★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

総括的日記

2021-01-31 23:31:53 | 思想


『情況』のアジール特集で、東浩紀氏のインタビューが載ってた。この界隈の雑誌のなかに入ると左翼活動家みたいにみえるから不可思議である。もはや、創刊者の廣松渉が忠君愛国の人だったせいか、『情況』もある種の右翼マインドに接近しつつある。というか、何十年もたって、彼らが目指していた革新のイメージが、劇画の草むらの風景みたいなものにあって、その実現を雑誌の中で、文章の文体を含めたイメージを形成していったら、似たようなところにたどり着いたのであろう。団塊の世代はいろいろ言われることもあるが、確かに、文化の刷新を長い時間かけて成し遂げたことは確かである。――写真の撮り方、活字の組み方、ヤクザ映画とかのイメージとか、もろもろのイメージの集合の配置の仕方である。ある種の泥沼で、こんどはそこから変化は起こしにくくなる。七〇年あたりのパッションに溢れた不良たちはその泥沼の中で快楽に苦しんでいる。

ある意味で、「文化」の発するそういう泥沼から個人を残すためには文学賞か全集が必要だったのだ。菊池寛なんか、その辺よくわかっていた。個人全集から離れて初出雑誌にカエレみたいなのは研究の方法論としてはあるが、逆も必要なのだ。

東氏なんかも、そういう「文化」のなかでは、アジール形成の試みの一変種として片付けられてしまうのだ。氏は、だからこそ、以前からまんが的な表象を利用することも辞さなかったのである。もっとも、そんなやり方も、すぐに東氏の手を離れて一般化してしまったが。

アカデミズムの無味乾燥なスタイルは、価値中立という理念と相即的である。個人全集の果たすやり方をアジール的にやろうというのである。慣れちゃったので意味がなくなりつつあるのだが。

おれの家の前を舗装して虫たちを殺したモータリゼーションを憎んでいたところ、大学院に行ったらマルクス主義者を気取ってスポーツカーのっている人が結構いたので何もかもいやになったのが私の出発点であるといへよう。安部公房が安岡章太郎とF1みにいったのを読んでも腹が立たなかったのに、まったくどうしたことであろう。東氏が思想や哲学が娯楽になっている下の世代について語ってたいたが、わたくしは、むしろ上の世代に総括なぞはじめから眼中にない娯楽的なやつらがいて、それに反発した団塊ジュニアが過剰に真面目になってしまった面はあると思う。東氏もその面をもっているのである。

娯楽的と言えば、――昨日、夕ご飯食べながら「ぽつんと一軒家」見てたんだが、訪ねていくテレビの人間が、絶対に言ってはいけない言葉を何回か言っていた。それは、NGワードじゃない。旦那が足をつぶした思い出話があって、「そのときどんな気持ちだったのか」と奥さんの方に聞いてたのだ。これはありえない。こんなのが平気で流れているようでは、首相が「闘いの最前線にたち」とか平気で言うし、大学生や我々が頭が悪くなるのも当然だ。こういうありえん発言が目立ち始めたのはいつからかはわからんが、東日本大震災の頃目立ち始めたなと記憶している。近代文学をある意味でおわらしたのが第二次大戦であるように、言葉を失うというのは文字通りの意味であり得る。絶句した人間は、そも表象不可能なものに対して、自らも表象不可能、いや、単に空白に後退してしまうのである。安吾の「堕落」とか、その意味で自分のレベルで考えすぎなんだ。堕落して言葉を発見するなんてふうにならないんだ、大概は。三島由紀夫も言ってたし、誰かも言っていたと思うが、唯一の被爆国である我々は罪悪感から解放されているという事情があり、三島なんか「だから寧ろ核爆弾を我々は作れる」と言っていたわけだ。しかし、罪障感が存在している人間に対する逆説として、その理屈はわかっても、屈辱も罪悪も、原爆と敗戦の解放は解き放ったのである。それが普通の感覚なのである。

ヴァレリー曰く、「凶暴な人たち。文学の分野で暴力を振るう人は、全て喜劇的なジャンルに近づいてゆく。悪口を言うのは、叙情表現のなかで一番安易で最も伝統的なものだ。」

