★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

命の持続

2021-11-30 23:40:54 | 文学


年たけてまた越ゆべしと思ひきや 命なりけり小夜の中山

命は命そのものを覗き込んでいても、「命なりけり」としか言いようがないところがある。

戦後、命が軽く扱われた反省で、命は、体に付与したい希望みたいなものになったところがある。ウルトラマンは、自分の命を地球人に預けるし、仮面ライダーは体が改造されても命は続いている。――というより、この異形の人たちに残っているのは命と言うより、正義や希望なのである。命自体はもう簡単に吹き飛ぶ事が分かっているからである。逆に、――同じ事だが、命を機械的に延ばす事も常態化してしまった。

そういえば、仮面ライダーの息子が仮面ライダーを演じるらしいが、蛙の子は蛙ならぬ、バッタの子はバッタであるにすぎない。むしろ昆虫だから、ちゃんと変態と言って変化していだきたいのであるが、――要するに、繋がれた命が、昆虫のそれか正義のそれか、それが問題なのだ。最近は、正義よりも人間関係を優先したりするヒーローもいるようである。つまり動物である。

それはともかく、――西行が命を確認しているのは、むしろ命とは生きていたとしても途切れ途切れになりがちであることを知っているからである。人間五十年以上生きるためには、何度も再出発を繰り返さなければならないのだ。もっとも、われわれはそれも自覚がしにくくなっている。命が機械のように作動していると思っている事もあるし、文化的意識の上でも持続性があり過ぎる。

漫画やアニメからなぜ卒業できない人が増えたかと言えば、すぐそれを再生できるみたいな条件がある事はいうまでもないが、ひとつの作品をみんながみることがなくなったことが大きい。嫌いな同級生や馬★が自分と同じものを見ており、真似をしていきがっているのをみて、自己嫌悪に襲われ恥ずかしくなる経験は極めて重要である。ちなみに、わたくしは、夏目漱石や大江健三郎でもおなじような経験をした。そこで我々は人生を一回終えているのである。宮崎アニメの功罪はいろいろあるだろうが、主人公のまねをして遊ぶ馬鹿をあまり発生させないことがすばらしくかつ危険である。ごっこ遊びのばからしさを子どもに教えないからである。

「鬼滅の刃」はひさしぶりに子ども達にごっこ遊びをさせた気がする。つまり、それは、やはくこういう思春期未満的世界とは手を切りなさいという当為の復活とみてよいのではなかろうか。第一巻しか読んでいないからなんともいえないが。。

郡司ペギオ幸夫氏の本のなかで、いましろたかしの漫画をよんで怖ろしくなって生活を見直したみたいなことが書かれていたような気がする。作品の教育的?意義はこういうところにもあって、こういう反作用を持たない作品は逆に傑作でない気がするくらいだ。作品は、反社会的であり社会をかたちづくる。ヘッセの作品なんかがあいかわらず学校で扱われているのも、教育業界がその作用と反作用をよく知っているからだと思う。こういう作品世界にのめり込んでおかしくなるやつは少数な訳だしね。。。しかのみならず、そんな社会化できるレベルを超えた毒性がつよい作品は、常に排除されていてあいかわらず反社会的な志を持つ人たちがこそこそ読むものだ。

しかし、こういういわゆる「思春期」は遠からず終わるべきである。それからは人生がほとんど過ちでできていると分からなければやっていけない大人の世界である。そこでたよりになるのは、家族や友であることもある。が、それらは一番の持続的あやまりであり得ることもあって、それに比べると思想や文学はより瞬間的にたよりになる。

シンメトリー

2021-11-29 23:31:06 | 文学


秋風のことに身にしむ今宵かな 月さへすめる宿のけしきに

和歌はシンメトリーの芸術であることはたしかで、下の句が上の句に回帰し作品のなかを思念が循環するように創られている。それが循環と感じないのは、上と下のシンメトリーがあるからである。

