★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

末広がりの同一性

2021-09-30 23:39:02 | 文学


洛中に心の直にないものでござる。あれに田舎者と見えて、何やらわっぱと申す。ちときゃつへたすさはって見ようと存ずる、なうなうこれこれ


「末広がり」の小アドの登場である。自分でたちのよくないと名乗ってしまっているが、これはそんなに特殊なことではない。自分でタチの悪いことを白状している人間なぞ掃いて捨てるほどいるからである。是に比べれば、末広がりを知らぬ太郎冠者にかさを売りつけるなんてたいしたことではなく――たしかに、ほんとの悪人はこんなもんではないからだ。おまけに謡まで教えてしまう。人間、人と話していると何か別のことをやってしまうものだ。それが生じないやつが一番ダメで悪人といへよう。太郎冠者はかえって、主人の喜びを、その踊りで引き出すのである。

とはいえ、こういう一見いい話も、ほんとの太郎冠者的な部下はもっと心が濁っているわけであろうし、小アドはもっといい加減か怖ろしい性格であろう。我々の文化は、面倒な支配を肯定する心理を、もともと性格がよいので平穏でしたみたいな話にしたがるというのはある。

この心の弱さ故であろうか、――今回初めて知ったのであるが、戦時中の「末広がり」の浄瑠璃での脚色を発見した。
http://ongyoku.com/E2/j123/j123_1701.htm

以下上からの引用(一部表記を改めた)。

さりながら都の者が機嫌直しを教へて呉れた、先づ急いで申して見せうず、傘をさすなら春日やんま、これも神の誓ひぞと、人が傘さすならおれも傘さそうよ、實にも此世は一つの傘の、東の海も南の洋も、四邊四隅を一つの宇に、おさめて共に榮へて行かむ、げにもさありげにもそうよの、コリヤコリヤ太郎冠者、買物にぬかれて囃しものをするとも前代の曲者、身が前には叶ふまいぞ、實にも東の空明けて、旭かゞやき和らぐ御世を、ひらき導く我が日の本や、これも神の誓ひぞと、人が傘さすなら我も傘さそよ實にもそふよげにもさあり、ヱヽコリヤ前代の曲者やるまいぞやるまいぞ。

作者の言葉はこうである。

紫紅山人
◇末廣がりに就て
 末ひろがりは目出度い能狂言として慶祝の際には古來から屢々上演せられたものである。同じ材料である紙と竹と用ひて製作せられたものだが、用途が全然異つてゐる扇と傘、即ち大名は扇を望んだに對して太郎冠者は傘を求めて來た。然し擴がる點に於て一致してゐるといふ比喩に富む一笑話。私は此末廣がりに新東亞建設と八紘一宇を寓意して淨曲化して見たのである。幸ひに御清鑑を得ば幸ひである。


昭和十七年のものだが、なるほど安吾のいっていた芸の堕落というものであろうが、――この堕落は、同一性に対する短絡に原因がそもそもありそうだ。末広がりという点で、扇と傘は一致している。確かに、そうである。しかし、本当にそうであろうか?扇と傘は別々のものではないか。この誤った同一性は喜劇にもなりゃ悲劇にもなる。末広がりは、八紘一宇に似ている。これを笑ってすますわけにはいかないが、つい微笑んでしまう馬鹿が実際はかなり我々の心の中には住んでいる。

こんど総理になりそうな岸田氏とわたしが、ともに野球と納豆が好きだということが分かったからといって、この二人を同一物と見做す馬鹿はおるまい。しかしそういうことをかなりやっているのが我が国で、研究や大学の世界でもかなりある。

鵺的人間

2021-09-29 23:31:48 | 文学


地謡 頼政右の膝をついて、左の袖を広げ、月を少し目にかけて、弓張月の、いるにまかせてと、つかまり御剣を賜り、御前を罷り帰れば頼政は名を上げて、われは名を流す空舟に、押し入れられて淀川の、淀みつ流れつ行く末の、鵜殿も同じ蘆の屋の、うらわのうきす流れ留まつて、朽ちながら空舟の、月日も見えず暗きより、暗き道にぞ入りにける、遥かに照らせ山の端の、遥かに照らせ、山の端の月とともに、海月にも入りにけり、海月とともに入りにけり