まさに、インテリの言葉である。

外からの攻撃

2021-01-30 23:56:27 | 文学


すべて世の中のありにくく、我が身と栖との、はかなく、あだなるさま、またかくのごとし。いはむや、所により、身のほどに従ひつつ、心を悩ますことは、あげて数ふべからず。

地震で塀につぶされた子供の面玉が飛び出してたとか、大仏の頭が墜ちたなど、けっこう分かりやすいところに目をつけつつ語られてきたあとに、このせりふである。身はもちろん、長明の着眼点は、その「栖」の儚さというやつである。塀や大仏の崩壊など、彼の目は物質的な崩壊にすごく敏感であり、あまり人間の心理というものには向いていない気がする。で、そういうひとが、人間に着目すると、「所により、身のほどに従ひつつ」(住んでいる場所や身相応に生じてくる)心」に着目するのは、あくまで外側から攻めるつもりなのである。

思うに、戦争や災害で形の崩壊を見せ付けられると、我々は目に見える者しか信じられなくなる傾向がある。そして、その傾向は心の内実をつくる。戦後からいままでやはりそういう傾向はある。

悟浄よ、諦かに、わが言葉を聴いて、よくこれを思念せよ。身の程知らずの悟浄よ。いまだ得ざるを得たりといいいまだ証せざるを証せりと言うのをさえ、世尊はこれを増上慢とて難ぜられた。さすれば、証すべからざることを証せんと求めた爾のごときは、これを至極の増上慢といわずしてなんといおうぞ。爾の求むるところは、阿羅漢も辟支仏もいまだ求むる能わず、また求めんともせざるところじゃ。哀れな悟浄よ。いかにして爾の魂はかくもあさましき迷路に入ったぞ。正観を得れば浄業たちどころに成るべきに、爾、心相羸劣にして邪観に陥り、今この三途無量の苦悩に遭う。惟うに、爾は観想によって救わるべくもないがゆえに、これよりのちは、一切の思念を棄て、ただただ身を働かすことによってみずからを救おうと心がけるがよい。時とは人の作用の謂じゃ。世界は、概観によるときは無意味のごとくなれども、その細部に直接働きかけるときはじめて無限の意味を有つのじゃ。悟浄よ。まずふさわしき場所に身を置き、ふさわしき働きに身を打込め。身の程知らぬ『何故』は、向後一切打捨てることじゃ。

――「悟浄出世」


わたくしは、中島敦が行動や形の世界を異様におそれていたのを不思議に思う。虎になるのは楽ではないか。しかし、虎になっても、彼は自分の心の世界を妙な警句的なものでしか表現することが出来なかった。沙悟浄は、こういうマウンティングに耐えて自らの迷いを迷いとして貫くべきであったきがする。

龍の出現

2021-01-29 23:22:47 | 文学


また、同じ頃かとよ、夥しく大地震ふること侍りき。そのさま世の常ならず。山は崩れて河を埋み、海は傾きて陸地を浸せり。土裂けて水湧き出で、巌割れて谷にまろび入る。渚漕ぐ船は波に漂ひ、道行く馬は足の立ちどをまどはす。都のほとりには、在々所々、堂舎塔廟、一つとして全からず。或は崩れ、或は倒れぬ。塵灰たち上りて、盛りなる煙の如し。地の動き、家の破るる音、雷に異ならず。家の中に居れば、忽にひしげなんとす。走り出づれば、地われ裂く。羽なければ、空をも飛ぶべからず。龍ならばや雲にも乗らん。恐れの中に恐るべかりけるは、ただ地震なりけりとこそ覚え侍りしか。

確かに、長野県西部地震のときも、雷の音がしたと思ったら床が跳ね出したような記憶がある。我々が、天変地異をなにか一つの原因に結びつけたがるのも、音が似ていることが大きいのかも知れない。大きい音というのは、我々にとっておなじように聞こえるのだ。羽がないので飛べないのだ。龍ならば雲にも乗れるのに、――というのは、たかが羽ではどうにもならない感じがするからだ。そういうもんではなく、その音=雷にも似た龍のようなもので世界を押さえつけなければならない。むろん、世界に対して我々は小さすぎるのだ。

坂口安吾が、我々の農民根性は、土に関係あると言っていて、なるほどと思った。その土が割れたりするのが一番怖ろしいのである。土地を分割する権利こそが権力であったこととも関係あるかも知れない。