果たして、我々の人生もそういうものであろうか。

昨日、思いついたのだが、ショスタコービチの交響曲は、8番を蝶番にして1-15、2ー14、3-13、4-12、5ー11、6ー10、7ー9という風に屏風のようになっていると思う。それらの屏風は左右が前編後編の組み合わせのようになっている。8番を折り返し地点のようにして、9番以降は初期に逆行して行く。彼が意図してやったものなのかわからないが、彼は人生を作品のシンメトリーとして構成してしまったような気がする。特に第13,14番の合唱付き交響曲は、内容的にも第2、3番の若書きの合唱付き革命交響曲への否定のように思われる。

この金米糖のできあがる過程が実に不思議なものである。私の聞いたところでは、純良な砂糖に少量の水を加えて鍋の中で溶かしてどろどろした液体とする。それに金米糖の心核となるべき芥子粒を入れて杓子で攪拌し、しゃくい上げしゃくい上げしていると自然にああいう形にできあがるのだそうである。
 中に心核があってその周囲に砂糖が凝固してだんだんに生長する事にはたいした不思議はない。しかしなぜあのように角を出して生長するかが問題である。
 物理学では、すべての方向が均等な可能性をもっていると考えられる場合には、対称(シンメトリー)の考えからすべての方面に同一の数量を付与するを常とする。現在の場合に金米糖が生長する際、特にどの方向に多く生長しなければならぬという理由が考えられない、それゆえに金米糖は完全な球状に生長すべきであると結論したとする。しかるに金米糖のほうでは、そういう論理などには頓着なく、にょきにょきと角を出して生長するのである。


――寺田寅彦「防備録」


我々の発想は、しばしば算数的になる。金平糖でさえ人間の論理を無視して角を出す。我々だって本当は金平糖のようなものだ。

2021-11-28 23:51:20 | 文学


ませに咲く花にむつれて飛ぶ蝶の うらやましくもはかなかりけり

最後の「はかなかりけり」というのが、空しいと思うのか儚いと思うのか、よく分からない。むしろ、蝶に「うらやまし」の方に空しさがもともとあるのかもしれず、うらやましくもはかなかりけりは、一続きの感情なのかも知れない。胡蝶の夢の観念ならともかく、われわれが蝶を見るときには、それから発する心にある不安定なものが含まれている。


子規
○哲学書を入れた本箱の上に、「女王」と上書した小さい函がある。これが僕の蓄へて居る蝶の宮殿だ。蓋の裏に列記せられたる女王の名は「花せゝり」「黄まだら」「日陰蝶」「蛇の目」「豹文」「緋威」「黄べり立て羽」「揚羽」「一文字」「山黄蝶」「日光白蝶」「大紫」「山女郎」などで、其中で価の貴いのは大紫、可愛らしいのは山黄蝶であらう。
子規

○独り病牀にちゞかまりて四十度以下の寒さに苦む時、外に遊び居たる隣の子が、あれ蝶々が蝶々がといふ声を聴いて一道の春は我が心の中に生じた。それはたしか二月の九日であつた。


――子規「蝶」


子規は批評によって、辛うじて物から発せられるものに対応しようとしていたに違いない。病気であったことは偶然に過ぎない。

月への思慕

2021-11-27 23:20:08 | 文学


白川の関屋を月のもる影は 人の心を留むるなりけり

能因法師の「都をば霞とともに立ちしかど 秋風ぞ吹く白河の関」をふまえているんだろうが、法師は白河に行ったことはなくて、旅に行った噂を流して肌を焼いた上で発表したという説話がある。我が国の文学は、どこまでがホントなのだ?と思わせるところまで文学であることが多い。恋の歌に限らず、出家の歌だって、あまりにばしっと決まっていると何か虚構のニオイがするというわけで、逆にファクトの方が疑われ始める。

西行は、人の心に注目するばかりである。関屋に洩れる月の光が心を滞留させる。想像であっても事実であっても、心にとってはどうでもいい。そもそも月にとってはどうでもいいではないか、と言いたげでもある。

