★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

花園稲荷神社を訪ねる(東京の神社2)

2018-09-30 21:42:19 | 神社仏閣


外国の皆さんが大好きな神社です。



この連なりに何かアウラを感じるらしいのです。わたくしは、ここ数日の疲れを感じます。



拝殿。

「忍岡稲荷」が正式名称らしい。「穴稲荷」とも言われますわな……。春告鳥など思い出すところではある。

「懐疑説の破綻と来るね。ああ、よして呉れ。僕は掛合い万歳は好きでない」
「君は自分の手塩にかけた作品を市場にさらしたあとの突き刺されるような悲しみを知らないようだ。お稲荷さまを拝んでしまったあとの空虚を知らない。君たちは、たったいま、一の鳥居をくぐっただけだ」
「ちぇっ! また御託宣か。――僕はあなたの小説を読んだことはないが、リリシズムと、ウイットと、ユウモアと、エピグラムと、ポオズと、そんなものを除き去ったら、跡になんにも残らぬような駄洒落小説をお書きになっているような気がするのです。僕はあなたに精神を感ぜずに世間を感ずる。芸術家の気品を感ぜずに、人間の胃腑を感ずる」


――太宰治「ダス・ゲマイネ」


ほんとに太宰というのは信心のない男です。



こんこん

ドドーン/\/\という恐ろしい音響が上野の方で鳴り出しました。それは大砲の音である。すると、また、パチパチ、パチパチとまるで仲店で弾け豆が走っているような音がする。ドドン、ドドン、パチパチパチという。陰気な暗い天気にこの不思議な音響が響き渡る。何んともいえない変な心持であります。私たちは二階へ上がって上野の方を見ている。音響は引っ切りなしに続いて四隣あたりを震動させている。其所にも此所にも家根や火の見へ上がって上野の山の方を見て何かいっている。すると間もなく、十時頃とも思う時分、上野の山の中から真黒な焔が巻き上がって雨気を含んだ風と一緒に渦巻いている中、それが割れると火が見えて来ました。後で、知ったことですが、これは中堂へ火が掛かったのであって、ちょうどその時戦争の酣な時であったのであります。
 そして、小銃は雁鍋の二階から、大砲は松坂屋から打ち込んだが、別して湯島切通、榊原の下屋敷、今の岩崎の別荘の高台から、上野の山の横ッ腹へ、中堂を目標に打ち込んだ大砲が彰義隊の致命傷となったのだといいます。彰義隊は苦戦奮闘したけれども、とうとう勝てず、散々に落ちて行き、昼過ぎには戦が歇みました。


――高村光雲「幕末維新懐古談 上野戦争当時のことなど」


上野彰義隊の戦いは穴稲荷で終わったとも言われておる。全然無血革命ではない……。



ここの狐は、弥左衛門狐というやつで、寛永寺開山のときにすみかを追われた。で、責任者のお坊さんに頼んでここに住ませてもらったのである。有名な稲荷神社の割に話がおもしろくないような気がする。なにゆえ、この狐、坊主ぐらい騙そうとしなかったのであろうか。江戸の狐は本気出さねえな……。

アニマル

2018-09-30 19:53:18 | 旅行や帰省
颱風に向かって突撃するわけにもいかず、男一匹、上野動物園に行きました。



お猿



プレリードックみたいなの(全員おけつをこちらに向けている)



かわいそうなぞう。

ぼうえんきやうからみえたぞうさんは、まめつぶほどちひさくて、一ちやうもむかふのほうにゐるやうでした。ぞうさんはおこつて、ぼうえんきやうをねずみさんからひつたくつて、めにあてました、「やあ、なんて、りつぱなねずみくんだらう。」とぞうさんはびつくりしました。

村山壽子の「ゾウ ト ネズミ」であるが、望遠鏡によって、ネズミはゾウが小さく、ゾウはネズミが大きく見えてしまったお話である。この話は怒りん坊の象と、彼におびえるネズミが仲良くなるはなしであるが、はっきりしていることは、帝国主義の時代ならいざしらず、こんな頭の悪い象やネズミはいないということだ。

