隅の老人のミステリー読書雑感

ミステリーの読後感や、関連のドラマ・映画など。

1226.模倣の殺意

2012年02月19日 | サスペンス
模倣の殺意
読 了 日 2012/02/11
著  者 中町信
出 版 社 東京創元社
形  態 文庫
ページ数 327
発 行&nbsp:日 2004/08/13
ISBN 4-488-11901-8

 

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ステリー作家でも僕の知らない人はたくさんいて、本書の著者中町信(あきら)氏も初めての作家だ。この文庫は2004年の発刊だが、作品そのものは1971年に江戸川乱歩賞への応募用に書かれたものだという。本書が東京創元社の推理文庫に収まったのは、結構前から知ってはいたものの、内容については全く知らず、さして興味もなかった。
たまたまいすみ市大原でよく立ち寄る古書店・ブックセンターあずまで見かけて、カバー後ろを見たら、鮎川哲也氏の解説文があり読んでいて、おもしろそうだという感じがして、買い求めた。
ただ僕はうっかりして、巻末の濱中利信氏の解説の中にある、肝心な箇所を読んでしまって、本書のどこにミステリーがあるのかということを知ってしまった。これから本書を読もうと思った方は、解説は本文を読み終わってからにすることをお勧めする。

 

 

前にも書いたことだが、僕は映画やドラマの、二転三転する結末とか、どんでん返しなどというキャッチコピーをいつも苦々しく思っている。
いつのころからか新聞やテレビ番組誌の、番組欄に長々と書かれたタイトルだか解説だかわけのわからない文章が載っており、それほど書かないと視聴者を獲得できないのか、番組に自信がないのか、全くこちらにしてみれば視聴者を馬鹿にしているのかという思いで、大きなお世話だと腹の立つことさえある。
つまり、僕は先入観を持たずに本は読みたいし、ドラマを見たいと思っているのだ。ミステリーならば騙されることにも、喜びを感じたいのである。

 

 

んなことで、「失敗したな!」と思いながら読み始めたのだが、そうしたことがあっても終盤に至る頃には忘れて、のめりこんで読んだ。読み終わって最初の方を見直すと、なんと注意深く読みさえすれば最初からヒントが与えられていることが分かる。
もっとも僕はミステリー好きにも関わらず、謎解きは一番の苦手なので、たとえヒントが分かっていても、結末は分からなかっただろうが・・・・。
本書はプロローグ、エピローグに挟まれた四部構成になっているが、第三部が終わったところで、“読者への挑戦”を挟んでいる。エラリイ・クイーン氏の国名シリーズには毎回すべてのデータが出そろったところで“読者への挑戦”を織り込んでいるが、昔はいざ知らず、近頃の国内作品にはとんとお目にかからなくなってしまった。といった本格推理の1篇だ。

探偵小説が遊び心を持っていた頃が懐かしく思い出される。かなり昔の作品である本書が創元推理文庫に収録されたのは、今は職を退いた戸川安宣氏だったと、著者のあとがきで知る。

 

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1225.傍聞き

2012年02月17日 | 短編集
傍聞き
読 了 日 2012/02/07
著  者 長岡弘樹
出 版 社 双葉社
形  態 文庫
ページ数 217
発 行 日 2011/09/18
ISBN 978-4-575-51453-7

 

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しみのために続けている読書が、義務感にとらわれるなんて言うのは、どう考えたっておかしいのだが、ブログに書いていると時々そうした思いに突き動かされることもあるのだ。
「週刊ブックレビュー」(NHK-BS)とか、「ベストセラーBook TV」(BS11)といった番組で、新刊案内や売れ筋ランキングなどを見ていると、たまには新刊も読まなくてはと、コマーシャル・メッセージに乗せられてしまうことも、ままあるから貧乏暮しから抜けられなかったのだろう。
本代くらい大したことはないだろう?と思う人は幸せである。小さな出費も重なると意外に大きな金額になるのだ。“塵も積もれば山・・・”にはならねーな!いくら積もったってチリはチリだ。それでも大変なのが貧乏人の悲しさ。

 

 

2008年度の日本推理作家協会賞短編部門を受賞した表題作を含んだ短編集だ。双葉社から刊行されている「小説推理」に発表された短編を集めたもので、4篇で217頁というコンパクトな文庫ながら、評判通り内容は至って濃厚ともいえる、味わい深いストーリーだ。
僕はミステリーは本だけでなく、映画やドラマも好きで、テレビドラマについては、番組表を見ながら気になるドラマは、録画予約をしてDVDに残すようにしている。かねがね小説のドラマ化については、2時間ドラマ(CMを抜くと正味90分くらいの長さだ)だったら、短編の方が向いていると思っている。
この表題作などもちょっとした脚色を加えれば、立派な2時間ドラマになるのではないかと思っている。
いや、2時間ではなく半分の1時間ドラマ(正味45~50分くらいか)でも良い。そのいい例が長く親しまれている英国のシャーロック・ホームズ(ジェレミー・ブレッド主演)やポワロ(デヴィッド・スーシェ主演)だ。