やはりここは「山月記」とちがって、鵺には友人がいないのがいたかった。鵺だってそこそこ歌だってつくれたかもしれない。確かに、孤独にもいろいろあるのだ。李徴は虎になってしまったけれども、友がいたから人間を捨てられなかった。鵺は、仏罰をうけたのか何かしらないが、まったく人に相手にされないのだ。中島敦はやはり、鵺のような複雑な造形が、人間離れをおこさせてしまい、日本の社会では捨てられてしまう悲しさを知っていた。鷗外や漱石はアンヴィヴァレンツの作家だ、しかし花田★輝などは鵺的だ。だから花田には友人がいなくなってしまった。

「遥かに照らせ山の端の、遥かに照らせ」のあと、月とともに「入りにけ」る者はたぶん鵺なんだろうが、情景としてはそんな感じはせず、月が沈んだだけのような気がする。「暗き道にぞ入りにける」鵺は、そのまま「入りにける」状態なのであって、鵺の姿はやはり最後は消去させられているような気がするのである。

いつも殺されるのは鵺みたいなやつだ、――今日は、「ゴルゴ13」の作者が死んだが、とりあえずゴルゴ13とやらは人を殺しておるので逮捕した方がいいと思う。しかし、逮捕されず殺されもしない。あれは仏と同じで不純物がないからだ。

さっき、NHKで、コロナ禍での孤独はまずいので社会との繋がりをつくろうみたいな番組をやっていた。なぜ一部の人が孤独になるかというと、いろんな理由があり、そりゃあんた孤独にはなるわな、みたいな人もたくさんいることは知っているが、――根本的に孤独になりがちな人を含めたその社会がクソつまらんからに他ならないではないか。自分と同じようなつまらない人間とはつきあえない。それに、日本はなぜ幼児や老人に、人間としての鵺性を認めないのであろうか。みんなが、遊戯をしたり「ふるさと」を歌いたいわけではない。

「海が見えるよ。もうすぐ見えるよ。浦島太郎さんの海が見えるよ。」
 私ひとり、何かと騒いでいる。
「ほら! 海だ。ごらん、海だよ、ああ、海だ。ね、大きいだろう、ね、海だよ。」
 とうとうこの子にも、海を見せてやる事が出来たのである。
「川だわねえ、お母さん。」と子供は平気である。
「川?」私は愕然とした。
「ああ、川。」妻は半分眠りながら答える。
「川じゃないよ。海だよ。てんで、まるで、違うじゃないか! 川だなんて、ひどいじゃないか。」
 実につまらない思いで、私ひとり、黄昏の海を眺める。


――太宰治「海」


さすが太宰であるが、ちなみに浦島太郎というのは海にいるとは限らず、木曽川の寝覚ノ床にだっているのだ。たしか晩年、あそこで釣りをして死んでいったのが浦島なのだが、わたくしは、寝覚ノ床が竜宮城に繋がっていると子どもの頃信じていた。

鵺と虎

2021-09-28 19:52:48 | 文学


地謡『南無。八幡大菩薩と。心中に祈念して。よっ引きひゃうと放つ矢に。手応えしてはたと当たる。得たりや。おうと矢叫びして。落つる所を猪の早太つつと寄りて続けさまに。九刀ぞ刺いたりける。さて火を灯しよく見れば。頭は猿 尾は朽ち縄 足手は虎の如くにて 鳴く声鵺に似たりけり。恐ろし何度も疎かなる形なりけり』
地謡『げに隠れなき世語りの。その一念をひるがへし。浮かむ力となり給へ』
シテ『浮かむべき。便り渚の浅緑。三角柏にあらばこそ沈むは浮かむ縁ならめ』
地謡『げにや他生の縁ぞとて』
シテ『時もこそあれ今宵しも』
地謡『亡き世の人に合竹の』
シテ『竿取り直しうつほ舟』
地謡『乗ると見えしが』
シテ『夜の波に』
地謡『浮きぬ沈みぬ見えつ隠れ絶え絶えの。幾重に聴くは鵺の声。おそろしやすさましや。あらおそろしやすさましや。』


