隅の老人のミステリー読書雑感

ミステリーの読後感や、関連のドラマ・映画など。

2020.蘭学探偵 岩永淳庵

2021年05月27日 | 時代ミステリー
蘭学探偵 岩永淳庵
読了日 2020/12/26
著 者 平谷美樹
出版社 実業之日本社
形 態 文庫
ページ数 350
発行日 2014/08/15
ISBN 978-4-408-85184-5

 

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前もどこかで書いたが、2-3日前の事でさえ忘れてしまう僕だから、それ以上前の事はきれいさっぱり思い出せない。この読書記録の事だ。2000冊以上も読んでいる中には、これを読んだというだけの、本のデータ(ご覧の表紙の写真と読了日他の表になっている形式だ)しかないところがかなりの数に上っている。 たまに、いろいろと整理することもあって、古いデータをひっくり返していると、そんな文字のないところに行きつく。
そんな白紙の所を見ると、何とか出来る限り再読をして、何年もたってはいるが新たに読後感らしきものを書き足している。本来は、読んだ直ぐ後の新鮮な思いが大事なのだが、忘れてしまったものは仕方がない。
再読して全く前に読んだことを思い出せないこともしばしばあるのは、本当に僕の頭はどうにかしてしまったのか?と思うこともあり、ちょっと怖い。

 

 

 

それでも不思議なのは、再読なのに初めて読んだような新鮮な面白さを感じることもあって、読書の面白さをダブルで感じたようなちょっと得した気分になれるのも面白い。
辰巳芸者・豆吉の家に居候をしているのが、蘭学者の岩永淳庵だ。近頃観光地ともいえる様な見物の人々を集めているのが、江戸城を囲む四か所の高櫓(たかやぐら)だった。今日も豆吉と共に高櫓見物に出かけた淳庵だったが、最初に訪れた品川町の高櫓で、人足が逃げ出して高櫓の仕掛人である三輪祥沢も行方知れずだと知り、がっかりして帰ってくると、火付け盗賊改め方の瀬川又右衛門が現れた。

 

 

口に時代ミステリーと言っても、その数は結構なものに上るのだろう。僕はそんなすべてを知っているわけでもないので、たまたま目についたものを読むわけだが、そして当たった作品が思いの外、面白く読めることがラッキーだと感じる。
もっとも僕は目についた作品を片端から読むわけではなく、タイトルやその他僕の興味を引く部品があるものを引き寄せるのだが、本作もタイトルから中身を想像して手に入れたのだ。それが想像していたものとは多少異なるが、探偵役の蘭学者岩永淳庵と言うキャラクターが魅力的に描かれており、ワトソン役となる瀬川又右衛門と、良いコンビとなって、そこに辰巳芸者の豆吉姉さんが加わるから、ストーリーは面白く展開するのだ。
ミステリーの世界にはありとあらゆる職業の探偵が登場して、もうこれ以上の職業はないのではないか?などと言われることがある。しかし、そんなことはないのだ。ただ僕が知らないだけで、まだまだ新たな探偵が生まれてくるのだろう、いや、すでにそうした新たな職業を持つ探偵は、数多く生まれているのだろう。
僕が面白く読める作品だって、まだまだ僕が知らないだけで、すでに数多く存在することを信じて、ミステリー探しの旅に出るとするか!?

 

 

収録作
# タイトル
1 高櫓と鉄鍋
2 鬼火と革紐
3 吉と橘
4 海坊主と河童

 

 

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2019.毒島刑事 最後の事件

2021年05月26日 | 警察小説
毒島刑事 最後の事件
読 了 日 2016/09/27
著  者 中山七里
出 版 社 幻冬舎
形  態 単行本
ページ数 341
発 行 日 2020/07/20
ISBN 978-4-344-03644-4

 

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者がどんな気持ちでその本を読もうと、どんな形式で読もうが、それが作者に何の影響ももたらすことはないが、この頃僕はちょっと中山七里氏の作品の読み方に、失礼に当たるのではないか?などと言う考えに陥っている。 どうと言うことではないが、僕が次々と出てくる新刊を見境なしに、読んでいるということに対してなのだ。
それが作者にとって何の影響もないことは確かだが、僕の中だけではもう少し時が過ぎるのを待って、作品の傾向を確かめてから、系統だてて読むことはできないのかという考えがふと浮かんだのだ。
前述のごとくどういう風に読もうと、作者にとって痛くもかゆくもなく、出す本を次々と呼んでくれるのが一番かとも思える。
熱烈なファンとしては、どんな本でも作者の描いた世界であれば、有難く読むに越したことはない、と思いながら読むことが作者を敬っていることになるだろうか?などと思うのは少し疲れているせいかも?
従来あまり考えたこともないような思いにとらわれるのは、どこか具合が悪いのかもしれない。いや、そういえば先月・4月の半ばから、少し歩くと眩暈がしたり、吐き気に襲われたりする現象が続いており、医師の診察を受ける必要があると思いながら、ずるずると日を過ごしている。

