され、社内報の編集をするよう言い使ったのだ。そして、いろいろあったのち杉村氏は離婚することになるのだが、そうした経緯は、1巻目の「誰か」から「名もなき毒」、「ペテロの葬列」、「希望荘」へと続いてに詳しい。

 

 

にとって特別な存在ともいえる、宮部みゆき氏とその作品は国内の作品の中では、一番の数となっている。数が多ければいいというものでもないが、時としてその数が不思議な現象を現すこともある。このシリーズの出発点である、『誰か』が当初の目標であった500冊目であったことや、奇しくも同じシリーズの本書が1900冊目と、節目の数になることなど、もちろん単なる偶然と言ってしまえば、身もふたもないが、そんなところも僕は勝手に納得しているのだ。
この読書記録はWordのファイルとして、100冊を1ファイルとして保存してあり、今回の1900冊目は19番目のファイルの最後となる。B5サイズの大学ノートのメモから、Wordのファイルで表紙の画像の添付、清書をして、さらにはそれをメモ帳のテンプレートにペーストして、ブログに投稿している。
だから、少し手間はかかるが、データが消失するということの心配はない。
こう書いていくと、何やら良いことずくめだが、一方ではかなり手間がかかり、面倒なこともあるから、もう少し手間のかからないスマートな方法があるのではないかと、考えてはいるがそう簡単ではない。

 

 

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1899.薔薇を拒む

2019年03月24日 | サスペンス
薔薇を拒む
読了日 2019/03/06
著 者 近藤史恵
出版社 講談社
形 態 文庫
ページ数 285
発行日 2014/05/15
ISBN 978-4-06-277834-3

 

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後に著者の本を読んだのは2017年1月だから、もう2年も前の事になる。大好きな作家のひとりなのに、そんなに間が開いたのは、特別な理由があるわけではなく、単に新しい作品に目が向いていただけだ。(同じことを何度書いたか!)
タイトルから内容を想像することはできないが、表紙のイラストから青春ミステリーを想像した。だが、無理にそう当てはめることはできるが、読み進めるとそうではないことも分かる。東京から遠く離れた和歌山県の山奥の山荘が物語の舞台だ。いや立派なお屋敷で山荘ではない。
会社を経営する富豪の光林氏の屋敷で、そこには妻の琴子、娘の小夜のほか使用人たちが住んでいる。
屋敷は体の弱い妻のためのもので、光林氏は仕事に専念するために、一人東京に残っていた。

 

 

施設で暮らし高校に通う鈴原博人は、ある日施設の所長から意外な話を持ち掛けられる。東京で会社を経営する事業家の光林康雅の家族が、和歌山の山奥で病弱のため静養しており、そこに住み込みで働く若者を募集しているというのだ。
そこで3年間働けば、大学の学費とその間の生活費の面倒も見るということだった。金の心配のないいい条件に僕・鈴原はそこで働くことにした。雇われたのはもう一人、僕と同い年の樋野薫だ。
だが、二人にとってわからないのは、なぜ僕らがそんないい条件で雇われたのか?ということだった。

鈴原の目線で語られていくストーリーは、真相の令嬢たる小夜をめぐって、若い二人の思いが交錯する。先行きが懸念される3人の動向とは別に、思いがけない事件が勃発して、洋館は警察の捜査を受ける状況に陥る。

 

 

波の襲来で、突然冬に逆戻りと思われるような、昨日の陽気が嘘ではなかったのか、そんな思いさえ浮かぶような暖かな今日、僕は保護者・家族の会の役員会で、富津市の太陽のしずくに行ってきた。
社会福祉法人薄光会が運営する、豊岡光生園を始めとする5か所の事業所の利用者の、保護者・家族の会が存在する。そしてそれらの役員・支部長、副支部長で構成されるのが、役員会だ。
今年は3月で役員たちの2年の任期が終わるので、同じメンバーによる最後の会合となる。もちろん留任もあり、すべてのメンバーが変わるわけではないが、僕は3月いっぱいで退任するから、この役員会に出席するのは最後となる。

年度末の会は恒例により、終了後市内の食堂で、昼食会が開催された。所用で出席できないものもいたから、出席者は9人と少なかった。それぞれの事業所の保護者・家族の会は、支部長あるいは副支部長、または両方が女性というところもあり、女性の活躍が目立つ進歩的な組織だと、僕は考えている。
僕が所属している天羽支部会も、会計や会計監査はともに女性で、しかも活発な意見を発する人たちで、5月からは支部長も女性になって、役員4人の内3人が女性となる。そうした点からも、わが天羽支部の発展的な活動が、大いに期待できるというものだ。