平家で鵺を伐った源頼政が地謡となっている。考えてみると、なぜ悪心を抱いたものが鵺という形状になるのであろうか。研究があるんだろうが調べたことない。むかし卒業論文で、中国の龍の変遷を調べた学生がいて、どんどんいろいろなものが合体して大げさなものになっていったという話を聞いた。もっとも、それは本当に合体なのであろうか。よくみてみたら、いろいろなものが見出せたという感じなのではないだろうか。

龍や鵺にくらべると、全身全霊、恨みだか劣等感だかになってしまった李徴が虎になるのは、李徴の心の単純さを実のところ示しているような気がする。「臆病な自尊心」とか「尊大な羞恥心」というとなんだか高級に見えるが、尊大であろうとなかろうと自尊心は自尊心だし、羞恥心は羞恥心なのである。しかも本当は「憤悶」・「慙恚」が本体だ。だから彼は虎になれたのである。いろいろな感情があったなら、鵺になってたのではなかろうか。そして、この鵺的な心理の恐ろしさを昔の人は知っていて、なにか仏道によって浄化されるみたいな風におもっていたのかもしれない。仏道もやはりこの国では純粋志向なのだ。

植物をみていると、生物がいろいろなものの組み合わせで出来ているようにみえるが、それはひとつの種から出てくるものである。それをひまわりとか朝顔とか言ってしまえば楽だが、よくみるとほぼ鵺的な感じがする。考えてみると、動物も鵺的な感じがするものはたくさんいる。

鵺が退治られてしまいますと、天子さまのお病はそれなりふきとったように治ってしまいました。天子さまはたいそう頼政の手柄をおほめになって、獅子王というりっぱな剣に、お袍を一重ね添えて、頼政におやりになりました。大臣が剣とお袍を持って、御殿のきざはしの上に立って、頼政にそれを授けようとしました。頼政はきざはしの下にひざをついてそれを頂こうとしました。その時もうそろそろ白みかかってきた大空の上を、ほととぎすが二声三声鳴いて通って行きました。大臣が聞いて、
「ほととぎす
名をば雲井に
あぐるかな。」
 と歌の上の句を詠みかけますと、
「弓張り月の
いるにまかせて。」
 と、頼政があとをつづけました。


――楠山正雄「鵺」


確かにここでも鵺と獅子は対立物なのである。が、頼政や大臣は、虎を分析せず、すぐさま時鳥や月に興味を移してしまう。本当は彼らをよくみれば、顔が時鳥、胴体が月みたいな人間であったに違いない。

籠の中

2021-09-26 23:09:48 | 文学


シテ『悲しきかなや身は籠鳥。心を知れば盲亀の浮木。ただ闇中に埋木の。さらば埋もれも果てずして。亡心何に残るらん。浮き沈む涙の波のうつほ舟。』
地謡『こがれて堪えぬいにしへを』
シテ『忍び果つべき隙ぞなき』
ワキ『不思議やな夜も更方の浦波に。幽かに浮かみ寄るものを見れば。舟の形はありながら。乗る人影もさだかならず。あら不思議の者やな。』


最初のシテはすごく名文句のような気がする。絶望というもののひとつの特徴は、心が宛てもない気がする一方で、自由がないということである。このようなせりふは本当に絶望した人が書いたもののように思われる。我が国では?その絶望が身の置き場がない絶望と結びつく。身の置き場がないと言うことは、どこまで行っても自分の絶望をまとってしか自分を成り立たせられないということである。

「どうかして、そのかごの中から、逃げ出すことはできませんか……。」と、ふたりは、哀れな鳥にささやいたのであります。
 かごの鳥は、うらめしそうに、こちらを見ていたが、
「逃げ出しても、私には、もはや、あの山を越すだけの力がありません。それより、あなたたちは、はやく、ふるさとへお帰りなさい。夏になると、この国は、とても暑いのです。」と、いいました。
 二羽の小鳥は、なるほどと考えました。そして、急に、ふるさとがなつかしまれたのであります。


――小川未明「ふるさと」


二羽の小鳥が年寄り達の忠告を聞かずに人間達のすむ地域に出て行って籠のなかの鳥に出会った場面である。自由があると思っていたところは、人間の自由があるところで、その自由によって小鳥はつかまってしまうのである。それよりは故郷に帰る方が良さそうだ、というわけで二人は帰ってしまう。ここで、とらわれている小鳥を助けないところが我々の薄情さだし、いかにも、都会になんか出てくと競争に負けてしまうよと言いたげな話でいやなものだ。しかし何より問題なのは、二人の若い鳥がなんの屈託もない人格になっていて、籠の中の鳥もそうであることである。こんなことはいくら若くてもありえない。