「すると恵印がそこへ来てから、やがて半日もすぎた時分、まるで線香の煙のような一すじの雲が中空にたなびいたと思いますと、見る間にそれが大きくなって、今までのどかに晴れていた空が、俄にうす暗く変りました。その途端に一陣の風がさっと、猿沢の池に落ちて、鏡のように見えた水の面に無数の波を描きましたが、さすがに覚悟はしていながら慌てまどった見物が、あれよあれよと申す間もなく、天を傾けてまっ白にどっと雨が降り出したではございませんか。のみならず神鳴も急に凄じく鳴りはためいて、絶えず稲妻が梭のように飛びちがうのでございます。それが一度鍵の手に群る雲を引っ裂いて、余る勢いに池の水を柱のごとく捲き起したようでございましたが、恵印の眼にはその刹那、その水煙と雲との間に、金色の爪を閃かせて一文字に空へ昇って行く十丈あまりの黒竜が、朦朧として映りました。が、それは瞬く暇で、後はただ風雨の中に、池をめぐった桜の花がまっ暗な空へ飛ぶのばかり見えたと申す事でございます――度を失った見物が右往左往に逃げ惑って、池にも劣らない人波を稲妻の下で打たせた事は、今更別にくだくだしく申し上るまでもございますまい。

――芥川龍之介「龍」


考えてみると、龍はいまでも簡単に姿を現す。ドラゴンズはあまり勝たないが、キングギドラやシェンロンだったら空想の中でよく出てくる。ドラゴンは虚構の中に閉じ込めておくべきであった。現実に出そうとすると、なかなかもって、優勝できない。

汚濁

2021-01-28 23:09:13 | 文学


前の年、かくの如くからうじて暮れぬ。明くる年は立ち直るべきかと思ふほどに、あまりさへ疫癘うちそひて、まさざまにあとかたなし。世の人みなけいしぬれば、日を経つつきはまりゆくさま、少水の魚のたとへにかなへり。はてには、笠うち着、足引き包み、よろしき姿したるもの、ひたすらに家ごとに乞ひ歩く。かくわびしれたるものどもの、歩くかと見れば、すなはち倒れ伏しぬ。築地のつら、道のほとりに飢ゑ死ぬるもののたぐひ、数も知らず。取り捨つるわざも知らねば、くさき香、世界に満ち満ちて、変はりゆくかたちありさま、目も当てられぬこと多かり。いはんや、河原などには、馬・車の行き交ふ道だになし。あやしき賤、山がつも力尽きて、薪さへ乏しくなりゆけば、頼むかたなき人は、自らが家をこぼちて、市に出でて売る。一人が持ちて出でたる価、一日が命にだに及ばずとぞ。あやしき事は、薪の中に、赤き丹つき、箔など所々に見ゆる木、あひまじはりけるを尋ぬれば、すべきかたなきもの、古寺に至りて仏を盗み、堂の物具を破り取りて、割り砕けるなりけり。濁悪世にしも生れ合ひて、かかる心憂きわざをなん見侍りし。

わたくしは、あまりこういう場面がすさまじいとは思わない。「くさき香、世界に満ち満ちて、変はりゆくかたちありさま、目も当てられぬこと多かり」というのは実際の風景にはなりきっていない。これは、人心の変容と同じことのように鴨長明には映っている。そのあとの仏像・仏具破壊に続いていくからである。長明の目ははじめから「濁悪」に覆われてしまっている。むろん、これは彼が世を川に喩えていることなんかと相即的である。いざとなったら仏像や仏具など、生きるためにどうにかして当然である。

交際よ、汝陰鬱なる汚濁の許容よ、
更めてわれを目覚ますことなかれ!
われはや孤寂に耐へんとす、
わが腕は既に無用の有に似たり


――中原中也「山羊の歌」


実際の風景というのはこういうもので、汚濁そのものをみていてもこうはならないのであった。文学にも進歩はあった。

為政者のせいと描写

2021-01-26 23:45:17 | 文学


伝へ聞く、いにしへのかしこき御世には、憐みを以て国を治めたまふ。すなはち、殿に茅ふきて、その軒をだに整へず、煙のともしきを見たまふ時は、限りある貢物をさへ許されき。これ、民を恵み、世を助けたまふによりてなり。今の世のありさま、昔になぞらへて知りぬべし。

