Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

自句自解(16) 人無き街

2010年03月10日 06時53分28秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 仙台・魯迅記念館跡にて
柳絮舞う魯迅を学びし森の道
黒南風や人無き街にジャズ流る
西日中列車はわが影切り裂きぬ
 三度目の投薬入院
病棟の視線を集め夏の蝶
       
 この頃は俳句を作るといっても、ひとりでパソコンに向かいながらひねくりまわし、こねくりまわしていたていた。投句の期限が来るのが早くてどうやって作っていいやら、どんな句がいいのか、さっぱりわからなかった。(むろん今でもわからないが‥。)
 今、省みて、どうにかこうにか形になったと思われるものを持ってきた。旅先や散歩のあとの印象、三度目の投薬入院の時の句である。
 一句目、学生時代の仙台、その頃は森の道の奥に木造の魯迅記念館が訪れる人もない閑静な場所にあり、よく訪れた。ちょうどその頃、岩波書店から新書と同じ大きさで13巻の魯迅選集が出版され、毎月の出版が待ちきれずにむさぼり読んだ。学生運動の最高揚時の後退局面・敗北局面で、何かにすがるように読んだ。仙台での5年間を思い出すように、今は魯迅記念館はなくなっているが、昔の散歩道を歩いていると当時は気付かなかったが柳の木があり柳絮が待っていた。当時は自然をじっと観察する心のゆとりはなかった。花を見ても、目に映るだけだったのだろう。
 二句目、横浜でも地域の商店街ではシャッター商店街が増えている。さまざまな催しなどを企画しても人は集まらない。まして梅雨時など雨の季節はなおさら。街灯のスピーカーからの音楽も寂しさを誘うだけである。黒く厚い雲に覆われた空と重苦しい飾り付けの商店街がいまだ目に浮かぶ。
 三句目、二回の入院にもかかわらず完治せず、三度目の投薬入院を勧められたときの憂鬱な気分を反映している。蒸し暑い西日に照らされた駅のホームで、轟音と共に通過列車が通り過ぎたとき、投薬での眩暈を思い出した。我が身を切るように列車の影が鋭く西日をさえぎった。打ちのめされるような思いがした。
 四句目は入院手続きのため、病棟でガラス窓の外を眺めていたときにつくった。元気に不規則に外の大きな木の周りを飛ぶ蝶は、夏の暑苦しい日差しをものともせずに、勢いがあった。私と同じように幾人かがじっとその蝶の飛ぶ様を見ていた。
 晩夏、秋口といってもいい時期だったが、病棟の人々は皆無口で、重苦しかったことを鮮明に覚えている。私も二週間、毎食後の投薬のたびに訪れる眩暈からできれば逃げ出したかった。味覚もなくなり、流し込むように食事をとり、そして眩暈や吐き気をこらえ、長い一日を重ねるのだ。こんな憂鬱な思いが蝶を見つめる視線の後ろにあった。