Nさんの件で朝から携帯電話が手放せないが、午後から団地の管理組合の諮問機関の会議が入っている。月に一度の会議で私が座長役、先月は所用で参加できなかったので本日はどうしても欠席するわけにはいかない。
病院に行けるのはこの会議が終わってからとならざるを得ない。
いろいろとスケジュールが立て込んで、融通の利かない状態が込み合っているときに限って突発的なことが飛び込んでくる。現役の時もそうだった。予定が予定どおり順調に回っているときはいいのだが、突如として何かが割り込んだり、予定外の事態が起きると行き詰ってしまう。スケジュールにゆとりがないときは本当に立ち往生してしまう。
こんな時に調整が整わないとどうしていいかわからず途方に暮れるときもある。この調整能力がある意味とても重要な能力なのだ。このような突発的な事態が繰り返されると主体的に調整をすることが出来なくなって、些細なイレギュラーな事態にすら対応できなくなる。何らかの予期しない事態が発生した途端に調整することならできなくなってパニックになってしまう。へたをすると心的な症状が発現してしまう。こうなる前に立ち止って自分を客観的に見つめ、そして頭の整理、休養、息抜きが必要である。
スケジュールの調整が無理になった段階では、あとは素直に関係者に事態の説明をして理解を仰ぎ、静かに事態の推移を見守るしかない場合というものがある。それまでの人間関係の作りかたや仕事の処理の誠実さがこのような時に生きてくるということに、行くたびも遭遇してきた。
人は得てしてこのような事態に立ち至ると、誰かを悪者にして事態をすり抜けようとする。責任もフォローも放り出してしまう。私はこれだけはいつもしないように生きいきたいと思っている。そのとおりにはなかなかならないが。いろいろな仲間に結果として多くの迷惑をかけながらなんとか生きてきた。今はただ感謝のひとことである。
今回も講座ならば欠席することは可能なのだが‥。現役時代よりも少ないスケジュールだが、いざというときの対応能力、調整能力は多分低下していると思う。
病院に行けるのはこの会議が終わってからとならざるを得ない。
いろいろとスケジュールが立て込んで、融通の利かない状態が込み合っているときに限って突発的なことが飛び込んでくる。現役の時もそうだった。予定が予定どおり順調に回っているときはいいのだが、突如として何かが割り込んだり、予定外の事態が起きると行き詰ってしまう。スケジュールにゆとりがないときは本当に立ち往生してしまう。
こんな時に調整が整わないとどうしていいかわからず途方に暮れるときもある。この調整能力がある意味とても重要な能力なのだ。このような突発的な事態が繰り返されると主体的に調整をすることが出来なくなって、些細なイレギュラーな事態にすら対応できなくなる。何らかの予期しない事態が発生した途端に調整することならできなくなってパニックになってしまう。へたをすると心的な症状が発現してしまう。こうなる前に立ち止って自分を客観的に見つめ、そして頭の整理、休養、息抜きが必要である。
スケジュールの調整が無理になった段階では、あとは素直に関係者に事態の説明をして理解を仰ぎ、静かに事態の推移を見守るしかない場合というものがある。それまでの人間関係の作りかたや仕事の処理の誠実さがこのような時に生きてくるということに、行くたびも遭遇してきた。
人は得てしてこのような事態に立ち至ると、誰かを悪者にして事態をすり抜けようとする。責任もフォローも放り出してしまう。私はこれだけはいつもしないように生きいきたいと思っている。そのとおりにはなかなかならないが。いろいろな仲間に結果として多くの迷惑をかけながらなんとか生きてきた。今はただ感謝のひとことである。
今回も講座ならば欠席することは可能なのだが‥。現役時代よりも少ないスケジュールだが、いざというときの対応能力、調整能力は多分低下していると思う。