★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

ガッツさんと武蔵鐙

2018-10-31 23:29:23 | 漫画など


コンビニで見かけたのだが、――三浦建太郎の「ベルセルク」がまだ終わってないことに気がついた。いま40巻である。ちょっとのぞいてみたら、主人公のいかつい男(名前忘却)がどこにも見当たらない。よくみると、犬がいて「ガッツさん」と呼ばれている。ああ、主人公はガッツだった。というか、いつの間に犬に……。どうやら、トラウマでおかしくなってしまった女の子(名前忘却)の意識の中に、なんか魔法使いみたいな二人組が入り込んでて、その意識の中では、ガッツさんは犬らしいのだ。

大願成就と聞いて、犬は嬉しくてたまらんので、三度うなってくるくるとまわって死んでしもうた、やがて何処よりともなく八十八羽の鴉が集まって来て犬の腹ともいわず顔ともいわず喰いに喰う事は実にすさましい有様であったので、通りかかりの旅僧がそれを気の毒に思うて犬の屍を埋めてやった、それを見て地蔵様がいわれるには、八十八羽の鴉は八十八人の姨の怨霊である、それが復讐に来たのであるから勝手に喰わせて置けば過去の罪が消えて未来の障りがなくなるのであった、それを埋めてやったのは慈悲なようであってかえって慈悲でないのであるけれども、これも定業の尽きぬ故なら仕方がない、これじゃ次の世に人間に生れても、病気と貧乏とで一生困められるばかりで、到底ろくたまな人間になる事は出来まい、とおっしゃった、…………………というような、こんな犬があって、それが生れ変って僕になったのではあるまいか、その証拠には、足が全く立たんので、僅に犬のように這い廻って居るのである。

――正岡子規「犬」


私は、10年前ぐらいから犬に関わる小説を集めていて、まだ論文に書いてないが、少しずつ読んでいる。わたくしが正岡子規をわりと好きなのは、上の文章を読んだからだが、ガッツさんは無事に老後を迎えられるであろうか。そういえば、ガッツさんはあんまり馬に乗っていなかった気がするが、馬に乗りすぎた御仁といえば、

聞こゆれば恥づかし、聞こえねば苦し

とただ言えばいいものを「むさしあぶみ」と書いてしまったので京の女に怒られた昔男がいた。よくわからんが、そもそも上の発言が、Aならば~、Aじゃなければ~云々という――理屈っぽすぎるものであった。それにしてはいってみたくなる類いのもので、

武蔵鐙さすがにかけて頼むにはとはぬもつらしとふもうるさし

と女。男はすかさず

とへばいふとはねば恨む武蔵鐙かかるをりにや人は死ぬらむ

と言い返す。最後に「死ぬ」と言ってしまったのは論理のなせるわざだ。もはや心情ではない。対して、「ベルセルク」は心情に拘りすぎている気がする。とはいえ、あまりに細密画ばっかり描いていたら、知らぬ間に近代じゃない世界を覗いていることはありうるのかもしれない。作家達は、われわれの大多数より先んじて、次の暗黒時代を生きる覚悟を決めているようである。

つまもこもれり我もこもれり

2018-10-30 23:00:33 | 文学


武蔵野はけふはな焼きそ若草のつまもこもれり我もこもれり


十二段の昔男は、武蔵野で人の娘を盗んで逃げていた。娘を草の中に置いて逃げたら、追っ手が草むらに盗人がいると思って火をつけようとした。そのときに、娘が詠んだのが上の歌。「つまもこもれり我もこもれり」というのが、とても愉快な歌である。昔男とともに捕まりたかったのか、歌としてはとっさに巧みにつくってしまったのか……

