★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

それぞ我が思ふ事よ

2019-09-30 22:06:57 | 文学


当家は保元平治より以来度々の朝敵を平らげ勧賞身に余り忝くも一天の君の御外戚にて丞相の位に至り栄花既に子孫に残す。今生の望みは一事も思ひ置く事なし、但し思ひ置く事とては兵衛佐頼朝が首を見ざりつるこそ安からね、我いかにも成りなん後仏事孝養をもすべからず、堂塔をも建つべからず、急ぎ討手を下し頼朝が首を刎ねて我が墓の前に懸けさすべし、それぞ我が思ふ事よ、と宣ひけるこそ恐ろしけれ

丞相とか言うから、三国志のドラマが大好きなわたくしは、つい陳建斌(声:樋浦勉)の顔が浮かんでしまったが、日本も戦国時代じみると本家の戦国時代に言動が似てくるのかもしれない。この前、天皇陵のウィキペディアの説明を読んでいたら、「王朝交代を経験していない我が国では」みたいな記述があって、まったくなんとなくショックであった。上の「恐ろしけれ」は、仏を何と心得るみたいな意味合いと、「何この人、最後までちょっとやりすぎ~」という、我々が王朝交代を経験していない弱さみたいなところがでているような気がする。死ぬまではいろいろな霊が出てきて怖がらせる癖に、死に損ないの人の雑言に「こわいねー」とか語り手の根性が小さすぎる。問題なのは天皇に対する平家の態度なのだろう。

曹操は関羽の首をほしがった。そして腐敗の進んだ関羽の首に「お元気ですか」と言ってしまったので、本当に関羽の霊はお元気になってしまい、曹操を呪い殺すことになったのである(たしか「三国志演義」)

日本でもいろいろと悪霊と化してしまう人々はいるわけであるが、まだまだ本気を出していないらしく、王朝交代も実現していない。

同じき四日もしや助かると板に水を沃てそれに臥し転び給へども助かる心地もし給はず、悶絶躃地してつひに熱死にぞし給ひける

悶絶躃地という言葉が正確にはどのような状態を言うのか知らないが、悶絶の時点で気を失っているのだから、躃地(地を這いずる)とは、もう生物的反応といってよいであろう。この前、車エビの躍り食いというのに挑戦したのだが、――エビは氷水につけておくと徐々に死んでゆく過程で突然飛び跳ねたりする。何かのパンフレットにエビには痛覚がありませんので……とか書いてあったのであるが、だからどうしたというのだ。

車夫は取って返し、二人はつかみあいを初めたが、一方は血気の若者ゆえ、苦もなく親父をみぞに突き落とした。落ちかけた時調子の取りようが悪かったので、棒が倒れるように深いみぞにころげこんだ。そのため後脳をひどく打ち肋骨を折って親父は悶絶した。
見る間に付近に散在していた土方が集まって来て、車夫はなぐられるだけなぐられ、その上交番に引きずって行かれた。


――国木田独歩「窮死」


独歩レベルの感性にかかると、調子のとりようが悪いだけで人間は棒が倒れるように、現象上、半分死んでしまうことがある。その先に悶絶がある。これに比べれば、『平家物語』の方が、即物的といえる。なにしろ、病名が分からないのだ。異常な発熱で人間が跳ね回って死んだのである。エビを目の前にしたわたくし状態である。躍り食いを終えたわたくしは、折口信夫を読んだ。

無、をば書かれたれども未だ、間、の字をば書かれぬなり

2019-09-29 18:32:44 | 文学


たとへば猛火の夥しう燃えたるに車の主もなきを門の内へ遣り入れたり、二位殿夢の心に、あれは何処よりぞ、と問ひ給へば、閻魔王宮より平家太政入道殿の御迎に参つて候ふ、と申す、車の前後に立つたる者共は或いは牛の面のやうなる者もあり或いは烏の面のやうなる者もあり

清盛の北の方が見た夢は恐ろしいものであった。「たとへば」というから、本当はもっと口に出していえないものを見ているはずである。ここでは燃えさかる車が家にやってくる。聞くと、閻魔王宮からの迎えであった。牛や烏の顔をしたものが車についている。これらは地獄で人々を責める牛頭馬頭とはちょっと違い、「面」なので、もっとウムハイムリッヒなものだ。いつもの馭者たちが牛や烏に入れ替わってしまった恐怖なのである。

車の前には、無、といふ文字ばかり顕れたる鉄の札をぞ立てたりける、二位殿、さてその札は何の札ぞ、と宣へば、南閻浮提金銅十六丈の盧遮那仏焼き滅ぼし給へる罪によつて無間の底に沈み給ふべき、由閻魔の庁に御定め候ふが無間の、無、をば書かれたれども未だ、間、の字をば書かれぬなり、とぞ申しける