 

 

僕ももうすぐ死ぬのはないか、そんな気にもなっている。歳はとってもまだ元気だから死ぬのはもう少し先だろう、などと気楽に構えていたが、ちょっと具合が悪くなると、いよいよ死に目が近づいてきたか!などと言う思いに頭がいっぱいになる。
それが年相応の考え方なのかもしれない。
情けない話だが、個人的にこの先2-3か月は懐具合が悪く、うかうか病院にも罹れない状況なのだ。
僕は、若い頃から金の使い方が下手というか、全く金を残すことが出来ない性格で、いい歳をしながら日ごろの小使いにも不自由する始末だ。
それでも何とか過ごしているのは、生来の楽天的な性格からか。何とかなるだろうという気持ちが、どんな時でもあって、その通り何とかなってきたから、今度も何とかなるだろうと、気楽に構えている。

 

 

かし、このコロナ禍はいつまで続くのか?営業を制限されているところや、テレワークなどと言う形の出社制限を受けている人々の、ストレスの蓄積は容易なものではないだろう。
自粛も何も、普段からあまり外出の多くない僕にしても、そうした制限を受けている人々の思いが察せられる。
本を読むことによって、ストレスの発散できる僕は恵まれているといえる。
今回の本書では、先に読んだ(もう5年も前になるが)『作家刑事毒島』で大活躍を見せる、毒島と言う刑事が作家として活動する大分前の時代を描いたストーリーだ。中山氏の作品に登場するキャラクターは、誰しもがシリーズ化できるような余地を示しており、読者としてもそうした現象を歓迎するところがあって、出来れば片っ端からシリーズ化して、増々の多作を継続してほしいと思っている。
タイトルに有るように、毒島刑事はこの事件を最後にいよいよ作家業へと専念することを示唆しているのだ。

 

収録作
# タイトル
不倶戴天(ふぐたいてん)
伏流鳳雛(ふくりゅうほうすう)
優勝劣敗(ゆうしょうれっぱい)
奸佞邪智(かんねいじゃち)
自業自得(じごうじとく)

 

 

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2018.准教授・高槻彰良の推察 民俗学かく語りき

2021年05月11日 | 青春ミステリー
准教授・高槻彰良の推察
読了日 2020/12/18
著 者 澤村御影
出版社 KADOKAWA
形 態 文庫
ページ数 285
発行日 2018/11/25
ISBN 978-4-04-103572-6

 

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俗学かく語りき”というサブタイトルが、僕に目を向けさせた。従来僕はそんな気になるタイトルに惹かれて、読んだ書物が数多く、と言うほどではないか、だが、いくつかあって新たにファンとなった作家が出来たことは事実だ。
表紙のイラストは、どちらかと言えば僕の好みではないが、嫌いと言うほどではないから、あまり気にしないでおこう。
いろいろと書いたが、読む前にそんなことを全部思ったわけではない。読み始めて、内容が次第に頭に入っていくほどに、僕は自分で堀出し物を見つけたという気がしていったのだった。
最初は軽い読み物だという感じで読んでいたが、それは間違いではないものの、ここに登場している准教授・高槻彰良と言うキャラクターは悪くないな、と言うことから、いやいやメインキャラのもう一人の深町直也と、好感度のコンビだと思えたのだ。
読んでない人には、何を言ってるのか分からない話になった、のではないか?

 

 

タイトルに有る准教授・高槻彰良は、清和大学の史学科民俗学考古学専攻の准教授で、このストーリーの語り手となっているのが、文学部1年の深町哲也だ。
深町哲也が民俗学Ⅱの講座を聞こうと思ったのには、特別の理由があったのではない。が、面白く時にはとんでもない所にずれていく抗議の模様に、他の受講生とともに、次第に惹かれていく。
一度見たものは画像として記憶するという准教授は、深町哲也の事を覚えており、興味深く観察していた。その深町哲也は、プロローグで奇怪な経験の過去から、特異な耳を持つことになっていて、それが高槻准教授とつながりを持つことになるのだ。
しかし。深天地哲也にとっては必ずしも好ましい状況ではないこともあり、それは准教授の時により、あまりにも子供のようにふるまうことが原因だった。
准教授のもとには、怪奇現象を体験したものからの相談が寄せられて、彼はそれを嬉々としてかかわるのだが、深町哲也に対してアルバイトとしてそれに同行するよう頼むのだった。

 

 