 

 

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1898.それまでの明日

2019年03月21日 | ハードボイルド
それまでの明日
読 了 日 2019/03/03
著  者 原尞
出 版 社 早川書房
形  態 単行本
ページ数 409
発 行 日 2018/03/15
ISBN 978-4-15-209748-4

 

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は若い頃から何かを待つとか、金を貯めるとかを、最も不得意としていたから、サラリーマンを定年退職するときには、銀行預金(もちろん僕個人のもの)の残高は、4桁の数字だった。
それは今現在でも全くのところ同様の状態で、店で発行されるポイントカードの類も、少し溜まって、商品や景品と交換できるくらいになると、気になって何か交換しなければならない、というような強迫観念に似たことを感じる。
さて何を言いたいのかというと、いつの間にかたまったヨドバシカメラのゴールドポイントで、本書を交換した、ということなのだ。以前は近くのヤマダ電機でも、同様にポイントで本を交換することが何度かあったが、ヨドバシカメラでも本の取り扱いが始まって、何度か利用しているはずだ。
忘れっぽい僕は、そうしたポイント制度のようなものが、突然廃止になることを恐れているから、いや、以前そういうことがあって、相応のポイントを無効にしたことがあったからなのだが・・・・。

 

 

そこで今回も本書が交換できることを忘れないうちに実行したというわけだ。
原尞氏の著作はすでに全部読んでいて、長いこと新作の発表を待っていたから、本書の発行記事をどこかで見てから、こういう機会を待っていた。そう都合よくポイントがたまることはめったにないから、機会を逃さないうちにと交換したのだ。
貧乏人の考えることはちょっとミミッチく、涙ぐましい。
しかしそんなことで、読みたい本を手に入れられるのだから、極たまーに新刊を読めるのも、ささやかな幸せの一つだ。私立探偵沢崎シリーズ、と呼ばれるこのシリーズは、我が国にハードボイルドを定着させた、などという評価もあるくらいで、なんと前作から14年もの歳月隔てて発表されたのだ。

 

 

者にもいろいろ事情はあるのだろうが、僕の好きな作家の中では、特に寡作家だ。
しばらくぶりの新作では、僕の知っている(と思っていた)主人公の雰囲気を、取り戻すまでほんの少し、時間を要したが、次第にその世界に入り込んでいった。
こうしたハードボイルド作品に登場する主人公、いわゆる私立探偵の定番は、ストイックな性格を前面に出して、依頼人の持ち込む事象に対して、コツコツと足を使って答えるという姿だ。僕はストーリーの展開を負いながら、こうした探偵の姿のどこに魅力を感じるのか、そんなことを考える。
だが、一つや二つで説明できるようなことではなく、そのセリフや身のこなし、いろいろと相手によって変わる対応の仕方など、やはり全体的な人物像に惹かれるのだろうと、よくわからない結論に至る。現実の世界では、私立探偵が難しい事件を解決することは、難しいことだろうから、我々はせめてストーリーの中での、彼らの活躍にせめてもの、満足感を得るしかない。
というようなことはさておき、本作では最後にちょっとしたサプライズが用意されていて、「なるほど!」と驚かされる。

 

 

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1897.ベルリンは晴れているか

2019年03月19日 | 戦争
ベルリンは晴れているか
読了日 2019/02/28
著 者 深緑野分
出版社 筑摩書房
形 態 単行本
ページ数 480
発行日 2018/09/26
ISBN 978-4-48-080482-2

 

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紙を見て、本はチームで作られるものだということを、改めて感じる。普段それほど気にしていない装丁だが、本書ほど読んでみたいという気にさせる本は、ざらにはないだろう。近ごろ長い小説は途中何度か休みを入れながら読むのだが、その都度表紙のイラストやタイトルに惹かれて、なんともその魅力に酔いしれる。
とは言うものの、内容は決して楽しいものではない。なんとなれば第2次世界大戦の終了時の混とんとしたドイツが舞台なのだ。大戦中のドイツと言えば、アドルフ・ヒットラー率いる悪名高いナチスが恐怖政治で、ユダヤ人迫害を行っていたことを、いやでも思い起こす。

第2次世界大戦の終結後、我が国の状態を振り返れば、かの国の状況も想像できるように、特にナチス崩壊後のドイツにおいては、その混乱も半端なかっただろう。
まだ若い作者が、なぜそんな時代を舞台に物語を紡いだのかは、その登場人物たちの動きを見れば、作者の意図も分かるというものだが、戦前戦後の時代をわずかながらも経験した僕にとって、ある部分では懐かしささえ覚える時代の流れが、胸に響く。