無間地獄に行く途中だからまだ「間」を書かなかったのか、面倒だったのか知らないが、ここは面白い記述である。

この部屋で正気を回復すると同時に、ホッとする間もなく、襲いかかって来た自己忘却の無間地獄……何の反響も無い……聞ゆるものは時計の音ばかり……。
 ……と思う間もなくどこの何者とも知れない女性の叫びに苛責なまれ初めた絶体絶命の活地獄……この世の事とも思われぬほど深刻な悲恋を、救うことも、逃げる事も出来ない永劫の苛責……。


――夢野久作「ドグラ・マグラ」


思うに、上の自己忘却のお人ととか、「セヴンティーン」の主人公は無や虚無が怖かったのであるが、現代人はこれだからイカンのだ。無とは自分が亡くなってしまうようなものではない。あるいは無の境地の如き者ではない。間が「無い」という――否定でしか存在が許されないようなものであった。間断なく続く責め苦のようなものが「無」の存在を示している。光源氏のように、記述がない如く死ぬことは許されない。これでもかという苦が無なのであり、北の方のような清盛の周りにまで地獄の無は広がっているわけである。

もっとも清盛だって、盧舎那仏をありがたがっている生臭坊主どもが武器をちらつかせていることが問題だったことはよく知っていた訳であって、たぶん彼を描き出すことはすごく難しい作業なのである。「平家物語」はどうせそれを大衆芸術にせざるを得なかったわけである。大衆に分からせようとすると碌なことはないというのは真理である。分かる努力が必要なのは芸術家の方である。

もう清盛は死んでいる

2019-09-28 23:21:38 | 文学
明くる二十八日重病を受け給へりとて聞えしかば京中六波羅、すはしつるは、さ見つる事よ、とぞ申しける


嫌われてるとこわいねえ……。いまは助かる可能性が高いから、奴が重病だ、とか聞いても、下手に喜んでそれを誰かにみられて、あとで告げ口されると困るから却って黙ってしまうことが多い。昭和天皇の時だって、――恨んでいる人はかなりいたわけで、ついに崩御かと喜んだ人もいたはずなのだ。いや、これはかなり違うか。――そういえば、この前の安保騒ぎの時に、「安倍はやめろ」だけでなく「安倍はなんとか」という叫びもかなりきこえて来たわけであるが、一度口に出してしまうとそれが実現しなかったときには、非常にいやな気持ちになるものだ。だから、それ以来、言う人は減った気がする。人を詛う場合だけでなく相手が日帝でもなんでもいいが、容易に倒れないものに呪いをかけると、呪いをかけた方が参ってしまうのだ。これが言霊の効果である。しかし、このときの清盛の重篤ぶりは、もう助からないとはっきりと分かる。

入道相国病付き給ひし日よりして湯水も喉へ入れられず、身の内の熱き事火を焚くが如し、ただ宣ふ事とては、あたあた、とばかりなり、臥し給へる所四五間が内へ入る者は熱さ堪へ難し、少しも只事とは見え給はず、あまりの堪へ難さにや比叡山より千手井の水を汲み下し石の舟に湛へそれに下りて冷え給へば水沸き上がつてほどなく湯にぞなりにける、もしやと筧の水を撒かすれば石や鉄などの焼けたるやうに水迸りて寄りつかず、自づから当たる水は焔となつて燃えければ黒煙殿中に満ち満ちて炎渦巻いてぞ上がりける



もう清盛は死んでいる……。もはや清盛は地獄の業火に焼かれている。簡単に彼岸を飛び越える平家の世界だが、それもそのはず、語り手はもっとすごいものを頭の中で描いて興奮しているからである。つまり続いて、書かれているエピソードはこんなものである。――法蔵僧都が閻魔大王のところに行って、母親にあいたいと言った。そうしたら、目の前にこんな風景が現れる。

鉄の門の内へ差し入つて見れば流星などの如くに炎空へ立ち昇り多百由旬に及びけんもかくやとぞ覚えける

もはや、地獄の業火は美しくなってしまっている。閻魔はあはれに思ってこういう演出をしたのであろう。これに対応する清盛の地獄を描こうとするのだから、上のようになる。

杜子春は必死になつて、鉄冠子の言葉を思ひ出しながら、緊く眼をつぶつてゐました。するとその時彼の耳には、殆声とはいへない位、かすかな声が伝はつて来ました。
「心配をおしでない。私たちはどうなつても、お前さへ仕合せになれるのなら、それより結構なことはないのだからね。大王が何と仰つても、言ひたくないことは黙つて御出で。」
 それは確に懐しい、母親の声に違ひありません。杜子春は思はず、眼をあきました。さうして馬の一匹が、力なく地上に倒れた儘、悲しさうに彼の顔へ、ぢつと眼をやつてゐるのを見ました。母親はこんな苦しみの中にも、息子の心を思ひやつて、鬼どもの鞭に打たれたことを、怨む気色さへも見せないのです。大金持になれば御世辞を言ひ、貧乏人になれば口も利かない世間の人たちに比べると、何といふ有難い志でせう。何といふ健気な決心でせう。杜子春は老人の戒めも忘れて、転ぶやうにその側へ走りよると、両手に半死の馬の頸を抱いて、はらはらと涙を落しながら、「お母さん。」と一声を叫びました。……