仁徳天皇のお墓が重要なのは、こういうエピソードの説得力がなくなってしまうからだ。あくまで仁徳天皇にはしっかりしてもらわなくてならぬ。しかし、よくわからんが、結局、節約して乗り切ったということではないか。いまだって、為政者に慈悲と節約をもとめる民は多く、事態を打開した合理的な人々はどこかに埋もれてしまっている。

長明は養和年間の飢饉がトラウマだったといわれることもある。二年ぐらい続いたのである。コロナもどれだけ続くか知らないが、危機というものは何年も続くことがあるのであった。

さまざまの御祈りはじまりて、なべてならぬ法ども行はるれど、さらさらそのしるしなし。京のならひ、何わざにつけても、みな、もとは、田舎をこそ頼めるに、絶えて上るものなければ、さのみやは操もつくりあへん。念じわびつつ、さまざまの財物かたはしより捨つるがごとくすれども、さらに目見立つる人なし。たまたま換ふるものは、金を軽くし、粟を重くす。乞食、道のほとりに多く、憂へ悲しむ声耳に満てり。

「方丈記」の真骨頂は、最初の抽象論ではなく、愚痴やこういう描写にあるのであるが、なぜ教科書は悟りきった長明像ばかり国民にすり込んでいるのであるか。人生諦めた方がよいと言って居るみたいではないか。

世の乱るる瑞兆

2021-01-25 23:06:41 | 文学


道のほとりを見れば、車に乗るべきは馬に乗り、衣冠布衣なるべきは多く直垂を着たり。都の手振りたちまちに改まりて、ただひなびたる武士に異ならず。世の乱るる瑞兆とか聞けるもしるく、日を経つつ世の中浮き立ちて、人の心もをさまらず、民の憂へ、つひに空しからざりければ、同じき年の冬、なほ、この京に帰り給ひにき。されど、こぼちわたせりし家どもは、いかになりにけるにか、悉くもとの様にしも作らず。

風俗の乱れは世の乱れる瑞兆、そりゃそうかもしれないが、もうすでに乱れておるではないか。ひどいですね、インテリはこのように世の乱れ(大乱)を待ち望んでいる。あんちゃんの武士化だけではつまらないからだ。

「平家物語」の生成への欲望は、こういうところにあるのであった。

そして、その乱れの口火を切るのは天皇である。お上が帰ってしまったぞ、さあお前等どうするんだよ、――いまもリベラル保守問わず、こんな感じでいきり立っているのであるが、その実うきうきしているのである。

あまり評判のよくないほうで有名なローマの最後の王様タルキヌスがほうぼうで攻め落とした敵の市街からの奪掠物で寺院を建てた。そのときに敷地の土台を掘り返していたら人間の頭蓋骨が一つ出て来た。しかし人々はこれこそこの場所が世界の主都となる瑞兆であるということを信じて疑わなかったとある。われわれの現在の考え方だと、これはなんだかむしろ薄気味の悪い凶兆のように思われるのに、当時のローマ人がこれを主都のかための土台石のように感じたのだとすると、その考え方の中にはどこかやはり「人柱」の習俗の根柢に横たわる思想とおのずから相通ずるものがあるような気がする。

――寺田寅彦「柿の種」


考えてみると、天皇は、生きている発掘物みたいなものかもしれないのだ。

牛のいる風景

2021-01-24 23:21:54 | 文学


また、治承四年水無月のころ、にはかに都遷り侍りき。いと思ひの外なりしことなり。おほかた、この京のはじめを聞けることは、嵯峨の天皇の御時、都と定まりにけるより後、すでに四百余歳を経たり。ことなるゆゑなくて、たやすく改まるべくもあらねば、これを、世の人安からず憂へあへる、実にことわりにもすぎたり。
されど、とかく言ふかひなくて、帝より始め奉りて、大臣・公卿みなことごとく移ろひ給ひぬ。世に仕ふるほどの人、たれか一人ふるさとに残りをらん。官・位に思ひをかけ、主君のかげを頼むほどの人は、一日なりともとく移ろはんとはげみ、時を失ひ、世に余されて、期するところなきものは、愁へながら止まりをり。軒を争ひし人の住まひ、日を経つつ荒れゆく。家はこぼたれて淀河に浮かび、地は目の前に畠となる。人の心みな改まりて、ただ、馬・鞍をのみ重くす。牛・車を用とする人なし。西南海の領所を願ひて、東北の庄園をこのまず。