 

 

去る2月6日に市原市立図書館から、予約の資料が用意できたとのメールが入った。 本書は、本屋大賞2019にノミネートされている。それでかどうかは知らないが、評判が高まって、どこの図書館でも多くの予約が入った状態だった。僕がこの本を知ったのは、どこだったか忘れたが、冒頭に書いたように、表紙のイラストでぜひ読んでみようという気になったのだ。
何がそれほど僕を引き付けたのか?具体的には説明できないが、とにかく顔のはっきりわからない少女のセピア色の絵は、古い時代を現しているのか、僕にはあのいやな戦争の時代を思わせるとともに、何かある種の懐かしさを思い浮かばせたのだ。
だが、僕が分からないのは、複雑な思いを抱かせるこの作品の、どういうところが多くの書店員から選ばれて、ノミネートされたのかということだ。
なんだかわけのわからない泥棒をお供の、少女の人探しの道中は、決して楽しい話ではないのだ。

 

 

のところ春らしく暖かな日が続いて、今日も僕の部屋にはまぶしい日差しが降り注いでいる。過ぎた17日の日曜日は、16時からのLPGAツアーのテレビ観戦が、僕の望んだとおりの展開となって、大満足だった。
前日5アンダー3位で最終日に臨んだ鈴木愛選手は、5バーディー1ボギーと、4つ伸ばし通算9アンダーの成績で優勝した。
前日までの予選で2オーバー57位までの選手が、決勝に臨んだ18ホールの戦いは、最終日の強い風の影響もあって、上位選手が伸び悩む中、鈴木愛選手は2番3番ホール続けてバーディーという好調な滑り出しだった。さらに11番ホールでもバーディーと好調さを維持したが、12番ホールは残念ながらボギーをたたいて1ダウン。だが、15番ホールでは5mのバーディーパットを沈める。
そして最終18番ホールもバーディーと、有終の美を飾ったのである。贔屓の選手が勝つのを見るのはいつでも気持ちのいいものだ。今度の22日からの、Tポイント×ENEOSゴルフトーナメントは、鈴木愛選手はディフェンディング・チャンピオンだ。再びの活躍を期待したい。

 

 

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1896.ワルツを踊ろう

2019年03月17日 | サスペンス

  

ワルツを踊ろう
読了日 2019/01/29
著 者 中山七里
出版社 幻冬舎
形 態 単行本
ページ数 334
発行日 2017/09/05
ISBN 978-4-344-03169-2

 

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来、僕は中山氏の作品で、ストーリーに夢中になるあまり、作者がその中である種の主張をしているなどと考えたことはなかったが、この作品で初めてそうしたものがあることを感じた。
そこで過去に読んだ作品を振り返ってみようとしたが、何しろ2-3冊前の内容を忘れるくらいだから、とても思い出せるものではない。これからはそうした意識、無意識は別として、いや作者が意識的にか無意識のうちにか、などということは分からないが、主張であるとか考え方であるとか、そうしたものが込められているかどうかも、読み取ってみようと思ったのだ。
しかし、反面それは純粋に物語を楽しむ上では、邪魔になるのではないかという思いもあり、まあ成り行き任せだ。鈍感な僕の事だから、編集者の提案で物語を紡ぐにしても、どこかに作者の考え方や、世の中の仕組みに反発を、巧みに組み入れているのかもしれない。

 

 

そんなところにも、職人作家としての矜持があるのか? 何やら、優雅な印象を与えるタイトルだが、内容は全くの逆で、世の不景気に伴う会社の業績ダウンで、リストラクチャ―の煽りを受けて、故郷にUターンした男の物語なのだ。
ところが帰った田舎の村は、なんと限界集落を絵にかいたようなところで、ただ一人の肉親である父親の葬式を終えた直後から、ストーリーは始まる。
葬儀参列の礼に地区長宅を訪れた溝端了衛は、地区長夫妻から村のしきたりについて、諭されて自分の考えの甘さに気付くのだが・・・・。地区長から頼まれた回覧板をもって、地区7軒を回り溝端は増々田舎暮らしが、思っていたのとは異なる厳しさを感じるが、今更戻るところはなく、なんとか地区に溶け込む算段を考えるのだが、彼の講じる算段もまた見当違いばかりだった。

読んでいる内に僕は次第に主人公に対し「もう少しうまくやれよ!」言いたくなるが、昔僕も何度か転職をした際の事を思い起こして、このストーリーの主人公とは少し事情が異なるが、自分の思っていたこととは違う方向に歩んでいることに、苛立ちを感じた古いことに重ね合わせて、袋小路に追い詰められたようなストレスを・・・・。