 

 

在連続ドラマとして放送されている、「ストロベリー・ナイト」なども短編が緊迫感のあるドラマに仕上がっている。これなど例に挙げた英国ドラマと同じく、原作もいいが主演俳優の好演によるところも大きいだろう。
少し横道にそれるが、僕は誉田哲也氏の原作を面白く読んだので、よくは知らない竹内結子という女優さんの主演を期待もせずに見たのだが、何と言うかそのはまり役ともいえる演技に感動した。もともと僕は俳優さんを見た目で誤った判断をすることが多くて、ドラマや映画での演技力を見て興味のなかった俳優さんを好きになるということも、たびたびあるのだ。
彼女の演技には今まで女性刑事を演じてきた女優さんとは違う雰囲気を発散させて、近頃の警察ドラマとしては秀逸の部類に入るだろう。

本書の表題作も実は女性刑事の話なのだが、意外なところにミステリーが隠されており、終盤で作者に騙されたと初めて気付くのだが、他の3篇も同様に思いがけないところに隠されたミステリーに驚かされるのだ。

 

初出誌(小説推理)
# タイトル
1 逃走
2 傍聞き
3 899
4 迷い箱

 

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1224.図書館戦争

2012年02月15日 | 冒険
図書館戦争
読 了 日 2012/02/05
著  者 有川浩
出 版 社 角川書店
形  態 文庫
ページ数 398
発 行 :日 2011/04/25
ISBN 978-4-04-389805-3

 

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れの大晦日(2011/12/31)に発生した、福祉施設の行方不明者の事故から1か月半あまりが経過したが、残念ながらその行方は未だ定かではない。
捜索の方法も尽き、その後の手がかりも皆無という状態の中、捜索の打ち切りを提案したが、それでもなおかつ継続を主張する者もいて、捜索本部も置かれたままだ。
富津市から君津市にかけていくつかの小さな河川が存在する。豊英ダムから三島ダムの下流を流れる小糸川、豊岡光生園の下に位置する戸面原(とづらはら)ダムの下流の湊川、亀山ダムの下流を木更津市に向かって下る小櫃川などである。
捜索本部長は、船で川下りをして捜索するということを考えて、プラスチック製の平舟を手配した。川と言っても浅瀬の多い所で、その上舟や人を川に下す場所も少ないことから、難しいことも予想されるが、他に方法もないこともあって、来週(2/20~24)決行する予定を立てている。 僕も捜索助勢員としてささやかながらアシストしてきて、先日(2/13)不明者の保護者宅を訪問して、相も変わらない状況を母親に報告してきた。情報の全くないという、文字通り情けない状況を報告するのは、心が痛むが何とも仕様がないことである。 保護者会の支部長、湊ひかり学園の職員と3人で、その帰路に川下りの出発点を見つけて歩くも、適当な場所はそうそうあるわけでもなく、君津市植畑地区の小糸川に流れる小さな流れに架かる橋の際が、強いて言えば出発点になるかと視認した。

捜索は天候次第で、来週の気象状態が安定することを望むしかない。

 

 

 

 

 

そんなことで、読書もブログもなかなか進まないが、あまりの評判振りに、どんなストーリーなのだろうと、ついに本書を読むことに。
男性だとばかり思っていた著者は既婚の若い女性だったことに少し驚く。
巻末に著者と、俳優で読書人としても知られていた児玉清氏の対談が載っており、読み終わった後、なるほど児玉氏の好みに合いそうな内容だと納得。児玉氏は残念ながら前年胃癌のため故人となってしまったが、生前NHKのラジオ番組で、アナウンサーの問いに答えて、サスペンス小説が好きだという旨を語っていた。
その中にはもちろんミステリーも入っており、最近では週刊ブックレビューというNHKBSの番組で、アメリカの人気作家、ジェフリー・ディーヴァ―氏のインタビューでいろいろと興味深い話を聞きだしていた。

 

 