月は昔の詩人の恋人だつた。しかし近代になつてから、西洋でも日本でも、月の詩が甚だ尠なくなつた。近代の詩人は、月を忘れてしまつたのだらうか。思ふにそれには、いろいろな原因があるかも知れない。あまりに数多く、古人によつて歌ひ尽されたことが、その詩材をマンネリズムにしたことなども、おそらく原因の一つであらう。騎士道精神の衰退から、フエミニズムやプラトニツク恋愛の廃つたことなども、同じくその原因の中に入るかも知れない。さらに天文学の発達が、月を疱瘡面の醜男にし、天女の住む月宮殿の連想を、荒涼たる没詩情のものに化したことなども、僕等の時代の詩人が、月への思慕を失つたことの一理由であるかも知れない。しかしもつと本質的な原因は、近代に於ける照明科学の進歩が、地上をあまりに明るくしすぎた為である。

――朔太郎「月の詩情」


朔太郎が、月の詩情に目覚めたのは、彼によると防空演習の時だったそうだ。月への思慕を思い出した彼にとっても、科学文明は月よりも身近で親密さをもったものになってしまっていた。朔太郎はどうか分からないが、我々はもはや、防空演習と月を思慕の相手として比べる粗雑さえ持ち合わせるようになっている。朔太郎は上の部分の後で、「ペルシアの拝火教で、人間の霊魂が火から生まれたことを説いてゐるのは、生物の向火性と対照して、興味の深い哲理を持つてゐる」と述べている。朔太郎だって、この場合の「火」はそこそこのものでしかありえなかったのである。

心なきあはれ

2021-11-25 23:21:09 | 文学


心なき身にもあはれは知られけり 鴫立花の秋の夕暮れ

「心なき身」が「あはれを知られけり」とは不思議だ。情趣の中にはわからなくなることによって逆にでてくる情趣もある。振り返ってみると、心ふさがっていることによる情趣の方が多いのが我々の文化のような気がする。だからそういうときには、「鴫立花」と「秋」と「夕暮れ」が漠然と立ち現れる絵があらわれる。これは風景ではない。

始め私わたくしは理解のある女性として奥さんに対していた。私がその気で話しているうちに、奥さんの様子が次第に変って来た。奥さんは私の頭脳に訴える代りに、私の心臓(ハート)を動かし始めた。自分と夫の間には何の蟠りもない、またないはずであるのに、やはり何かある。それだのに眼を開けて見極めようとすると、やはり何にもない。奥さんの苦にする要点はここにあった。

――「心」


今日は、三木清の「孤独について」を授業で解説したが、三木は唐突に知と感情の関係を持ちだして文章を結末に導いていた。漱石の言う「頭脳」や「心臓(ハート)といったところも、本当はどう呼んでもよいはずのものであった。なんなら、頭脳や心臓を二つとも心と言ってもよいはずである。

打つべし二種

2021-11-24 23:34:11 | 文学


杣下す真国が奥の川上に たつき打つべし苔小波寄る

たつきは斧であるが、これが木に打ちおろす様は「杣下す」(筏流しする)に通じ、――上の句が遠くの「奧」に視線を流し、そのさきにいきなり近景のように「たつき打つ」さまが現れ、連続してあらためて面前の水面に苔のような波をみるという、遠近を自由自在に動かす高等テクニックがすごい気がする。こういうすごい能力を放浪と悟りの旅にあわせて行くのはほんとうに妥当な?行為だったのであろうか?

ひじを左わき下からはなさない心がまえで...やや内角をねらいえぐりこむようにして打つべし...。

あしたのジョーでの「打つべし」。


玉垣に関する二編

2021-11-23 19:15:44 | 文学


玉垣は朱も緑も埋もれて 雪おもしろき松の尾の山

これは、「すみよしの松の下枝も神さびて みどりにみゆるあけの玉がき」(後拾遺、蓮仲法師)がふまえられているとも言うが、ふまえていることがすなわち、住吉神社の神域を想起させるとしたら、この和歌それ自体は存在していない。日本の文化エリートは個的なエリートではなく、ふまえていることが得意な一蓮托生的な人たちであった。だから、そういうものが続く限り、文化の洗練とエリートたちの人としてのくだらなさは続く。心配するには及ばない。