いまやみんなネズミのくせに自分を象だと思っているから全く問題ない。

いくたびちりき

2018-09-25 23:46:32 | 文学


「樵夫の小童隠題の歌詠む事」(『宇治拾遺物語』)は、素人を馬鹿にしてはならぬ教訓で有名だが、教訓も何も、素人でも巧いことよめばもう素人とは言えない。

「今は昔隠題をいみじく興ぜさせ給ひける御門の篳篥を詠ませられけるに……」という始まりだから、どうみても「御門」が悪い。隠題に執着しているという点からそもそも素人臭さを感じる。というのは、わたくしが素人だからで、もしかしたらこの「御門」は良い趣味しているのかもしれない。が、そんなことはどうでもよく、その樵が詠んだ歌であるが、こういうものであった。

めぐり来る春々毎に桜花いくたびちりき人に問はばや


確かに篳篥をうまいこと埋め込んでいるわけであるが、春の度に何回散ったかと言われてもですね、当の桜ですら「知るかっ」であろう。

今日、外山恒一の『全共闘以後』が届いたのであるが、これを読み始めたら勉学に支障が出そうなので、書棚に並べた。こういう本は、なんかカツカレーという感じで、もはやわたくしにとっては体に悪い。そう思うことにしたい。わたくしも最近、素人の心を忘れがちだから、つい一生懸命読んでしまいそうであり、気をつけなければならない。それにしても、落合陽一ほかの『脱近代宣言』の帯のエヴァンゲリオン風のあれは何?それに、なぜにピンクの本だし……。宮台真司の恋愛指南みたいな本もピンクだったな。わたくしはこんな境地には至れそうもない。たぶん、すごい人たちは、悟るとピンクみたいな境地に達するに違いない。素人はこうはいかん。

出家功徳、今も昔も……

2018-09-24 23:02:11 | 文学


思想や文学を志して大学院なんかに入ったり、自宅の個室に本の砦をつくって籠もったりするのは、昔でいえばほぼ出家に近いと思うのである。それが妻子を棄てるところまで行く人もいれば、家に留まる苦行を選ぶ人もいるが、それがある種の栄光に包まれていないとなかなか耐えられないというのはあると思う。わずかな思想的な、あるいは文学的な警句を胸に、現世の目的を捨てて生きることは、なかなかできることではないのは、昔も今も同じである。いまや大学の方は、すっかり出家の行き先ではなくなっており、どちらかというと宦官になるようなイメージに近くなってしまった。若手の論文からは、だから、昔は少しあった文学志望者の絶望的な矜持の匂いがあまりしなくなっている。それとも、わたくしがそれを感じ取れなくなっているのであろうか。

「出家功徳の事」(『宇治拾遺物語』)はその意味で、出家自体に栄光を付与しようと頑張っている。ある道祖神の祠に泊まっていた僧が、明日武蔵寺で新たな仏が出現するというので、梵天、帝釈天、諸天龍神が参集するというのです知ってますか、という誰かの声と、知りませんでした必ず行きますよ、という道祖神の声を聞く。で、その僧も武蔵寺に行ってみた。来たのは、よぼよぼの小さなおじいさんであった。寺の僧が立ち会って、おじいさんは出家した。ただそれだけであった。

しかし、その出家には、おそらく見えないけれども、梵天、帝釈天、諸天龍神が見守っていた。これが出家功徳の事なのであり、だから

若く盛りならん人のよく道心おこして随分にせん者の功徳これにていよいよ推し量られたり


とか、話者が最後に言えてしまうのであった。参集するのが、もっとえらい仏の祝福ではなく、梵天、帝釈天とか竜神というのがよい。いまだって、ちょっとえらい先輩の祝福とかがうれしいものである。

うへより、炎やうやう燃えいでけり

2018-09-23 19:23:06 | 文学


「日蔵上人吉野山にて鬼にあふ事」(『宇治拾遺物語』)は恨みを抱くと大変だ、というより、いったい世の中どうなっとるんじゃろ、という話である。

日蔵上人というのは、袴田光康氏の曰く「冥界の宣伝者」みたいなひとであって、冥界で菅原道真や醍醐天皇に会っている。そして帰ってきたのである。すごく怪しい……。この人が、山中で鬼にあった。鬼は二メートルを超えるタイプであった。しかしいきなり泣き出す。理由を聞いてみると、四百年ぐらい前、ある者に強い恨みを抱いて、その一族子孫皆殺しにしてきたのだが、そのけっか相手がいなくなった。彼らが生まれ変わったところも殺そうと考えているのだが、こればかりは何に生まれ変わったのかわからない。で、この恨みばかり煮えたぐってどうしようもない、シクシク……みたいなことらしいのであった。