まあ、そうした内容から、また、恐ろしい結末からも、僕は作者の世の風潮に対する風刺や、皮肉といったものを感じたのだ。

 

 

日で中日を迎えた大相撲は、大関取りを目指して頑張っている貴景勝を始め、初優勝に向かって進む高安など、各力士が活躍する姿を見るが、LPGA開幕第2戦も最終日だ。
昨日の段階では、7アンダーの大城さつき選手と韓国のペソンユ選手が並んでの首位に続き、5アンダーの鈴木愛選手とイミニョン選手が3位タイの成績だった。最終日の今日は何とか、鈴木愛選手のバーディーラッシュで、今季初優勝を望むが、テレビ東京の実況中継は午後4時からだ。
大相撲放送と重なるが、僕にとっては鈴木愛選手の活躍を見逃せないから、見るのはゴルフの方だ。まばゆい日差しが差し込んで、朝から僕の部屋は暖かく、春本番の陽気だ。どうもあちこち気が散って、ブログの更新がままならない状態だ。
読書の方も二進一退といったところで、どこに集中すべきかもわからない状態だ。昨年しばらくの間、パソコンの故障で、ブログも休んでいたのだが、パソコンが修理から帰ってきたら、ブログに設定していたアクセスカウンターが壊れていた。
設定し直そうと思って、テンプレート編集のHTML並びにCSSデータをいじっていたら、僕のやり方がどこか間違っていたようで、現在のようになってしまった。改めてやり直す元気もなく、そのままアクセスカウンターもなしで、推移しているが、毎日のアクセス数を見ていると、100人前後という数値が続いているから、以前よりは読者が増えているのか?少し頑張ってみよう。

 


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1895.シャッター・アイランド

2019年03月14日 | サスペンス
シャッター・アイランド
SHUTTER ISLAND
読了日 2019/02/21
著 者 デニス・ルヘイン
Dennis Lehane
訳 者 加賀山卓朗
出版社 早川書房
形 態 文庫
ページ数 460
発行日 2006/09/15
ISBN 978-4-15-174402-0

 

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前テレビで予告編だか広告を見たかで、レオナルド・ディカプリオ氏主演の映画が、確かこんなタイトルだったことを覚えていたので、どんな内容かと気になっていた。たまたまBOOKOFFの108円文庫棚で見かけて、買ってきた。
一時期BOOKOFFにも通わなくなっていたのだが、息子がお世話になっている富津市の福祉施設へ出かけた帰り道際の、君津市の店に立ち寄った時の事だった。タイトルのシャッター・アイランドから、孤島で起きる事件の話かと、想像していた通り、半分は当たっていたが、ネタバレになるから説明不能な結末部分があって、そこの部分のどんでん返し、いや正確にはどんでん返しではないのだが、それに似た感覚を味わえる仕掛けに驚ろかされた。
映画ではどんな映像になっているのか、後でレンタルビデオ店の、DVDを借りるか、あるいはAmazonのプライムビデオを見ようか・・・・。

 

 

現在でも週に何度かしか連絡船が来ない、というと、都はるみさんの歌を思い浮かべそうだが、文字通りの孤島があるのだろうが、そんな島全体が密室のようなところに、建てられた精神病院と言っただけで、不穏な思いも浮かんでくる。
その病院から一人の患者が行方不明となって、その捜査に呼ばれたのが、連邦保安官のテディだった。相棒のチャック・オールとフェリーに乗った。島の桟橋では、副院長が二人を出迎えた。

読み終わってから、僕はその最初のフェリーが島に到着した当たりを読み返してみて、巧みに伏線を張り巡らしていることに気付く。そして、ますます映像としての作品も、見たいという欲求が深まったのだ。

 

 

近集中力が維持できなくなっている。会社勤めの頃、チェーンストアづくりという仕事柄、たくさんの関連書物を読んだりセミナーに参加したり、それに伴ってレポートを書くということが多く、集中力は欠かせない技能の一つだった。
僕はそれとは別にパソコンの活用に力を注いでいた。今考えれば誠に幼稚なものではあったが、業務の一部をプログラム化することに、夢中になっており、ビジネスコンピュータを扱う専門部署があったにもかかわらず、独自に考えていた。
ビジコンもパソコンもまだ発展途上にあったから、素人も口をはさむ余地が十分に残っていた時代で、僕は生意気にも、独学のか細い知識で、専門家をけむに巻いていたのだから、赤面の至りだ。
しかし、だからその頃の集中力と言ったら、半端でなかった。木更津市から千葉市中央までの車中においても、そうした業務以外のパソコンに関しての、思いが頭を占めており、時折はひらめきのごとく、ヒントが浮かぶこともあった。30年も前の話だ。