出家と直観

2021-09-25 23:20:35 | 文学


ワキ『世を捨人の旅の空。世を捨人の旅の空。来し方何処なるらん。』
ワキ『これは諸国一見の僧にて候。我この程は三熊野に参り一七日参篭申して候。これより西国修行と志し候。 』
ワキ『程も無く帰り紀の路の関越えて。帰り紀の路の関越えて。なほ行く末は和泉なる信太の森をうち過ぎて。松原見えし遠里の。ここ住吉や難波潟。芦屋の里に着きにけり芦屋の里に着きにけり。』
ワキ『急ぎ候ほどに。津の国芦屋の里に着きて候。日の暮れて候ほどに。宿を借り泊まらばやと思ひ候。』


僧は歌枕を重ねて旅をしているにすぎないのだが、――すなわち、文学散歩をしているのである。しかし、こういう散歩が、怖ろしい怪物との遭遇に導くのである。考えてみると、これは非常に文学研究的なものの本質的な問題だ。出家し世間から離れることによって、世の中の本質と出会うのである。

最近は、僧が出家せずに、いきなり庶民の役に立てと言われて、空疎な説教をしながら「もっと面白くしろ」とか「真実はお前の方にはない」とか言われていらいらしている状態である。たしかにそんなことをやっている僧に真実はない。僧は旅にでなくてはならないのである。そうすると、「平家物語」などの大衆化した情報の裏側に冥としてのその本体があることがわかるのである。

もっとも、その本体が本当に本体なのかについて、我々の文化は突き詰めて考えることを案外諦めやすい。やはりここには、出家によっては本体にたどり着けないジレンマがあるのではなかろうか。

前にも書いたが、出家と還相がくっついている面があるのである。わたくしは、能で例や怪物に会うといったことが利他とかいう観念に回収されてしまうのも好まない。

おじいさん、この南天は枯れているじゃありませんか。なぜ、こんなものを置くのですか。」といいました。
「私が、手をかけてみようと思っているのだ。」と、おじいさんは、答えました。
「この木がよくなるのは、たいへんなことですね。」
「子供を育てると同じようなもので、草でも木でも丹誠ひとつだ。」
 こう、おじいさんは、いったのでした。それから、おじいさんは、朝起きて、出かける前に、鉢を日あたりに出してやりました。また帰れば店さきにいれてやり、そしてときどきは雨にあわせてやるというふうに手をかけましたから、枯れかかった南天もすこしずつ精がついて、新しい芽をだしました。


――小川未明「おじいさんが捨てたら」


我々の意識は出家をしても、捨人になっていない。まだ枯れていないと思って世を捨てられないのである。世を捨てるとは、世間の空気を無視すると言うことではない。ときどき、空気が読めないことを自慢しているすっとこどっこいがいるが、大概空気しか読んでいない、「世間」そのものような人が多い。むろん「空気」などというものはないので、空気が読めないタイプというのは、むしろ、一部で全部を判断しがちな人なのである。だからあるときには、それはオタクにもなるし権威主義にもなる。最近は、幇間になるタイプである。

で、その一部や断片を一生懸命並べて行けば全体にたどり着けるかというとそうでもない。当たり前のことではなかろうか。ニーチェやウィトゲンシュタインみたいな箴言を並べて行くスタイルは普通に危険だとおもうわけだ。ちなみにツイッターは形式的にそういうのに近い。
マインドマップみたいなのものにも危険性がある。

制度はマジョリティが作ってるとか、被抑圧者はいつもいつも全てに於いて抑圧されててみたいな思考は、ツイッターと形式的に合いすぎている。2ちゃんねるで数の力の、ツイッターで二項対立の快感を覚えたのではかろうか。国語の授業でも、これは二項対立で~、とかいう図式的な読解は小学校ぐらいまでで、――ほんとは小1の教材にすらそんなのは通用してないのだ。