 底光りのする空を縫った老樹の梢には折々梟が啼いている。月の光は幾重にも重った霊廟の屋根を銀盤のように、その軒裏の彩色を不知火のように輝していた。屋根を越しては、廟の前なる平地が湖水の面のように何ともいえぬほど平かに静に見えた。二重にも三重にも建て廻らされた正方形なる玉垣の姿と、並んだ石燈籠の直立した形と左右に相対して立つ御手洗の石の柱の整列とは、いずれも幽暗なる月の光の中に、浮立つばかりその輪郭を鋭くさせていたので、もし誇張していえば、自分は凡て目に見る線のシンメトリイからは一所になって、或る音響が発するようにも思うのであった。しかしこの音楽はワグネルの組織ともドビュッシイの法式とも全く異ってその土地に生れたものの心にのみ、その土地の形象が秘密に伝える特種の芸術の囁きともいうべきであったろう。

――永井荷風「霊廟」


心の底から西洋的なものを学んだ荷風は心を急かしてワグナーやドビュッシーではないものを見出そうとするが、彼自身が孤立した耳と目を持ってしまっている。それは西洋音楽のそれではないが、日本のものとも違うものであったような気がする。わたくしは、西行よりも荷風の方が遙かに好みである。


かこち顔なる顔

2021-11-22 23:22:55 | 文学


嘆けとて月やはものを思はする かこち顔なるわが涙かな

わたくしがあまり西行を好まなかった理由がだんだん分かってきたのであるが、西行がこういうときに「かこち顔」などといって、自分の顔をちゃんと見ないからである。もちろん、自分では見えないのだから、人にみてもらうほかはないのだが、紫式部や清少納言であったら、こんなのんきなことを言っていられない。つねに見られる可能性があったからである。源氏が紫の上を覗く場面など、女性から見たらやはり怖ろしい場面であったにちがいない。

月はものをおもわせる、のは嘘ではなく、やはりものを思わせる。だから「かこち顔」と「月のせいにしたそうな感じの顔」は、月の圧倒的迫力のなかで、妙な顔として浮かび上がっているのだが、よくわからんが私泣いてます、という最後の決めが素晴らしい。ただの涙なのに、最近の言葉で言えば、エッジの効いた涙と言ってよいであろう。

 百、二百、簇がる騎士は数をつくして北の方なる試合へと急げば、石に古りたるカメロットの館には、ただ王妃ギニヴィアの長く牽く衣の裾の響のみ残る。
 薄紅の一枚をむざとばかりに肩より投げ懸けて、白き二の腕さえ明らさまなるに、裳のみは軽く捌く珠の履をつつみて、なお余りあるを後ろざまに石階の二級に垂れて登る。登り詰めたる階の正面には大いなる花を鈍色の奥に織り込める戸帳が、人なきをかこち顔なる様にてそよとも動かぬ。


――夏目漱石「薤露行」


かんがえてみりゃ、かこち顔などという感覚をすでに忘れかけているのが現代人かも知れない。見る顔にしても見られる顔にしても、どうしたって、見る方の願望で覆われてしまう。見られない、しかし確かにかこち顔である、このぐらいは出来たのが人間だったのである。

らんらんの秘訣

2021-11-21 23:25:19 | 文学


行方なく月に心の澄み澄みて 果てはいかにかならんとすらん

これはボレロのような歌であるが、下の句の頭ですでにクライマックスに達していて、あとは、行方をうしなった心が「ならんとすらん」とらんらんとしている。わたしは、虚無の上に自我を置くとか、虚無の中を書物が飛んで行くみたいな意識とはこれはまったく違うものだとおもうのである。月によって心が澄んで、月から跳ね返った力でみている自我は跳んでいる、とそんな感じであると思う。

くち惜しきふるまひをしたる朝
あららんらんと降りしきる雪を冒して
一目散にひたばしる
このとき雨もそひきたり
すべてはくやしきそら涙
あの顏にちらりと落ちたそら涙
けんめいになりて走れよ
ひたばしるきちがひの涙にぬれて

