★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

赤面逆上的混乱苦痛とともに、誤謬の訂正的発狂状態が起る(坂口安吾)

まだまだ寒いですね

2018-02-20 23:51:05 | 大学


・夜のニュースでスピードスケートの小平さんが、お世話になった人のために実力以上のメダルを狙いにいったらだめで、もっと自分に即した意識をもって究極の滑りみたいなものを目指したらそれがよかった、みたいなことを言ってて、すばらしかった。「金メダルとか、順位というものは自分でコントロールできないから意識してもしょうがない」、オランダに留学したのも「文化としてのスケート」を学びに行った側面があると。それに対して、NHKのインタビュアーが一生懸命に「お世話になった人への感謝」と「金メダルを執念で狙いに行った」みたいなことを言わそうとしていて哀れであった。だから、そういう意識がだめだと言っているじゃねえか、人の話を聞いてんのかっ。小平さんが言っているのは、アスリートが金メダルを目指して日本と家族のためにがんばるみたいな、エゴイスティックで頭の悪い物語の全否定であり、そういう物語がかえって我々のパフォーマンスを往々にして下げるということである。例えば、戦争などもおんなじである。第二次世界大戦の日本なんて、東亜や日本や家族のために勝とうとしたから負けたのである。――それにしても、我々がコミュニケーション能力とか言っているものが、あほな方の要求に答えてやることであるのがよくわかる。しかし、一流の人は、「あんた人の話聞いてた?」みたいな態度をとらないのがすばらしいですね。要するに、否定は肯定と同じことになる――いくらくだらないことでも他にかかずらうことは、自分ではなく他人に即することであり、いずれにせよ危険なわけである。

・大学って、素人が専門家面して教えていいの?賢い学生から馬鹿にされているのになぜ気づかない?

・首相って森羅万象について答える立場だったんだ……。はじめて知ったわ。権力をもった素人が適当にしゃべると大変なことになるのはこういうところからもわかるな。

・最近は、エリートがアイロニーを解さなくなって久しいな。原因ははっきりしてて、アイロニーを理解しないふりして相手を批判できるからである。アイロニーは一種の「ボケ」なので無防備なのだ。そこをつくと相手は自分の主張をアイロニーとして主張できない。かっこわるいからね……。エリートが生存競争だけを目的に生きるようになったことが原因だ。

・もしかしたら、アメリカは北朝鮮に好意を持っているのではなかろうか。特に何もされてないからな……。朝鮮戦争でひどいことをしてしまったしね……。アメリカには、「あーあの戦争を日本にやらせとけばよかたわー」と思っている人がいるとみた。そもそも北朝鮮は世界で厳密に言えば孤立なんかしてないだろう。他にもすげえ人権侵害やっている国はごろごろあるしね、特に珍しい国じゃないわな。あ、わかった。森羅万象に対応しなければならない人だけに対応してもらおう。そんないろいろできないから対話のための対話が一番いいじゃん。日本人の得意技じゃん。

・国内は意見を封じて仲良く、他国とは喧嘩してもいいようなきがするのは、間に海があるからよかったねとしか言いようがない。でも、今は本当に実質的に海なんかあるのかな……

・学校の教員は、半端なリアリズムを子どもに教えるなよな……。まあ、根本的に宗教施設だから仕方がないか……。施設から出たからといって、同等のひどい世界が広がっているけどね……。全教科できる(「できない」、でも可)人が教えているのが根本的に問題なのである。「わたくしは森羅万象について答えなければならない立場にありますけれども、詳細を把握しているわけではない」。学校の教員はかくして首相じみてくるのであった。大学教員もちょっと油断するとそういう魔圏に落ちる。大学の教員の資質の問題ではない。自分に即した追究を止めると必ずそうなるのである。

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大謝恩会

2018-02-20 09:24:03 | 大学


研究室の謝恩会がありました。入ったこともないいいところで行われました。↑夜景を撮ろうとして失敗



80年代のスカしたトレンデードラマでは、こういうところで、調子こいてワインをとかを婚約者と飲んでいると、浮気がばれたりします。



花束ありがとう!

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今年度の授業が粉砕されました

2018-02-08 23:37:53 | 大学


擬似クォーター制の共通科目も今日で終わり。今年は、最終レポートでSF小説を執筆してもらいました。作品を瞥見した感じでいうと、結構、ライトノベル色を脱色することにわたくしは成功したらしくみえる……

よしよし

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図書館でブックリユースが行われていたので

2018-02-07 23:58:17 | 大学


・『無意識の発見』とか『快楽の転移』とか『宇宙からの黙示録』をいただいてきた。あと、筧克彦の分厚い仏教論とか…。

・ぴょんぴょんオリンピックはそろそろかな。やべっ、恐ろしいほど興味がない。このまま東京五輪にも興味がないまま老後を迎えそう……

・海の王子と福顔の皇族の女の人の結婚が延期になったそうである。ああ、かわいそうに。一般人だったら、延期ということはまず破談を意味するわな。まあ別にいいや、両性の合意のみによって行われるべきなのが我が国の結婚である。それ以外はすべてご破算で結構。人の結婚を利用して何か別のことを行おうとするやつって最低だな。政府に限らず。