空気を読まないというのは、全体性への把握を一気にできる能力があることをいうべきであった。直観とかいわれているものはそれに近いのであろう。

南無阿弥陀仏のなかには

2021-09-21 23:50:18 | 文学


子方 南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏
シテ なうなう今の念仏の中に、正しくわが子の声の聞え侯。此塚の内にてありげに候ふよ。
ワキ 我等もさやうに聞きて候。所詮此方の念仏をば止め候ふべし。 母御一人御申し候へ。
シテ 今一声こそ聞かまほしけれ。南無阿弥陀仏。
子方 南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏と。
地  声の内よ り。幻に見えければ。
シテ あれは我が子か。
子方 母にてましますかと。
地  互に手に 手を取りかはせば又消え消えとなり行け ば。いよいよ思はます鏡。面影も幻も。 見えつ隠れつする程に東雲の空も。ほのぼのと明け行けば跡絶えて。我が子と見えしは塚の上の。草茫々として唯。しるしばかりの浅茅が原と、なるこそあはれなりけれ。なるこそあはれなりけれ。


集団念仏の効果が、誰かの声が聞こえてくるそれだというのは、わたくしも、祖母の葬式で経験した。子どもだったわたくしでさえそうなのだがから、疲れ切った大人達には何かこの世ならぬものまで聞こえる可能性がある。ここで、母親が子どもを幻視するぐらいのことは奇跡でもなんでもなく、むしろありふれていると言ってよい。

わたくしは合唱部でも吹奏楽部でも、この世ならぬ声を聞いた。この世ならぬ声など普通に満ちている。それをない者と思っているから普通は気にならないだけである。この能でも、子どもを実際に舞台に出すかどうかで世阿弥親子の論争があったのは有名である。作者の元雅は舞台に子どもを出すことを主張したというが、――確かに、実際この世ならぬものを見ることがあるという認識ではなく、実際に見てしまう驚きの方が実際重要なのである。われわれはすぐそれを忘れてしまう。そして、我々がいろいろな心のうちのモノによって動いている因果が分からなくなってしまうのである。

そういえば、わが都★文◆大学吹奏楽部初の全国大会出場おめでとうございます。

その人が自分をほんとうに反省した、南無阿弥陀仏という気持になっているときに、はじめてその人のいうことや、その人の考えていることが我田引水でなく、ほんとうの同情に値する。そこまで達しないで不足を申しましても、それはただ一人がっての苦痛でありまして、労働争議などの場合でも、争議団と資本家と、両方にたくさん悪いことがありますが、それが宗教的反省にまで達していないならば、その反省というものは我田引水である。

――倉田百三「生活と一枚の宗教」


こういうのを生悟りというのであるが、讃岐の民としては、我田引水でない反省を求めると言うこと自体が、水を絶つぞみたいな権力を感じるところである。

縁論

2021-09-20 22:50:40 | 文学


ワキ  「見申せば船中にも少々都の人も御座ありげに候。逆縁ながら念仏を御申し候ひて御弔ひ候へ。よしなき長物語に舟が着いて候。とうとう御上り候へ。
ワキツレ「いかさま今日は此所に逗留仕り候ひて。逆縁ながら念仏を申さうずるにて候。


この逆縁という言葉はなかなかの言葉で、仏法を誹謗したから逆に仏法に帰依できることみたいな、――「平家物語」なら平重衡の「願わくば逆縁をもって順縁とし、只今最後の念仏によって、九品蓮台に生を遂ぐべし」みたいな言葉を生んでいる。そんな簡単に縁がひっくり返ったりするかいなと思うが、そこは縁というものの恐ろしさである。どちらにも転ぶのである。

そういうことを昔の人はわかっておったので、逆縁という言葉は、「生前の仇敵が供養をなすことから、親類縁者でもない者が供養する、また年長者が年少者の供養をすることを逆縁というが、これが俗に転用されて、親より先に死ぬことを逆縁というようになった。また、寡婦が夫の兄弟と再婚すること、広くは寡夫が妻の姉妹と再婚することも含めて逆縁婚という」(Wikipedia)――といったようなかんじに転がっていったらしい。