中上健次なら、武蔵野の野っ原で焼け死ぬ恋人達を描いてくれそうである。太宰治なら……草じゃなく……。安部公房なら、草むらのなかで穴を掘ってもぐらに変身。

そういえば、夫婦で引きこもりになってしまう例とかはあるのであろうか。「つまもこもれり我もこもれり」……えらいこっちゃ

昔取った杵柄

2018-10-29 23:29:23 | 文学


みよし野の たのむの雁も ひたぶるに 君がかたにぞ よると鳴くなる  

わが方に よると鳴くなる みよし野の たのむの雁を いつか忘れむ


伊勢物語の第十段では、昔男が武蔵野でも女の子を追いかけていた事態が描かれている。とはいっても、女の子本人はこの際どうでもよく、藤原氏の母が娘こそは思って貴人(昔男)に歌を送ったら、昔男は昔取った杵柄で歌を返したのであった。上のやりとりがそれであるが、まったくコミュニケーション能力(笑)みたいな歌で、――いっそあんた達が結婚すれば良いのにというかんじである。歌の世界はよくわからんが、上のやりとりは果たしてそんなたいしたものであろうか。どうもそんな感じはしないので、

人の国にても、なほかかることなむやまざりける。

という話者の語りは、相変わらずですなあ、という棒読みコメントとしてわたくしは断固解釈するぞ。

早い話が、この時もしおれが居なければ、あの新聞は四号で潰れていたところだ。当時お前も、
「――古座谷さん、この恩は一生忘れませんぞ」
 と、呶鳴るように言っていたくらい、随分尽してやったものだ。印刷は無論ただ同然で引き受けてやったし、記事もおれが昔取った杵柄で書いてやった。なお「蘆のめばえ咲分娘」と題して、船場娘の美人投票を募集するなど、変なことを考えついたのも、おれだった。これは随分当って、新聞は飛ぶように売れ、有料広告主もだんだん増えた。
 もっとも、こう言ったからとて、べつだん恩に着せようというのではない。それに、もともとこの船場新聞ではお前もたいして得るところはなかった。それのみか、某事件の摘発、攻撃の筆がたたって、新聞条令違反となり、発売禁止はもとより、百円の罰金をくらった。続いて、某銀行内部の中傷記事が原因して罰金三十円、この後もそんなことが屡々あって、結局お前は元も子もなくしてしまい無論廃刊した。
 お前は随分苦り切って、そんな羽目になった原因のおれの記事をぶつぶつ恨みおかしいくらいだったから、思わずにやにやしていると、お前は、
「あんたという人は、えげつない人ですなあ」
 と、呆れていた。
「――まあ、そう言うな。潰してしまっても、もともとたいした新聞じゃなかったんだから……」
 と、笑っていると、お前は暫らくおれの顔を見つめていたが、何思ったか、いきなり、
「――冗談言うと、撲りますぞ」
 と、言って出て行き、それきりおれのところへ顔出しもしなかったが、それから大分経って、損害賠償だといって、五十円請求して来た。


――織田作之助「勧善懲悪」


上の織田の作品はどういう筋だか忘れた。――思うに、昔男は風流な男として名を残しているわけであるが、「昔取った杵柄」みたいな男は、だいたい上のような男の場合が多いと思うのだ。こういう感じをあばいただけでも近代文学には意味があったと言わざるを得ない。

身を要なきものに思ひなして

2018-10-28 23:21:21 | 文学


伊勢物語でとても有名な東下りの段を再読してみた。この箇所は、予備校や塾、高等学校で何回も黒板を背にして偉そうに語ったことがある……。だから確かによく覚えていたが、――職業上しょうがないとはいえ、例の「唐衣 きつつなれにし つましあれば はるばるきぬる 旅をしぞ思ふ」の〈かきつばた〉の箇所ばっかり語っていて、あとは、飯が涙で「ほとびにけり」のとこを強調したりして、全くもって平凡なことであった。