・毎年雪で困っている地域もあるんだよ

・しかしだからといって、雪国や山国の人間が善良とはかぎらない。もちろんわたくしと言えば、平地の人間は理解できん。

・善良さってなんだろう

・「ほほえみ外交」って、いつも日本がやってるやつね…。日本では通用しても外国では通用しないとか言う人もいるんだけど、日本でも通用してないだろう。





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卒業論文提出記念祭りのお知らせ

2018-01-23 18:47:39 | 大学
今日は、学生の卒業論文の提出日で、なんとなくいろいろと心配する日である。
わたくしは、徐々に学生に勝手に書かすスタンスに移ってきているので、イメージとしてはこんな感じである。



前方を担いでいるのがゼミ生で、後ろで担いでるのか引き摺られているのかわからないのがわたくしである。卒業論文はまあ、試行錯誤を自分だけでやってみる最初で最後の機会かも知れないが、一編の、世の中を変えるすごい研究者の論文も、学生たちの「とりあえず考えてみた」みたいな論文と無関係ではない。後者がなければ前者は絶対に存在し得ない。論文というのは筆者が考える以上に集合的な知なのである。どんなクズ論文にも一分の魂という意味では、論文というのは、生きとし生けるものに近いっ

とはいえ、昔のわたくしの論文など振り返ってみると、大概、筆者にその都度おしりぺんぺんが必要なレベルのどうしようもないものである。

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センター2

2018-01-14 18:25:02 | 大学


こんな寒い試験は



はじめてよっ

昨日は、四国に火の玉も降ったらしい。http://www3.nhk.or.jp/matsuyama-news/20180114/0000232.html

「そこでそのお侍は、きっと狐か狸がおれを化かすに相違ないと思って、刀を抜いて追いまわしているうちに、その火の玉は宙を飛んでここの家へはいった。ほんとうの火の玉か、化物か、それは勿論判らないが、なにしろここの家へ飛び込んだのを確かに見届けたから、念のために断って置くとかいうのだそうです。となりの家でも気味悪がって、すぐにそこらを検めてみだが、別に怪しい様子もないので、お侍にそう言うと、その人も安心した様子で、それならばいいと言って帰った。お貞さんも奥でその話を聞いていたので、寝床から抜出してそっと表をのぞいてみると、店先に立っている人は自分がたった今、夢の中で追いまわされた侍そのままなので、思わず声をあげたくらいに驚いたそうです。
 お貞さんは家の娘にその話をして、これがほんとうの正夢というのか、なにしろ生れてからあんなに怖い思いをしたことはなかったと言ったそうですが、お貞さんよりも、それを聞いた者の方が一倍気味が悪くなりました。その火の玉というのは一体なんでしょう。お貞さんが眠っているあいだに、その魂が自然にぬけ出して行ったのでしょうか。

――岡本綺堂「新牡丹燈記」




わたくしの研究室は、フラッシュをたくと火の玉がガラスに映る

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センター1

2018-01-13 22:18:19 | 大学


こんなに寒い試験日は初めてよっ

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『大学改革』の現状と今後の大学の役割(講演)

2017-12-04 23:25:18 | 大学
こんなのあります。

「「『大学改革』の現状と今後の大学の役割」
期日:2017年12月10日(日)13:45~
会場:香川大学幸町北812教室
講師:山口裕之さん(徳島大学准教授)
主催:香川の教育をよくする県民会議 」

http://rfweb.ed.kagawa-u.ac.jp/terao/temp/YamaguchiKouen_20171210.pdf

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学園祭と文相

2017-11-05 17:40:45 | 大学

うちの研究室の学生の売っていたソフトクリームを11月、40代半ばというコンディションで食す。



おなかが痛くなりそうだったので、つい、いつも横目でさらっと睨視している碑を写真におさめる。「三土文相就任記念碑」である。三土忠造は香川師範の卒業生である。彼は小学校の先生になったが、東京高等師範に行って、結局政治家になった。彼が田中義一内閣の文部大臣になった記念の碑らしい。このときは数ヶ月で大蔵大臣に代わった。この人は戦後の幣原内閣の内務大臣で、次の首相を狙っていたという説もある。結果首相になったのは吉田茂である。わたくしにとっては、この人の長男である三土興三の方が重要である。西田幾多郎の弟子でキルケゴール研究の草分けである。大正末期、親父が政務次官の時代に鉄道自殺した。



卒業生から文部大臣が出たということで、本人を招いて盛大なパーティでどんちゃん騒ぎをやったと書いてある。全く恥ずかしい話である。ちなみに田中義一内閣といえば、特高警察設置、思想善導政策、治安維持法改定(最高刑を死刑)、で――3・15事件と、「最悪の内閣」(吉野作造)であった。うちの学部には「二十四の瞳教室」というのが設置されているが、この小説は、まさに3・15事件の直後から始まる教師暗黒物語であって、なんとも皮肉な話だ。

