隅の老人のミステリー読書雑感

ミステリーの読後感や、関連のドラマ・映画など。

1662.ABC殺人事件

2016年08月30日 | 本格
ABC殺人事件
THE A.B.C. MURDERS
読了日 2016/08/30
著 者 アガサ・クリスティ
Agatha Christie
訳 者 中村能三
出版社 新潮社
形 態 文庫
ページ数 327
発行日 1960/09/25
ISBN 4-10-213506-5

 

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前9時28分現在、当木更津地方は曇り空の隅から、薄日が差しかけて少し明るくなってきた。だが、相変わらずテレビでは台風10号の進路と、厳重な対応を促すニュースを流し続けている。思いもかけない複雑な進路で台風は、昼過ぎから夕方にかけて東北地方に上陸する恐れを予測させている。
温暖化の影響か?日本近海の海水温が、通常とは異なる上昇を示して、台風の強い勢力が衰えることなく日本本土を襲うことが、甚大な影響、被害をもたらすことになっている。科学の発達した現在でも、こうした自然の脅威を事前に防ぐことは難しく、気象庁が発表する気象状況によって、自ら対策を施す以外に道はない。
台風の進路に当たる地方の被害のできる限り小さな事を願うほかはない。

 

 

映像化されたミステリー(とは限らないが)のサイトなどで、視聴者から原作とイメージが違うという、クレームと思われる投稿をよく見かける。僕もそうしたことは結構感じることがあるが、それはそれとして僕は、 映像と原作とは別物と考えて、両方を楽しむことにしている。
こうしたことは幾度かここにも書いてきたが、本書を読んでいるうちに、エルキュール・ポワロに最も近いと評されたデヴィッド・スーシェ氏にしても、原作を読んでいるとき多少イメージの異なる感じを受けることもある。 そうはいっても、1989年から2013年までの14年にもわたり、ポワロを演じ続けたスーシェ氏の演技は、他と比べようもないほどの素晴らしさであることは、今更言うまでもない。アガサ・クリスティ女史の生み出したポワロ作品のすべてが、映像化されてそのすべてにポワロを演じることを、ライフワークとしたスーシェ氏の、ドラマへの入れ込みは並大抵のものではなかったという。
僕はそれほどの俳優の名演や役に対する心構え、映像化のスタッフへの賞賛などがあっても、所詮映像と原作とが多少は異なることがあるのは、当然のことだと言いたかっただけだ。

 

 

回に続き英国本国で映像化された、2大ミステリードラマ(その規模といい世界の国々で放送されたということでも、そう言っていいだろう)の一つである名探偵ポワロ(このタイトルは日本だけのもの)は、わが国では吹き替えを演じた熊倉一雄氏の名演でも脚光を浴びた。残念ながら熊倉氏は彼岸の人となった。
僕はずっと前に映像化されたこの「ABC殺人事件」を見ているのだが、読んでいてところどころしか思い出せないでいた。僕の記憶力の減退を今更言うつもりはないが、数多くのドラマを見ていると、時にはいくつかのドラマの内容が入り混じってしまうこともあるから、なかなか正確なことを記憶するのは難しい。(というのも多分僕だけのことか)
若い頃なぜかクリスティ女史の作品を敬遠したかのように、読むことがなかった割に、映像化されたものを見ることには、何の抵抗もなく楽しんできたから、作品を読まなくともすでに読んだかのように感じてきた。

 

 

英国のテレビドラマ以前には、1975年に公開されたアルバート・フィニー氏の主演による映画「オリエント急行殺人事件」が、大ヒットして、後にピーター・ユスチニフ氏のポワロで、何本か映画化された。
ポワロ作品のほかにミスマープル・シリーズからも映画化されて、クリスティ女史の作品の華やかさが映像向きだという批評もあって、いつの間にか僕もクリスティファンになっていたらしい。
本書を読んで原作の面白さが、記憶があいまいなドラマを再見して、どんなドラマになっているか確かめようとしたら、録画してDVDに保存したはずが見当たらない。仕方なく今NHKのBSプレミアムでハイビジョンリマスター版が放送されたら、もう一度録画してみることにしよう。
しかし、こうした古典的な名作を読んでいると、遥か昔に現在のミステリーで使われているシチュエーションや、あらゆるトリックなどの原型が作られていることを知って、「古きを訪ね新しきを知る」といった諺などを思い起こすことになり、ミステリーの奥深さをより知ることになる。

 

 

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1661.緋色の研究

2016年08月27日 | 本格
緋色の研究
A STUDY IN SCARLET
読了日 2016/08/27
著 者 コナン・ドイル
Arthur Conan Doyle
訳 者 延原謙
出版社 新潮社
形 態 文庫
ページ数 191
発行日 1953/05/28
ISBN 4-10-213405-0

 