読み直して思ったのが、最初の

その男、身を要なきものに思ひなして、京にはあらじ、あづまの方に住むべき国求めにとてゆきけり


の前半がいいということに気がついた。「昔、男ありけり」に続いて「その男、身を要なきもの」と言っているわけでこりゃ重大である。単に京に身の置き場がないのではなく、端的に「身を要なきもの」とみたわけである。だいたい、現代では、旅に出るときには、なにかアイデンティティみたいなものを探しに行くというあれが流行っているのかもしれないが、身を要なきものと見た男にうつる風景はどんなであったろう。

時知らぬ 山は富士の嶺 いつとてか 鹿の子まだらに 雪の降るらむ

その山は、ここにたとへば、比叡の山を二十ばかり重ねあげたらむほどして、なりは塩尻のやうになむありける。


なにを訳わかんないこと言ってるんだと東の国の出身であるわたくしは思うが、考えてみると、彼にはもう風景などどうでもよかったに違いない。そういえば、五木寛之の『内灘夫人』の最後に、「できるだけ遠くに行ってみよう」とか書いてあったのを、勝手にがんばってくれ、とかからかっていた十代のわたくしであったが、少し考え直してみようと思った。


浅間の嶽にたつ煙

2018-10-27 23:35:11 | 文学


信濃なる浅間の嶽にたつ煙をちこち人の見やはとがめぬ

わたくしは、小さい頃から山を眺めるのが好きで、やることがなくなったら沢山見に行きたいと思っているのであるが、伊勢物語の昔男は、浅間を見ても煙を噂話のそれとしか認識しないという、まったくすべての意識が恋に向かってしまうどうしようもない御仁であった。浅間の煙を見て、「をちこち人の見やはとがめぬ」とか、あんたの恋は浅間山の噴火に比べりゃ線香みたいなものではないか、誰も咎めんわっ

とはいっても、失恋したりしたときなど、R・シュラウスの「アルプス交響曲」なんてのは何のあれにもならず、マーラーのけったくそ長い交響曲第三番の方がよほど慰めになる。この曲はどうもアルプスの描写みたいなところから始まるのであるが、延々自然か何かを描きながら、最後は愛の賛歌みたいな緩徐楽章を盛り上げていく。人の心というもののあまりにも勝手な振る舞いをマーラーは分かっていた。ただし、羞恥心もなく、こんな曲が書けるのだから、奥さんにも愛想を尽かされるわけである。

昔男も、その歌の壮大さからしてそんな心の爆発だけすごい人だったのかもしれない。しかし、――この歌をよんだ人が浅間を見たことがあるのか分からないけれども、浅間山というのは結構アブジェクションの趣がある山でもあって、――こっちに気持ちが投影されているんだとしたら、わたくしは昔男に同情したいと思う。




「かへる浪かな」と自己表出

2018-10-26 23:18:09 | 文学


いとゞしく過ぎ行く方の恋しきにうらやましくもかへる浪かな

京にいづらくなって東下りをする昔男であるが、海岸でこの歌を詠んだ。わたくしが山の人間であるせいなのかどうもこの歌の気分が分からず、以前、――「かへる浪」をうらやましいと思うのは、かえるようでかえらない、寄せては返す優柔不断な浪に共感していたのかもしれないとは思った。昨日読んでみて思ったのだが、「いとゞしく過ぎ行く」というはやさからみれば、浪は相対的にかえってゆくように見えるのかもしれない。今度海岸を歩いてみることにしよう。それにしても「伊勢、尾張のあはひの海づら」とはどの辺であろう……

そういえば、吉本隆明の『言語にとって美とは何か』というのは、近代文学の学徒にとってよりも、古典文学の方から見た方がいいような気がしてきている。吉本というのは、詩人というより歌人という感じの人ではなかろうか。もっというと、歌謡曲の詩人という感じか……

