Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

眩暈はおさまった‥

2017年05月17日 23時20分42秒 | 読書
 実に久しぶりに午後からずっと寝かせてもらった。正月はじめの風邪で数日、2月の坐骨神経痛ど2~3日だったか、寝て暮らした。それ以来だろうか。
 熱があるわけでもなかったし、腰や足の痛みがあったわけではない。朝の眩暈で大人しくしているように妻に云われ頷いた。
 しかし本日の集会のための幟と小旗を横浜駅まで届けないわけにはいなないので、本日の集合場所まで出かけた。幟と小旗を渡したのち、コーヒータイムと昼食後は自宅に帰り、読書とウトウト。眩暈はおさまっている。また血圧の安定している。
 眩暈というのは、やはり気持ちを萎縮させる。眩暈は手の施しようがない。力んでも、頭を冷やしても、何をしてもおさまることはない。読書はもとより、考えることも、聴くことも、立っていることもできない。椅子に座ってただ耐えるだけである。これが常態化したらたまらない。
 高血圧の薬は寝る前に忘れずに服用することを怠ってはいけない。当たり前のことをあらためて再認識した。

 明日は午前中に退職者会の作業をする予定でいるが、まだはっきりしない。明後日19日はまた国会前に集まることになっている。これは夜までかかる。
 明日以降、眩暈がおきないように願いたいものである。作業中・行動中に眩暈が怒ったら周りの人に迷惑をかけてしまう。


「定家百首」(塚本邦雄)より

2017年05月17日 21時10分10秒 | 読書
 小説「等伯(上)」を読みながらウトウトを繰り返しているうちに日が暮れた。夕食の前後に少しは頭を切り替えようとして、本棚を物色。塚本邦夫の「定家百首・雪月花(抄)」(講談社文芸文庫)を開いてみた。2006年に購入して、「定家百首」だけは読み終わっていた。今から10年くらい前まである。どういう経過で読んだかは記憶にない。
 以下、塚本邦雄の文章は旧字体を使用するが、引用は現在の字体で表示させてもらいたい。



 「定家百首」で最初に取り上げている歌は、
★見渡せば花ももみじもなかりけり浦のとまやのあきの夕ぐれ     (拾遺愚草)
 (訳)
 はなやかなものはことごとく消え失せた
 この季節のたそがれ
 彼方に 漁夫の草屋は傾き
 心は非在の境にいざなはれる
 美とは 虚無のまたの名であつたらうか

 「五句それぞれ、切離してみれば常套的な決り文句に過ぎない。逐語訳を試みるまでもない平易な言葉の配列と一応考へられもしようしかしその第三句は「なかりけり」を氷の刃さながに置いた定家の真意は、果たして佗びを称揚する程度の生温いものであつたかどうか。」
「代表作に数へられながら、実は定家の例外的な作品である‥」


 塚本邦雄は「なかりけり」という鋭い断定がこの歌の鑑賞の要と見ている。桜も紅葉も盛られない海浜の侘しい風景に余剰があるとするだけでなく、余剰に流される気分を「なかりけり」という強い断定で突き放しているようなところが着目点なのかと、感じた。

★あぢきなくつらき嵐のこゑも憂しなど夕ぐれに待ち習ひけむ    (拾遺愚草)
 (訳)
 嵐の吹きつのり
 喘ぐ思ひは嵐に乗り しかしまだ
 あの人は来ない
 待つ 身を細らせて夕暮を待つ
 このむこい習慣を呪ひつつ

 (先の一首)「花ももみぢも」の直線的で削ぎ落したやうな詠風と正反対の、曲線的で粘着力のある表現が、同じ百首詠の中にあるといふのも、定家の多面性を証してゐる。‥上三句は、自然描写などではさらさらない。嵐の心の中に吹く嵐であり、「こゑ」なる語もひめいととる‥。‥「けむ」の推量・疑問で陰々と恨みの尾を引く技巧も、類歌を斥けて異様な後味を生んでゐる。」
「読者の心の中に、底ごもる烈風の音と共に、「など夕ぐれに」「など夕ぐれに」と輪唱エコー‥が鳴りひびく」


