Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

湯冷め

2017年12月23日 23時35分05秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 昨晩、柚子湯に入ったのち、再びパソコンの前でグズグスとしていたら、クシャミを3つほど。湯冷めしたかな、とあわてて部屋にある小さなガスストーブを点けて部屋を暖めた。柚子湯に入って湯冷めでは情けない。
 湯冷め、という季語がある。冬の季語である。体か暖まるまで歳時記をめくってみた。

★つぎつぎに星座のそろふ湯冷めかな     福田甲子雄
★湯冷めして急に何かを思ひつく       加倉井秋を
★探しもの始めて湯冷め忘れをり       神島倫子


 第1句、銭湯の帰りだろうか。温泉地での夜の散歩だろうか。冬の星空は星座が美しい。一等星をたどって行くだけでも時間の経つのも忘れる。
 第2句、第3句、風呂から出てからふと何かを思いついてそちらに熱中してしまうこと、よくあることである。学生時代は宿題を思い出したこともある。現役で仕事をしている時もふと心に引っ掛る何かを思い出して布団に入らずにいろいろ思いを巡らしているうちに、寒さを覚えたこともある。今では、供しなくてはいけなかったことを思い出してオロオロするようになった。いくつになっても変わらないものである。

福島泰樹の短歌で思いだしたこと

2017年12月23日 15時20分57秒 | 読書
 福島泰樹の歌集「バリケード・一九六六年二月」から

樽見、君の肩に霜ふれ 眠らざる視界はるけく火群(ほむら)ゆらぐを

 福島泰樹は「一首の風景」で以下のように記している。

〈樽見、君はいまどうしているのだ。六六年二月、ぼくたちがかかげた狼煙(のろし)は、日本のカルチェ・ラタンの先がけとして、今日へと問いつづけているのではないのか、「七〇年国会で会おう」とは、活動家、樽見が最後にくれた消息不明の手紙だ〉。これは、級友樽見への問いかけではじまる、第一歌集『バリケード・一九六六年二月』の巻頭に掲げた一首だ。一月、全額バリケード突入から、六月、バリケードの自主撤去をもって終わる、学生運動史上類例のなかった早大学費・学館闘争を、短歌をもって私は劇詩的に再構築してみたのだった。
〈電話ボックスに樽見立ちしが茫々と煙る驟雨に見えなくなりぬ〉。以来二十四年の冬が過ぎ、樽見の消息は不明のままだ。そして、〈血の滴る童貞歌集〉とは、塚本邦雄がバリケードの出版記念会に贈ってくれたメッセージの一節である。


 私は以下の作品も好きである。

もはやクラスを恃(たの)まぬゆえのわが無援 笛噛む唇(くち)のやけに清(すが)しき

 状況はひび先鋭化していった。卒業をまぢかにひかえた同期生のおおくは戦列を離脱していった。もう、クラスに呼びかけ、討論をし、動員に時間を割くこともないのだ。やっとひとりになったのだ。雨の隊列を指揮しながらそんなことを想った。
 岸上よ、感傷に別れを告げたところに、いま俺の歌はある、六〇年安保以降の戦いはある。十二月の雨に全身を濡らしながら、五年前の暮、〈恋と革命…〉と、なかば自嘲的に書き散らかし、雨の朝を二十一歳で死んでいった学生歌人岸上大作を想った。彼がのこしていった絶唱〈血と雨にワイシャツ濡れている無援 ひとりへの愛うつくしくする〉の一首を想った。そうだ、歌は読み継がれ、歌い継がれていけばいいのだ。


 そしてつぎのような歌へとつづく。

ここよりは先へいけないぼくのため左折してゆけ省線電車
二日酔いの無念極まるぼくのためもって電車よ まじめに走れ
カタロニア賛歌レーニン選集も売りにしコーヒー飲みたければ
この川の流れをゆきしかばセーヌへ! 投げしビラ漕ぎゆかば
吾(わ)を賭して奪取せしものなにもなし去りゆかん暁(あけ)のカルチェ・ラタン
流血に汚れしシャツを脱がんとも掌はひとくれの塩のごとしよ