最近、授業などでも語り口の改革をやろうとしているのであるが、これは認識の変化に対するいかなる認識を以てのぞむかということに関わっている。たぶんその姿勢あたりに吉本の「自己表出」という概念に込めようとした、長い変化に対する認識のしんどさ――があるのであろう。確かに、実際に孤独ではなくとも、孤独を感じる姿勢である。なぜだか、こういう姿勢ではわれわれは防御を甘くし、批判を浴びつづけるような弱さを持つことになる。他人にとっての明晰さで自分を武装することができず、自分の行動と思考の経過にひたすら誠実であろうとするからである。

考えてみると、まだ吉本の活躍した時代は、上の弱さを強さと認識するような誠実さがあり得たような気がする。これから本当にそれが可能なのかわたくしは単純に迷っている。単純に、体が持つかどうか、と。

消えなましものを

2018-10-25 23:07:10 | 文学


お姫様に永年求婚しついに闇夜に彼女を連れ出した男は、酷い悲劇に見舞われた。

芥河といふ河を率て行きければ、草の上に置きたりける露を、「かれは何ぞ。」となむ男に問ひける。

この表現が、激しい雷雨の中、背後でお姫様が一瞬で鬼に食い去られる場面を挟んで、

白玉か何ぞと人の問ひしとき露と答へて消えなましものを


という和歌に流れ込むところに多くの人が興奮する。露と消える、というところに表現の力が集中して、その結果現れるのは、かえって芥河や白玉や雷雨の鮮烈さで、なんとなく、男の悲しみを一瞬忘れそうになる。さすがに坂口安吾は「文学のふるさと」で、この場面について、愛の強さと美しさがあってこその惨たらしさなのだと言っている。安吾はこういう話を絵みたいに眺めることを嫌っていたに違いない。しかも、安吾はこのあとにつづくところの、――実は鬼の話はでっち上げで、お姫様の兄貴達が取り戻したのだという注釈を問題にしなかった。――しかし、実際の、われわれの愛の「想世界」(透谷)のなかには、十分このような注釈みたいな自意識的なこねくり回しがあり、サブライムもなけりゃ愛の美しさなんかも、ないと言えばない。安吾はやっぱり青春がほしいのであった。

もっと持続的なずるずるした美しさならある。いまや、そんな事象を検討するほどの頭の鋭さをかなりの人たちが失っているようにも思えるのであるが……。学術機関がサミュエル・ジョンソンのことを知らないようでは。

遠い時代の声を聞く、(出来ない事がし度いのだよ――。)

2018-10-24 23:43:26 | 文学


野上吉郎「無理」は『コギト』(昭7・10)に載った小説である。この小説は、三つの部分からなっていて、それぞれ幼年期、小中学校時代、大学時代の「太郎」の心情がつづられている。

幼年期は「気分の中で生きてゐた」。母親にだだをこねながら「無理」というのが許せなく、「出来ない事がし度いのだよー。」と心の中での叫びが描かれるところで終わる。小学校の時には、世界に「堅い戸のようなもの」ひいては「死」の可能性があることに気づき夜眠れなくなったりするのであるが(大江健三郎の「セブンティーン」の御仁は十七歳でこの段階であった。哀れである)、中学生の時に「生命は限界迄押しつめられてあの儘で行けば病気になってしまう」から、自ら「自分の位置を回復」し「生きて居る限り、生きて行けるように元来出来上がっている」のだと納得する(ハイデガー氏は大学の教員時代にこの段階であった。哀れである)。大学生になると、昔の自分を冷笑できるようになって、しかのみならず、暇なのであれこれ考えている。

太郎は本当に幼い頃の太郎ではないのだろうか。

知るかっ。であるが、大学生というのはこういうことを考えがちなのである。で、中学のときの「死からの逃避」なんかの是非を自己内対話したりするのであった。それはどうやら哲学や文学(藝術)の対話でもあるようだった。で、結局、哲学の深さと芸術の豊かさを両立したいと思うことになる。彼は運動場で動き回っている人びとを眺めながら言う。

