隅の老人のミステリー読書雑感

ミステリーの読後感や、関連のドラマ・映画など。

1862.それぞれの断崖

2018年12月31日 | リーガル
それぞれの断崖
読了日 2018/06/17
著 者 小杉健治
出版社 集英社
形 態 文庫
ページ数 407
発行日 2001/04/25
ISBN 978-4-08-747310-0

 

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波のせいで朝起きる都度、今年一番の寒さを更新しているような感じだ。年寄りの身にはこの寒さが一段とこたえるのだ。日が昇ってくれば、僕の部屋には日が差すから、ストーブ要らずといった暖かさになるのだが・・・・。それまでの少しの間の我慢だ。
パソコンが直ってきてから、急に時間の進み具合が早くなったようだ。こうなってみると、何もせずにのんびりとした暮らしが懐かしくなるから、人間なんて(いや僕だけか)勝手なものだ。でも、パソコンが故障しなければ、11月2日の79歳の誕生日には、読書の1900冊が達成できていたはずなのだ。そんなことを言っても何もよくはならないのだが・・・・。ついつい愚痴が出てしまうのも、年寄りの証拠だな。
しかし、強い冬型の気圧配置による北陸から東北にかけての、日本海側の大雪はしばらく続きそうで、気の毒なことだ。それを思えば、少しくらいの寒さは我慢我慢、と思うがそれでも寒いものは寒いのだ。大晦日の今日の我が家は、恒例により昼にいつもの蕎麦屋に行って、年越しそばを食べる。以前、施設に入所している息子が、里帰りと称して帰ってきていたころは、家族4人で年越しそばを食べていたのだが、近ごろは彼の里帰りもなくなって、カミさんの具合が悪くなってからは、うちで蕎麦を茹でることもなくなった。

 

 

しばらくぶりにブログを始めたのだから、書くことはたくさんあるはずなのに、頭になにも浮かんでこないのはなぜだ。
まさか28日の、今年最後のメール便配達の途中で、転んだ後遺症で、頭が空っぽになったわけでもないだろうが・・・・。実はこのところ考えていることと体の反応が一致せず、バランス感覚というかひょっとしたことで、転びそうになることが多くなった。そして、とうとう配達の途中でわずかな歩道の凹凸に躓いて、転んだ。それも手も着いたのだが、間に合わず見事に顔から倒れたのだ。顔の右半分をついたものだから、メガネの右のレンズに2本のひびを入らせて、しかも頬に打撲と擦過傷だ。
わずかだが両手と右足に同じく擦過傷を負って、すぐ近くの病院に駆け込んだ。それでもまあ、大したケガではなかったから、両手に包帯、顔に絆創膏といういでたちで、とりあえず残りの配達を何とか済ませたが、今年最後の仕事は、散々な体たらくだった。

 

 

の本を読んでいた6月ごろは、本を読むことに時間が取れず、前回の「半七捕物帳(三)」も読み終わるのに、だいぶ日にちを要した。ブログに投稿するという目的がないと、読書への意気込みがそがれるようで、例によって僕の、目的と手段がごっちゃになっている証拠だ。いや、ごっちゃになっているのではなく、入れ替わってしまっているのだ。ブログはあくまでも読書の記録であって、目的でも手段でもないのだと、自分に言い聞かせても何やら納得していないようだ。困ったものだ。
本書を読み終わったときのメモを見ると、午前中に太陽のしずく(僕の息子が入所している施設を運営する社会福祉法人・薄光会の事業所の一つ)で、天羽支部会の事前打ち合わせ会があって、行ってきた。初めてこの記事を目にする方のために説明すると、天羽支部会というのは薄光会の施設を利用する障害者の保護者・家族の会の一つである。僕の息子はグループホームの一つ、あけぼの荘で生活しており、ホームはほかにも5か所あって、入所利用者と、太陽のしずくを利用する通所利用者、双方の保護者の集まりが天羽支部会ということだ。

長い間、ぺリイ・メイスン・シリーズに明け暮れていたからか、ほんの少し虚脱状態の感じだ。本を読むことに頭で内容を一応理解して入るものの、感覚として面白さが味わえていない気がするのはどうしてか?また以前のように物語に没頭できるまで、しばらくの時間がかかるのだろうか。

 

 

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1861.半七捕物帳(三)

2018年12月30日 | 時代ミステリー

                                            