――芥川龍之介「杜子春」


芥川龍之介はあいかわらず酷いことするなあ……。これを親子の絆とか解釈している人でなしに呪いあれ。

夫を想ふて恋ふ、と詠む、想夫恋、といふ楽なりけり

2019-09-27 19:10:19 | 文学


控へてこれを聞きければ少しも紛ふべうもなく小督殿の爪音なり、楽は何ぞと聞きければ、夫を想ふて恋ふ、と詠む、想夫恋、といふ楽なりけり
さればこそ君の御事も思ひ出で参らせて楽こそ多けれこの楽を弾き給ふ事の優しさよ、と思ひ腰より横笛抜き出だしちつと鳴らいて門をほとほとと叩けば琴をばやがて弾き止みぬ、これは内裏より仲国が御使に参つて候ふ、開させ給へ、とて叩けけども叩けども咎むる人もなかりけり
ややあつて内より人の出づる音しけり、嬉しう思ひて待つ処に鎖を外し門を細目に開け幼気したる小女房の顔ばかり差し出だいて、これはさやうに内裏より御使など給はるべき所でも候はず、もし門違へてぞ候ふらん、と云ひければ仲国、返事せば門立てられ鎖さされなんず、とや思ひけん是非なく押し開けてぞ入りにける


源仲国は、高倉上皇の密命で清盛の追及を逃れて身を隠した小督を探しに嵯峨に来た。琴の名手である彼女が、想夫恋を演奏していたら、仲国にみつかってしまった。仲国は横笛の名手で音楽に通じていたので、分かってしまったのである。

雅楽 想夫恋(全体二返)~平安時代末期・鎌倉時代の雅楽譜にもとづく再現~


この音楽の名人による通じ合いが、結局は愛する二人の破滅を導いてしまう。高倉上皇との密会が清盛にばれて彼女は尼に、上皇は若くして死んでしまった。破滅が恋の破滅で済んでいた『源氏』の世界とは違い、文化的に優れた繊細な人々が権力によってあっけなく殺されてゆく世界が『平家』のそれである。しかしまあ、思うに、若いからしょうがないという感じがするのであるが、――つい、潜伏先で「想夫恋」を演奏してしまうところが、革命情勢の中で色恋沙汰の決闘をやらかしたガロアのようなものではある。

詩や歌詞の授業で、詩句に込められた気持ちを考えようというわけで、――児童が例えば、「好きだという気持ち」とかいうタチの悪い解答を叫びだし、教員が怯えて「そうだねー」とか言っている風景をよく見る。「言葉に込められた気持ち」とかいう下等なコンセプトで何もかも処理されたら、作品論もテキスト論も吹き飛ぶ――というより、言葉を使う意味がなくなってしまう。読みゃ分かる程度の表現の平板さそのものに注目せず、くだらない標語みたいな言葉で置き換えてゆく癖は最悪である。しかし、確かに、「好きだという気持ち」みたいなところをうろうろしている作品があることは確かで、上の音楽もそんなところがあるのかもしれん。つまり、「君の御事も思ひ出で参らせて楽こそ多けれこの楽を弾き給ふ事の優しさよ」しか思い浮かばない曲なのである。――とはわたくしは本当は思わないのだが、そういう風に推測するのが平安時代でもいまの学校でも「正解」なのである。

Shostakovich - Symphony No.5 - Third Movement


二〇世紀最高のメロディーとわたくしが勝手に決めている上の曲なんか、マーラーのアダージョ以上に「意味」を撥ね付ける。ショスタコーヴィチの曲が意味を過剰に読まれてしまうのは「意味」を撥ね付けてしまうからなのである。しかし、この性格がやはり芸術の「格」というものだとわたくしは思う。芸術の政治化を仮に目指すにしても、この性格を失ってしまってはいけないのではないだろうか。私見であるが、「思想・良心の自由」がある場合にのみ、その「格」が生じる。そのほかの場合は表現の自由にすぎない。

物怪と「量」

2019-09-26 22:26:06 | 文学


又あるあした、入道相国帳台よりいでて、妻戸を押しひらき、坪のうちを見給へば、死人のしやれかうべどもが、いくらといふ数もしらず庭にみちみちて、上になりした下になり、ころびあひころびのき、端なるは中へまろびいり中なるは端へいづ。夥しうがらめきあひければ、入道相国「人やある、人やある」と召されけれども、折節人も参らず。かくしておほくの髑髏どもがひとつにかたまりあひ、坪のうちにはばかる程になッて、たかさは十四五丈もあるらんとおぼゆる山のごとくになりにけり。かのひとつの大がしらに、生きたる人のまなこの様に大のまなこどもが千万いできて、入道相国をちやうどにらまへて、瞬きもせず。