(身の締まるような深さに潔められた、絢爛たる文化生活。是は確かに不可能だ。だが、不可能でも、なんでもこの二つは一つにならねばならぬ。そして其の生活の中に何か寄与する事が出来れば。)

最後に、もう一回彼は

遠い時代の声を聞く、(出来ない事がしたいのだよ――。)


勝手に頑張ってくれとしか言いようがないが、なぜかというと、大学生以前の、特に幼児期の太郎の描写があまりにも嘘くさく、そんなところに原点を見たところでどうしようもないからであった。哲学と文学を深さと豊かさに振り分けているところも変である。思うに、わたくしも、大学生の頃はこんな感じであった。しかし、曲がりなりにも勉強を続けると、過去の自己認識というのは大概間違っていて、つまり、自分のいままでの考えというものはだいたい間違っていて、現在目に見える認識を組み立てていく他はないと言うことが分かってくる。これは非常に勇気のいることではあり、ネット世界で吠えている連中の大概は、この勇気から遁走しているような気がする。

この小説の場合は、幼児期への偏執がいやだなあ……妙だなあ、これはロマン派の特徴ですらないと思うよ……。

わらはべの踏みあけたる

2018-10-23 23:30:49 | 文学


人知れぬわが通ひ路の関守はよひよひごどにうちも寝なゝむ


『伊勢物語』の五段の男は、女の元に通うのに、門から入れなかった。「みそかなる所」――忍ぶ場所だったからである。だから、「わらはべの踏みあけたるついひぢの崩れ」から入った。しかし、聞きつけたあるじが人を呼んで警備に当たらせてしまった。で、詠んだのが上の歌であった。女は心を病んでしまった。

読者は、最後に、この女は二条の后なので兄たちが見張りをつけたようでした、とあり――このスキャンダルな状況に気をとられてしまう。

わたくしは想像する――関守がそんな簡単に眠るはずがないのだが、それ以前に、築地をちゃんと修理した方がはやかったのではないかと。すなわち、わたくしには、築地を本能的に蹴り崩してしまう子ども達、それを利用してこそこそと忍んでゆく若い男と、それを阻んでしまった大人達の物語にも感じられたのであった。近代文学だったら、意味ありげに築地の泥の描写などしてしまうのかもしれない。

「うん、当らずと雖も遠からずだ」喬介が云った。「つまりひとつの空気反射だね。温度の相違などに依って空気の密度が局部的に変った場合、光線が彎曲して思いがけない異常な方向に物の像を見る事があるね。所謂ミラージュとか蜃気楼とかって奴さ。そいつの、これは小規模な奴なんだ。……今日は、あの惨劇の日と同じように特に暑い。そしてこの南向の新しい大きな石塀は、向いの空地からの反射熱や、石塀自身の長さ高さその他の細かい条件の綜合によって、ひどく熱せられ、この石塀に沿って空気の局部的な密度の変化を作る。するといま僕達の立っている位置から、あのポストの附近へ通ずる光線は、空中で反射し屈折しとてつもない彎曲をして、ひょっこり『石塀の奇蹟』が現れたんだ」そして喬介は郵便屋を顎で指して笑いながら、「……ふふ……見給え。規定された距離を無視して近付いた郵便屋さんは、もう双生児ではなくなって、恐らく先生も、いま僕達の体について見たに違いない不思議に対して、あんなに吃驚して立ってるじゃあないか。

――大阪圭吉「石塀幽霊」


あまり人間でないものに注目すると、恋などを忘れ、幽霊とか蜃気楼の方に引き寄せられてしまうから気をつけた方がいいかもしれない……

「花の色なくて匂い残れるがごとし」のあと

2018-10-22 23:22:18 | 文学


「本意にはあらで、心ざし深かりける人、行き訪ひける」の部分は解釈が難しいと言われているが、とにかく女は手の届かぬ所に行ってしまった。

月やあらぬ春や昔の春ならぬわが身ひとつはもとの身にして

『伊勢物語』だと、この歌の前には「またの年の睦月に、梅の花盛りに、去年を恋ひて行きて、立ちて見、ゐて見、見れど、去年に似るべくもあらず。うち泣きて、あばらなる板敷に月の傾くまで臥せりて、去年を思ひ出でて詠める。」とあるが、ちょっと説明過剰な気がした。というのも『古今集』では、「月のかたぶくまであばらなる板敷にふせりてよめる」とだけあるからである。