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日は小さなショックと少しくセンチメンタルな気分に陥っている。木更津駅までの道行きの途中車の左サイドミラーをぶつけてしまったのだ。ぶつけた相手の方はなんともなく、それはそれでよかったのだが、それまで車の運転技術には多少の自信があり(本当はそれが危険なのだが)、何より安全運転に気を付けていたから、サイドミラーをぶつけるなんということは、思ってもいなかったことだ。
最近歳をとっていろいろと心身ともに不都合が生じてきたと、つい先だって書いたばかりだが、勘が悪くなったことは認めないわけにはいかなくなってきた。もう少しの間、車の運転は必要なので、なお一層安全に心掛けねばならない、そんなことを心に誓いながら、加齢による心身の衰えがどうしようもないことだと、悲しい気分を引き起こしたのだ。

 

 

初めてシャーロック・ホームズを読んでから、62年の歳月が流れた。もう何度かこうした同じことを書いてきたが、海外探偵小説の面白さに目覚めた、というより本格推理の面白さをおしえられた、というほうが良いのか、とにかく僕はシャーロック・ホームズの魅力にとらえられたのだった。
高校受験が終わり、無事合格したことの報告を兼ねて、目黒区祐天寺で洋裁店を開いていた叔母を訪ねた時のことである。祐天寺の駅からほど近くの書店で、何気なく手に取った新潮文庫が「シャーロック・ホームズの冒険」だった。昭和30年(1955年)の春のことだ。
まだ日本が戦後の影を引きずっていたころで、父親は僕を大学まで進学させるつもりで、列車通学になる進学校を受けさせた。和裁職人だった父の仕事はその頃まだ少なく、貧乏の極みと言っていい中、わざわざ交通費のかかる進学校に進ませた両親の思いをよそに、学業をそっちのけにして卒業間近には、クラスの下から数えたほうが早いという成績になっていた。
今更後悔してもすでに両親は他界していて、頭をめぐるのはむなしい思いのみ。

 

 

うした慙愧に堪えない過去の思いがありながらも、一方では今に続くミステリーへの執着が、僕という人間の一部分になっていることがなんとも滑稽というほかはない。
夢中になったホームズシリーズなのだが、短編の起承転結の歯切れの良さには、はまったものの長編4作にはなぜか手を出さなかったのはなぜだろう?だから、本書も60年以上も経て初めて読むのだ。
そもそもこのストーリはシャーロック・ホームズがこの世に初めて登場したもので、普通なら最初に読むべき?ものだろうが、遥か後の時代の僕はそうしたことは頭になく、今ここにその名探偵の誕生の経緯を知ることになった。
ミステリーの古典的名作の未読書はほかにも沢山あって、このように初めて知る作者やその物語にこれから どのくらい出会えるかは分からないが、せいぜい頑張って―いやいや頑張ったってたかが知れているから、読みたくなったら読むといった具合で―クラシック・ミステリーにも手を染めるつもりだ。

 

 

従来抱いていたホームズ像は最初に読んだ時とはかなり異なっていて、英国BBCのテレビドラマ「シャーロック・ホームズの冒険」のジェレミー・ブレッド氏の印象が強い。何しろ1985年から95年までの11年で41話にも及ぶストーリーが制作されたこのシリーズは、多分この後もそれを上回るものは出来ないのではないかと思われる。ミステリードラマの話になるとついつい長くなってしまう。
今回僕はこの初の長編を読んで、少なからず驚いたのは、長編といっても文庫で191ページという短めのストーリーなのだが、なんとそれが2部構成となっており、後半は事件を引き起こす発端となった物語とその経緯である。
このストーリーは残念ながら映像化はされていない11作のうちの一つで、その要因の一つにはその後半の物語が、小説としては面白いが映像化の妨げになったという感じを持ったのである。
なんとなれば、後半のストーリーの大半はラブストーリーの始まりとその残酷な破たんの行方を追ったものだからだ。 またドラマの話に戻るが、もしこの後に未作の11のストーリーが映像化されるとなったら(多分それはないと思うが)、どんな俳優が彼になってホームズぶりを発揮するのだろうか、ちょっと興味をそそられる問題だ。

 

 

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1660.赤毛のレドメイン家

2016年08月24日 | 本格
赤毛のレドメイン家
THE RED REDMAYNES
読了日 2016/08/24
著 者 イーデン・フィルポッツ
EDEN PHILLPOTTS
訳 者 宇野利康
出版社 東京創元社
形 態 文庫
ページ数 436
発行日 1970/10/23
ISBN 4-488-11101-7

 

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狂したリオのオリンピックも終わり、台風も過ぎてようやくおだやかな青空が戻ってきたような感じだ。まだ蒸し暑さは変わらないが、朝夕のちょっとした涼風と、空の高さが秋の気配を感じる今日この頃だ。夏の終わりのこの時期に思い出すのは、「秋来ぬと 目にはさやかに見えねども 風の音にぞ驚かれぬる」という歌だ。
確か中学生の頃の教科書で習ったような記憶があるが、定かではない。誰の作かとNETで調べたら、藤原敏行 (ふじわらのとしゆき)という、平安時代の歌人で36歌仙の一人だということだ。
世間は相変わらずのわけのわからない事件も起こって、かまびすしい毎日だが、宇治拾遺物語(秋来ぬと・・・の歌はここに収められている)などひも解いて、優雅な気分を味わいたいものだ。