は著者がこの作品を書くに至った経緯を読んで、旺盛な創作意欲と好奇心や想像力に圧倒された。
この作品そのものは僕の好みではないが、あり得ないような話の中で、活躍するキャラクターや、環境が実在するかのように描かれていることに、驚く。しかし、僕が好みでないというのは、基本的に僕の中には戦争への拒絶反応があるのだ。多分幼い頃の太平洋戦争の記憶が、トラウマになっているのかもしれない。前にどこかで書いたと思うが、僕は子供のころからかなりの歳になるまで、そうだな20歳を過ぎるころまでかな、サイレン恐怖症のような感じだった。東京大空襲を受けた後、おふくろの実家である茨城県の牛久村(現在の牛久市)に疎開していた頃に、始終警戒警報発令のサイレンが鳴り響いて、B29の襲来を告げていたのがその原因だ。
話がそれた。

 

 

それなのになぜ戦争という文字がタイトルに入っている本書を、読もうという気になったのか?やはり好奇心か。図書館でなぜ戦争が起こるのか?といった疑問も後押ししたのかもしれない。
特殊部隊の戦闘員として活躍する笠原郁という若い女性兵士?と、その上司である堂上篤を主人公とするストーリーではあるが、僕は笠原郁よりも、その同僚で図書委員の柴崎麻子のあっけらかんとしたキャラクターの方が好きだ。
他にも個性的なキャラクターが数多く出てきて、あり得ない話?を面白おかしく進めていく。このシリーズが番外編を含めて6冊も出ているということに驚くが、痛快さや、1巻で収束されないラブストーリーの進展を求める読者がたくさん居るのだろうな。

 

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1223.黒猫の遊歩あるいは美学講座

2012年02月13日 | 安楽椅子探偵
黒猫の遊歩あるいは美学講義
読 了 日 2012/01/27
著  者 森晶麿
出 版 社 早川書房
形  態 単行本
ページ数 293
発 行 日 2011/10/25
ISBN 978-4-15-209248-9

 

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たまた新たなミステリ文学賞が創設されたようだ。早川書房が主宰する今度の賞は、アガサ・クリスティ賞だ。出版社もいろいろと策を練らないと売り上げにつながらないのか、東京創元社と並んで海外ミステリーの老舗ともいえる早川書房も例外ではないのか、とちょっと驚く。
本書はその第1回の受賞作である。
axnミステリー(スカパーのチャンネル)で毎月定期的に放送されている早川書房のブックリエというコーナーで、本書のことを知り受賞作ということの他にも、なんとなく読書欲をそそられるようなタイトルも気になって、amazonで古書を取り寄せた。
著者の名前から現役の頃、一緒に働いていた同僚の名前を連想する。その彼の名前はアキマルで著者はアキマロだから、少し違うのだが両方とも珍しい名前だ。変な話だが、そんなところも興味をひかれた要因の一つかもしれない。

 

 

探偵小説の始祖ともいうべきエドガー・アラン・ポー氏へのオマージュとも取れる作品の内容は、黒猫とあだ名され24歳にして大学教授となった美学理論を教える教授と、その付き人を任された博士課程1年目で同じ24歳の“わたし”のコンビが、遭遇する謎の奥底に迫るというストーリー。
おしまいまで読んだのだが、確か二人の名前は出てこなかったような気がする。はなはだあいまいな話だが、主人公二人の名前なんかどうでも良いほど、魅力には触れたキャラクターとストーリーなのだ。
連作短編のような形の長編で、一話ずつポーの作品が引き合いに出されて、ポーの研究者でもある“わたし”に、美学理論の観点から“わたし”以上にポーの作品の奥深さを解説する教授・黒猫。普通は薀蓄を傾けられると、ちょっと引いてしまうものだが、タイトル通りの黒猫の美学講座は嫌みがなく、素直に耳を傾けたくなるほどで、それが謎解きに繋がるのだからなおさらである。
本書が僕の好みの内容だとはもちろん読んでみるまでは分からなかったし、USED(ユーズド)とはいうながら、まだ新刊ともいえる時期でと単行本なので、それほど安いわけではないのに、手に入れようと思ったのは本能的に読むべき本だと思ったのか?