平家に追い込まれ自害した頼政は、かつて近衛天皇の時に怪物を射落としたことがあった。「頭は猿体は狸尾は蛇手足は虎の姿にて鳴く声鵺にぞ似たりける」――そういう怪物である。この怪物に比べると、清盛の前に現れたものは、怪物とはいえない。語り手も「死人のしゃれこうべ」とはっきり言っている。頼政が倒したのが、永井豪の怪物たちだとすると、清盛の妄想は大友克洋みたいである。要するに、前者と後者の違いは、戦前の意識と戦後の意識のようなものではなかろうか。戦後の怪物はかならず人間の形をしている。永井豪は、戦争を予感し、大友は学生運動などの退潮の影響をうけて戦後を感じていたような気がする。

わたしは、過去の多く描かれてきた髑髏の絵画よりも、香川康男の「デモ」を思い出す。

シベリアのラーゲリのなかで行われたデモを描いたこの作品は、右上に馬の糞のように並んで固まったデモ隊と、左側の、ナメクジの黒い行進の痕跡のようなデモ隊の姿がある。自分たちのやってることの意味も分からず行われるそれは、怪物じみた感触を表出させている。

清盛は夢を見たに過ぎないと思うが、もっとすごいものを見ているに過ぎない。語り手は物語の都合上、死者の復讐みたいな意味の表象をだしてしまっているが、本当はもっと陰惨なものをみているはずである。上の絵画のような。

それはシンプルなものであり、観念と区別がつかない。なぜかといえば、本当はシンプルではないが、――数え切れないからである。

最近東浩紀氏も「悪の愚かさについて」(『ゲンロン10』)で触れていたが、笠井潔氏が世界大戦の「大量死」に対応する「大量生」という概念をあげている。二者の本質は同じものであり、人間が「量」に直面したときに如何に人間的に生きるかという問が、東氏や笠井氏の批評を動かしている。

わたくしは、そういう量の存在を氏等よりも感じていないと思う。量をあまり気にしない人間がこれから無造作に現れるだろうし、とわたくしは気楽に構えてもいるわけである。『平家物語』の語り手も、実はそこまで積み重なる死体に神経質なわけではない。文学はそういう気楽なところもあるのである。東氏のふええいた「ねじまき鳥クロニクル」は確かに「井戸」の用いて被害者が加害者に直接なり得るような位相を創り出すわけであるが、「ノルウェイの森」なんか、そんな井戸がなくても被害者が加害者になるような話な訳で、問題に直裁的なのはどちらだと問われれば、わたしゃ迷うね……。

恥と検覈

2019-09-25 23:20:50 | 文学


『ただ今ここを渡さずは、長き弓矢の傷なるべし。水に溺れても死なば死ね、いざ渡さう』とて、馬筏を作つて、渡せばこそ渡しけめ。坂東武者の習ひ、敵を目にかけ、川を隔てたる戦に、淵瀬嫌ふやうやある。この川の深さ速さ、利根川にいくほどの劣り勝りはよもあらじ。続けや殿ばら」とて、真つ先にこそうち入れたれ。

こうみんなをたきつけて先頭切ったのは、下野の十七歳、足利又太郎忠綱である。『ただ今ここを渡さずは、長き弓矢の傷なるべし』(いまここをあたらなければ、末代までの武士の恥だ)というようなせりふを吐けるのは案外若者である。末代までの恥というような長い時間を想定できるのは、実際に未来に長い時間を持つからではなかろうかと思うのである。我々の周囲を見てみると、自分の未来が短くなると、恥をかいてもかまわないという、自分の快感に集中する者が多くなるように思う。恥はかいても先がないので関係ないのだ。で、未来のある若者をいじめて、「いまのままじゃだめだ」と叱咤する。素直な若者はそれをきき、自分の時間を細切れにPDCAサイクルみたいにしてしまうのだ。そこには、小さい恥を乗り越えていく小さい精神しかない。――いまここでやらねば長い時間恥をさらして生きなければならない、だからこそいまやらなければならない、とそういう若者は悲惨にも思うのであった。

「あなた方は希望を求めて私たち若者のところにやってくる。よくもそんなことができますね」、「私たちは大絶滅の始まりにいる。それなのに、あなた方が話すことと言えば、お金や永続的な経済成長というおとぎ話ばかりだ。よくもそんなことを!」

今話題のトゥンベリさん(十六歳)のスピーチでこういうくだりがあった。「How dare you!(よくもそんなことを!)」を「恥を知りなさい!」と訳していたテレビもあった。わたくしがこの演説をテレビでみたのは、WBSという経済番組だったので、ちょっと笑ってしまったが、――それはともかく、彼女は、大人たちが自分で何せず子どもに「希望を求めたり」、希望的観測の経済発展の「おとぎ話」をしていることを糾弾しているのであり、希望や経済を否定しているのではない。中高生だって、大人がほとんど真面目にやってないことを知っているし、大人だからこそ分かる事情なんかが案外少ないことも知っている。しっかりしなさい、不真面目にごまかすのはやめなさい、と言っているに過ぎないのである。トゥンベリさんは、世界中にいる。