 

 

現在はあまり目にすることもなくなったが、僕がいわゆる探偵小説に興味を持ち始めた昭和20年代の終わり頃には、出版各社が“探偵小説ベスト10”とか“推理小説全集”などという企画を打ち出して、競っていた。
欧米には探偵小説の黄金時代と言われる時代があったが、僕は自分が探偵小説に目覚めた頃が日本の探偵小説黄金時代だと思っている。
その日の小遣いにも不自由していたから、大人になったらそうした全集を揃えて、本棚に収めて片っ端から読 んでやろう、そんな夢を抱いていたものだ。雑誌などで著名人の書斎などの写真で、ぎっしりと書籍の詰まっ た書棚を見て、儚い将来の夢を膨らませたものだった。
雑誌の広告にも、全集のお知らせはいろいろと載っており、海外探偵小説の中にいつも顔を出していた内の1冊が本書「赤毛のレドメイン家」だ。

 

 

うしたベスト10や、全集の目録を見ても、集めることは出来なかったが、少しずつは神田の古書店街を探しては、全集崩れを買って読んだのだが、エラリイ・クイーン、ディクスン・カー、ヴァン・ダイン各氏らの著名な作家がどうしても先になって、イーデン・フィルポッツ氏が無名だというわけではないものの、後回しになってとうとう今まで、手を付けることがなかったのは不思議な感じがする。
読み始めて、途中デジャブのようなものを感じるところもあるが、記憶がよみがえらないところを見れば、多分読んではいなかっただろう。
半世紀以上も前のことは当たり前のように記憶が薄れて、何を読んだかも思い出せないのが、少しもどかしい。
若い頃の読書の記録は、およそ1500冊ほどの蔵書目録を、ガリ版印刷で作っていたが、いつも間にか散逸してしまって、影も形もなくなった。中学3年のころから読み始めた文学作品の文庫が主な蔵書だったことしか覚えていない。
こうしてネット上に自分の読書記録を、保存できるなんて言うことが当然すぎて、ありがたみも感じていないだろう今の若者をうらやんでも仕方がない。

 

 

僕がミステリーを好んで読んだのは、昔、江戸川乱歩氏や高木昭光氏の著書に、探偵小説初心者向けの解説書があって、そうしたものならたくさん読めば僕にも書けるかもしれない。そんな浅はかな思いもあったことは否めない。
だが年を経るごとに、そうした思い上がりも消えて、ただただストーリーの面白さだけを追求するようになった。ミステリーの古典的名作を読んでいると、そこはかとなくストーリーとは関わりのない、どうでもいいようなことだけが頭をよぎる。
読みたいと思った時から、60年もの歳月を経て、ようやくここに読むことになり、言い知れぬ感慨を催して、というのも貧乏だった昔(それは今でも大して変わりはないが)まで思い出して、少なからずセンチメンタルな気分になった。

 

 

ーク・ブレンドンというロンドン警視庁―僕は通称スコットランドヤードというロンドン警視庁の呼名が、シャーロック・ホームズの冒険譚で初めて知った時から、この名を見ると何となく心ときめいたものだった―の名刑事といわれた彼が、休暇でダートムアを訪れてマス釣りを楽しんでいた時のこと、すれ違ったジェニー・ペンディーンに心を奪われた時から事件は始まっていた。
そのジェニー・ペンディーンの夫・マイクルがジェニーの叔父・ロバート・レドメインに殺害されるという事件が勃発する。ジェニーから事件の解明を依頼されたブレンドンは、休暇を返上して事件の犯人であるロバート・レドメインの逮捕に奔走するが、警察の捜査をあざ笑うかのように姿を消した。
前半はブレンドンと所轄の警察の捜査がメインとして描かれて、ブレンドンの名探偵ぶりはいつ発揮されるのかと期待するも、彼とジェニー・ペンディーンの淡い恋模様などもあって、事件の解明には一向進まない状況が続く。そして後半になるとなんと別の名探偵が現れるという、まったく予期しなかった様相が展開されるのだ。

 

 

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1659.希望荘

2016年08月21日 | 連作短編集
希望荘
読 了 日 2016/08/21
著  者 宮部みゆき
出 版 社 小学館
形  態 単行本
ページ数 460
発 行 日 2016/06/25
ISBN 978-4-09-386443-5

 

