本日は神奈川近代文学館からの帰り道に横浜開港資料館に立ち寄り今年度第1回企画展「横浜・地図にない場所-消えたものから見えてくる、ハマの近代-」展を見て気た。濱ともカード提示で入館料は免除となる。
展示では10か所の「地図から消えた場所」の展示が行われている。
1.横浜村 2.洲干弁天 3.平沼塩田 4.元町百段 5.魚市場
6.横浜監獄 7.本牧十二天海岸 8.吉田川・新吉田川 9.入船町
10.扇島海水浴場
私の興味は、1の横浜村の西の端はどこまでだったのか、2の洲干(しゅうかん)弁天は現在のどこになるか、3の平沼塩田の位置、5の魚市場の範囲、に興味があった。私の衰えた視力では展示の細かい字が読み切れず、図録432円を購入。この図録はとても読みやすい。
地図から消えた理由として、開港-外国人居留地建設、関東大震災、太平洋戦争による空襲と接収並びに戦後復興と高度成長の都市変貌、この3つは横浜という都市の歴史そのものである。横浜という都市の変遷の結節点後度にスクラップ&ビルドで消えて行ったものである。
展示と図録で、旧横浜村の西(南)の端が、現在の港の見える丘公園までであり、本日行った神奈川近代文学館は村の外であることがわかった。
また洲干弁天社の位置が私の考えていたところ(今の県立歴史博物館を中心とした範囲)からは200メートルほど北寄りの現在新市庁舎を建設している北仲通にあるみなとみらい線「馬車道駅」付近であった。歴史博物館は弁天社の南端で、範囲も少し広めであった。
平沼塩田は1894(M27)年くらいに姿を消したらしいこと、現在の平沼橋駅傍の平沼小学校の敷地だけでなく、もう少し東まで広がっていた。
魚市場は現在の市庁舎の範囲で、くすのき広場も含むことがわかった。
姉妹企画展示ともいえる横浜都市発展記念館で開催している「ようこそ!横浜地図ワールドへ-まちの移りかわりがみえてくる-」は時間切れで訪れることが出来なかった。また今度の機会に訪れたい。会期は7月2日までなのでまだ時間的にはゆとりがある。