Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

横浜美術館でギャラリートーク

2015年11月27日 20時09分26秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 本日は横浜美術館で「中島清之展」のギャラリートークに参加した。15時から30分の予定であったが、学芸員さんの説明は45分ほどもあった。20名ほどを相手に丁寧な説明をしてもらったと思う。
 いい作品だなと思うものもあり、違和感が強い作品もあり、総体としての判断に悩むところはまだあるが、それなりに考え方はまとまってきた。まとめるきっかけになればいいと思っていたので、一応行った甲斐はあったと思う。
 来月9日のアートクルーズが終わってから感想をまとめてみたいと思っている。

 明日は13時から14時30分まで講座の予定。それ以外の予定はない。モネ展の感想を仕上げるように努力してみたい。

 明後日は日比谷野外音楽堂に集合することになっている。横浜駅集合であるが、一応私が責任者である。集合場所に早めに行かなくてはいけない。15人くらいの仲間と参加する予定。終了後はいつもの仲間とビールを飲みに行くことになりそう。帰宅は遅くなりそうである。


「モネ展」(東京都美術館) その1

2015年11月27日 14時25分19秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等


 モネは初期の作品「かささぎ」を見て以来、私はとても気に入っている画家である。今回この作品は展示されないが、東京都美術館の「マルモッタン美術館所蔵「モネ展」」を見てきた。人気の画家だけあって、火曜日の午後14時ころに行ったとき、チケット売り場も入口も人は並んではいなかったが、入口で多くの人が行き交っていた。係の人に聞いたところ「つい先ほどまで直前まで入場制限をしていた」とのことであった。さすがに人気の画家だけのことはある。入場制限を解除した直後ということもあり、挨拶や解説、作品の前には人垣ができていた。
 人の動きに随っていると見終わることはできないと観念して人と人の間から首を延ばしたり、まわり込んだりして作品を見て回った。
 1時間ほどで一通り見て回った後、再度「サン=ラザール駅」の展示室と、最後のふたつの展示室「睡蓮と花-ジヴェルニーの庭」「最晩年の作品」をまわってきた。合わせて80分ほどの鑑賞タイムであった。再度回った時点ではそれほどの混雑ではなくなっていた。



 今では誰もが口にする「印象、日の出」(1872)、これは以前どこかで見たのではないかと思うが記憶は定かではない。今回は前期展示のみということで、見ることはできなかった。あらためて図録で「鑑賞」に変えた。
 この絵について誰が言っていたのか覚えていないが、「画家は光を描きたかったというよりも、波を描きたかったのではないか」というような趣旨を聴いた気がする。私は「なるほど」と思った。
 確かに穏やかな波と、煙突の煙が上がり、スモッグ様の大気をとおして輝く赤橙色の日の出、どちらが主題なのかと頭をよぎる。太陽の影が波間に垂直の線で揺らめいていてすぐ傍に人が漕いでいる小舟の周囲の青い波は魅力的である。濃い青の横に引かれた線が波を表現している。こんな単純な横線で波が表現されることと、波が光をうけて輝く動きを表すということにおどろきをおぼえる。
 大気汚染の結果でもあるスモッグ様の大気が煙の向こうに不気味に塗られている。そして夕焼けのように澱んだ橙色に大気が塗られている。それでも会場は太陽の光をうけて明るくゆったりと揺れている。空よりも水面が主題と云えなくもない。波の表現とその動きが画家の技の見せどころだったのだろうか。2艘の船の上の人影もまた魅力的だと思う。



 今回の後期展示の「ヨーロッパ橋、サン=ラザール駅」(1877)は今回初めて目にしたと思う。第3回印象派展にこの作品を含む8点のこの駅の構内外を主題とした作品が出品されたという。
 私は何よりもまず、視点の低さに感心した。解説でも「線路と同じレベルに立ち、‥機関車から吐き出される白い蒸気が霞のように地面や橋を覆い、迫力ある駅のイメージ」と記されている。マネやカイユボットがこの駅を描いているが人物に焦点を当てているとのこと。
 機関車の動きや水蒸気の迫力を表現しようとしたこの作品の迫力が伝わってきた。遠目に見た時は橋の下から立ち上がる水蒸気の先が雲と区別がつかないので不思議であったが、雲を表現する丸い筆致と、水蒸気の丸い筆致が微妙に違うことが分かった
 視点が低いだけに、機関車の横にいる二人の人物の呼吸や、見ている人が水蒸気を直接吸い込んだり、石炭を炊く匂いがするような錯覚に陥るような感覚になると感じた。橋があることで水蒸気の勢いが明確になったのかもしれない。
 構図の設定、視点の設定、遠景の大きな建物の位置、信号機の赤など計算し尽くした配置にも感心した。計算し尽くした画家の姿勢を感じた。



 「雪の効果、日没」(1875)。雪の描写としては私は「かささぎ」の方がずっと優れているように思うが、都会の、煙突からの煙と始まったばかりのような夕焼けの微かな赤が新鮮な感じを受けた。左の木々が建物と人物に回転しながら覆いかぶさるように描かれている。これが動きのない画面に動きを与えて、下の2人の人物が不安に急いでいるような感覚に襲われる。
 この絵にも左の高木の先に微かに赤く色づいた葉ないし柿の実(?)が描かれている。同時に中央の三角の屋根を持つ建物の壁の赤い縦線(窓?字?)、赤い人物が印象的である。「雪の効果」とは何なのかは今のところ私にはまだよくわからない。
 今回取り上げた3点とも、画中に加える朱色のアクセントのような色がとても印象的である。色彩に対する独特の思いがなにか伝わってくるようである。