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に何回か息子の入所している福祉施設において、利用者の保護者並びに家族の会合が催され、しばらくぶりで会う仲間から、「毎日どうしてますか?」などという話が出る。お互いに歳をとって現役から遠ざかって何年にもなるから、毎日が日曜日の身分としては、暇を持て余すことも多いのだろう。
「まあ、何とかやってますよ。」などとどうでもいいような返答をするのだが、お互い深く追及することがないことが、分かって居ての会話だ。僕は退屈を持て余すなどということは、以前からなかったので趣味を持たない人の、一日の過ごし方が想像できなく、何にもすることがないのもいいのではないかと、勝手なことを思ってしまうのだ。
そんな僕も、パソコンに向かって、たまにパズルをすることもあり、マイクロソフトが無料で提供している、「ソリティアコレクション」の中の、スパイダーというパズルが面白い。どんなに難しい局面でも、時間をかければ(たまには1時間を超す思考時間と、試行錯誤の繰り返しを要することもある)ほぼ100%に近い成功を収めることができるパズルで、時間つぶしにはもってこいのパズルである。
暇のある人にはお勧めしたいが、同じ年代の仲間には、パソコンと聞いただけで敬遠する人も多いから、なかなか難しい問題だ。

近づく台風の影響か、こちらの方(千葉県木更津市)はまだ今のところ(17時30分現在)雨も時々ぱらつく程度だが、降る所では雷も伴って豪雨のところもあるようで、自然の脅威は凄まじい。しかし、この蒸し暑さは何とかならないものか。気温はさほど高くはないのだが、高い湿度はじっとりとした汗を出させて、蒸し風呂を思わせる。

 

 

今月5日金曜日にメール(Outlook)を開くと、木更津市立図書館の名前が目に入った。僕は直ぐに予約してあった宮部みゆき氏の「希望荘」の順番が回ってきたのだな、と分かった。だいぶ遅くなるのだろうと思っていたのだが、予約の人数が思っていたより少なかったのだろうか?
それはともかくとして、最新作が読める嬉しさに、すぐ図書館に向かった。
何度も利用しているから、図書館員の中には顔見知りの人もいるが、読書好きのくせに、僕が図書館を利用し始めたのは、ずいぶんと遅く、1987年に典厩五郎氏が「土壇場でハリーライム」という作品で、サントリーミステリー大賞を受賞した年だった。
というのも、木更津市立図書館は当時木更津市在住だった典厩氏が、ミステリー文学賞を受賞したことを記念して、典厩氏の講演会を催したのだ。僕は典厩氏という人が、どんな講演をするのか興味がわいて、その時初めて図書館を訪れたのだった。もうずいぶん昔のこととなった。
典厩氏の講演の内容はすっかり忘れたが、同じ街に住んでいることやおとなしい話し方など、好感の持てる講演だったと記憶している。
そうしたことが根底にあるせいか、木更津市立図書館には、典厩氏の作品を数多く在庫しており、彼の著書は1冊残らずあるのではないか?そんな感じもする。というのは余分な話だ。

 

 

mazonのサイトで本書の刊行を知ったのは、6月初旬かあるいは中旬に差し掛かったころではなかったか。直ぐにも図書館にリクエストカードを出そうと思いながら、ズルズルと日にちが過ぎていった。Amazonの広告を見て、本書が杉村三郎を主人公としたシリーズの最新刊であることを知り、これはぜひ読まなくては、そんな思いで大分遅くなってからリクエストカードを出したのだ。

さて、宮部みゆき氏の新作は小泉孝太郎氏の主演でドラマ化もされて、お馴染みとなった杉村三郎のシリーズ最新刊である。2003年に刊行された「誰か」がシリーズ第1作だから、もう13年も経つのかとまたまた月日のすぎる速さと、歳をとったことを実感する。
本書は下表で分かるように、4篇からなる短編集だ。前作で離婚した杉村三郎が私立探偵となって、いろいろと持ち込まれる事件を解決するために奮闘するのだが、私立探偵となった経緯なども、エピソードとして描かれている。

 

初出
# タイトル 紙誌名 発行月・号
1 聖域 STORYBOX 2014年12月号~2015年3月号
2 希望荘 STORYBOX 2015年4月号~11月号
3 砂男 オール讀物 2015年6月号・8月号
4 二重身
(ドッペルゲンガー)
STORYBOX 2015年12月号~2016年5月号

 

 

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1658.霧の塔の殺人

2016年08月18日 | 本格
霧の塔の殺人
読了日 2016/08/18
著 者 大村友貴美
出版社 角川書店
形 態 文庫
ページ数 471
発行日 2011/09/25
ISBN 978-4-04-394473-6

 

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刻にいすみ市刈谷の女性からのハガキが届き、兄上のT.Y.氏の訃報だった。T.Y.氏は高校の時の同窓生で、今年4月に入院するまで、ユナイテッド航空で現役で働いており、近年は年賀状のみの付き合いだったが、毎年の賀状でお互いの元気なことを確かめあっていた。
4月に皮膚癌で虎の門病院に入院したが、すでに手遅れの状態だったらしく、7月18日に他界したという。
千葉県立大多喜高校を昭和33年に卒業したことから、大高33回と名付けたクラス会を毎年行っているが、彼は世界を飛び回るような仕事柄か、初期の会合に出た切りその後は顔を見せることがなくなっていた。
我々の年代になると、毎年のように少しずつ物故者が増えて寂しい限りだが、これも自然のなせる業では仕方のないことだ。妹さんには早速失礼とは思ったが、電話でお悔やみを申し上げた。