清盛が福原京へ遷都を強行したきもちも、いまの神戸に行ってみるとわかる気がするのだ。京都はなんか不安がつきまとう土地なのだ。海から遠いこともあって機動性に欠ける。寒いし。一見、福原京への遷都はすぐつぶれたみたいな気が、教科書を読むとするのであるが、ちゃんと遷都の時流に乗ってそそくさと京を去った人々がいたことを、人の気持ちはすぐ変わってしまうことを、鴨長明は怨恨とともに書き記している。今も昔もそんなものなのである。

福原京は、わが木曾義仲がすべて焼き払った。

「家はこぼたれて淀河に浮かび、地は目の前に畠となる」、こういう風景が、「よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし」というせりふに貼り付いている。いらいらした長明は歯がみをしながら、木曾義仲の気持ちになったりはしないのだ。

「牛ですか」
 と云った。そしてまたワキ目もふらずに本を読みつづけた。
 そうか。彼のアダ名はバカではなくて、牛だったなと緒方は思いだした。この二ツはこの場合に限ってとかく混乱し、なぜかバカを思いだすが牛の方があくまで適切である。牛ですか、と呟いただけでワキ目もふらずに本を読みつづけている学生が、いかにも人間という高尚なまた尊厳なものに見えたほど適切そのものであった。
 牛は五尺七寸五分、二十三貫五百の体躯があった。八百メートルはこの県のNo2で、二分一秒八の記録をもち、また柔道三段であった。一般に両立しないものとされている競走と柔道を牛に限ってなんの制約も感じることがないようにやりこなしていた。そして頭の悪いことでも、この大学では指折りだ。彼は非常に勤勉で、努力家であった。そして一心不乱に試験勉強も怠らなかったが、彼が三年かけて為しとげた成果は、まだ試験を受けたことのない新入生と殆ど変りがなかったのである。


――坂口安吾「牛」


アニミズムはむしろ、近代文学に於いて復活した。今日も、牛を食べている自分たちをスマホで撮ってみたら、すごい風景であった。鴨長明には、そういう獣の姿が見えないのだ。

さるべきもののさとしか

2021-01-23 22:03:31 | 文学


また、治承四年四月のころ、中御門京極のほどより、大きなる辻風おこりて、六条わたりまで吹けること侍りき。三、四町を吹きまくる間に、こもれる家ども、大きなるも、小さきも、ひとつとして破れざるはなし。さながら平に倒れたるもあり、桁柱ばかり残れるもあり、門を吹き放ちて四、五町がほかに置き、また垣を吹き払ひて隣とひとつになせり。いはむや、家のうちの資材、数を尽して空にあり。檜皮、葺板のたぐひ、冬の木の葉の風に乱るるがごとし。塵を煙のごとく吹き立てたれば、すべて目も見えず。おびたたしく鳴りとよむほどに、もの言ふ声も聞こえず。かの地獄の業の風なりとも、かばかりにこそはとぞおぼゆる。家の損亡せるのみにあらず、これを取り繕ふ間に、身を損なふ人、数も知らず。この風、未の方に移りゆきて、多くの人の嘆きなせり。辻風は常に吹くものなれど、かかる事やある。ただ事にあらず、さるべきもののさとしかなどぞ、疑ひ侍りし。

地獄は名指されているのに、「さるべきもののさとし」では「もの」としか言われておらず、決して神仏ではない。地獄には神仏ではなく「もの」によってもたらされるのだ。なるほど、鴨長明の視線は、吹き飛ぶ「もの」たちの具体的な様子に向けられている。「目も見えず。おびただしく鳴りとよむほどに、もの言ふ声も聞こえず」なのである。「目」でみえるもの、「もの言う」を、音が消し去る。ものが力としての物質と化した世界である。だから、この世界は「もの」の「さとし」なのである。