かねてこのやうを知らましかば、かゝる恨をば、のこさざらまし」といひつゞけて、涙をながして、泣く事かぎりなし。そのあひだに、うへより、炎やうやう燃えいでけり。さて山の奥ざまへ、あゆみいりけり。

こんなことになるんだったら恨みを残さずにいたはず、ってそれは無理であろう。現世で恨みを残さないためにはどうしたら良かったのであろうか。そもそも、どうしてそんな恨みが残ってしまったのだろう……具体的に四百字以内で答えよ。

さて日蔵の君、あはれと思ひて、それがために、さまざまの罪ほろぶべき事どもをし給けるとぞ。

明らかにもう遅い。宗教が、具体的な事柄を看過してしまう悪い例であるとわたくしは思う。

ところで、中島みゆきの「金魚」の長い前奏の中で、すごく弱音で心臓の音みたいなリズムが刻まれているのであるが、これどうやって演奏してるんだろう……。自分の鼓動音かと思ったが、そうでもなかった。あと、これも中島みゆきの曲であるが「未完成」というのがある。これを薬師丸ひろ子が歌っている。で、後半、薬師丸ひろ子の声の多重録音がわらわらと湧いてくる箇所があるのだが、これもわたくしの幻聴かと思ったが――、そうではなかった。

「この御恩は極楽にて申し候はん」の……

2018-09-22 23:39:47 | 文学


とっても不思議な話だと思う話のひとつに、「空入水したる僧のこと」(『宇治拾遺物語』)がある。ある聖が入水往生するというので、人々が見物している。この聖、ざぶんと入水したが足を綱に引っかけたりしてもごもごしてなかなか死んだ様子がない。水の中でよく見ようとした人につかまり

広大の御恩蒙り候ひぬ。この御恩は極楽にて申し候はん

と言って走り出したので、見物人はこの聖に向かって雨あられと投石するのであった。

どうもこの聖は「偽」らしいぞ、とも思えるし、初めは本当にやる気だったとも思える。上のせりふだって、とっさに出てきたものかもしれないし、意図的だったのかもしれない。最後に、この聖が「前の入水の上人」と自称していたという挿話が書かれているが、これも、ここまで思い上がったおっちょこちょいとも思えるし、まあ、図太い面白い人だったとも思える。投石してた見物人の気持ちも分かるから、彼らを責める気にもなれない。面白いと思うのは、こんなに現代でもある種のリアリズムを感じさせる話が書かれた時代に、そもそも仏教はどんな感じで生きていたのかということだ。

最近は、思想と現実との関係をあまりにも簡単に納得しがちな人たちが多いような気がするが、仏教にしてもマルクス主義にしても、洗脳とか支配的だったみたいな形容に頼らない場合には、描写するのはなかなか難しいものだと思う、今日この頃である。

ベランダで蝉が三人亡くなっていた

2018-09-22 17:10:45 | 文学


蝉は、やがて死ぬる午後に気づいた。ああ、私たち、もっと仕合せになってよかったのだ。もっと遊んで、かまわなかったのだ。いと、せめて、われに許せよ、花の中のねむりだけでも。
ああ、花をかえせ! (私は、目が見えなくなるまでおまえを愛した。)ミルクを、草原を、雲、――(とっぷり暮れても嘆くまい。私は、――なくした。)

 「一行あけて。」

 あとは、なぐるだけだ。

――太宰治「HUMAN LOST」

さはこれより外に賜ぶべき物のなきにこそあんなれ

2018-09-21 23:41:18 | 文学


落合陽一氏が、「わらしべ長者」の生き方がよいとか言っていた気がするが、確かにそういうことはある。必要なのは教えやお告げではなく物なのだ。そこから始める必要がある。様々な物に埋もれた我々がそのような時の寂しさと誇りを取り戻すのは至難の技だとしても……

女版「わらしべ長者」ともいうべき話が、「清水寺御帳賜る女の事」(『宇治拾遺物語』)である。女はひたすら清水寺に参っていた。御利益を探す人間というのはえてしていろいろ捨て去ることが多いが、この人もそうで家からもさまよい出て清水寺にすがるようになってしまった。あるとき夢で、ならこれあげるよと観音がくれたのが御帳の帷子。