 

 

巻末の西上心太氏の解説に「殺人シリーズ」3作目という紹介があるが、ミステリーには不可欠といえるほどの殺人だから、ほとんどのミステリーには出てくる現象を、シリーズ名にするにはちょっとおかしな具合だ。
しかし、横溝正史賞(現在は横溝正史ミステリ大賞と名称が変わっている)を受賞したデビュー作「首挽村の殺人」、その後の「死墓島の殺人」、そして本書「霧の島の殺人」と続いたタイトルからのシリーズ名だ。前述のように一般的に多くのミステリーには殺人事件はつきものだから、殺人シリーズという呼び方に僕はおかしさを感じたのだが、1作目の「首挽村の殺人」を読んだとき僕は、横溝正史氏の岡山県を舞台にした一連の傑作ミステリーを思い起こして、いかにも賞にふさわしい作品だと思った。
今回は前2作と名刑事・藤田警部補のたたずまいが少し異なるような気がするまま読み進めたが、最終的にはやはりいつもの名刑事ぶりを見せることになって、僕としては落ち着いた気分になったのだが・・・・。

 

 

の時代は電話だけでなく通信網が発達しており、パソコンの普及によりインターネットは、都市部のみならず地方の小さな町村までに行き届いているから、地方の田舎の事件とは言え名探偵一人の手に委ねるといったことは物語の世界にもふさわしくない。
時代の流れがミステリーの舞台にまで、変化を与えることは否めないが、しかい、この3部作はそうした環境の変化さえものともせず、辺境の地の事件を鮮やかに描く。そうした昔ながらの探偵小説の面白さを、そこここに見せていくストーリー展開に、僕はワクワクしながら読み進める。
著者は出身地の岩手県をこよなく愛していると見え、よく知った土地柄や人情の機微を物語に盛り込んで、探偵小説をものにしている。ミステリーというよりここは探偵小説といったほうがふさわしいと思っている。
前2作で事件解明に活躍した県警捜査1課の藤田警部補は、ここでも最後には名推理を披露するのだが、今度は現代的なストーリーの中での活躍を期待したいが、もうここで終わりなのか?

夏の甲子園はベストエイトによる準々決勝が今日行われて、千葉県代表として木更津総合高校が勝ち残っていたが、残念ながら作新学院に3-0で敗れた。この時期になると、暑い夏も終わりが近づいてきたことを感じる。

 

 

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1657.五人目のブルネット

2016年08月15日 | リーガル
五人目のブルネット
THE CASE OF THE BORROWED BRUNETTE
読了日 2016/08/15
著 者 E・S・ガードナー
Erle Stanley Gardner
訳 者 峯岸久
出版社 早川書房
形 態 文庫
ページ数 336
発行日 1978/12/15
ISBN 4-15-070216-0

 

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日書く予定が一日延びた。やはりオリンピックの魅力は大したものだ。見始めてしまうと時間の経過も忘れるほどで、特にメダルの期待が高まる競泳、卓球、テニスなどは自分も協議に参加しているかのように、手に汗を握る。
深夜に及ぶ試合は残念ながら付き合いきれないが、録画の画面でも興奮の度合いは変わることなく、僕をスリリングな世界へといざなう。1964年の東京オリンピックを思い起こさせるが、しかし遠く遥かな地で行われていることを忘れさせて、以前と比べるべくもない高画質のテレビ映像が、一層の臨場感を醸し出すのだ。
何もかも忘れさすようなスポーツ競技は、オリンピックという最高の舞台で花を咲かせて、ギャラリーを興奮や歓喜の極致に追い込む。
そういえば、今日8月15日は、終戦記念日であると同時に、僕の住む木更津市では花火大会の夜で、その遠雷のような音を聞きながらこれを書いている。障害を持つ息子が施設に入所してからは、花火を見ることもなくなくかすかな音を聞くだけになった。

 

 

訳者・峯岸久氏の後書きによれば、本書はペリイ・メイスンシリーズ28冊目の長編だと言うことだ。若い頃の一時期僕はこのシリーズ作品にはまって、かなりの数を読んだのだが、もちろんどれを読んでどれを読まなかったのかは正確に覚えてはいない。
とにかく逆転する法廷の場面に胸躍らせて、毎回カタルシスを感じていたものだった。
陪審員制度による裁判劇は日本の法制度とは異なり、よく分からないところもあるが、我が国でも同様の制度が取り入れられる時が来るのだろうか、などということを考えながらそのストーリーの奇抜さや面白さに酔っていた。
先だって、柚月裕子氏の作品のところで、多方面のジャンルの作品を書くことも、作家としての向上を目指すことになるだろうが、一つのジャンルをとことんつい詰める作家として、ガードナー氏を例に挙げたばかりだ。
そんなことで、また改めてその魅力に酔いしれてみようと、本書を読んだ。