書では、下表にある如く、三つの怪奇現象を高槻准教授と、助手になった?深町哲也とが関わって、見事に?解決してゆく内容だ。子供だましと思われるような、怪奇現象にも高槻准教授は深町を誘って、いそいそと出かけるのだ。
彼はそれほど不思議な出来事や怪奇現象と思われる出来事に惹かれて、出来たらその怪奇現象が本物であることを願い、本当の怪奇に出会いたいと思っている。
それは彼自身の過去に大いにかかわっているらしい。

新型コロナウィルスの第4波感染拡大の勢いは、緊急事態宣言の効果も期待できない状況のようだ。
政府の宣言が人々の自粛活動を推進する人と、あまり意識しない人とに分けているみたいで、効果的でないことが明らか?ではないだろうか?
オリンピックの開催も怪しくなりつつあって、アスリート、選手たち皆さんの胸中はいかに!?(しかし、某女性選手のSNSへの投稿に、オリンピックの開催中止を依頼するなどと言う、暴論としか言えないことがあったなど、信じられない事実があったとは、なんと言うべきか???)
ワクチン接種についても、僕の居住する木更津地域には何の通知も来ていない。先月(4月)の行政のホームページでは、4月下旬から高齢者の摂取が始まるとなっていた。ところが、もう5月も半ばに差し亜飼っているが、何の連絡もない状態だ。いろいろと考えさせられる今日この頃だ。

 

収録作
# タイトル
第一章 いないはずの隣人
第二章 針を吐く娘
第三章 神隠しの家

 

 

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2017.合唱 岬洋介の帰還

2021年05月06日 | リーガル
合唱 岬洋介の帰還
読了日 2020/11/02
著 者 中山七里
出版社 宝島社
形 態 単行本
ページ数 314
発行日 2020/05/01
ISBN 978-4-299-00418-5

 

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つからか宝島社のISBNが変わった。以前は978-4-の次は8002とか7966と、4桁の数字が並んでいたのが、ご覧のように299と3桁になっている。
僕はこの国際標準であるブックナンバーが、どのように定められているのかは知らないが、まあ、別にISBNによって面白さが変わる訳もないから、どうでもいいのだが、毎回ブックナンバーや発行日などを、本のデータとして書いているからちょっと気になったのだ。

さて、著者の原点ともいえるシリーズ作品の最新刊は、幼稚園の園児3名と、教師2名が薬物常習者によって、殺害されるという残酷で痛ましい事件からスタートする。 ここでちょっと、“幼稚園の教師”と書いたが、保育園と幼稚園の違いがそこいらにある。幼稚園では園児に対して教育が行われているのだ。そこで、幼稚園では教師となるのだそうだ。
だが、保育園の園児の親からは、教育的差別について、苦情が出ているということなのだが、国がどんな対応をするかは、今後の、問題だ。

 

 

 

それはさておいて、こちらの問題は少し趣が異なる。
事件の容疑者は事件の直前自ら薬物を注射しているのだ。担当検事の天生は、日本の刑法は第39条において、「心神喪失者を責任無能力として処罰せず・・・。」と定められていることから、容疑者の無実が確定することを防ぐため、苦悩するのだ。
その天生の救援に帰還したのがタイトル通り岬洋介だ。岬洋介は、「さよならドビュッシー」事件を始めとして、「おやすみラフマニノフ」、「いつまでもショパン」、「どこかでベート―ヴェン」等々、クラシック音楽シリーズともいえる事件でその持てる能力を生かして、難事件を解決している。
大学在学中に司法試験を突破していたのだが、彼は思うところがあって、司法の道には進まずなんと、音楽の道へと進んだのだった。

その件については、現職の検事である父親との葛藤があるのだが、ここでは省こう。

 

世界的なピアニストとして活躍する一方、犯罪難事件に向き合へば、大学時代からのその能力を発揮して、前述のごとく数々の難事件を解決してきた。
だが、今回は従来と異なる文字通りの難事件だった。学生時代からの友人が陥っている、刑法第39条の落し穴から無事救うことはできるのか?

 

 

ずかな肌寒さを感じさせていた霧雨が止んで、午後からはからりと晴れあがった青空の下、気温の上昇も半端なく、初夏の陽気を目いっぱい漂わせている。
地方によって人の流れもいろいろと変化しているが、相変わらず新型コロナウィルスの勢いは止まらない。いやそれどころか、感染者の増加の傾向を見せている地方さえある。我が木更津地方も、今や累計500人を超えてしまっている。
政府による緊急事態宣言の延長を望んでいる地方もあるから、まだまだ油断はできない状況だ。幸いにして、我が家はカミさんのお供で、食料品の買い出しに度々出かけているが、病気持ちの彼女が感染する気配はないから、安心している。
しかし、ウィルスは時も所も人も選ばない。いつ感染の災難に襲われるとも限らナイ。用心に越したことはナイ。いつまでこのナイナイ尽くしは続くのだろう?

 

 

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