何故かと云うと、この二三年、京都には、地震とか辻風とか火事とか饑饉とか云う災がつづいて起った。そこで洛中のさびれ方は一通りではない。旧記によると、仏像や仏具を打砕いて、その丹がついたり、金銀の箔がついたりした木を、路ばたにつみ重ねて、薪の料に売っていたと云う事である。

――「羅生門」


芥川龍之介は物の変容に気をとられている。とはいっても、彼も次第に物から諭しが発せられているような気分になっていった。

幼稚園の頃、お祭りの天狗に話しかけられて非常に怖ろしかったのだが、その似た感覚をロボコンやウルトラマンにも覚えたものだ。いま、エイリアンを観てうきうきしているわたくしにとって――思うに、本当に天狗の仮面をつけた人間の方が怖ろしいものなのである。そこには二つの顔があって、外側の仮面の顔が物質であるのはもちろん、裏の顔すらも物質性を帯びているのである。そのことによって、逆にその物質からは「もののさとし」が生じている。

心の建築

2021-01-22 22:03:31 | 文学


人のいとなみ、皆愚かなる中に、さしもあやふき京中の家をつくるとて、宝を費し、心を悩ます事は、すぐれてあぢきなくぞ侍る。

どうみても怨恨がある人間の言いぐさである。人の営みは別に皆愚かではない。わたくしは、日本人の家に対する拘りのなさ――すぐに水と火で壊れてしまうからかも知れないが――が、論理的な能力の限界をつくっているように思えてならないのだ。論理は我々の外側にある。我々の趣味を表出するのではいけない。我々は根本的に「環境」を創造するという姿勢に興味がない。ソローの気持ちなんかわからないのである。

大統領の就任式をみてたら、その舞台が非常に立体的につくられていて、その仰々しさにいやな感じがしたが、これこそがわれわれに打ち勝った力なのだ。

光源氏は、六条院をつくったが、それは彼の頭にある世界そのものであった。わたしなら、女たちの代わりに壮大な書庫をおっ立てるところだ。――しかしまあ、源氏にしてもわたしにしても、女や書物を側に置いてなでるようになっちゃオシマイである。

「やはり愚な男があった。腹が減っていたので有り合せの煎餅をつまんでは食べた。一枚食べ、二枚食べして行って七枚目の煎餅を半分食べたとき、彼の腹はちょうど一ぱいになったのを感じた。男は考えた、腹をくちくしたのは此の七枚目の半分であるのだ。さすれば前に食べた六枚の煎餅は無駄というものである。それからというものは、この男は腹が減って煎餅を食べるときには、先ず煎餅を取って数えた。一枚、二枚、三枚、四枚、五枚、六枚、そしてこれ等の六枚の煎餅は数えただけで食わないのである。彼は七枚目に当った煎餅を口へ持って行き半分だけ食った。そしてそれだけでは一向腹がくちくならないのを如何にも不思議そうに考え込んだ」(百喩経より)

――岡本かの子「愚かな男の話」


我々にはこういうところがある。そういえば、人間失格の主人公も空腹の意識があるとかないとかで悩んでいた。そんなことはどうでもいいじゃないか。

今日は、またテレビで「エヴァンゲリオン」をやっていたが、これも、頭の中を都市にしたらみたいなアニメで、――結局、この世界において国連や天皇制がどのように設計されているかさえはっきりしていないのだ。この作品は基本的に、バブルの反省みたいなところがあるのだが、意識を反省したところで何も出てこないのは当たり前である。

「ものの心」考

2021-01-21 23:11:22 | 文学


予、ものの心を知れりしより、四十あまりの春秋を送れる間に、世の不思議を見ること、ややたびたびになりぬ。
去んじ安元三年四月二十八日かとよ。風激しく吹きて、静かならざりし夜、戌の時ばかり、都の東南より火出で来て、西北に至る。果てには朱雀門、大極殿、大学寮、民部省などまで移りて、一夜のうちに塵灰となりにき。


確かに、「ものの心」を知るようになってから、「世の不思議」が眼に映るようになるのだ。これは安元三年の大火に遭遇した鴨長明ばかりではない。みんなそうなのだ。災害はコンスタントに起こっている。しかし、それが不可思議に映るためには分別がついていることが重要なのだ。