ただ、我々の世界は、我々の推測をはるかに超えて狂っている。トゥンベリさんはある程度世界の若者・子ども達を背負っている。が、――誰もが成人を過ぎた頃になると、自分自身を背負っているのが辛くなる(自分の予想を超えた狂いかたを目撃するからである。)故に、無理に背負おうとして、自分を忘れるほどの大きな信仰や科学やイデオロギーで武装することがあり得るのである。このまえ何とかいうクズ議員が「恥を知りなさい」とか演説していたような気がするが、あれはそれであろう。――自分が恥を自覚するほどの主体は実は消滅しているのだが、八紘一宇という文字主体に比べると、相手の恥じ入る主体が矮小に見えるにすぎない。要するに、ウルトラマンがビルよりでかいのですごいといっている餓鬼と同レベルの精神に戻ってしまっているのである。おまえが恥を知れ。

先日、ドイツ哲学の研究者とも雑談したことだが、環境問題が難しいのは、その「哲学」の確立に失敗していることだ。例えば、「もののけ姫」などもそうで、最後に「ただ生きろ」みたいなところに話がおちてしまうことにその失敗が現れている。この時期の「エヴァンゲリオン」も聖書仕立ての話の結論が「生きろ」だった。もはや本当は地球レベルでの破滅からの回避は、我々が「死ぬ」ことでなされるのではないかという予感に導かれている二作であった。掲示板その他で人々が「死ね氏ね」言っていたのも、それが合理的だみたいな感覚があるからなのであろう。廣松渉が『近代の超克』論の最後で、

もはや思想史的検覈の与件ではなくして将来的な負荷である。


といったのは、環境問題の場合、はじめから「もはや」をとった形で考えなければならない側面がある。

大音声の意味

2019-09-23 17:43:51 | 文学


また堂衆の中に筒井の浄妙明秀は褐の直垂に黒革威の鎧着て五枚甲の緒を締め黒漆の太刀を帯き二十四差いたる黒幌の矢負ひ塗籠籐の弓に好む白柄の大長刀取り副へてこれもただ一人橋の上にぞ進んだる、大音声を揚げて、遠からん者は音にも聞け、近からん者は目にも見給へ、三井寺には隠れなし堂衆の中に筒井浄妙明秀とて一人当千の兵ぞや、我と思はん人々は寄り合へや見参せん

延暦寺と三井寺の争いは、非常にくだらない。同じ天台宗ではないか。光源氏が、かわいいなあれもこれもかわいいな、とか色道を驀進しているさなかに、お寺さんの方では激しい勢力争いが行われておったのである。いまでも大学間の争いなんかがそうだが、結局、大学の名前とかが重要であり、自分の仕事に集中できない本質的な×ちこぼれなどがくだらない争いを繰り返しており、いまでも自分の名前よりも何とか大学のなんとかだ、みたいなことが重要なのである。浄妙明秀も自分の名前よりも三井寺というのが重要であり、まずはそこから名乗るのである。で、このあと、多くの矢に打たれながら暴れる姿をみている野次馬は、三井寺がだんだんどうでもよくなり、「なかなかやるではないかっ」とみんなが思ってしまうのである。

結局、敵にむやみに感心するこの戦記物語の世界は、相手が敵であることにほとんど意味がないことの証明をしているようなものだ。

理由があるならちゃんと言えばいいのだ。第二次大戦の時もそうであった。アジアを救いたいんだったら、それだけを言うべきで、贅沢は敵だとか鬼畜米英だとか言うべきではない。第二次大戦の時なんかは、上のような「大音声」が通用しなくて、とにかく黙って特攻だ、みたいなことになっていたが、宇治川の野次馬とは違って米国の撮影隊しかその様子を見ていない。

これから嶽本のばら氏の『純潔』を読もうとしているのであるが、期待はやはり理由付けである。

鉄焼もまた失せざりけり

2019-09-22 23:28:35 | 文学


宗盛卿急ぎ出でて見給ふに、昔は煖廷今は平宗盛入道、といふ鉄焼をこそしたりけれ、大将、憎い競めを切つて捨つべかりけるものを手延びにして謀られぬる事こそ安からね、今度三井寺へ寄せたらんずる人々はいかにもしてまづ競めを生捕にせよ、鋸で首斬らん、と躍り上がり躍り上がり怒られけれども煖廷が尾髪を生ひず鉄焼もまた失せざりけり