さはこれより外に賜ぶべき物のなきにこそあんなれ

と女は思ってしまう。それにしても、不自然である。いや、不自然ではない。わたくしも学生を指導なんかしていると、あまりに役に立つアドバイスに対しては不満顔なのに、「ありがたい役に立たない話」をしてやると満足して帰って行く学生を沢山みてきた。確かにそうだ。

お返しします、いやもらっとけ、いやおかえしします、無礼なやつだ貰っとけというに、みたいなやりとりが夢を見るたびに行われ(忙しいなあ……)、結局、寺から盗んだと思われちゃいやなんでみたいな理由で貰っておくことにした女である。

これをいかにとすべきならん、と思ひて引き広げて見て著るべき衣もなきに、さはこれを衣にして著ん、と思ふ心付きぬ


着る物もなかったんかい、と突っ込むまもなく、それを着た女は人々の目に非常にかわいらしく映り出す。結局、この女の不幸は着る物に問題があったとしか思えない。女は何もかもうまくゆくので、しまいにゃ、うまくいかなければならない時だけそれを着て幸福を得るという駆け引きさえ身につけてしまうのであった。

しかし、この話はまだ服を満足に着られない人間がいた時代の話であって、わたくしは不安を覚える。『サンピエンス全史』の著者が確か言っていたように、我々が直面しているのは、上のように「物」に従えば「我々は何を望むのか」という問いに直ぐさま捉えられるというそのスピードの壁なのである。昔は、そこまで欲望の妥当性に悩まされることはなかったような気がする。キャリア教育とかなんとかも、本当は、キャリアへの主体的な選択は問題じゃない。我々にとってキャリアなんて本当はあるのかという問いに我々が直面しているからなのである。

「この事を云ふ者なかりけり」のポリティーク

2018-09-20 23:27:48 | 思想


昨日『安部公房伝』をめくっていて、作者の安部ねりさんはどうしているかと思って検索したら、今年の夏亡くなっていたことを知った。『安部公房伝』に書いてあったことで以前読み落としてたんだが、安部公房はリルケに夢中だった頃、東大前のレコード店でマーラーの第9のSPを買っていたということだ。

この前、ラトルとベルリンフィルのラストコンサートがテレビでやってた。マーラーの第6番である。この曲によってクラシック音楽への愛着を決定的にした人は多いはずであるが、おもちゃ箱にして純文学、みたいな非常に面白い曲である。第4楽章が特に面白い曲で、元気はつらつな発狂した葬送行進曲とも言うべき、かは分からんがそのよくわかんない感じがたまらない。有名なマーラーハンマーも出てきて、今回のラトルの映像でも、振り上げられたハンマーの後ろに座っていた客の女の子が、「さーくるぞくるぞー」と見守っているところに「ドッカン」とハンマーがうち下ろされた瞬間――に遅れて、その女の子がびくっと驚いているところが、まさにですね「マーラー最高!」という感じである。

ところで、穴が好きな安部公房とハンマーのマーラーで思い出したのだが、「保輔盗人たる事」(『宇治拾遺物語』)は、恐ろしい話である。保輔は、藤原保昌の弟である。保昌は盗賊を自宅に招いて「訪ねてきたまへ」と諭した例の男である。保輔は、商人が武器など売りに来ると、お金払ってやると奥に招いて殺害し、自宅の藏のしたにつくったでっかい穴に放り込んでいた。

