★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

雷鳥

2013-06-30 18:31:39 | 漫画など


イギリスの人形浄瑠璃「雷鳥」をみてみると、日本の特撮仮面劇や巨大人形漫画のオリジナリティが大半疑わしいことに気づく。雷鳥の画面が、非常に明るくて暗いのは煙ぐらいなのに対して、日本の特撮仮面劇は全体的に暗い。どうも、人形浄瑠璃に居る真っ黒な人がいないことになっておりながらそれが重要な背景であるように、仮面の周りは闇が立ちこめている必要があるのではなかろうか。「雷鳥」の人形の人たちより、特撮仮面劇の生身の人間の人たちがほとんど人形のような演技をしているのはおもしろい。「雷鳥」の人たちは、お金持ちの秘密結社であるが、考えてみりゃ、そんな発想も過去の日本の巨大人形漫画に受け継がれていた時期があった。世界を救うのは、公務員ではなくそういう人たちなのであろう……。まあ、兵器が、私人の扱えないレベルになってはその夢も霧散した。アトムも雷鳥も原子力で飛んでいたのであるからして……

そこでは最も風と光りが自由に出入を赦された

2013-06-29 14:52:04 | 文学


 北方の高台には広々とした貴族の邸宅が並んでいた。そこでは最も風と光りが自由に出入を赦された。時には顕官や淑女がその邸宅の石門に与える自身の重力を考えながら自働車を駈け込ませた。時には華やかな踊子達が花束のように詰め込まれて贈られた。時には磨かれたシルクハットが、時には鳥のようなフロックが。しかし、彼は何事も考えはしなかった。
 彼は南方の狭い谷底のような街を見下ろした。そこでは吐き出された炭酸瓦斯が気圧を造り、塵埃を吹き込む東風とチブスと工廠の煙ばかりが自由であった。そこには植物がなかった。集るものは瓦と黴菌と空壜と、市場の売れ残った品物と労働者と売春婦と鼠とだ。
「俺は何事を考えねばならぬのか。」と彼は考えた。

――横光利一「街の底」

反省だけなら

2013-06-26 23:24:46 | 思想


猿でも出来る、とは昔から言われているのであるが、いまは人間だからこそ反省が出来ないのではないかと疑われる人間や、あるいは狂ってるから反省できないのか、猿以下なのか……もうよくわからなくなってきたな。

まる――吉川英治

2013-06-26 20:06:31 | 文学


「又八、棒切れを貸せ」
 愚堂はいって、彼の拾った棒切れをうけ取った。武蔵は、頭上に下る三十棒を観念して、眼をふさいでいたが、棒は彼の頭には来ないで、彼の坐している外を、ぐるりと駈けて廻った。
 愚堂は、棒の先で、地へ大きな円を描いたのである。――その円の中に、武蔵の姿は在った。

「行こう」
 と、棒を捨てた。
 そして愚堂は、又八をうながして、すたすた歩み去った。
 武蔵はまたも、取り残された。岡崎の場合とちがって、ここに至ると、彼も憤然とした。
 数十日のあいだ、真心と、惨憺たる苦行をこめて、教えを乞おうとする末輩に、余りにも、慈悲がない。無情酷薄だ。いや、ひとを弄びすぎる!
「……くそ坊主め」
 彼方をにらんで、武蔵は、唇を喰いしばった。いつか、無一物などといったのは、絶無の頭脳を――真から空ッぽの頭脳を、さも何かありそうに見せかける坊主常習の似非のことばなのだ。
「ようし、みておれ」
 もう恃まぬと思った。世に恃む師があると思ったのが不覚と悔まれもする。自力――以外に道はないのだ。さもあらばあれ、彼も人、自分も人、無数の先哲もみな人間。――もう恃むまい。
 ぬッと立った。怒りが立たせたように突っ立った。
「…………」
 そしてなお、月の彼方を、睨めつけていたが、ようやく、眸の焔が冷めてくると、眼はおのずから、自分の姿と足もとへ戻って来る。
「……や?」
 彼は、その位置のまま、身を巡らした。
 円い筋のまん中に、立っている自分を見出したのである。
 ――棒を。
 と、先刻、愚堂がいっていたのが思い出された。その棒の先を地にあてて、何か、自分の周囲に迫ったと思ったが、この円い線を描いていたのか――と初めて今、気がつく。
「何の円?」
 武蔵は、その位置から、一寸も動かず考えた。
 円――
 円――
 いくら見ていても、円い線はどこまでも円い。果てなく、屈折なく、窮極なく、迷いなく円い。
 この円を、乾坤にひろげてみると、そのまま天地。この円を縮めてみると、そこに自己の一点がある。
 自己も円、天地も円。ふたつの物ではあり得ない。一つである。
 ――ばっ!
 と、武蔵は、右の手に一刀を払い、円の中に立って凝視した。影法師は、片仮名のオの字のような象に地へ映ったが、天地の円は、厳として、円を崩してはいない。二つの異なった物でないからには、自己の体も同じ理であるが――ただ影法師が違った形として映る。
「影だ――」
 武蔵は、そう見た。影は自己の実体でない。
 行き詰ったと感じている道業の壁もまた、影であった。行き詰ったと迷う心の影だった。
「えいッ――」
 と、空を一颯した。
 左手に、短剣を払った影の形は変って見えるが、天地の象はかわらない。二刀も一刀――そして円である。
「ああ……」
 眼が開けたようだった。仰ぐと、月がある。大円満の月の輪は、そのまま剣の相とも、世を歩む心の体としても見ることができた。
「オオ! ……。和上っ!」
 武蔵はふいに、疾風のように駈け出した。愚堂の後を追いかけて。
 だがもう何を、愚堂に求める気もなかった。ただ、一時でも、恨んだ詫びをいいたかったのだ。
 ――しかし、思い止まった。
「それも、枝葉……」
 と。そして、蹴上の辺りに、茫乎として佇んでいる間に、京の町々の屋根、加茂の水は、霧の底から薄っすらと暁けかけて来た。

