Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

外れてほしい暗い予感

2016年06月24日 22時55分10秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 夜になり涼しい風が吹いている。雲の動きは速いが星空は見ることはできない。空を見たくなる時が増えてきたのは、私の精神状態としてはわるい兆候ではない。

 しかし世の中は世界的に重大な節目の日となってしまったようだ。混乱と対立が煽られ、世界的な経済の混乱も連動するとてつもなく暗い予感は私だけではないと思われる。いやな時代と向き合わなければならないという絶望感が強くなる。

 夜は「国吉康雄展」の解説書に目を通した。昨日のその3で終わらせる予定が、もう一回更新することになってしまった。最後のシリーズともなる仮面=マスクの連作についてひとくさり。明日には終了したい。とり上げる作品の画像データはすでにできている。
 明日はそれが出来上がれば、藝大美術館の感想を続けて書きたいが、それほどの気力が残っているか心配している。これから寝るまでの間は、取り上げる作品をスキャナーで取り込む作業をする予定。

 日曜日は親を連れて箱根の安い温泉宿で1泊の予定。

柔らかい風は‥

2016年06月24日 13時43分05秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 朝の風は柔らかかった。セキセイインコの籠の掃除のためにベランダに出ようとしたとき、木々の枝や葉の揺れ具合から少し風が強いのではないかと思った。しかし実際にベランダに出てみると体を包む風が柔らかく感じた。うすい心地よい生地の布に包まれるような柔らかさであった。暖かい、温い、優しい、というような形容は違う。柔らかいという形容しか思い浮かばない。湿気が多いとも違う。風が丸みを帯びて私の身を包んでくれたようだ。
 その後一時日も差したが、今はまた曇り空にもどった。

 政治のニュースは嫌なものばかり。今は国吉康雄の作品を思い返しているので、いっそう嫌な気分が増幅している。日本も世界も71年前の戦争から、東西冷戦から、今の戦争の頻発から何事も学んでいない、学ぼうとしていないのではないかと、絶望すら感じる。絶望の果てにこそ他者への不寛容が蔓延する、とは先人の言であるという。しかし私は45年間の絶望を繰り返してきた。政治への絶望、対立者への絶望、沈黙する他者への絶望、味方と思った人への絶望、自分への絶望と、絶望は自分へと内向していくものでもある。他者への不寛容と絶望の内向化は社会の矛盾が先鋭化すれば対応関係を示すのだろうか。私自身はそれとは無縁でありたい。
 その度にバネになって蘇生してきた契機は何だったのか、その都度違う契機だったと思うが、それがなかなか思い出せない。絶望の連続の果てに人はどのような結末を見るのであろうか。

「国吉康雄展」(そごう美術館) その3

2016年06月24日 11時45分39秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 展覧会場を出てから見てまわった作品を思い出そうとして最初に浮んだのが「恋人たち」(1946)であった。デ・クーニングとともにアメリカ代表作家としてヴェネツィア・ビエンナーレに終戦の翌年に出品している。
 この絵の解釈についても作者は特に語ってはいないようだ。私も描かれているものが何を象徴しているかは具体的にはわからない。左下に描かれたそれぞれ片方が裸足の男女、その立降りの背景は空と山と海と緑の平原らしき自然。その中に形を成さない銅像の台座、敷地を囲う壊れたような板塀、脱ぎ捨てられた靴‥。「恋人たちの道」という題だが「道」らしきものは描かれていない。まず浮かんだのは「国破れて山河在り」という杜甫の「春望」の冒頭。アメリカは戦勝国とはなったが、総力戦の傷跡は深い。
 国吉は1947年に「祭りは終わった。戦争も終わった。新しい世界を待ち望んだけれど、何もやって来なかった。祭が終わっていないことが自分には分かっている。私は感じる。今日世界は混沌としている。しかし、われわれは進まねばならない。」と述べたという。
 アメリカという国、移民である国吉を受け入れ、守る人々がいる反面、同時に当時は「排日移民法」があり、「ジャッブに賞を与えた」と批判され、11万人の日本人強制収容所があった国でもある。当時はアーティストの権利擁護を訴えると「社会主義者」と罵られ、戦争に積極的に関与し後押しをしても市民権は与えられずに排斥される、という現代の日本、現在の世界と二重写しのような世界であった。
 1945年の終戦があっても右傾化しナショナリズムに酔い痴れるアメリカに対する絶望と疲弊・荒廃した社会や人心への無力感があったと思われる。この男女は国吉にとっての希望のシンボルだったかもしれない。それ以上の読み解きができぬまま、しかしとても気になる作品であった。これからも私には気になる作品であると思う。

 解説書というか図録に掲載されていない作品も多い。花瓶とそこからあふれるような花を描いた一見セザンヌ風の作品、そして牛を描いたリトグラフの作品も気に入ったが、引用できないのが残念である。

         

 女性を描いた作品はどれも惹かれた。数少ない作品しか見ていないわけだが、エロスと憂愁、内省的な作品へと展開していくと言い切っていいかもしれない。
 煽情的な感じもする「化粧」(1927)、肌を大胆にあらわにしながらも深い愁いが迫って来る「もの思う女」(1935)と「バンダナをつけた女」(1936)、題の割には明るい表情とはならない内省的な印象が強い「夜明けが来る」(1944)が図録に掲載されている。
 国吉康雄独特のホワイトやブラウンともてはやされたという。しかし「ユニヴ―サル・ウーマン」と評されたとのことだが、人種性が否定されているということである。アメリカ国内の反日感情も考慮してモデルの他者性の強調という解説となっている。
 私は藤田嗣治のこだわった「白」と同様の「職人」としてのこだわり、藤田の模倣ないし対抗意識というものを感じ取っている。「化粧」とそれ以降の女性像には大きな飛躍を感じる。
 4枚目の「夜明けが来る」の制作年1944年は戦争の帰趨が見えてきた時期にあたる。「夜明けが来る」という題にも関わらず、社会の受けた傷の深さ、人々の内部の亀裂の深刻さが作品の背後にある、と私は想像してしまう。そして移民であり、敵性外国人であり、市民権を得る見通しの無い国吉康雄の心象風景とも受け取れる。メッセージ性の強い国吉の作品だからこそそこまで想像してしまう。