★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

女房品定め

2020-04-01 23:29:47 | 文学


かういひいひて、心ばせぞかたうはべるかし。それもとりどりに、いと悪ろきもなし。また、すぐれてをかしう、心おもく、かどゆゑも、よしも、後ろやすさも、みな具することはかたし。さまざま、いづれをかとるべきとおぼゆるぞ、多くはべる。さもけしからずもはべることどもかな。

ここより前の部分で、女房たちの外見をあれこれ紹介してきた紫さんである。結構素晴らしい外見揃いで、一度囲まれてみたい。教養となんかわからんおーらで圧倒されてしまうとおもうが。

以前、テレビで見たことのある政治家に会ったことがある。普通の地味なおじさんだと思っていたのだが、会ってみるとものすごい気圧を発していた。安倍とか麻生とかその他いろいろいるけれども、彼らを言葉だけの蒙昧さで判断してはならぬ。実際に会ってみれば、もっととんでもない魑魅魍魎である可能性が高いと思う。

だから紫さんも「心ばせぞかたうはべる」(性格というのはホント、難しいもんです)と言って居るのである。外見と心ばえが対立していれば簡単なんだが、そうではないのだ。本当は紫さんは「こいつ何考えてるかわからんな……」と思っている対象が何人もいたにちがいないが、「それもとりどりに、いと悪ろきもなし」と、――例えば教師が、本当はどうしようもナイ劣等生に「そう悪くないね」と言ってしまうような、言い方をしてしまうのだ。それでもちょっと自分の心をごまかした罪悪感があるのか、「また、すぐれてをかしう、心おもく、かどゆゑも、よしも、後ろやすさも、みな具することはかたし。」とすべてよいというのはナイよね、みたいな言い方をしてしまうのだが、これは実質「全員たいしたことなし」と言っているようなもんだ。もう万事休す、「さもけしからずもはべることどもかな」(本当にえらそうな事ばかり言ってしまいましたねえ)というわけだ。

今まで読んだところでは長所が沢山目に附いて、短所と云う程のものは目に附かない。(森鷗外「夏目漱石論」)


ということは、短所という程のものでない短所があったということだ。鷗外ならばそういってもよいと思う。しかも、鷗外はこの最後のせりふ以前に、漱石については何も知らないとずっと述べてきているのだ。それとなく、漱石山房への嫌みを言っているようにも感じられるが……。鷗外は自分の方が徹底的に孤立していると自負していたのであろう。

狭い空間で仕事をしている紫さんなんか、上のような韜晦が精一杯なのだ。