隅田川の狂女も逆縁を持つ人で、子どもに先立たれた。しかも、隅田川のほとりに集まって念仏を唱えている人も、赤の他人であるが、逆縁を持つ人である。

確かに、人間関係を強要することを縁で理由付け、どれだけの人が悲惨な人生を送らされたかというものであるが、――確かに、一旦繋がってしまった縁というもので、我々は世の中の弁証法というものを知ったのである。縁はある、しかしその結果がどうなるかは分からないし、原因もよく分からないのだ。だからたしかな縁のせいにするしか心を静めることは出来ないのである。

西も東も、古典にはこういうことがよく書いてあって、人間よいことをやってればよい状態に行き着くなどというのは世迷い言だと分かる。我々の人生とは、この縁をめぐる問題を知った上で、さしあたり目的を自分がみえる縁のために設定する賭のようなものだ。これをキャリア教育とかは、なにか原因と経路を間違えたら虚空に落ちる恐怖をフックにして選択があるかのような教育をしている。少なくとも、逆縁が存在する世界では、虚空ではなく冥の世界があった。能の世界は、冥の方が本質に近いもものなので、現世にこだわること自体をあきらめなくては善?ではない。

――てなことを、末木文美士氏の本を読みながら考えたのである。

相手を祝福する動機によって結縁したいわゆる「順縁」の場合のみならず、相手を呪誼する動機によって結縁した(たとえば相手と口論したることが動機となって結縁したるがごとき)「逆縁」の場合においてもなおその相手と少しも触れ合うことのできなかった「無縁」の場合よりは感謝したい気がする。著しくいわば、一人の女と全然無縁であるよりも、たといその女を辱しめることが動機となったとしてもなおかつ結縁したい気さえすることがある(むろんその反対すなわち一人の小さきものを傷つけるよりは、万人から隠遁したい気もするが)。

――倉田百三「愛と認識との出発」


倉田百三みたいな近代人は、なんだか縁をコントロールしたがっている。これではいけないのではないだろうか?

狂女は存在するか否か?

2021-09-19 23:10:01 | 文学


地 「我もまた。いざ言問はん都鳥。我が思子は東路に。有りやなしやと。問へども問へども答へぬはうたて都鳥。鄙の鳥とやいひてまし。実にや舟ぎほふ。堀江の川のみなぎはに。来居つゝ鳴くは都鳥。それは難波江これは又隅田川の東まで。思へば限なく。遠くも来ぬるものかな。さりとては渡守。舟こぞりて狭くとも。乗せさせ給へ渡守さりとては乗せてたび給へ。
ワキ「かゝるやさしき狂女こそ候はね。急いで舟に乗り候へ。この渡は大事の渡にて候。かまひて静かに召され候へ。


これより前の所で、伊勢物語をふまえたやりとりを行うなど全然狂女とはいえない女である。これが狂っているのならば、文学作品をあーだこーだと自分の慰めにつかっている文学研究者の多くは狂っている。前回も指摘した如く、この女は母親というものの姿である。

と、おもったのだが、――やはり、長距離を歩いてしまうところがやはり常軌を逸している。研究者でも、地の果てまで行きたがる人がいるが、たぶん狂っているのであろう。

いや、それほどでもない、まだあとがあるんだ。ここまでは、ほんの序の口。……それはそうとあの都鳥を、お前、なんと見た」
「ですから、日本で織っているという証拠……」
「それは、今更いうまでもない。……日本も日本、あの呉絽を織ってるのは江戸の内なんだぜ」
「えッ」
「……都鳥に縁のあるところといえば、どこだ」
「……都鳥といえば、隅田川にきまったもんで」
「都鳥は、どういう類の鳥だ」
「……ひと口に、千鳥の類……」
「隅田川の近くで千鳥に縁のある地名といえば」
 ひょろ松は考えていたが、すぐ、
「……千鳥ガ淵……」
 顎十郎は、手を拍って、
「いや、ご名答。……俺のかんがえるところじゃ、隅田べり、千鳥ガ淵の近くで女どもが押しこめられ、髪の毛と馬の尻尾でひどい目に逢いながら呉絽を織らされている。……その中で、智慧のある女が、なんとかして救い出してもらいたいと、自分たちが押しこめられているところを教えるために、あんなものを帯の端に織出した」