 

 

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1894.螺旋の手術室

2019年03月12日 | メディカル
螺旋の手術室
読了日 2019/02/16
著 者 知念実希人
出版社 新潮社
形 態 文庫
ページ数 461
発行日 2017/10/01
ISBN 978-4-10-121071-1

 

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きな作家の本が続けて読める幸せを感じている。
この作品は、前に『ブラッドライン』というタイトルで刊行されたものを、文庫化するにあたり、改題の上大幅に改稿したという。
僕は幸か不幸か、前の単行本は読んでないから、どの程度変わったのかは知らないが、文庫を読むとそうした改題や改稿の文句をよく見ることがあり、なかには別の作品になってしまうようなこともあるらしい。
作者も大変だろうが、読み手としてもそうした作品は2度読むこともあるだろうから、いやこっちは2度楽しむことになるから、いいのか?
アメリカのロビン・クック氏のように、次々とメディカル作品を発表して、人気作家となった作者は、まだ医師業を継続しているのだろうか? 
どうも余分なことに気をまわしすぎるか。僕が言いたいのは、医師が仕事をしすぎて体を壊さないよう、気を付けてほしいということなのだ。面白いメディカル作品をどんどん書いてほしいのだが、体を壊して休筆ということにならないことを祈るばかりだ。

 

 

大学病院の教授選などという話題が出てくると、今は亡き山崎豊子氏の『白い巨塔』を始めとして、こうした大学病院を舞台とする医療ストーリーの定番的なテーマとなっているが、それだけ医科大学の附属病院における教授という位置は、医師のステータス、あるいは権力の象徴か?
何のかかわりもなく、平々凡々たる人生を送る僕にとっては、想像もつかないことなのだが、本人たちに取れば、いや、それを目指す医師たちにとっては、人生の最大の目的?と言ってもいいかもしれない。
ストーリーには関係なく、教授選などという言葉が出てくると、僕の頭には財前教授(白い巨塔の主人公)の、お供をぞろぞろと従えた教授回診の行列が目に浮かぶ。
もう半世紀も前の映画の場面が、今もなお頭に浮かぶのは、原作もさることながら、映像の生々しさだったのだろう。

この作品のもとのタイトル「ブラッドライン」は、血統の事だが、この作品は、手術中に死を遂げた教授と、それに続く不審な出来事を追求する、教授の息子で同じ病院に勤務する医師が、事件の謎を追求する物語だ。

 

 

天の春らしい穏やかな日が続いて、ありがたい。 昨日は半年に一度の歯科の定期検診のため、さくら歯科に行ってきた。従来は午前中の予約が多かったのだが、昨日は午後5時半ということで、少し暗くなってから出かけた。できれば暗くなってから車の運転は、衰えた視力のため避けたいのだが、それほど遠くではないので、大丈夫だろうということで予約したのだった。
歯科技工士によれば、僕の歯の磨き方に偏ったところがあるらしく、数か所に磨き残しがあるという。普段気を付けて磨いているようでも、そうしたことがあるから、定期検診は必要なのだろう。
一般に、健康のため80歳で自分の歯を20本は残しておきたい、と言われている。幸い僕は現在21本の葉を残している。これ以上減らしたくないので、夕食の後の歯磨きは、時間をかけて丁寧に行っているつもりだ。電動歯ブラシて、ざっと汚れを落とした後、2種類の歯間ブラシを使い、最後に歯磨き剤を付けた歯ブラシでさらに磨いている。
それでも磨き残しがあると、歯垢がたまり歯石になるというから、気を付けよう。

 

 

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1893.崩れる脳を抱きしめて

2019年03月10日 | メディカル
崩れる脳を抱きしめて
読了日 2019/02/14
著 者 知念実希人
出版社 実業之日本社
形 態 単行本
ページ数 292
発行日 2017/09/15
ISBN 978-4-408-53714-6

 

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億ともいわれる世界の人口だから、病を持つ人も相当いるのだろう、などと想像はするものの、中でも難病と闘う人、いわゆる不治の病を持つ人もいて、世の中は決して平等ではない。
生まれながらにしてそうした病と対決する人の胸中は、如何ばかりか凡人の僕には想像もできない。更にはこ の物語の主人公のように、いつその病によって生命を絶たれるか予測できない、ということもあるのだと知り、決してそれが絵空事ではないのだと、胸を締め付ける。
テレビで時々見かける発展途上国の、栄養不良でいつその命が経たれるかわからないという、幼い子供への支援を呼びかける映像とメッセージに、僕は思わず引き込まれて、過去に一度だけ献金をしたことがある。だが、僕のわずかな献金がいかほどの役に立つのだろう。そんなことが何の変化も及ぼさないのだと、そんな思いが強く、自分の至らなさを認識するだけだから、出来るだけ見ないように逃げている始末だ。