――吉川英治「宮本武蔵」

「君に届け」の主人公を描こうとしたが失敗した

2013-06-25 17:01:14 | 映画


わたくしは、三角関係のもつれとか、中高生が色恋で身を滅ぼしたりするお話が大好物なのである。古いところでは「彼氏彼女のウラ事情」とか好きだったが、もう少し、美男美女のカップルが地獄の果てまで落ちた方が良かった。「君に届け」は、どうやら昔のゼミ生がこのマンガを好きだったので、第一巻だけ読んだが、女の子の眼が不自然な大きさなのが気になり、それ以降は読んでない――というわけで、映画だけは観てきた。のだが、マンガより映画の方が、主人公のカップルが美男美女だったところに、また花火の場面で告白とか、とりあえずまずは花火師の方にお膳立て料をはらっとけよ、といいたくなるよくある結末だったので、腹が立ってしまったが、多部未華子さまは相変わらず女神様だったのでよかった。たぶんこの映画を観た人は同意してくれると思うが、男女の恋愛話というより、これは友情の話なのである。多部様と色男(←誰だっけ?)の仲はどうなっても知ったことではないが、彼らの友人関係は彼らが生きてゆくためには必要不可欠になりそうで、わたくしもその帰趨を心配し不覚にもほろりときたのは事実である。そもそも、この物語に描かれてあるような――容貌が貞子に似ていると言って女の子をからかっている連中が多くいるような頭並びに性根が悪すぎる高校で孤立したら大変なことになりそうであり、実際は恋愛どころではなく誰も彼もが自分の仲間を確保するのに必死になるであろうことは現実問題としてあるのである。この蒙昧な雰囲気は過去に経験したので私はわかる。……というわけで、私が監督なら、担任の三島由紀夫先生とサワヤカ美男が多部未華子様を取り合うという設定にし、結局二人が義侠心に目覚めて友人0の某文学青年に彼女を譲るという結末にするね……。さすれば、女の子が本当に必要なのは、そこらにいるサワヤカチャラ男ではなく、文学青年だということがはっきりするのである。そのためには、舞台をエリート校に移し……。


円光

2013-06-24 23:04:37 | 文学


根はかちかちの石のやうに朽ち固つてゐながら幹からは新枝を出し、食べたいやうな柔かい切れ込みのある葉は萌黄色のへりにうす紅をさしてゐた。
 枝さきに一ぱいに蕾をつけてゐる中に、半開から八分咲きの輪も混つてゐた。その花は媚びた唇のやうな紫がかつた赤い色をしてゐた。一歩誤れば嫉妬の赤黒い血に溶け滴りさうな濃艶なところで危く八重咲きの乱れ咲きに咲き止まつてゐた。
 牡丹の大株にも見紛ふ、この芍薬は周囲の平板な自然とは、まるで調子が違つてゐて、由緒あり気な妖麗な円光を昼の光の中に幻出しつゝ浮世離れて咲いてゐた。

――岡本かの子「小町の芍薬」

猫ピッチャー

2013-06-23 18:43:31 | 漫画など


わたくしは、大学院時代に朝×新聞に飽きて×売新聞に切り替えたのだが、面倒なのでそのままとっている。唯一みる価値のあるのが日曜版に載っている「直球一本勝負 猫ピッチャー」というマンガ。ミー太郎一歳、背番号はニャーニャーニャー(222)、ニャイアンツ所属。

木曽路の鴉

2013-06-23 17:22:06 | 文学


子母澤寛作。大河内傳次郎主演で映画になったらしいが……。さまざま木曽の舞台の話を読んできたが、なぜ木曽には、訳ありの奴らばかりが来ているのかと……。

よその者訳あり巾着切の「木曽の鴉」曰く、「おい、馬糞臭せえ悪。いかに江戸を離れた木曽の山の中でも、人間様のゐるところだ。……」

はいはいそうですか(怒)

ニイタカヤマノボレ一二〇八

2013-06-22 21:15:31 | 文学


富士山が世界文化遺産になりました……。文化の源泉です富士山は。

「田子の浦にうちいでてみれば白妙の富士の高嶺に雪はふりつつ」(山辺赤人)

「白妙のふじの御詠で赤ひとの鼻の高ねに雪はふりつつ」(蜀山人)

「お富士さん雲の衣を脱がしゃんせ雪の肌へが見たうござんす」(詠み人知らず、「万載狂歌集」)

「よべ地震ひ、この日の午時雷の声す、家を出るに及びて、雪のふり下るごとくなるをよく見るに、白灰の下れる也。西南の方を望むに、黒き雲起こりて、雷の光しきりにす。」(新井白石)

「これやこの 行も帰るも 風ひきて 知るも知らぬも おほかたは咳」