――久生十蘭「顎十郎捕物帳 都鳥」


近代は言語の裏に事実を見出そうとする運動だったが、最近は、事実を言語で片付けようとする。たしかにそれは、能の時代に逆戻りかも知れない。

風二種

2021-09-18 23:12:11 | 文学


シテ げにや人の親の心は闇にあらねども。子を思ふ道に迷ふとは。今こそ思ひ白雪の。道行人に言傳てゝ。行方を何と尋ぬらん。
シテ 聞くや如何に。うはの空なる風だにも。
地  松に音する。習ひあり。


最初のところは、『後撰和歌集』の藤原兼輔「人の親の心は闇にあらねども子を思ふ道にまどひぬるかな」という歌の引用で、――いまはこれを親子の絆とか都合よく解釈しがちな人もいるであろうが、よく字面をみてほしいものである。親の心とは闇ではないが迷いである、と。本当にそうなのではないだろうか。こういうことを社会がふまえなくなると、親が自分の感情を善だと勘違いする事態となる。

だから、「隅田川」のこの場面は、すべての親子のことを言っているのである。人買いにさらわれた親が発狂して隅田川にたどりつくはなしなのであるが、すべての親というものは隅田川にたどり着くものなのである。

風の便りとはうまいこといったものであり、風が何かを伝えるような気がする。空気が伝えるのではなく、風が吹いて何かを子に伝える気がする。これが親の心理なのかも知れなかった。是に比べると、芥川龍之介の「六の宮の姫君」の姫は、なにか風に違うものを感じてしまっているが、彼女は親からの愛情をつねに受けながら、自分は何事もないからであった。確かに、風は親から子にばかり吹くとはかぎらず、「聞くやいかにうはの空なる風だにも松に音するならひありとは」(『新古今和歌集』宮内卿)のような恋でも吹いてしまうものであった。

考えてみると、この二種の風は区別がつくであろうか?そんなことを考える余裕があるのが我々にとって本当はよいことだ。これを親子の愛と恋愛みたいに説明しているからダメなのである。

「ああ、ここはどこだろう?」と思って、お人形は、あたりを見ますと、さびしい野原の中で、上には、青空が見えたり、隠れたりしていました。そして、寒い風が吹いていました。そばに、雑木林があって、その葉の落ちた小枝を風が揺すっているのでした。
 お人形は、寒くて、寂しくて、悲しくなりました。いままでいたお嬢さんのへやが、恋しくなりました。本箱の上に、平和で、雨や、風から遁れて、まったく安心していられた時分のことを思い出して、なつかしくてなりませんでした。そして、どうしたら、ふたたび、お嬢さんのそばへゆき、あの住みなれたへやに帰られるだろうかと思っていました。


――小川未明「風の寒い世の中へ」


確かに、世間の風が厳しくて、――という情況もあるのであるが、下手をすると、我々は上のように人形になってしまう。「六の宮の姫君」もたしかそんな人であった。

破れて覚めにけり夢ハ破れ明けにけり

2021-09-17 22:41:09 | 文学


シテ 「恥かしや。昔男に移り舞
地  「雪を廻らす。花の袖
シテ 「此處に來て。昔ぞ返す。ありはらの
地  「寺井に澄める。月ぞさやけき月ぞさやけき
シテ 「月やあらぬ。春や昔と詠めしも。何時の頃ぞや
シテ 「筒井筒
地  「つゝゐづゝ。井筒にかけし
シテ 「まろがたけ
地  「生ひしにけらしな
シテ 「老いにけるぞや
地  「さながら見みえし。昔男の。冠直衣ハ。女とも見えず。男なりけり。業平の面影
シテ 「見ればなつかしや
地  「我ながら懷かしや。亡婦魄靈の姿ハ凋める花の。色なうて匂ひ。殘りて在原の寺乃鐘もほのぼのと。明くれば古寺の松風や芭蕉葉の夢も。破れて覚めにけり夢ハ破れ明けにけり


業平は現れない。永遠に業平に会えない娘が業平の装束をまとい舞い、井戸を覗き込むこの異様な場面。我々の自意識には、こういう異様さを美しさとして諦める心性が根をはっている。「破れて覚めにけり夢ハ破れ明けにけり」とは、想像力を誘うが、理性の高まりは感じられない。理性が死んだ風景なのである。寺の鐘でどうにかなっていたら、この物語はそもそも成立していないのでは無いかと思う。だからこそ、この風景を見ているのが僧であることにしているのであろう。夢から覚めたのは僧であるが、本当に覚めたわけではない。これは、シテもそうであり、観客もそうなのである。