変なことを書いたが、本書がグリオブラストーマ、膠芽腫という、悪性の脳腫瘍の女性患者と、それを見守る研修医の物語であることから、読み終わってふと頭に浮かんだことを書いたのだ。僕がこうした病と闘う人を身近に感じるのは、知的障害の息子があるからだろう。

 

 

さて、ストーリー前半は次第に患者と医師の間に、芽生えていく人間愛が描かれて、その切なさが胸を打つ。壮大なラブストーリーそのままで物語は進むが、後半に入るや否や思わぬ展開を見せていくのだ。主人公の医師も、もちろん、読み手の僕にも、想像もしていなかったような、ミステリーが待っていたのである。

図書館への予約が次々と早まって、読むに追いつかないようで、うれしい悲鳴を上げている。ブログのタイトルのごとく、僕は本物の老人になって、若い頃より涙もろくなったようで、本書を読みながら何度も涙を流す。
僕の若い頃は、男はめったなことで涙を見せてはならない、というような風潮が幅を利かせていた時代で、それに合わせて僕も涙を流すことは少なかったような気がする。
しかし、近年涙を流すことも健康には多少いい影響を及ぼす、との説もあり、自然に任すようにしている。 いや、だからと言って健康のために、涙を流すなどということはないのだが、なまじいろいろと入ってくる情報が、行動を制約したりするから厄介だ。
余分なことを考えずに、あるがままに過ごしたいとも思うが、なかなかそうもいかないのが凡人たる所以か。

 

 

日は息子が入所しているグループホームを運営する、社会福祉法人薄光会の、保護者・家族の会の会合で富津市の太陽のしずくに行ってきた。太陽のしずくで(ひのしずくと読ませている)。
薄光会は千葉県南部エリアに、知的障碍者向けに成人更生施設を4か所、特別養護老人ホームを1か所、グループホーム6棟を運営する事業所を経営している。我が子の将来を憂う親たちが自ら立ち上がって、設立した社会福祉法人である。
僕が所属するのは生活介護事業所である「太陽のしずく」を利用する在宅介護の保護者・家族と、グループホーム入居者の保護者・家族の団体である、天羽支部会だ。そこで2年間副支部長を務めたが、3月末でお役御免となる。
こうした組織では、学校のPTAなどと同様、なかなか役員のなり手がなく、一度引き受けると長く務めることになるから、余計になり手を見つけることに骨を折ることになる。
と言っても、年に4回で大した仕事でもない。中でも会計さんが一番大変だろう。銭金を扱う仕事は気も使うし、年度末には会計報告も待っている。ま、とにかく僕はそこから抜け出せるので、ご苦労様だ。

 

 

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1892.逃亡刑事

2019年03月09日 | 警察小説
逃亡刑事
読了日 2019/02/11
著 者 中山七里
出版社 PHP研究所
形 態 単行本
ページ数 326
発行日 2017/02/01
ISBN 978-4-569-83701-7

 

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童福祉施設・光の子から逃げ出した小学2年生、御堂猛8歳。彼が施設を抜け出したのは、日常的に行われているイジメから逃れるためだった。だが、その道中、廃業したカー・ディーラーの建物内で、拳銃による殺人を目撃、危うく難を逃れる。
殺されたのは千葉県警の刑事だった。捜査を担当したのは県警随一の検挙率を誇る、高頭冴子警部だ。 彼女の独特の捜査方法と警察組織の常識を無視した言動は、周囲からアマゾネスと呼ばれている。唯一の目撃者である御堂猛の話を聞くうちに、ふとしたことから彼が犯人と指摘したのは、意外な人物だった。そして、高頭警部は警官殺しの容疑をかけられて、御堂猛を伴って逃亡の身となるのだった。

著者・中山七里氏の作品群を読んでいると、その多様性に驚くと同時に、そのいずれについても、あたかも作品のテーマの専門家はだしの知識を持ち合わせているかのごとく、展開するストーリーにワクワクさせられる。
本書は警察小説の範疇に入るのだろうが、警察小説と言えば僕は、2003年に読んだ横山秀夫氏の松本清張賞受賞作の「陰の季節」を思い起こす。警察の管理部門の動向を描いた作品で、あたかもその内部関係者のごとき語りに、驚いたものだった。