 

 

ず初っ端の出だしが良い。ポーのデュパンと私の会話そのものと思われる会話が、黒猫と“わたし”の間で交わされるのである。つまりそれまで会話を交わしていたかのごとく、突如“わたし”が頭の中で考えていたことに対する答えを黒猫が発するのだ。
相手の施行経路をたどるのは、その後デュパンの後継者とも言われるシャーロック・ホームズの中でもたびたび出てくるが、僕はこうした会話が出てくるとワクワクしながら読み進める。こんな面白い本をさっと読み飛ばしてしまうのはもったいないじゃないか!という気にさせて、僕は途中でお湯を沸かして、ペーパードリップでゆっくりとコーヒーを淹れるのだ。
上手いコーヒーを飲みながら、気に入ったミステリーを読めるなんて、なんと幸せなことだろう。

 

収録タイトル
# タイトル
第一話 月まで
第二話 壁と模倣
第三話 水のレトリック
第四話 秘すれば花
第五話 頭蓋骨のなかで
第六話 月と王様

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1222.よろずのことに気をつけよ

2012年02月10日 | 本格
よろずのことに気をつけよ
読 了 日 2012/01/14
著  者 川瀬七緒
出 版 社 講談社
形  態 単行本
ページ数 347
発 行&nbsp:日 2011/08/08
ISBN 978-4-06-217143-4

 

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年(2011年)度の江戸川乱歩賞は、二人の女性が同時受賞ということで、賞始まって以来だそうだ。
その話題がしばらくテレビや、CS放送、インターネットなどで取り上げられて、喜びの女流作家へのインタビューを何度か見た。
しばらくすればBOOKOFFなどにも出回るだろうから、そしたら読んでみようと思っていたら、先日いすみ市のおふくろを訪ねた際に、いつも立ち寄る古書店、ブックセンターあずまで思いがけず本書を見かけて買ってきた。
「被害者は呪い殺されたのか!」などという帯の惹句は、僕の好みではなかったのだが、乱歩賞を受賞するくらいだから“呪い”と言ったってそれほど荒唐無稽な話ではないだろうと、読み始める。

古くから伝わる呪術に関しての講釈や、由来の元を訪ね歩く描写は、関心のない僕にもわかりやすく抵抗感なく物語に入り込める。過去を訪ね歩くというのは、ミステリーの一つのパターンでもあり、その点に関しては僕の好きなある種のスリーピング・マーダー的な興味を呼び起こして、ワクワクさせるのだ。
そういえばこの物語にも登場する“講”というもので、昔を思い出した。

 

 

僕は高校卒業後、就職先が見つからず―その頃は今と同様、否それ以上に就職難の時代だった―和裁職人だった父のあとを継ごうかと思って、しばらく父母の下で運針の練習に励んでいた。そんな僕を見て、父の顧客だった揚繰(あぐり)網漁業網元の女将さんが、事務員に雇いたいと誘ってくれた。女将さんはまだその頃50代後半だったと思うが、僕にはもうお婆さんという感じだった(もう故人だが、ごめんなさい)。
揚繰網漁業というのは別名巻き網漁業とも呼ばれ、二隻の網を積んだ本船が魚群を探知すると、舫(もや)って双方の網をつないで1本にして、獲物を囲むように二手に分かれて網を海中に下しながら円を描き、再び2隻は舫い、網の底を絞っていく。簡単に言えばそういった方法で魚を獲る沿岸漁業である。
話が脱線したが、女将さんたちが年に何回か(詳しい時期や、名称は忘れた)集まって輪になって長い数珠を手に持ち順繰りに回して経を唱えていた。それがいわゆる“講”というもので、「何々講」と名前もあったのだが、今となっては遠い記憶のかなただ。「板子一枚下は地獄」などとも言われた昔の漁師の世界からは、ほど遠く近代化が進み、漁業も法人化されていたのだが、まだ神頼みという信仰の風習は残っており、女将さんと一緒に近隣の神社へと折に触れ、参拝に行ったものだった。

 

 

書では、そうした古くからその土地特有の伝承に深く立ち入った考証がいくつも出てきて、興味がないにもかかわらず、次第に引き込まれていく。なんとなく江戸川乱歩賞というよりは、横溝正史賞の方が似合っているんじゃないかと思わせながらも、終盤に向かうにしたがって、本格推理の形を表わしていく。

 

 

もう何度も書いてきて、読書から離れた話題が続いたが、昨年暮れの大晦日に発生した事故は、未だに行方不明者を発見するに至らず、他のことをしていてもついつい事故の方に気が向いて、落ち着かない。 といって、今となってはなす術(すべ)もないのだ。聞くところによれば千葉県内だけでも同様の事故―つまり行方不明者の発見されない未解決事故―は年に7~8件ほどあるのだそうだ。
まるで、昔話の神隠しといった風情である。科学の進んだ今の世でも、わけのわからない事故・事件は起こることに不思議な感じを抱く。
図は12月31日の午後8時過ぎに目撃された場所、これ以降の情報が皆無ということが信じられない気がするのだが・・・・。

 