 

 

の記憶はあまりあてにはならないが、従来読んできたペリイ・メイスンシリーズでは、概ねメイスン弁護士の強硬な、あるいは奇抜な捜査手法が、自らとその依頼人を窮地に追い詰めるという状況を生み出してきた。
処が本書ではメイスンが自分でそんな手法を替えて、依頼人が遭遇した殺人現場に赴かないと言っているのだ。普通ならば、依頼人がそうした状態に陥ったことを知れば、何をさておいても、現場に駆け付けるというのがペリイ・メイスン流だと思っていたが、そんな冒頭から少し驚く。
しばらくぶりに翻訳小説を手にして、しばらくぶりの法廷サスペンスの醍醐味を、味わいながらも欧米の作家の巧みなユーモアと、人情味を差し挟むタイミングの良さに、思わず唸らされる。
相変わらずの巧みな法廷戦術で、真犯人をあぶりだすようなメイスンの活躍は、若い頃夢中で読んだ頃のことまで思い出させる。

 

 

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1656.猫弁 やっかいな依頼人たち

2016年08月11日 | ユーモア
猫弁
天才百瀬とやっかいな依頼人たち
読了日 2016/08/11
著 者 大山淳子
出版社 講談社
形 態 文庫
ページ数 377
発行日 2012/03/15
ISBN 978-4-277221-1

 

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みたいと思っていた比較的新しい本を、図書館を利用することで一通り読んで、なんだか一仕事終えたような気分だ。僕のこの読書日記は今では読んだりブログに書いたりすることが、仕事のような感覚になっている。
現職を退いてから一定期間塾でパソコン講師のアルバイトなどをしていたが、今では毎日が日曜日の状態だから、何事にもとらわれることのない、のんびりとした暇つぶしであるべきなのだが、生来の貧乏性が災いして、何かしていないと立ち後れるような気がして・・・・。
別に立ち止まろうが遅れようが一向にかまわないのだが、今年11月で喜寿を迎えようとする僕の性格は、もう直しようもないだろう。仕事だと思ってやるのもよし、趣味だと思ってやっても良しだ。
梅雨が明けたと思ったら、今度は猛暑が襲ってくる。雨がほしいと思えば集中豪雨が襲い来る、近頃の気象状態はどうなっているのだろう?エアコンのない僕の6畳間はこのところ毎日蒸し風呂状態で、5分に一度はエアコンのある階下の居間に避難している。
だが、僕の体はエアコンに対しても、わずかながら拒絶反応を示して、そう長いことエアコンの風に当たっていられないのだ。冷蔵庫から氷を取り出して、氷水を作ってはまた2階へと戻る。

 

 

昨年秋から血圧の高くて不安定な状態が続いて、行きつけの病院のドクターは狭心症の疑いもあるからと言って、市内の総合病院への紹介状を書いてくれた。総合病院での冠動脈造影の検査を受けた結果、冠動脈の一部が狭くなっているので、その部分にステントという金属の管を入れて、血管を膨らませる手術(PCI)を月に行った。
2泊3日の入院での手術は1時間半ほどで終わって、退院するも少しの運動で息切れしたり疲れたりする状態は、依然として改善していないことは、すでに何度かここにも書いている。
そんな状態だから、特に熱中症にも気を付けなければならないのだが、気まぐれな気象状況はそんな僕のことは全く気にもかけてくれない。毎日の体温や血圧だけでなく、食事、服薬の時刻や排尿等を記録する、健康管理表を作って、通院の際医師に見せようと記録しているが、7月の半ばごろから血圧の数値が次第に低くなってきた。今月は19日金曜日が診察予約日になっているから、医師がどのような診断を下すのか、ちょっとばかり気になっている。

 

 

書記録か健康診断記録かわからなくなってきた。 本書は、まだ見てはいないのだが、2012年4月にTBSで放送されたドラマの原作ということで、読んでみようと買っておいた文庫だ。ドラマは録画してDVDに収めてあるから、原作を読んだので近々見てみよう。
しかし、僕はミステリーの限らず読めば、多少の落差はあるものの主人公やメインキャラクターに、感情移入をするかあるいは魅力を感じるものだが、残念ながら本書の主人公である若き弁護士・百瀬太郎のキャラクターは好きになれなかった。
なぜだろうと考えたが、好き嫌いに理屈はないといわれるように、あまり明快な理由は見つからないが、もしかしたら僕は愚かにも、主人公に対してスーパーマン的な活躍を期待していたのだろうか?
まさか物語に登場する主人公が、いつでもそうした人物であるとは限らず、読者の意に沿わない人物は数多くいるはずなのだが、弁護士という職業柄が面白い法廷場面を想像してしまったのが、間違いのもとか。