仏教の存在は古典文学を読んでいるとすごく強いものとかんじられてくるのだが、現実の多くの人がどうだったかは分からない。そもそも仏教は流動的な気分に相性がいいような気がするのだ。よく言われていることではあるが、仏教は儒教や神道といった形に変容し制度化して、その本体は迫害される運命にある。しかし、世の中がそうやって固定的で淀んでいても、文学のなかの仏教がなんとなく流動している気分にさせるところがある。最後の茫洋さは、流れる茫洋さだ。

必然性や因果応報という言葉はどこかしら他人事だ。とはいえ、文学もそんな他人事としての人生を描く側面もあるから、そういう作品も多い。仏教説話に至ってはそういうものに覆われている。

――普通人が他人の出来事を必然だと思うことはむしろ人生の理不尽な偶然性を認めていることになり、本人にとっては暴力的なほど偶然には思えない単なる必然に思えたりするわけで、かくして自由は難しいのだ。その人生の内部から描こうとすれば、能の世界のようになる。自分の内部からも他人事の視点も単に相対的であるとすれば、夢と繋がった現実に於いてしかその内実は顕れない。これは、悟りの境地とは異なる、死までの距離を測る絶望の形態である。

ブッダが悟ったのはたしか35才ぐらいで、そのあとは教える人生な訳だ。いまでいえば35は博論とってすごく幸運に就職出来たころだ。というわけで、そういう幸運な人でも真の人生の問題はこの後始まるわけで、ブッダもそうだったのではなかろうか、そうに違いない。青春とその終わりはいつも物語になるが、対機説法の失敗の方が思想の問題でしかも人生の問題だ。しかしそれはなかなか認識されない。

イエスもブッダも悟る前に悪魔からの誘いを断ってるが、最初から断っとけよと思わないのではないのだ。しかし30台の悟りというのは実に悪魔の誘いに乗ってこその悟りというのが多いからなのではないだろうか。その悟りは悟りではないとはっきり世界宗教達は言って居るのである。しかし我々の世界は、むしろ、小さい頃の夢がじりじりと続く、そんな人生が死に向かって歩み出すときにはっきりと自覚されてくるような世界なのである。

げに情知る。うたかた乃

2021-09-16 23:25:46 | 文学


シテ 「風ふけば沖つ白波龍田山
地  「夜半にや君がひとり行くらんとおぼつかなみ乃夜の道。行方を思ふ心とげて外の契りハかれがれなり
シテ 「げに情知る。うたかた乃
地  「あはれを抒べしも。理なり
地  「昔この國に。住む人の有りけるが。宿を竝べて門の前。井筒に寄りてうなゐ子乃。友達かたらひて互に影を水鏡。面をならべ袖をかけ。心の水も底ひなく。うつる月日も重なりて。おとなしく恥ぢがはしく。互に今ハなりにけり。その後かのまめ男。言葉の露乃玉章の。心の花も色添ひて
シテ 「筒井筒。井筒にかけしまろがたけ
地  「生ひにけらしな。妹見ざる間にと詠みて贈りける程に。その時女も比べ來し振分髪も肩過ぎぬ。君ならずして。誰かあぐべきと互に詠みし故なれや。筒井筒の女とも。聞えしハ有常が。娘の古き名なるべし


能では筒井筒の物語は逆に展開するのだが、やはり時間はながれているわけで、夫を思いやる女があたかも小さい頃からずっと何かを待っていて髪の毛が伸びているイメージさえ感じられてくる。重要な因はその純情さだ。それはとても重要だから物語った結果として提出される必要がある。その提出されたものによって、今度は主人公の時間を振り返る行為が観客の側に生じる。かくして果てしない時間が純情の結果として表出されるわけである。

こういう仕組みは、人間的なコミュニケーションには必ずあるものではないだろうか。それをせずに、目的から逆算して行為を強制するのが権力というやつで、フーコーの口まねをして生権力などと言ってしまうと何か巧妙な感じがするけれども、それほど我々の生に食い入ったやり方ではほとんどない。むしろ、上のような語りの方が巧妙である。