堀りたる穴へ突き入れ突き入れして持て来たる物をば取りけり


というわけであるが、それにしても

この保輔に物持て入りたるものの帰りゆくなし、この事を物売り怪しう思へども埋み殺しぬればこの事を云ふ者なかりけり


という言いっぷりがすごい。全員殺しているから殺されたという者がなかったからばれなかった、――そんな訳はない。よく言われているように、読者達はどう考えてもこの「埋み殺す」というところにバックにいる道長の権力をみないわけにはいかないのであった。確かに、働く者の世界には、どうやったのかは分からんが、確実に何かの意志で物事が生起するということがある。ただ、こういうことは、権力の作用だけでなく、日常的に自分の身にも起こっていることであって、なんというか因果関係というのはそもそもよく見えないものなのである。しかし、それが恐ろしいからといって、忖度と陰口の世界に逃げ込むのは、その因果関係を勝手に確定して溜飲を下げることであるので、――まあ、中学生みたいなものだと思う。自民党の選挙をみていて、たぶん、安倍陣営も反安倍陣営もそんな中学生みたいな感じになっているんだろうなあと思わざるを得ない。せっかく政治家になっているのに、なぜ自分の主張を朗々と語らないのか理解に苦しむが、まあその程度だということであろう。わたくしも似たようなものだ。どうしたらいいのかさっぱりわからんし、だからといって何が事態を難しくしているのか全く推測がつかないわけではない。たいがいの大衆だってそういうものであろう。クラスで一致団結で平和、みたいな状態でモチベーションを保つことがデフォルトの我々は、いらぬ葛藤を怖れる。だからとりあえず安倍でも何でもとりあえず今のままで儲けよう、という人たちが6割ぐらいはいる。ある意味、これは普通の反応なのである。そりゃ、いろいろ理念的には崩壊しましたよ、いろいろともう我々は終わってますよ。しかしそんなことはここ20年ぐらいでその必然的にも見える崩壊過程を骨の髄まで多くの人たちが味わって体感的によく知っていることなのである。簡単にはマトモには戻らないことを多くの人たちが知っているわけだ。保輔を放置していた権力や世間にもそんな気持ちがあったのかもしれない。

まあ、わたくしの見たところ、最近の若者の中には、マーラーハンマーやら保輔の穴みたいな発想をする連中がいて、我々のような中年やその上の老人達の生悟り顔の眉間に一発刀を振り下ろそうとする欲望を感じることがある。坂口安吾ではないが、いま我々は「文学のふるさと」みたいな悲惨な地点を望み始めている。そういうなかでは、わたくしが常に心がけようとしている、垂範的顧慮なども、無残な感じである。

祇園宮を訪ねる(香川の神社182)

2018-09-19 13:19:14 | 神社仏閣


仏生山。「船山神社」の東、田園地帯にある。ザ・農村の神社というかんじである。田んぼの真ん中にもっこり林があったら大概神社で、ここもそうなのだ。が、ここは三宝荒神でも稲荷でも八幡でもなく、「祇園宮」である。




拝殿


本殿あたり

 

拝殿の右側にはちゃんと由緒の説明が書いてあった。

祇園さん 八坂神社
 祭神 素戔嗚尊
 鳥居の額には「祗園宮」と刻まれ、灯籠には「祗園宮宝前 天保十二年 壬牛 六月吉祥日」の字が見える。
香川県神社史を見ると、大字百相字祗園宮八坂神社のあることが記され、このお社は舟山神社の境外末社。祭日は、旧七月七日から十四日までとなっている。

「香川県神社誌」には確かにそう書いてあった。

 神社史の社名と土地の呼び名がちがうのは、ちょっと意外なようであるが、実は祇園さんというのは、八坂神社のことである。
 八坂神社は、京都市東山区祗園に祀られた神社で、祭神は「すさのおうのみこと」「くしなだひめのみこと」とその御子八柱の神で全国の祇園さん信仰の中心であり明治四年までは祗園さんと呼ばれていたのである。
 ここに八坂神社をおまつりするようになったのは、いつの頃か全くわからないが、境内の風化した石塔(燈籠かもわからない)の頭部の状態などから察してずい分古くからここにまつられたであろうことが想像される。




これですかな……

 祭神「すさのおうのみこと」は天照大神の弟さまで「天の岩戸物語」「やまたのおろち退治」などよく知られている。人文神、英雄神、あらしの神、人間*を授ける神、作物の神としてまつられるのである。
 また「くしなだひめのみこと」は「やまたのおろち」にのまれるところを「すさのおうのみこと」に助けられその妃となった方である。




素戔嗚尊は乱暴者の希望の星で、どんなにやんちゃ(←この言葉大嫌い。教育界からこの言葉をなくしたら少しいろいろと改善されそうな気がしないではない)な阿呆でも、役に立つことがあるということを証明している。か、どうかは分からないが、そういうことになっている。たぶん、まだ少女だったくしなだひめは下品な素戔嗚尊に手を焼いたことであろう。そんなしょっちゅうヤマタノオロチは出てこないが、出てきた時の態度をいつも取りたがるのがこういう輩の特徴だ。とはいえ、不思議なもので、彼はなんだか洒落みたいな歌の発明までやってみせた。

雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る その八重垣を


はいはい、力持ちはいいですね~。これもどうせ素戔嗚尊の歌じゃないのであろうが、そういうことになっている。思うに、我々はもっと平時に役に立っている人材を褒めなくちゃならない。そうでないと、思想のないところまで思想が見えてきてしまうからである。