 

 

その後同氏の作品を読み続ける他にも、たくさんの警察小説を読んで、警察に関するデータブックのような書籍が、多く発行されていることも知った。僕はそんなことも知らずに、警察内部の事情に詳しいことに驚いて、相当の取材を要したものという思いに至ったのだ。
今は、医療にしても、裁判所、検察などの、司法関連にしても、そうした詳しいデータが、各種の書籍によって発表されている上、インターネットの普及により、それほど詳しい取材をしなくても、作家諸氏は内容を知 ることが出来るのだろう。
便利な世の中になったことは、反面その便利さを逆手に取った犯罪も生まれるという、デメリットも生じる。なかなかいいことばかりではないのが世の常だ。

この作品では千葉県警の内部事情が描かれて、サラリーマン時代僕はその近くの会社に、長いこと勤務していたので、直接のかかわりはないが、なんとなく身近に感じられて、ストーリーをより面白く読んだ。
千葉県警察本部は、千葉県庁と同じブロックに位置しており、仕事柄しばしば県庁に赴いており、そうした関係で県警にも何度か足を運んだこともあった。僕のいた会社は千葉市の中央区、そうしたいわゆる官庁街に隣接した場所にあったので、多少はその恩恵を被っていたのかもしれない。
そういえば裁判所もすぐ隣のような位置にあったことを思い出した。今では遠い昔の話となった。

 

 

日に引き続き早朝から一面に晴れ渡った空からは、まぶしい日差しが差し込んで、僕の部屋は春の陽気だ。昨日金曜日は、配達区域が広く普段より多少準備にも時間と手間がかかったが、それでも午後から出て16時過ぎには終了した。1か所だけ地図が手元になかったため、今日になったが、この記事をアップロードしたら、行ってくるつもりだ。
こんないい陽気の日は、格段にいいことがあるわけでもないのに、心が弾む。3月7日からLPGA(日本女子プロゴルフ協会)の開幕戦が始まったことも、影響しているのか?ただ、残念ながら贔屓の鈴木愛選手は予選落ちだ。
中継を見ていないので、詳しいことは分からないが、昨年は開幕当時から調子が良かっただけに心配だ。また、贔屓の選手の活躍に一喜一憂する季節になって、テレビを見る機会も多くなり、読書の方がおろそかにならないよう気を付けなければ・・・・。

 

 

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1891.天久鷹央の事件カルテ 火焔の凶器

2019年03月07日 | メディカル
天久鷹央の事件カルテ
火焔の凶器
読了日 2019/02/07
著 者 知念実希人
出版社 新潮社
形 態 文庫
ページ数 365
発行日 2018/09/01
ISBN 978-4-10-180133-9

 

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にはBSで放送されていたNHKの番組に、「総合診療医ドクターG」という番組が、その後地上波デジタル放送に」移行して、NHK総合テレビで結構長いこと放送されていた。
ある患者の問診からその病状までをビデオで見せられて、3人の若い研修医が診断を下すという前半から、カリスマ的な総合診療医を中心に、ゲストに迎えた著名人を含め、カンファレンスが行われる。その経緯はまるで事件の推理を行うミステリー番組のような趣もあって、僕は毎回楽しんだものだった。
この天久鷹央シリーズは、短編集の「天久鷹央の推理カルテ」と、この長編の天久鷹央の事件カルテとがあり、僕は天才女性医師の天久鷹央の診断に、名探偵の姿そのままを感じ取って、特に短編集の方に安楽椅子探偵のような趣をくみ取っていた。
安楽椅子探偵とは、事件の現場に赴くことなく、関係者の話などから事件の真相を導き出すという探偵だ。僕はこのブログの中で、何度も安楽椅子探偵の魅力について書いてきたが、探偵の究極的な姿だと思っていて、出来ればそうした作品をすべて読みたいと思っているが、もちろんそんなことは無理に決まっている。

 

 

僕のような、何のとりえもない人間が、各方面からデータを取り寄せて、安楽椅子探偵譚を探し出すのは、容易なことではないから、せめてわかる範囲での事だ。
それに、僕個人の判断でこれは安楽椅子探偵だ、と思えばいいのであるから、今後も古い海外ミステリーや、新たに発表される国内作品に、そうした内容を見つけて読み続けていきたいと考えている。
今の時点で分かっているだけでも、未読の作品はいくつかあって、手許に蔵書としてある作品もあるのだが、例によって新しい作品に目を奪われて、手が回らない。まあその内にと思っているから、いつかは読むことになると思う。
本書は下表のごとくの内容で、人体発火というテーマで描かれた作品だ。天才医師の天久鷹央がいかにして、その頭脳と論理で、謎を解明するかがストーリーの面白さだ。登場するキャラクターは短編集と同じだが、簡単には片付かないミステリーに、天才といえども難渋するところが、事件カルテの特徴。