わたくしも最初に記憶に残っているのは昭和58年台風第10号である。もう歴史に埋もれてしまったが、けっこうな雨台風であった。わたくしの人生に合わせるように、大学卒業時に阪神淡路とオウム、大学院修了時にフセイン拘束、……。もちろん、ショーペンハウアーの論文を書きながら9・11や、中勘助の論文をかきながらの東日本大震災なども印象に残っている。

つまり、「ものの心」というレベルと「世の不思議」はしっくりいく。その程度のものであり、自分の危機とは関係がないのだ。「ものの心」といわば
「自分という心」とは別ものである。「ものの心」はある種の空白なのである。

こころからながるる水をせきとめて おのれと淵に身をしづめけり
心をばこころの怨とこころえて こころのなきをこころとはせよ
こころをばいかなるものとしらねども 名をとなふればほとけにぞなる


上は一遍の歌だが、ある種の自分への言い聞かせである。我々はつい暇に任せて「ものの心」を醸成させていってしまうからだ。

「私は殉死という言葉をほとんど忘れていました。平生使う必要のない字だから、記憶の底に沈んだまま、腐れかけていたものと見えます。妻の笑談を聞いて始めてそれを思い出した時、私は妻に向ってもし自分が殉死するならば、明治の精神に殉死するつもりだと答えました。私の答えも無論笑談に過ぎなかったのですが、私はその時何だか古い不要な言葉に新しい意義を盛り得たような心持がしたのです。

――漱石「こころ」


漱石は心が、不要とか意義みたいな言葉によって成立してしまうことを知っていた。鴨長明も、無常の思想を述べた後、その空白を埋めるように、火事の記述を新聞記者のように書き始めている。不のあとには意がくる。

イデオロギーなんかも、結局、心の中にあるだけでは空白になってしまう。折りたたまれて、事実のイメージによって埋められる必要がある。

生と死――朝顔を中心に

2021-01-20 23:39:54 | 文学


空海曰く「生まれ生まれ生まれ生まれて生の始めに暗く、死に死に死に死んで死の終りに冥し」と。よくわかりませんが、雰囲気からして絶対に死なないようです。空海はまだ生きているのも当然です。これにくらべて、鴨長明は否定から入る男。

知らず、生まれ死ぬる人、いづかたより来たりて、いづかたへか去る。また知らず、仮の宿り、たがためにか心を悩まし、何によりてか目を喜ばしむる。その、あるじとすみかと、無常を争ふさま、いはば朝顔の露に異ならず。あるいは露落ちて花残れり。残るといへども朝日に枯れぬ。あるいは花しぼみて露なほ消えず。消えずといへども夕べを待つことなし。

「知らず」の啖呵がパンチのように繰り出されます。ちょっとキツイとおもったのか、無常の例が朝顔とその中にいる露。きれいだね……

わたしは古人の隠逸を学ぶでも何でもなく、何とかしてこの暑苦を凌ごうがためのわざくれから、家の前の狭い路地に十四五本ばかりの竹を立て、三間ほどの垣を結んで、そこに朝顔を植えた。というは、隣家にめぐらしてある高いトタン塀から来る反射が、まともにわたしの家の入口の格子をも露地に接した窓をも射るからであった。わたしはまだ日の出ないうちに朝顔に水をそそぐことの発育を促すに好い方法であると知って、それを毎朝の日課のようにしているうちに、そこにも可憐な秋草の成長を見た。花のさまざま、葉のさまざま、蔓のさまざまを見ても、朝顔はかなり古い草かと思う。蒸暑く寝苦しい夜を送った後なぞ、わたしは町の空の白まないうちに起きて、夜明け前の静かさを楽しむこともある。二階の窓をあけて見ると、まだ垣も暗い。そのうちに、紅と藍色とのまじったものを基調の色素にして瑠璃にも行けば柿色にも薄むらさきにも行き、その極は白にも行くような花の顔がほのかに見えて来る。物数寄な家族のもののあつまりのことで、花の風情を人の姿に見立て、あるものには大音羽屋、あるものには橘屋、あるものには勉強家などの名がついたというのも、見るからにみずみずしい生気を呼吸する草の一もとを頼もうとするからの戯れであった。