あららんらんと吹きつける
なんのふぶきぞ青き雨ぞや


――萩原朔太郎「ふぶき」


さすが朔太郎くらいになると、「口惜しきふるまひ」みたいな地上的な出来事によってでも、心はらんらん状態となり、ふぶきもそんな感じで降り始める。

二つの行進曲

2021-11-20 23:09:15 | 文学


うなゐ子がすさみに鳴らす麦笛の 声におどろく夏の昼ぶし

昼ぶし(昼寝)が最後にでてくるところがいいと思う。確かに、夢の中でなにか聞こえてるときには、夢だと思わず、はっと起きてから寝ていたことに気付くわけである。こんな感じで出来事が認識され、他人が存在すること、時間と空間があとから感じられるのが我々の生であった。



夏は稲妻冬は霜富士山麓に鍛え来し
若きつはものこれにありわれらが武器は大和魂
とぎすましたる刃こそ晴朗の日の空の色
雄々しく進め楯の会


楯の会は「起て!紅の若き獅子たち」というレコードを出していた。もちろん三島由紀夫の作詞である。これだけみても、三島が後から気付かれる生を嫌い、完全に風景と世界を掌握しようとする姿勢があることがわかるが、――これは校歌とか軍歌はそういうもんかもしれない。この曲を作曲したのは、「サザエさん」とか鉄人28号の「正太郎マーチ」の作曲者である。あたりまえであるかもしれないが、これらの曲は、音楽の中で何が行われるか始まった瞬間にわからなくてはいけないのである。行進曲といっても、ベルクの「管弦楽のための三つの小品」の第三楽章のようなものであってはならない。



ベルクのそれは、ほんとの行進に近い。三島由紀夫は、歴史と文化を守るといった姿勢の中に、ベルクのものではない行進曲のような非現実性があることをもちろん知っていたと思う。

地獄絵の効能

2021-11-18 23:35:28 | 文学


見るも憂し如何にかすべき我が心 かかる報いの罪やありける

地獄絵をみての歌である。やはりこういう絵というのは必要で、そんなものがなければ罪の存在すらあやふやなのが我々である。我々は、生きているだけでよいのだと思うときにはかなりの確率で地獄を覗き込んでいることがおおく、それなしに生きているだけでもいいと思ってもいいとは、わたくしは思わない。われわれはどちらかというと、だらけているのである。もっとしっかりすべきなのだ。

西行と遊女――修辞学

2021-11-17 23:56:05 | 文学


世の中を厭ふまでこそ難からめ かりのやどりを惜しむ君かな

遊女妙に宿を貸してくれと頼んだ有名な歌であるが、これに対する返しがもっと有名であって、ただもんじゃないと言うことで謡曲「江口」とかになったのであった。謡曲ではたしか普賢菩薩の化身であったというおちがついていた。

世を厭ふ人とし聞けばかりの宿に 心とむなと思ふばかりぞ

そもそも西行はほんとうに遊女と遊ぼうと思ったのかもしれないし、その遊女がインテリゲンチャではないという証拠はない。吉原が文化の発信基地になったように、肉体が問題になるところでは、逆に言葉の世界、というよりも修辞学の世界が発達するのである。近代は、言葉を中央集権化し、――つまり学校を中心にカノンを形成しようとした結果、そういう修辞学を追い出すことになった。中央集権の真ん中では男と女のやるようなどっちに転ぶか分からないような駆け引きはあってはならないからである。そうやって修辞学というより、安定化を性急に求める権謀術数の力、つまり恫喝や暴力に傾く傾向を権力が持つことになるし、インテリもそういう暴力的な存在となる。修辞学が未発達であるからだ。

確かにAだけどBであるという論法、学校で教えるのやめてくれねえかな、とつくづく思う。二項対立からはじめよそしてそこで迷え、最終的には多数決、みたいな頭の悪さを推奨してるようなものである。基本すごく攻撃的な論法で、修辞的な柔軟性がない。西行と遊女みたいなしゃれたやりとりがないのである。むろん表向きには――小学校や中学校で、自分の意見だけじゃなくAのことをきちんと考えなきゃいけないよ、ということを教育する意味で使われてるのだが、実際にはそういうことはもたらさない。AからBにすぐに移行したがる軽薄さを助長しただけであった。