渡辺競は貰ってきた馬を仲綱に差し上げる。仲綱は大喜び、「昔は煖廷今は平宗盛入道」と焼き印を押して宗盛の厩舎に放り込んだ。それをみつけた宗盛は大激怒。「憎い競めを切つて捨つべかりけるものを手延びにして謀られぬる事こそ安からね」というのが馬鹿すぎる。騙されたのは自分でその結果「憎い」と思ったのに、「憎い競」が自分を騙したのはむかつくぜ~という論理であって、――原因と結果がいつもひっくり返るレベルのお方であった。

しかし我々は自分もふくめて、大概はこんなレベルであると考えた方がいい。自分は美男の競だと思っていても大概は宗盛の方だ。

「躍り上がり躍り上がり怒られけれども」とは、辛辣である。スーパーボールのように宗盛は跳ねている。もはやマンガである。物語がこの水準に移行したら、馬の髪は絶対に生えてこないに違いない。

ウィキペディアにも書いてあったが、新田義貞が鎌倉幕府攻撃に使った馬のDNAは木曽馬だったそうだ。義仲が何に乗っていたのかは知らんが、とにかく洋種が入ってない馬である。わたくしは何度も木曽馬をみておるから分かるが、とにかく短足でのっしのっしと歩く。木曽馬を、というより、馬を戦争に使うように育てるにはどうしたら良いのかわたくしには見当もつかない。しかし文学はそういうことを考えることも必要ではなかろうか。

彼の社会的生命はかくの如く短少也。しかも彼は其炎々たる革命的精神と不屈不絆の野快とを以て、個性の自由を求め、新時代の光明を求め、人生に与ふるに新なる意義と新なる光栄とを以てしたり。彼の一生は失敗の一生也。彼の歴史は蹉跌の歴史也。彼の一代は薄幸の一代也。然れども彼の生涯は男らしき生涯也。
――芥川龍之介「木曾義仲論」

中学生にしては名文だとおもう芥川龍之介の義仲論であるが、たくさん馬という字が書いてあるにもかかわらず、なんとなく馬の姿は浮かんでこない。芥川龍之介は馬という字をみて、なんだか牢屋の前に草が生えているようなものを読み取ってしまうような感性をしていたに違いない。そういえば、「馬の脚」なんてのも書いていた。わたくしは「鉄焼もまた失せざりけり」というところに、何も出来ずに何年も悲しみのなかに過ごしている人馬の姿をみるのだが、――無為というのも行動であるとは、芥川みたいな優等生は思いつかなかったのである。考えてみると、宗盛なんていうのも、恐ろしい父親の元に生まれ、周りからはバカにされ、精一杯怒りまくっているのかもしれないのだ。

馬と渡辺

2019-09-21 21:45:25 | 文学


「まことや、三位の入道は三井寺にと聞こえ候。定めて、夜討なんどもや向かはれ候はんずらん。三位の入道の一類、渡辺党、さては三井寺法師にてぞ候はんずらん。心憎うも候はず。まかり向かって選討なども仕るべき。さる馬を持って候ひしを、この程親しい奴めに盗まれて候。御馬一匹下し預り候はばや」
と申しければ、大将
「最もさるべし」


源頼政は謀反を起こした。清盛の三男(宗盛)が頼政の息子仲綱の愛馬を奪って彼の名前を焼き印で記し、「この仲綱に鞍をつけろ乗ってぶったたいてやれ」とかなんとか言ったらしい、というのが理由の一つであった。馬鹿というのは、やはり馬が好きなようで、馬のこととなると気が狂うようである。頼政の忠臣渡辺競が「平家に仕えますんで、馬を下さい。」と言ったら、「最もさるべし(イイネ!)」というのがやはり馬鹿の発言は予想を超えている。仲綱は、くれと言われたのでくれてしまったが、すぐさま「貴方の名前の焼き印を押しますんで返して下さい」とでも言えばよかったのだ。

研究者には、案外狂ったような競馬好きがいるので安心は出来ないが、――確かに、研究者というのは、宗盛みたいな馬鹿な側面と、競のような狡賢い側面をもっている。あわせて競馬なのであろう。

結局、渡辺競は嘘をついていたのだ、この馬をもって頼政のいる三井寺に駆けつける。そして馬に酷いことを……。

ところで、渡辺と言えばわたくしも渡邊であるが、――渡辺温という作家の創った「恋」(昭和2年)という話がある。そこにでてくる女優が恋する、童話作家と称する男を、渡辺は「アザラシ」に喩えていた。この二人は、結局結婚して幸福にくらすのであるが、渡辺はこのアザラシだけを太字にしているので、引っかかっていた。今回読みなおしてみたら、「アザラシのように内気な」と書いてあったので、わたくしは反省した。海辺にいる太った男と旬が過ぎた女優の恋をからかっているように思えたわたくしは間違っていて、アザラシに内気な性格を見ていたのであった。そしてその内気さは彼に作り話をさせて女優に恋を告白させたのである。渡辺はアザラシをみてそれを内気と思うような人であった。

と思って、馬の画像などをネットで見てみたが、馬もだいたい内気そうな顔をしている。馬をめぐってプライドを傷つけられる『平家物語』の人間たちは、馬を自分の心のように思っていたに違いない。