半七捕物帳(三)
読 了 日 2018/06/14
著  者 岡本綺堂
出 版 社 光文社
形  態 文庫
ページ数 421
発 行 日 2001/11/20
ISBN 4-334-73231-3

 

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年ぶりのブログ投稿は、忘れていることが多くて、まるで初めての時を思い起こす。ちょっとドキドキ、少しわくわく、といった感じで、ドロップキャップを設定したり、表紙の写真をアップロードしたりと、結構大変だ。
ブログの再開は年が明けてからでもいいか、と思っていたが、中山七里氏の著作『中山七転八倒』を読んでいたら、「承認欲求」という言葉が出てきて、僕のブログもそうしたことの一つかと、急遽書いてみることにした。いや、中山氏自身はそうした「承認欲求」は子供の時から一切持ち合わせていないということなのだが、普通の人は大なり小なり持ち合わせているはずだから、中山氏の育った環境と、自身の心の持ち方で、そうなったのだろう。
まだ、3分の2ほど読み終わったばかりで、全部読み終わるのは多分明日になるだろうが、この著者の日記はページを繰るたびに、「アハハ・・・」と思わず声に出して笑ってしまうほど面白く、それはそれは、氏の著作に負けず劣らずの面白さなのだ。僕はこのブログの中で、何度となく中山氏を職人作家だと言ってはばからないが、この中でも言っているように、人を楽しませるという精神で書かれている著作だから、面白くないはずがないのだろう。
そして、その職人ぶりが余すところなく発揮される様子も描かれており、次々と出版社の編集員の要望を受託して、執筆活動を続ける著者の姿勢から、すごさを感じてしまうのだ。アア、このくらいにしておこう。この本に関しては、1週間ほど後のブログに投稿する予定だから、その時に書くことがなくなってしまいそうだ。

 

 

時代小説が続くことになり、翻訳の海外ミステリーが続いたせいで、その反動が生じた、というわけではない。だが、前回の(といっても6月の事だ)「眠狂四郎」シリーズで、時代小説の魅力というか、その楽しさを改めてよみがえらせてくれたのだ。
光文社文庫のこのシリーズは、全6巻で完結しているが、僕の手許には本書が発行されて間もないころ、新刊で買ってそのまま積ン読となってしまっていた。今回読み始めてみて、数ページを読み進むうちに、次第に胸が高鳴るのを抑えられなかった。
この第1巻を読んだのは、2010年3月の事だから、8年も前の事だといささか僕の読書に関して、かなりいい加減なものだという思いがわいてくる。少なくとも読んでいるうちは、こんな読みやすく江戸時代の風俗や人情の機微、半七老人の穏やかな語り等々が胸に迫り、どんどん続けて読もうと思うのに、読み終わってしまうと忘れてほかの本に手を出すというのは、どういう神経をしているのだ。
まあ、「それでもいいではないか。」と僕の中のもう一人は言うから、「それもそうだ。」と、僕はすぐに納得してしまうところがダメなところなのだ。

 

 

ブログが半年に及ぶほど更新されなかったのは、肝心のパソコンが壊れてしまったからだ。
おかげさまで、パソコンとインターネットのない暮らしは、穏やかで何にもすることのない、ノンビリとしたものだったから、ずいぶんしばらくぶりにそうした暮らしになって、これもいいものだという気にもなった。誰かが、「パソコンは金食い虫だ」と言っていたが、NEC121(ワンツーワン)センターに、パソコンの症状を伝えたところ、修理代が6万5せんえんになるという。貧乏人の僕はその金額に驚いて、これはうっかり修理にも出せないな、ということで、6か月もほっといたのだ。
このPC-DA770AARという機種を買ったのは、2015年だから、まだ3年を少し過ぎたところでの故障だ。こんなに早く故障したのは初めてだ。パソコンはこんなにも早くダメになってしまうのだろうか?どうも納得できないでいるのだが、直って手許に来てしまっているのだから、グダグダ言っててもしょうがないか。

 

収録作
# タイトル
1 雪達磨
2 熊の死骸
3 あま酒売り
4 張り子の虎
5 海坊主
6 旅絵師
7 雷獣と蛇
8 筆屋の娘
9 半七先生
10 冬の金魚
11 松茸
12 人形使い
13 少年少女の死
14 異人の首
15 一つ目小僧

 

 

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