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1221.ガリレオの苦悩

2012年02月08日 | 連作短編集
ガリレオの苦悩
読 了 日 2012/01/08
著  者 東野圭吾
出 版 社 文藝春秋
形  態 文庫
ページ数 376
発 行 :日 2011/10/10
ISBN 978-4-16-711013-0

 

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刊の書店に行くことはめったにないが、木更津市内にあるジャスコ2階の未来屋書店には、買い物ついでに時折立ち寄って、文庫や単行本の新館の生の情報を感じてくる。
本当は僕のように貧乏暮らしの者には、目の毒が多くてできるだけ近寄らない方が身のためなのだが、「見るだけ」と自分に言い聞かせながら店内を見て回る。
あれも読みたい、これも読みたい、と思いは膨らむばかりだが、たとえ余裕があってそれらを全部買えたとしたって、そんなに読めるものでもないのだ。それでもいつか余裕が出来たら買おうと思うのは、やはり欲張りのせいか?
本書はそうして立ち寄った未来屋書店で、ちょっと抑えが利かなくなって買い求めてしまった本だ。まあ、文庫でそれほど高価なものでもないから、などと自分で自分に言い訳をしながらレジに向かう。

 

 

何度かここにも書いてきたが、今僕は落ち着いて本を読むこともできないほど精神的に、不安定な日々を送っている。所属する社会福祉法人の施設で起こった事故のことで頭を悩ませているからだ。
つい先達て(2月6日)、行方不明者捜索について何度目かの対策会議が行われて、その席上僕はこの辺で一度捜索を打ち切って、警察からの情報を待つのはいかがだろうか、と提案したのだが、法人の危機管理者から、形を変えても継続すべきだとの意見が出て、結局ポスターを張った車で周辺地域を巡回するということになった。
しかし、よく考えてみればわかることだが、そうした方法は自己満足にすぎないのだ。
仮にそうした方法でポスターを見た人から何らかの情報を得たところで、今となっては生きてどこかを歩いているということは1%の可能性もないと思われるからだ。



 

捜索員たちがこれだけ探したのだからと、納得できるのはいつなのだろう?いや、納得できるなどという日は、永遠に来ないだろう。結局あるところで割り切るしかないのだ。
何度か僕はほかの捜索員と組んで、保護者を訪ねて捜索の経緯を話してきたが、その都度沈む気持ちを堪えながら面談してきた。同様の障害者を持つ親としての切ない気持ちが、保護者の顔を直視することに半ば拒絶反応を示すからだ。
本当にどこでどのようになっているのだろう、と思うとまた心が痛む。



 

んなことで、この本も今年に入ってから初めての本である。前回読んだ本は暮れの23日だったから、16日も間が空いてしまったわけだ。
ブログの記事をアップするのは遅れても、読書そのものがそれほど遅れることはめったにないのだが、今回の事故に関しては、捜索の一員に加わったり経過の記録をまとめたりということもあって、読書を楽しむ心のゆとりがなくなっているようだ。
そういう状況にも関わりなく、本屋さんで読みたい本に出会うと、抑制力がどっかに飛んで行ってしまうのは、僕の我慢できない性分なのだ。内心では「しょうがねエなア!」と思いながらも、うきうきとした気分も半分あって、全く幾つになっても子供の気分が出てきてしまい、困ったものだ。

このシリーズの短編集は「探偵ガリレオ」、「予知夢」に続いて3冊目となる。いろいろと呼んできた割に僕は、本に関する情報収集能力に欠けているらしく、面白そうな本を人から教えられることも少なくない。
このシリーズも、館山市在住の下の妹から借りて読んだ「容疑者xの献身」で知り、その面白さに惹かれて、次々と読むようになった。
昨年夏には最新作「真夏の方程式」が出て、ベストセラーを続けており、著者の作品の売れ行きが総じて他を圧倒しているようだ。僕はミーハーだが、別にそうした世間の動静に便乗して読んでいるわけではない。それでもこのシリーズを読んでいると、そうした好調な売れ行きを示すのも分かるような気もするのだ。
こうした読む者の知識欲を満たすような、内容はあたかも物知りになったような気にさせるところが良い。
実際には小説で物知りになれるわけでもないが、僕はこうした本が好きだ。近いうちに最新作も読んでみたいが・・・・・。



初出誌
# タイトル 紙誌名 発行月・号
1 落下る(おちる) オール讀物 2006年9月号
2 操縦る(あやつる) 別冊文藝春秋 第274号
3 密室る(とじる) GIALLO 2008年夏号
4 指標す(しめす) 書き下ろし  
5 攪乱す(みだす) 別冊文藝春秋 第276号

 

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