すごく巧妙な歌であるようにおもうのであるが、――春を二回言っているのに月は一回であり……、身も二回言っているのに、今は「もとの」「ひとつ」の身しかないということと、今見えている月に対して「月やあらぬ」、という悲痛な感じとがよく重なり合っているように思う。

歌の勉強はほとんどしたことがないから、これから少しずつやるつもりである。上は、仮名序に取りあげられている有名な歌である。業平の歌は「その心あまりて、ことばたらず。しぼめる花の色なくて匂い残れるがごとし」と評されている。わたくしは別に「ことばたらず」だと思わないのであるが、それはともかく、われわれのその「匂い」を評しようする欲望はやっかいである。わたくしは『伊勢物語』の語り手がそれに成功したとはいえないとおもった。

おたまじやくしの泳ぎ出す春の近さが思はれ

2018-10-21 23:39:44 | 文学


田中克己の「春来る海市」(『コギト』昭7・10)は、なんとなく心に残る話で、わたくしは、成瀬正一の渡米前の日記のなかの、英語(だったとおもう)の女教師に対する思慕を思い出した。この日記はなかなか生々しいもので、ロマン・ロランに心酔した彼が芥川龍之介の才能に対して持つ怨念のようなアンヴィヴァレンツな心情などとともに、彼が西洋の女性に対してどのような感情を持っていたのかがうかがわれる。彼が当時、宗教がかっていることもあるのだが、とうていそれは性欲などというものでくくれるものではない。

田中の小説は、十才ぐらいの「私達」の、同級生アグネスとヨハンナという姉妹達(この「達」という言葉がこの小説では重要みたいだ)に対する吸い込まれるような恋を描いている。彼らは日本の学校では、「阿具ちゃん」と「花ちゃん」であった。最後に花ちゃんが死ぬ。そして阿具ちゃんも去る。話を読むと――この少女がふたりなのは、キリスト教に対する美化と不審を示していると読めるが、――しかし、彼の皇国主義への道と、戦後のクリスチャンへの転向を予言するような展開と後の人はとるかもしれない。

沖から磯へ矢のやうに飛んでくる白い鳥がゐましたが何と云ふ鳥だつたでせうか。とうとう阿具ちゃんも花ちゃんも梅の咲くこの町を見ずに行つちやつたと思ひながら町の方を見かへると遠い山に花ちやんの犬に似た雲がぢつと動かないでゐました。おたまじやくしの泳ぎ出す春の近さが思はれました。

おたまじゃくしが――田中氏の青春はどうだったのであろう……。

「否定の過程」に弱い者たちの群れ

2018-10-20 19:30:09 | 思想


『コギト』に書いている三浦常夫というのは、小高根太郎の筆名である。詩や小説、ヘルダーリンの翻訳などもやっていて、『コギト』グループの主戦力であったが、今日読んだのは、「お説教」(昭9・9)という文章で、小説かと思って読み始めたら、どうやら随筆?であった。

第一段落が恐ろしく長く、4ページ目でやっと第二段落に入ったが――、この不満をはき出すような文章は、保田與重郎への批判なのだ。あるとき保田が、「飯の問題の解決は人間の苦悩の大半どころではなくその苦悩のすべてを解決する」と主張したので、それに三浦は怒っていたのであった。