 

 

夜、灯油の在庫が切れてしまって、僕の部屋のストーブは残り少ない燃料を節約のため、今朝のために使わずに、早めに布団に入っての読書となった。
我が家は僕の部屋だけにエアコンがないから、暖房は灯油ストーブに頼るしかないので、灯油がないことにはどうしようもないのだ、ということで、今朝は朝食後一番に灯油の買い出しに行ってきた。こんな日に限って冷たい小雨の中、行きつけのセルフサービスのガソリンスタンドで、18l二缶を給油して持ち帰る。
若い頃はなんて事のなかった18lの灯油は、今ではかなりの重さを感じて、両手に一缶ずつを持つと、歩くのにふらつく。多分普段の運動不足が祟っているのだろう。分かってはいるのだが、おいそれと運動不足を解消する手段は浮かばない。歳は取りたくないという思いだけが浮かんで、情けない。

 

収録内容
# タイトル
プロローグ  
第一章 呪いの墓
第二章 紅蓮の呪術師 
第参章 炎の終幕
エピローグ  

 

 

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1890.オーブランの少女

2019年03月03日 | ゴシックミステリー
オーブランの少女
読了日 2019/02/20
著 者 深緑野分
出版社 東京創元社
形 態 単行本
ページ数 260
発行日 2013/10/25
ISBN 978-4-48801778-1

 

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んよりとした空からは、冷たい雨が落ちており、3月に入ったとたん冬に逆戻りのような、様相を呈している。先月の20日以降なんとなく気乗りがしなくて、ブログの更新が途絶えた。本来なら2月22日にブログを更新する予定だったのに、僕の気まぐれ以外の何物でもないのだが、アルバイト的な仕事の方は、何の支障もなく順調に進んでいるのだが、読書とそれに続くブログの方には、なぜか手を出せずに10日以上が過ぎた。
今日もどうしようか?などと思いながらパソコンで、Microsoftのゲーム、ソリテアコレクションのスパイダーで時間をつぶすというバカなことをしている。歳をとるというのはこういうことなのかと、半ばそんな自分に納得しながらのことながら一方では、こんなことをしていてはだめなのだと、自分を窘めているが、最後には「まあいいか」となってしまうのだ。

 

 

もうだいぶ前に読み終わっている本だから、ほとんど内容は忘れている。
深緑野分氏の『ベルリンは晴れているか』を、予約しているが、僕の番が回ってくるのはもう少し先になるだろう、ということから、予約の少なかった同じ著者の本書を同時に予約しておいた。
前回の『ミレニアム5』と一緒に借りることが出来て、初めての著者の作風に触れることが出来た。
下表のごとく短編集の本書は、表題作である「オーブランの少女」他、全5編の作品で構成されている。
最初に登場する表題作は、タイトルで想像がつくように、外国のオーブランと呼ばれる、庭園を舞台としたストーリーだ。いずれの短編も少女を軸として物語は語られる。
ちょっと不思議な感覚を催させるストーリーで、ミステリー界に新しい風を吹き起こす、新人作家が生まれた、などといっぱしの評論家ぶった感想は、全くのところ僕の好みではないのだが、そんな印象を残した。

 

 

んな調子では、2000冊ははるかに遠い未来の事だと、自虐めいた思いも浮かぶが、60歳当時は「ミステリー500冊読破」といった目標を掲げて始めたことだから、当初の目標は達成しているが、それよりずっと若い頃には、歳を取ったら珈琲を片手に、安楽椅子でミステリーを読む、といった理想の姿を夢見ていたこともあり、今それが現実の事となっているのだが、どうも気持ちの中では満足していない僕もいて、まだまだ「足るを知る」といった心境には及んでいないようだ。
頭のどこかで、読むべき本を読んでいないという、思いが鬱屈しているようで、僕は、人間の欲望の果てしない姿を表わしているのかと、少し反省。
新聞の書籍広告などに、今や人生の週末を考えるだとか、終活を準備などといった、コピーが目につくが、僕にはそうしたことが人ごとにしか思えず、興味がわかないのはどうしたことか???

 

初出(ミステリーズ!)
# タイトル 発行年・月
1 オーブランの少女 vol.44(2010年12月)
2 仮面 vol.53(2012年6月)
3 大雨とトマト 書き下ろし
4 片想い 書き下ろし
5 氷の皇国 書き下ろし

 

 

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