Aのことを考えるにはすごく長く時間がかかるのであって、一つの思考の呼吸のなかにAもBも入るなんて思い上がりも甚だしい。学生が、こういうある種の評論家的な裁断の仕方を大学で禁じられると自分に何もないことに気づいて急に絶望するのを何回も見てきた。むろん、修辞学がないから恋愛もなかなかしにくくなるわけだ。

そして、しかのみならず最近は、AだからBであるなぜならCである、というエビデンス主義が上の形式論理を支えているわけだが、ここまでゆくと政治性の消去でもあることが明らかだ。この場合、Cは事実性であることが前提で、たとえば、Cが「首相がアホだから」といった「判断」はないことになっているのである。

昨日は、西田幾多郎の「知と愛」(『善の研究』)をめぐって一時間ぐらい解説した気がするが、むろんもっと時間をかけるべきなのだ。知と愛は一緒のものだと西田は言っている。まさに西行と遊女に起こったことではなかろうか。

玉と枕

2021-11-16 23:02:46 | 文学


よしや君昔の玉の床とても かからんのちは何にかはせん


「かからん後は何にかはせん」とは、もはや歌ともおもえず、この日常的な酷薄さが聞き手をびっくりさせる。聞き手が崇徳院でなくてもよいのだ。人生、たいがいは「かからん後は何にかはせん」という呼びかけのくり返しであり、しかもそれを受けいれられないのが我々である。

玉主に玉はさづけて、かつがつも 枕と我は、いざ二人ねむ(六五二)

これは、自分の娘を嫁にやつた母の気持ちを詠んでゐるのです。「かつがつ」といふ言葉が、二人寝るといふ条件を、完全には具備してゐない事を示してゐるのです。つまり、枕と自分とだけでは、やつと形だけ二人寝るといふ事になるので、もつと何か特別な条件がつかないと、完全な二人寝ではないのです。たまの本来の持主にたまを授けた、保管せらるべき所にかへつた、といふのが「玉主にたまは授けて」といふ事なのですが、この意味が、はつきり訣れば、「かつがつも」が解けるのです。これは唯、今まで二人ねて居て淋しくは思はなかつたが、これからは、それが出来ないから、枕と二人寝しようよと言ふ事だけでは訣らないと思ひます。つまり、枕べに玉を置いておくのは、そこに、その人の魂があるといふ事なのです。其で完全な一人なので、そこへ自分を合せて二人となるのです。旅行とか、外出し又、他の場合、死者の床――の時には玉を枕べに添へて置く。さうすると、「たまどこ」といふ言葉で表される条件が整つて来ます。「たま床の外に向きけり。妹がこ枕」と言ふのは、もう魂がなくなつてゐる事を言つてゐるのです。この場合は、嫁にやつた娘と私と、二人分を表すものはないが、これくらゐで二人寝てゐるのだと条件不足だが、まあ、さう思うて寝ようと言ふ意味です。だから、枕辺に玉を置くまじつくがあつた事を、考へに入れて解かなければ、此等の歌は訣らないのです。


――折口信夫「万葉集に現れた古代信仰――たまの問題――」


とすれば、崇徳院も宮廷には劣るがつつましい玉の床みたいなもので自分の住処を飾り、「かつがつも」という気分でいたらよかったのではないだろうか。だいたい自分の世話も自分でやってないから、玉の床がなくなったときに途方に暮れてしまうのである。西行が天皇を扱っているときには、それは人間に寄った現人神であった。神が人工的で気持ち次第ということになれば、枕を玉のつもりにすればよかったのである。

ネトウヨ?時代の古谷氏とシールズの奥田氏の対談が『愛国とは何か』に載っている。それは愛国談義というより、相手を普通だリア充だ非リア充だと決めつける、まるで新手の漫才であったが、かれらの論議も、何を玉とし枕とするかという議論になってしまっている様な気がする。彼らだけでなく、我々は自分のやるべき事よりも、あったかもしれない玉にこだわりすぎている。西行の言うとおり、我々は天皇と人生をはやく捨てなくてはならない。