彼は餓えもかつえもせずに日に日に飯を食ひ糞をしてゐるのだから。没落しつゝある中産階級と云ふも全く文字どほり飯が食へなくなる社会的危機の到達すると云ふも、それにはまだ相当の年月はあるであろう、その日が実現するまではともかく彼は飯を食ひ糞をしてゆくであろう、彼の言葉に従へばその限り彼は何らの不安も感ぜぬであろう、


と言う具合である。三浦は、そのあと、ヘーゲルの「必然性を洞察することが自由である」といった認識をエンゲルスやマルクスがつかったことが重大な誤りであり、未来は可能性(ポシブルとプロバビリテ)あるのみだ、必然などというものはない。不安があるのは、「道徳の実践に耐えうるかどうかと云ふところ」の「形而上的不安」だ、あるいは道徳の不在だ、と述べている。

で、われわれの人間の底はもともと無なので、「新しき神をおろがみその神によって自らをだますべく覚悟すればよい」と言い、

「否定の過程が無限に未来の方向に向かつてすゝむところに人間の本質があるのである、この否定の過程なしには人間は人間ではあり得ないのである。この否定の無限性に耐えきれぬと嘆く物は人間たることを廃業すればよいであろう。人間を信じるか、人間を廃業するか、二つの一つである。これ以外に道はないのである。


確かに、今も自らの「否定の過程」を恐怖しそのくせ他人の否定には躍起になっている者達が、脅迫じみた行為に手を染めているわけであるが、だからといって、人間を廃業せよ、というのがちょいとあれである。三浦の言い分は、反映論や歴史の必然を振り回す連中への有効な批判のように一見みえるが、ヘーゲルの「必然性を洞察することこそが自由」というのは今も真理というか、本質的に道徳的であるとさえ思う。必然性を洞察することは、五か年計画とか2020年オリンピックを成功させようとかいう命令を自覚することではなく、自分を知ることである。だから、「新たな神をおろがみその神によって自らをだます」とか自分を奮い立たせている三浦の方が、いわば公式主義マルキストみたいなもんに近くなっているわけである。もっとも、近づいているだけで、確かにもっとものすごい公式主義者はいつもいるものであるのだが……。

居場所をくれとか、自分を褒めてほしい、みたいな人間は、自分を勝手に自由の如き空白と見なすが故に、必ず三浦のように、――必然性を説く者が自分を責めているように感じ、そこからの自由を夢みて却って不自由になろうとする、そして、必然性を説くような「自由」な人間を「廃業」させようとする。危険である。

思ひあらば、お蕎麦のつなぎを

2018-10-19 23:17:04 | 文学


思ひあらば葎の宿に寝もしなむひじきものには袖をしつゝも

ひじき藻を男が送ったときの歌で、「思ひあらば」というところが息せき切る感じで、ひじきにひっかけた恋の戯れという感じがする。確かに変な歌であり、――折口信夫が、「国語と民俗学」のなかで、謹慎の意味の「思ひ」と、葬式の時のご飯に混ぜる「ひじきおも」(鹿尾菜藻)と、雄略天皇の死後の魂を鎮めた「ひじきわけのおんな」を連想するものと捉えていた。そういうものが時間を経て、合理的に解釈されてくると、上の「伊勢物語」三段のような話になるのだと……。そのときの折口のせりふが、いつもの決めぜりふじみている。

有意識或は無意識に解釈して行つて、その時分の人の頭に合ふやうな、一種の合理化が行はれて、そこで発達が止つた。


折口の文章にはしばしばこの「合理」という言葉が出てきて、面食らう。いまは、こういうことを思い切って言う人よりも、作品にはそれ自体で力があるみたいなことを言う人が多くて、折口もびっくりの呪術師ぶりである。若者達も「イイネー」みたいな呪文をいつも唱えている。

それはともかく、折口の「我々の言葉と言ふものは、結局お蕎麦を拵へる時のつなぎみたいなものでせう。」というのは良いせりふだと思う。