俊寛の生きざま

2019-09-20 23:26:45 | 文学


「いかにも叶ひ候ふまじ」
とて、取り付き給ひつる手を引きのけて、船をばつひに漕ぎ出す。僧都せん方なさに、渚に上がり倒れ伏し、幼き者の乳母や母などを慕ふやうに、足摺りをして、
「これ、乗せて行け。具して行け」
とのたまひて、をめき叫び給へども、漕ぎ行く船の習ひにて、跡は白波ばかりなり。


俊寛は清盛にとっては絶対に許せない裏切り者であって恩赦のメンバーから漏れていた。絶望の余り、沖に出て行く舟に縋り付き、幼児が乳母や母を慕うように足をばたつかせて叫ぶのであった。こういう描き方は容赦がないが、希望が反転した絶望が襲ったときには、こういう態度に体が自然に変容してしまうのである。しかし我々はこういうエピソードに黙っていられない性になっており、さまざまな文士が違う現実もあるよ、と書き直しているのはよく知られている。全く余分なことしやがって……

少将は人畜生じゃ。康頼もそれを見ているのは、仏弟子の所業とも思われぬ。おまけにあの女を乗せる事は、おれのほかに誰も頼まなかった。――おれはそう思うたら、今でも不思議な気がするくらい、ありとあらゆる罵詈讒謗が、口を衝いて溢れて来た。もっともおれの使ったのは、京童の云う悪口ではない。八万法蔵十二部経中の悪鬼羅刹の名前ばかり、矢つぎ早に浴びせたのじゃ。が、船は見る見る遠ざかってしまう。あの女はやはり泣き伏したままじゃ。おれは浜べにじだんだを踏みながら、返せ返せと手招ぎをした。」

芥川龍之介の口の悪さはひでえのう……。「八万法蔵十二部経中の悪鬼羅刹の名前ばかり、矢つぎ早に浴びせたのじゃ」って、ここに至って自慢かよ。しかし悟りを求めるオタクというのは案外こんな感じで、実際戦争になっても、ガンダムのことを考えている可能性は高い。

結婚してからすぐ、俊寛は、妻に大和言葉を教えはじめた。三月経ち四月経つうちには、日常の会話には、ことを欠かなかった。蔓草のさねかずらをした妻が、閑雅な都言葉を口にすることは、俊寛にとって、この上もない楽しみであった。言葉を一通り覚えてしまうと、俊寛は、よく妻を砂浜へ連れて行って、字を書くことを教えた。浅香山の歌を幾度となく砂の上に書き示した。
 妻は、その年のうちに、妊娠した。こうした生活をする俊寛にとって、子供ができるということは普通人の想像も及ばない喜びだった。俊寛は、身重くなった妻を嘗めるように、いたわるのであった。翌年の春に、妻は玉のような男の子を産んだ。子供ができてからの俊寛の幸福は、以前の二倍も三倍にもなった。


菊池先生、こういうのを文化侵略といいましてね、――はい、戦犯認定!

俊寛 助けてくれ! わしを一人残すほどなら、むしろわしを殺してくれ。
  答えなし、船退場。
俊寛 ただ九州の地まで。一生の願いだ。そしたら海の中に投げ込んで殺してくれてもいい。
  答えなし。
俊寛 (水ぎわを伝って走る)船を戻せ! わしを助けてくれ。
  答えなし。
俊寛 (丘の上にはい登り沖をさしまねく)おーい、康頼殿。
  沖より呼ばわる声聞こゆ。
俊寛 船を戻せ! 船を戻せ!
  沖より銅鑼の音響く。
俊寛 船を戻せ! 船を戻せ!
  答えなし。
俊寛 (衣を引き裂く。狂うごとく打ちふる)おーい。康頼殿。
  答えなし。この時雷のとどろくごとく山の鳴動聞こゆ。
俊寛 (ふるえる)助けてくれ!
  答えなし。
俊寛 (絶望的に)だめだ! (地に倒れる。立ち上がる)鬼だ。畜生だ。お前らは帰れ。帰って清盛にこびへつらえ、仇敵の前にひざまずいてあわれみを受  けい。わしは最後まで勇士としてただ一人この島に残るぞ。この島で飢えて死ぬるぞ。


なんだか根性のあるのは倉田先生のやつに思えてきました。最初のせりふなんか、「痴人の愛」の讓治のせりふとそっくりです。彼の気合いで山まで動いて居るわけで、すごすぎます。しかし倉田先生、このひとはあまりに人生に悩みすぎて、案外基礎知識というものを忘れ、九州の島と言えば火山だと思い込んでいるのではないでしょうか。これはいけません。高村光太郎も「新しき土」の作者も、日本は火の国だと思い込んでおります。俊寛が清盛を恨んで死んでも唯の犬死にです。だいたい、あとで源氏が勝つとは限らない訳で、火の国で興奮していた人の期待は裏切られ、大爆弾を落とされて降参ではねえか。

