Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

すっかり酔ってしまった

2015年11月05日 23時47分46秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 来月の忘年会の若干の内容を論議した後はひたすら焼酎をのんでしまった。ようやく23時半過ぎに帰宅。
 ということで、本日は店じまいをさせてもらうことに‥。
 明日も朝から講座があるが、果たして時間に間に合うように起きることができるか、不安がある。


ヴラマンク「荷車のある風景」「積み藁」

2015年11月05日 14時05分06秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
   

 「荷車のある風景」(1938)と「積み藁」(1950)のふたつの積み藁を描いた作品がある。横に並んでいる赤い屋根の家(住宅?)を見るとほぼ同じ場所を描いたように思える。オーヴェール・シュル・オワーズの近郊であろう。天候も季節も似通っている。
 しかし前者は積み藁は主題ではない。題名が示す通り大きな荷車とその手前に描かれた一人の人物の方に比重がかかっている。積み藁は風景の一部かもしれない。ほぼ画面中央を消失店とした遠近法で空間の広さを表現している。構図的にも、主題についても特に不安定なところはなく、見ようによっては単純な作品である。空と雲の躍動感と地面の色彩の対比が主題なのかもしれない。
 後者は描かれた面積からいっても、積み藁が大きな比重を占めている。右辺の真ん中に向かって消失点のある遠近法であるが斜めであることによって、空の怪しい雲と相まって不安定な構図を演出している。前者よりも安定感に欠ける雰囲気を醸し出している。しかも積み藁の描写は筆致が前者よりも荒々しく風の強さも感じさせる。赤い屋根も全種よりも生存と葉しておらず、これも外気の荒々しい雰囲気を表しているようだ。手前に白っぽい縦線の筆致が、刈り取りで残された枯草を示している。荒れた畠、人出の少なくなった様子すら考えさせられる。 積み藁にはともに右斜め手前の上空からの光線が当たっている。空の様子からはその光線のありようとは矛盾しているかもしれない。空の雲の様子からは奥の方に光源が想定されてしかるべきである。光の方向と実際が一致しない不思議な光である。
 画家の興味は、光線の具合よりも積み藁の質的な存在感の方に移ったように思える。前者と後者、12年の隔たりがある。
 1938年という不安な時代の相を示している風景や天候であるが、一方でその不安はどこかで救いがあるように感じている。しかし1950年となって積み藁の存在感、マスそのものの不安定感が増幅し、社会そのものの存在様式が揺らいでいるような暗喩が隠されているように思っている。ここまで断言してしまっていいのか、とは思うが他にうまい表現が湧いてこない。
 私が生まれた1951年前後、東西冷戦の激しいつばぜり合いの中、各国とも国内、外交いづれも緊張を強いられた不安の時代であったろうことは想像に難くない。しかも原子爆弾などの無差別大量破壊兵器や弾道ミサイル開発など際限のない軍拡など第二次世界大戦後の秩序の再編成過程でもある。
 画家はこのような社会の不安な状況に対して敏感な、そして複雑な反応を示したいたことを私は想像している。そのような不安が画面に反映していないだろうか。
 画家は1950年で74歳、晩年である。この歳になると、どちらかというと作品は安定、あるいは新たな挑戦、新たな表現への意欲はなかなか難しいものがあると聞いている。しかし画風はより大胆に、そして決して安定した指向を示さない。見事という感じもする。晩年の画家に襲い掛かる社会的な、政治的な不安な諸相に立ち向かうかのような強い意志に脱帽してしまう。