 そして立原道造の詩集「萱草(わすれぐさ)に寄す」所収の「またある夜に」の第三連は、この一首に触発されたものと思われるとしている。

 またある夜に    立原道造

 私らはたたずむであらう 霧のなかに
 霧は山の沖にながれ 月のおもを
 投箭(なげや)のやうにかすめ 私らをつつむであらう
 灰の帳のやうに

 私らは別れるであらう 知ることもなしに
 知られることもなく あの出会つた
 霧のやうに 私らは忘れるであらう
 水脈(みお)のやうに

 その道は銀の道 私らはいくであらう
 ひとりはなれ‥‥‥(ひとりはひとりを
 夕ぐれになぜ待つことをおぼえたか)

 私には二たび逢はぬであらう
 月のかがみはあのよるをうつしてゐると
 私らはただそれをくりかへすであらう


 定家のこの一首と立原道造のこの詩が、つながったいたとはまったく思いもよらなかった。合わせて読むと、なるほどと思う。そして立原道造の「またある夜に」を読んだときに、第三連の()内が唐突に思えていたのが氷解した。

 頭の切り替えに手にした塚本邦雄の本、この二首の解説5頁ほどで、ウトウトした頭に刺激を与えたが、これ以上読んでは本日はつかれそうなので、閉じることにした。

朝から眩暈‥本日は休養日

2017年05月17日 15時56分28秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 昨晩遅く帰ってそのまま疲れて寝てしまった。血圧の薬と緑内障の点眼薬を忘れて、朝起きてから慌てて服用、点眼した。
 それが原因なのかわからないが、朝食を摂っているうちに二度ほど眩暈がした。食欲もなかった。眩暈がおさまってから血圧を測ると、上の最高血圧が、150~120の間を行き来しながら下がり続け、最終的に117ほどで落ち着いた。
 いつも寝ている間に血圧が上がり、朝が高めである。薬を朝に飲んだので急激に血圧が下がったのが眩暈の原因なのだろうか。他に原因があるのか、今のところは不明。朝食は結局いつもの紅茶1杯とヨーグルト50CCほどで終了。本日はおとなしくしていることを妻に申し渡された。
 本日の昼間の集会用ののぼり旗と小旗を預かっていたので、10時半前に横浜駅の待ち合わせ場所まで持参して、参加者に渡してきた。
 帰宅する前にドリップコーヒーを淹れてくれる店でコーヒータイム。本の持ち合わせがなかったので有隣堂で急遽「等伯(上)」(安倍龍太郎、文春文庫)を購入。1時間ほど読書タイムとした。
 昼食は地下街のはずれにある定食屋に実に2年ぶりくらいに入り、サバの一夜干しの定食。納豆と大根おろしの小鉢、とん汁という組み合わせで1000円。お腹が膨れると、気分的に落ち着いたような気もする。

 帰宅後は、他に読みかけの本も多数あるが、布団に入って「等伯」を読むことにした。

「ミュシャ展」から 2

2017年05月17日 13時52分46秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 「ルヤーナ島でのスヴァントヴィート祭-神々が戦いにあるとき、救済は諸芸術の中にある-」(1912年作)。スラヴ叙事詩の最初につくられた3作品の2番目の作品。
 こちらもキリスト教を奉じるゲルマン民族と、多神教のスラヴ民族の熾烈な争いを背景としている。バルト海沿岸のルヤーナ島を信仰の要地としてスヴァントヴィートを祀った。1168年、ゲルマン民族のデーン人がこの地に侵入、ゲルマン化された。上部の天空の左がゲルマンの戦いの神、右がスラヴのスヴァントヴィートという。
 そして画面の中央下に、前作ほどには目立たないが、こちらを見つめる白衣を着た赤子を抱く母親が描かれている。「スラヴ人が生まれもっていた栄光は、落日の光の中で薄れていく」情景を描いていると解説されている。
 前作のこちらに訴えかけるほどの悲惨な眼ではないが、はかなげである。何か諦念を表しているかのようである。
 母性を象徴するものとしての女性の像が、一般化、普遍化して聖母像のように昇華している。