――島崎藤村「秋草」


藤村は早起きして暗闇のなかの朝顔を見た。さすがである。これくらべて長明は、暇なのかなんなのか、朝顔がしぼんだり露がどうなるかを眺めていたのであろう。働くべき昼間に無為に過ごしているのだから、そりゃ無常を感じるわ。

世の中に泡沫なるものあり

2021-01-18 23:07:46 | 文学


たましきの都のうちに、棟を並べ、甍を争へる、高き卑しき人のすまひは、世々を経て尽きせぬ物なれど、是をまことかと尋 ぬれば、昔しありし家はまれなり。或は去年焼けて今年作れり。或は大家滅びて小家となる。住む人も是に同じ。所もかはらず、人も多かれど、古見し人は二三十人が中に、わづかに 一人二人なり。朝に死に、夕に生るゝならひ、たゞ水の泡にぞ似たりける。


たましきの都という表現が、確かに泡沫の形状をどことなく受け継いでおり、出落ちの感すらあるのだ。それらは泡沫のように、棟を並べ、甍の高さを争う。つまり横に上にと動いている、全体としてはその運動は代々つきないが、よく本当はどうかと見てみると、昔のままの家は希なのだ。そりゃそうである。去年焼けたので今年つくっている。大きい家が小さいに家になっている。住む人も同じだ。全体としては家の場所は変わらず住んでいる人も多いのだが、昔からいる人は二三十に一人二人かといったところだ。だいたい、朝に死ぬ、夕べに生まれる、そんな習いというものが水の泡みたいなもんだ。

最初から全体としての流れの不変さと個々の無常さという図式をつくっているもんだから、人間界もこういうふうにみえるのである。

が、しかし、木曽川や八沢川のあたりなんかには、玉敷の都どころじゃなく、家も人もぽつんぽつんといったところだ。川の縁にしがみついてやっとこさ生きているのが田舎の人々だ。川に喩えられるのは、京都が川みたいに幅広く、その中に判別できないくらい人がひしめき合っているからにすぎない。そこにあるのは、個々の人間よりの存在よりも都の存在の不変性への信仰なのだ。だいたい京都は、いつのころからか他に遷都しようという気をなくした。河の流れも変わるものなのに。忠告します、もう都は東京にうつっております。

人間の存在は不変でもないが無常でも何でもない。

 嵐とは一回キスしただけだ。
 ここが日本だからまだ良かったが、外国だったらそんなのほとんど友達以前の範疇だ。そしてすぐに彼は遠いところへ行ってしまった。だから、わたしにはまだこれが恋かどうかも本当にはわからない。さっぱりわかってない。
 それでも嵐を好きになってから私は、恋というものを桜や花火のようだと思わなくなった。
 たとえるなら、それは海の底だ。


――吉本ばなな「うたかた」


本当に泡沫なるものは、こういうかんじのものを言う。恋かどうかもわからないものが海の底な訳がないじゃないか。わたくしは、中学の時にこの作者のデビューを伝聞し、一応読んだ。恋というものはそもそもはっきりしないモノらしいが、私にはそうはおもえなかった。大人になると吉本のいう恋に突き当たると思っていたが、いまだにさっぱりだ。

鴨長明も吉本みたいな人だったのかも知れない。

我々の過去

2021-01-17 22:32:26 | 日記


上は、研究室にある終戦直後の本。

平凡社から1950年代に出ていた『綴方風土記』をみてみると、日本の農村のかなりの部分が藁葺き屋根であるようにみえる。そんな状態で戦争をやっていたのだ。細君にそういうと、「3匹の子豚みたいに」と言った。そういえば、第一子豚がオオカミの鼻息(違うか)かなんかで藁葺き屋根を吹き飛ばされて食べられていた。

日本でこういう話をすると、第一番目だからパイオニアだとか、想定外だとかなんとか理屈をつけて合理化しようとする輩がでてくるが、負け豚の遠吠えである。

関係ないが、旧センター入試の試験監督を長年やっていると、自分と試験会場の一体化意識現象があるように思う。主任監督の先生なんか、自分の言葉がまるで恩寵のように天井から響いてくるみたいにかんじるのではないか。無論スピーカーのせいである。

やたらめったら動員して、日本は戦争に負けた。馬鹿だからであった。