それでも6章にわたって語られる事件と、それに対する百瀬弁護士の対応は、可笑しくも悲しい人間ドラマを形成して、決してつまらなくはなかったのだが・・・・。
聞くところによれば、この主人公のシリーズはこの後いくつも続編があるらしい。それだけ読者に支持されたのだろう。僕の趣味に合わないだけで、多くの読者は面白く読んでいるのだ。文句を言う筋合いはない。

 

 

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1655.アンフェアな国

2016年08月08日 | 警察小説
アンフェアな国
刑事・雪平夏見
読了日 2016/08/08
著 者 秦建日子
出版社 河出書房新社
形 態 単行本
ページ数 405
発行日 2015/08/30
ISBN 978-4-309-02396-0

 

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原市立図書館のウェブサイトを見ていたら、有秋公民館の図書室で本書が貸出可となっていたので、7月12日に行ってきた。前日に、中山七里氏の「ハーメルンの誘拐魔」を読み終わったところなので、中央図書館に返しに行く途中で、有秋公民館によって借りてきたのだ。
さすがに市原市立図書館までの道のりは少し遠く、時間もかかるのだが、たとえ古本でも買うことを思えば、このくらいの時間と手間は惜しくない。もう本を買わなくなってどのくらいになるだろう。
ネットと図書館の利用が上手く回って、好きな作家の比較的新しい作品を多く読むことが出来た。
森晶麿氏の黒猫シリーズあたりからだから、3ヶ月と言ったところか、こうなるともう当分は本を買うことはないだろうと、寂しい懐を気にすることもなくて、幸せな気分だ。
もっと早くから割り切って図書館を利用すべきだったと、今更後悔しても事態は変わらないから、考えないことにしよう。

 

 

テレビドラマが評判を呼び、同じスタッフと俳優陣により、映画化もされたから多くのファンにとっては、お馴染みとなった女性刑事・雪平夏見のシリーズ最新作だ。著者の秦建日子氏は脚本家だったが、映像化が難しいという理由で、第1作の「推理小説」を小説として発表したのが2004年のことだ。
にもかかわらず、テレビ局は小説の面白さを見逃さず、映像化不能という著者の思いを顧みず、ドラマ化を試みたのは2年後のことだった。
主演の雪平刑事を演じた篠原涼子をはじめとする、俳優陣の好演などでヒットして、前述のとおり映画化もされた。シリーズ作品は「アンフェアな月」、「殺してもいい命」、「愛娘にさよならを」と続いて、本作は第5作となる。
破天荒とも見えるキャラクターを演じた女優・篠原涼子氏の素晴らしさは、あまり興味のなかった俳優たちにも改めて、興味を持たせた。

 

 

んなこともあって、僕はシリーズを読み続けたのだが、こうして続々とシリーズが刊行されるのは、やはり売れ続けているからだろう。一読者の僕にとってもそれは喜ばしい限りで、また改めてドラマや映画にならないかとの期待もしている。
シリーズ作品を読んでいると、まるで此方もキャラクターの知り合いであるかのような錯覚を起こすから面白い。まして僕にとっては長い間をおいての新作なので、今の状況がどんな経緯でそうなっているか、とっく に忘れているのに、何もかもわかっているかに感じるのはなぜだろう。
雪平夏見の言動が少し丸くなったように感じるが、僕だけの思いか?

 

 

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1654.ハーメルンの誘拐魔

2016年08月05日 | 本格
ハーメルンの誘拐魔
読了日 2016/08/05
著 者 中山七里
出版社 角川書店
形 態 単行本
ページ数 309
発行日 2016/01/30
ISBN 978-4-04-103209-1

 

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定が少しずれてしまった。多分、余計なアプリをインストールしたためかと思うが、パソコンの起動がスタート画面までの間、多少もたつくのでこの際整理するつもりで、システムの回復をしようと、8月2日に再インストールを行った。
自作のファイルはバックアップを取っているので、いくつかのアプリケーションは再インストールすれば良いとしていたら、OSまでがWindows10からWindows8.1に戻ってしまった。
今では、無償のアップデートの期間は過ぎているから、Windows10は買わなければだめかと思ったが、念のためマイクロソフトに問い合わせると、「一度Windows10にアップグレードしたパソコンならば、データが記憶されているはずだから、インストールできます。」とのことだ。 二通りの方法があるとのことだが、この頃の僕の鈍くなった頭の回転を考えれば、できるだけ簡単なほうを選んだ。
ダウンロードの説明等の表示されたページのアドレスを聞いて、メモ帳に記録しておいた。それというのも、僕は誤ってWindows10の体験版をインストールしてしまったから、再度パソコンを初期化する必要があるのだ。いろいろと面倒な状況にしてしまうのは、歳のせいばかりとは言えないのが最近の僕の状況で、新しい知識をスポンジに水が浸み込むような勢いで、覚えていった若い頃が懐かしい。

 

 

4日に教わったアドレスを入力して、説明に従って何とか無事にWindows10をインストールした。
変化するインストールの経過画面を見ながら、最初にWindows10にアップデートしたときは、こんな風だったかと全く思い出せない自分がもどかしいが、それでも最終的に元通りパソコンが使える状態に戻ったことで良しとしよう。
これから必要なアプリは追々インストールすることにして、しばらくはすっきりした状態で、おいておくことにする。
もうこれまでに数えきれないほどの、ハードの入れ替えやソフトの入れ替えをしてきたが、何度やっても面倒な作業が伴うから、もうこの辺で面倒な作業はお終いにしたい。だが、そう思うのは少しの間で、“喉元過ぎれば、なんとやら・・・・”で、学習能力のない僕は何度も同じ過ちを繰り返すのだ。
あらかじめ準備をしてから物事に当たれば、そんなに面倒なことはないのだが、行き当たりばったりに臨むから、いろいろ苦労をするのだと、分かっちゃいるけど―というのは嘘で本当はわかっていないのだ―やめられないのは頭の悪い証拠だ。

 

 

く行くときは何もかも旨く行くものだ。と言ったらいいのか、あるいは良いことばかりが重ならない、と言った方が当たっているか。袖ヶ浦市立図書館の貸出情報を検索したら、根形公民館の図書室に、本書があると言うことで、7月8日に訪れたら、何か手違いがあったのか、係員が探しても見つからない。
「探してお電話します」というので、仕方なく帰ってきたら、電話を受けた娘が根形公民館から「長浦図書館の方にあったので、今日一日だけ取り置きしてあります」と言うことだったという。折り返し僕は長浦図書館を目指して車を走らせた。
そして無事借り受けてきたのだが、メールをチェックしたら、市原市立図書館から「予約を受けた『ハーメルンの誘拐魔』が入りましたので、ご来館ください」とのことだった。僕は念のために前もって市原市立図書館にも予約しておいたことを思い出した。予約は大勢いたから、ずいぶん先になるだろうと思っていたのだ。
ダブルブッキングになるとは想ってもいなかったから、どちらか遅い方をキャンセルしようとしていた愚かな計画は、あっさりと打ち砕かれた。

仕方なく翌9日に市原市立図書館に足を運び、同じ本を借りてきたのだ。というのも連絡をもらってからのキャンセルが、図書館に後々不都合なデータを残すことになりはしないか、と言う懸念があったからだ。
おそらくそんなことは無いだろうとは思うが、念のためこれからも頻繁に利用することを考えての行動だった。1-2日したら、市原の方には返しに行くつもりだ。(7月10日に返却した)

 

 

前回誘拐事件を扱ったミステリーの行方について、ちょっと触れたが続けて読むことになるとは、僕も誘拐事件を追いかけているみたいだ。
著者の中山七里氏の作品は多くのファンが待っているようで、どこの図書館でも予約がいっぱいだから、スムーズに借りられたことは、運がよかったと思って、味わって読もう。
本書ではもう忘れかかっていた刑事・犬養隼人が出てきて、かなり前に読んだ作品にも出ていたことは記憶にあるのだが、作品名は思い出せない。このままでは喉につかえた小骨のごとく、気になって仕方がないから、記録をたどると「切り裂きジャックの告白」という作品であることが分かった。
その作品で僕は犬養刑事に魅力を感じて、この刑事が活躍する作品のシリーズ化を望んでいたが、ここにきてだいぶ時間がかかったが、シリーズ第2作ということだろうか?いや、もっと前に第2作はあったのだろうか?
何しろ記憶力に全く自信がないから、好きな作家の作品でさえ、覚えていられないのは情けない話だ。

月島綾子の娘・香苗は15歳。彼女の記憶障害は半年ほど前に前兆があらわれた。通学路を間違えたり、歌手などの名前を忘れたりという、程度の軽いものだったが、記憶の障害は次第に重くなり、今では母親のことさえ識別できなくなっていた。
そんな香苗が母親の綾子がドラッグストアに入っていた10分の間に、店の前から消えていたのだ。店の入り 口に香苗の学生証と一緒に、ハーメルンの笛吹き男が描かれた絵ハガキが残されていた。誘拐犯のメッセージ か?
事件はそれだけで終わらなかった。似たような事件が続発する。残された絵ハガキから、連続誘拐事件として、警察は捜査をするが、周到に計画された事件の犯人の手掛かりは依然としてつかめないでいた。

ミステリーに不可能犯罪の代表的なものに、密室殺人事件がある。古今東西数えきれないほどの密室事件が描かれており、今ではもう新しい密室事件のパターンはないのではないかと言われているほどだが、ミステリー作家たちは飽くことなく新たなトリックを考えているようだ。
同様に、誘拐事件についてもまだまだこれからも、手を変え品を変え、といった具合に新たな手法が考えられていくのだろう。読者としては楽しい限りだ。

 

 

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