Mayumiの日々綴る暮らしと歴史の話

日日是好日 一日一日を大切に頑張って行きましょう ξ^_^ξ

◆実現しかけていた徳川政権 あと一歩で幻となった「徳川内閣」誕生秘話

2021-10-04 04:19:58 | Weblog

徳川家達

 

 

●陰ながら手腕を発揮した徳川家達
 264年に渡り江戸の世を支えた徳川将軍家。明治維新後、15代当主徳川慶喜は謹慎を命ぜられ、徳川家は国政の舞台から姿を消こととなるが、嘗て総理大臣になりかけた徳川家の当主がいた。その人物の名は徳川家達(いえさと)。慶喜の後、徳川宗家の家督を継いだ16代当主である。
家達は家督を相続して早々に駿府藩主となるが、廃藩置県によって、あっさり藩主の座から解任。千駄ヶ谷で少年期を過ごすこととなる。1884年、成人した家達は華族令交付と同時に最高位の公爵に任命。1890年には貴族院議員となり政界に進出し、1903年から30年もの間、貴族院議長を務めている。
●内定するも一族から大ヒンシュク!
 家達に総理大臣就任のチャンスが訪れたのは1914年、シーメンス事件により山本権兵衛内閣が総辞職した時のことだった。次期総理大臣にと組閣の大命を受けた家達は、その旨を一族会議にかける。だが、一族たちに悉く反対された彼はそれを固辞。結局は大隈重信が代わって就任し、「徳川内閣」成立には至らなかった。
明治維新で国政の舞台から追い出された身でありながら、程なく総理に指名されるということはそれだけ政治的手腕に優れていたということに他ならない。
もし、家達が総理に就任していたら、大正の歴史は大きく変わっていたことだろう。
●シーメンス事件とは?
 ドイツのシーメンスによる日本海軍高官への贈賄事件。ヴィッカースへの巡洋戦艦「金剛」発注にまつわる贈賄も絡んで、当時の政界を巻き込む一大疑獄事件に発展した。


      
              学校で習った歴史はウソだらけ!?
                    日本史 大ウソ事典 「近現代」

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする