9月24日(月) 26/17℃
あの時代、志ある者はとにかく「遊歴」した・・・
見聞を広めるにはそれしか手段がなかった時代です
志ある者の一人が越後長岡藩士、河井継之助
師と仰いで門を叩いた備中・山田方谷とのくだりは、道中記『塵壺』に明らかに・・・
全国各地から、志ある者が備中の地を訪ねくる様子が伺えます
で
そんな中に「松城藩士 稲葉隼人」・・・
『塵壺』では ↓
十八日 晴 花屋
・・・(略)・・・
文武宿花屋ニ宿を取る、予より先ニ、会津藩土屋鉄之助宿ス、無程松城藩と云、ホラガイ・大鼓・采配ヲ持、一人来る、此者ハ兼 長岡へ来る者なり
・・・(略)・・・、
十九日 晴 花屋
朝、土屋・松城藩士(稲葉隼人)と三人談ス、稲葉ハ不足取者なれ共ホラガイハ余程巧、未聞処ナリ
・・・(略)・・・
ホラガイ吹きは、日テレドラマ『駆け抜けた蒼龍』の始めと、終わりに登場してきます
この「国」の武家社会を二分した戊辰戦争・・・
藩祖・真田信之より徳川への忠誠厚い松代藩は、朝廷(薩長)に恭順して、信濃10藩の触頭として倒幕側へ・・・
長岡、会津攻めでも火力を活かして活躍したようです
〇 戦死者は57人
〇 負傷者85人
戦死者の名は妻女山にある招魂社の石柱に刻まれています
ところで「松城藩士 稲葉隼人」・・・
ホラガイで「遊歴」していたとは、いったいどんな人物だったのか?
興味が湧いてきますね
北越戊辰戦争では河井に敵対して闘います
それにしても『塵壺』に登場してくる佐久間象山・・・
松代藩が、信濃が誇る開明派の大学者ですが、ここではメタメタですね
十七日 晴 山田
・・・(略)・・・
佐久間ニ、温良恭謙譲ノ一字、何れあると論、封建之世、人ニ使われる事不出来ハ、ツマラヌ物と之論
・・・(略)・・・
(【意味】 ・・・方谷氏に同門で私の師でもあった佐久間象山について聞いてみると、「佐久間には孔子が大事なものとして解く、温(おだやかさ)、良(すなおさ)、恭(うやうやしさ)、謙(つつましさ)、譲(けんそん)の5文字すべてがかけている」とのこと。)
佐久間象山は、山田方谷と同じく佐藤一斉の門下でした
さて
「温」「良」「恭」「謙」「譲」・・・
果たして吾にもどれだけそれがあることか
今日は「清掃の日」ですって
1971年(昭和46)のこの日に、「廃棄物の処理及び清掃に関する法律」(廃棄物処理法,廃掃法)が施行されたんですね
塵芥(じんかい/塵・芥)→廃棄物(一般廃棄物・産業廃棄物)の一大転換点でした
廃棄物も、時代と共に変質!
最大の難関は核廃棄物でしょうね
《清掃工場で相次ぎ火災、充電式電池が原因か》 (9月22日YOMIURI ONLINE)
「・・・同センターには、この不燃ごみが運び込まれており、粗大ごみとともに機械で細かく砕かれた後、ベルトコンベヤーで運ばれるなどし、選別機で鉄やアルミなどの金属が回収される。充電式電池は砕かれる際、出火することがあるという」
この清掃工場は武蔵野クリーンセンタ・・・
処理能力は「燃やすごみ」が1日あたり120トン、「不燃ごみ」「粗大ごみ」が5時間あたり10トン
10年程前、一度訪れたことがありました
(以前のごみ焼却場です)
「まちに溶け込み、まちにつながる武蔵野クリーンセンター」
まちの中の、市庁舎に隣接して建てられた当時とすれば “画期的” なごみ焼却場です
その理念には今も敬服・・・
現在は2代目施設ですね