 私の持つ体内リズムでは、「ここよりは‥」と「二日酔いの‥」「吾をとして‥」くらいしか共鳴しないのだが、歌われている内容からはどれもが共振する。詩や歌などの韻律のあるものはリズムと歌われた意味との二重のフィルターがある。これが韻律のある詩や歌の醍醐味でもある。
 歌われている内容は、体験が無ければほとんどが伝わらなくなる。おそらく1970年代の学生運動体験者が観賞しなくなれば、その世界は言葉すら伝わらなくなるのかもしれない。あるいはまた別のところから政治的な共同体験が生まれるのかもしれないが、それは私たちには想定もできない。
 1960年と1960年代後半、そして1970年代の共同の体験は大きく位相を異にする。ここでも岸上大作と福島泰樹の共同体験は根本的に位相が違っている。1970年代の私たちとも違う。しかし2017年の今から見ればその位相の違いは、当時の体験者にしかわからないものとなってしまっている。
 この三世代の違いは、本当は決定的なものである。人生へのかかわりも、見つめる都市の風景も、人間とのかかわりの在り方も‥。だが、それらはことごとく遠い彼方の風景となってしまったといえよう。

「横浜美術館コレクション展2017年第2期」

2017年12月23日 12時12分10秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
   

 横浜美術館で開催されている「横浜美術館コレクション展2017年度第2期」を見てきた。
 すでに目にしている作品もあるが、毎回違った切り口でそれらを展示している。今回は「全部見せます!シュールな作品 シュルレアリスムの美術と写真」と題して、11の枠組みと「イサム・ノグチと近代彫刻」とを設定している。
 今回は同時に石内都の「絶唱、横須賀ストーリー」のなかから55点も写真展示室で展示されている。当日は時間切れで「イサム・ノグチと近代彫刻」は後日見ることにした。
 ホームページの解説では以下のようにコンセプトが語られている。

 横浜美術館では、開館前の1983年からシュルレアリスムの作品を収集してきました。
マグリット、デルヴォー、ダリ、マン・レイ、エルンスト、アルプ、ミロ、マッソンといった代表的作家についてはそれぞれ複数点収蔵され、油彩画だけでなく、コラージュや彫刻、版画、写真など、さまざまなジャンルに挑戦した彼らの多彩な創作活動を見ることができます。
 チリ出身のマッタ、カナリヤ諸島出身のドミンゲス、キューバ出身のラムや、イギリスのアームストロングなど、国籍や民族を超えたシュルレアリスムのひろがりを代表する作品もあります。
 写真でも、マン・レイのほかに、ベルメール、シュティルスキーやヴォルスなど、少しマニアックな作品を含む充実したコレクションがあります。
 今回のコレクション展は、3つの展示室をフルに使って、当館所蔵のシュルレアリスムに関わった作家の作品を可能な限りまとめてご覧いただく、開館以来はじめてのコンセプトです。
 また、写真展示室では、同時開催の企画展「石内 都 肌理(きめ)と写真」に関連して、石内の初期の代表作「絶唱、横須賀ストーリー」を全55点展示します。


 今回は全体を見て回ったが、これだけの作品群全体ではさすがに食傷気味。後半は息切れで印象に残したくとも残らなくなってしまった。これから会期末の3月4日まで何回かに分けて見て回ることにした。

   

 今回は3番目のコーナー「その風景は、見つかることもある」でジョアン・ミロの「岸壁の軌跡Ⅰ」から「Ⅵ」までの6点が印象に残った作品。左が「Ⅰ」、右が「Ⅵ」。6点並べてみるのが私は気に入っている。この作品は主に黒と赤と緑、青の4色からなる。いつ見ても「どこか懐かしい風景」である。ある人は夢の中で時々見る風景、という。ある人は幼児の頃どこかで見た、という。ある人は胎児のときの記憶、ともいう。中心の無い構図であるが、色と形の配置のバランスがとても心地よい。
 マン・レイやポール・デルヴォーの作品も多数。さらに瑛九、川口軌外などなど、惹かれた作品も多かった。



 石内都「絶唱!横須賀ストーリー」の#5「野比海岸」は初めてこのシリーズを見て印象に残った作品。荒い粒子に画面の半分以上を占める旺盛な草が対角線よりもはみ出すように風にざわついて印象的。このような大胆な構図は実に新鮮で、そして迫力がある。風の力とざわつく音、強い陽射しを感じる。