今日はゼミで、菊池寛の「偶像破壊」好きの側面について考えたが、本当は偶像破壊ではなくて彼の場合は破壊が好きなのであった。破壊が好きな人は、急に愛に目覚めたりすることがある。わたくしは『平家物語』の語り手もどこか破壊好きの代わりに愛に目覚めたりあはれに目覚めたりしがちだと思うのである。それは例えば、最近読んだ、将基面貴巳氏の『愛国の構造』などでは扱われていない構造の問題である。

神意と善悪の範疇

2019-09-19 23:06:56 | 文学


今これらの莫大の御恩を思し召し忘れさせ給ひて、濫りがはしく法皇を傾け参らさせ給はんこと、天照大神、正八幡宮の神慮にも背かせ給ひ候ひなんず。それ日本は神国なり。神は非礼を請け給ふべからずしかれば君の思し召し立たせ給ふところ、道理なかばなきにあらず。

『平家物語』のなかでも「いいひと」みたいな平重盛である。怒ったら人間ではなくなる父清盛を、アマテラスと八幡大菩薩という二大神仏、しかのみならず論語のせりふ(神は非礼を~)まで持ち出していさめようとしている。でも、もし神がそもそも非礼なことを許して居らず、法皇の叛乱もそれなりの神意であるとすると、清盛の横暴もそれなりの神意であることになるのではなかろうか。このあと、重盛は聖徳太子(十七条の憲法)まで持ち出してくる。

「人皆心あり。心各々の執あり。彼を是し、我を非し、我を是し、彼を非す。是非の理、誰かよく定むべき。相ともに賢愚なり。環のごとくして端なし。ここをもつて、たとひ人怒ると言ふとも、かへつて我が咎を恐れよ」


こうして清盛が自ら正しいと思っている事態を相対化してしまう。自分が環のように繋がっている賢愚のどこに位置しているか分からなくさせるのであった。で、

しかれども当家の運命今だ尽きざるによつて、御謀反すでに顕れさせ給ひ候ひぬ。

神意は平氏を正しいと思っているのではなく、ぎりぎりまだ命運がつきていない状態である、と解して、清盛を反省させようとする。

神意や善悪を許される幅のあるものと解しているところが、逆に法皇の謀反を許容する理由になるし、清盛の横暴も拘束する理由にもなるわけである。確かに、我々は案外、いまでも「ここまでやってもいいかも」みたいな自由の感じ方をする傾向にあるのではないか。これでは、善悪を真剣に考えようとすることはなくなる。

教祖のゴセンタクほど神秘的ではないが、うまいことは確かである。伊東市ではロクな牛肉が手に入らぬから、たしかに松阪牛にはタンノウした。それに特別手がけて肥育した牛肉は消化がよいのか、もたれなかった。牛の飲んだビールやサイダーが私の胃袋を愛撫してくれるのかも知れない。まことに伊勢は神国である。

――坂口安吾「安吾・伊勢神宮にゆく」


戦後の「自由」の空気の中にいる安吾は、こんな感じである。安吾は、神意(天皇制)に頼らず人間事態の堕落が可能かと考えていたが、その堕落というのも、何か落ちて行ける長さ、範疇というものが想定されている気がする。巨大な破壊が終わり、堕落はその破壊までいかないような人間的な範疇が前提されているような――。しかし、巨大な破壊も人間の責任の範囲内なのだ。日本の神は許しても、本当の神は清盛も無論、法皇も許してはいないのである。我々は全員徐々に地獄に向かって行進しているだけだ。善悪が輪になっているという考えも甘い。全員我々は悪人である。そして罰を受けるべきなのは、システム上力を行使していることになっている者である。

西村神社を訪ねる(香川の神社201)

2019-09-19 17:40:35 | 神社仏閣


西村神社(西村荒神社)は木太町。



入り口に、「皇紀二千六百年記念」の碑。左側の柱をみると、下部が埋もれているが「西村婦人会」か。昭和一五年というのは、隣組強化法とかが出来た年であった。占領軍によって戦後二年後ぐらいに隣組は禁止されているようだ。我が国ではいったん石を名前と共に周りに並べた磁力を振り払うことが出来ないのが神社である。そんな神社に隣組や婦人会が石を名前を彫って突き立てる。だからか分からんが今にいたるまで隣組は存続しているし、政治的機能もないとは言えない。香川でも長宗我部とか米軍とかに神社を焼かれたが、復活しているものがかなり多い。社殿は焼かれても神社とは「石」なのである。焼けない石……



石が緑に囲まれている風景が我々の脳裏に染みついているせいでもあろうか。草葉の陰には天皇がいる、という感じである。ジブリ映画なんてとてもその意味じゃ頑固に保守的ですよね。トトロというのは天皇ですよ、一人の。旧社会党の仲良し主義とは全く別のものである。