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第69回香川大学祭における境界例

2017-10-28 17:07:46 | 大学
http://www.kagawa-u.ac.jp/files/8315/0899/0924/gakusaipanhu.pdf

テーマは「NO BORDER」だそうです。だいたいにおいて、学生が「境界なくせ」とか言うのには、まだ弱者の訴えみたいなニュアンスが7.5%ぐらいありそうである。入試の「ボーダーライン」は理不尽だみたいな、あるいは私が「不可」なのはなぜ~みたいな訴えだ。一般的にお偉方が境界なくせという時には、ほぼ100%、「侵略するぞ」という意味であるが、おそらく学生の92.5%の気分がこれに当たっている。違うか。

いまや境界をなくせとか越境しろとかいうアイデアというか思想自体が幼稚であると思うのであるが――、まあいいや、どうせみんな社交辞令でやってるだけであろう。わたくしの人生経験に照らしてみて、越境とか柔軟性とかを高唱する人間は善意に溢れた頑張り屋が多いとは言え、必ずいざという時に自分の処世を優先し日和るのが特徴である。最近は、そんな自分を糊塗するために、いじめられタイプは「是々非々」とかいい、ファシストタイプは「ミッションの最低偽再定義」とか言っているが、いずれにせよ、逃げる気満々である。勇気の問題もあるが、世の中の問題を、ある種の陣地盗り、つまり境界設定だと思っているからに他ならぬ。思想が小学校3年生ぐらいなのだ。せめて、青空文庫に載っている丘浅次郎の「境界なき差別」ぐらいは読んでから御託を並べて欲しいと思うだけである。しかし、ここ数十年の、何でもかんでも政治的敵対のイメージに落とし込む人文科学の一部にも責任はあるのである。わたくしもいろいろと反省している。というわけで、いまさらオブジェクト指向存在論などを読んで、またあらたな御託を生産しようとしているそこのあなた

Go to hell

ショペンハウエルは倫理に関する一論文の初めに「道徳を説法するは易く、道徳の根柢を明らかにするは難し」と書いたが、従来の方法で研究している間はいつまでもそのとおりに違いない。生態学によって種々の動物の習性を調べ、下等動物より漸々高等動物にいたる間の習性の移り行きを明らかにし、単独生活と団体生活との関係をさぐって、ついに人間にまでおよぼせば、ここに初めて、倫理学の確固たる基が定まるのであろう。
(丘浅次郎「動物界に於ける善と悪」明治三十五年)


丘も動物をみていたら、なんとなく世の中が分かる気がしてきてしまったのであろう。そんな簡単ではなかったのは、その後の世の中を見れば明らかである。わたくしもボス猿とか犬猿ばっかりみていると、差別だけで世の中が分かる気になるであろうから、時々境界にも注目してみたいと思う。無論、社交辞令である。重要なのは思考の跛行である。

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【告知】ミュージアム・レクチャー「石碑における文学のテーマ」

2017-10-21 02:05:07 | 大学
http://www.kagawa-u.ac.jp/files/3215/0770/4929/takuhon.pdf

香川大学博物館第20回企画展「森田暁峰コレクション選出 拓本でみる讃岐」

開催期間:2017年10月26日(木)~12月2日(土)10:00~16:00
※火曜日~土曜日の開館(11/3、11/5は特別開館します。)
場所:香川大学博物館(高松市幸町1-1)

第60回、ミュージアム・レクチャー「石碑における文学のテーマ」
日時:平成29年12月1日(金)14:30~
場所:香川大学博物館 展示室

……や、やります。

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研究室中に羅漢あり

2017-08-23 16:30:27 | 大学
最近、教育学部の学生たちがなんか集団的な**に陥っているような気がしてならないので、宗教その他の原因を考えてみたのであるが、わたくしの研究室に重大なものがあることが判明した。

いつも愛用している「猫川柳カレンダー」であるが、よくみると

本尊と羅漢たちであった。施しを受けるだけに……

教育学部の学生もおそらく旅に出ているのであろう。施しを要求しながら。

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残暑のなかで依存などについて

2017-08-22 23:04:01 | 大学


今日も細々したことが多かったが、――学生のレポートのコメント付けとかがまだ残っているのが悲しい。こういう作業をしていると、教員は個人の作業をしている時にでも、上司とか友人とかに精神的に依存して行為しているのが分かる。一人では何ともならないのが現状である。確かに多数派に付いた方が安心というのにも、そういう意味では一理あるのである。あるだけだが。

最近は、他人に寄り添う感じの人か、自分に寄り添う人ばっかりが不気味に目立ってて、精神的に依存(というより信頼か?)しても大丈夫と思う人があまり見つからない。とはいえ、みんなそんな感じで思っているのだろうから、いい歳になってきたわたくしなんかも頑張らねばならないと思う――。思うだけだが。

ワーグナーやバッハの研究で知られた三宅幸夫氏も亡くなられたそうである。こういうタイプがいなくなった世の中を、研究者はそろそろちゃんと想像しておいた方がいいと思う。研究者がただの訳知り反映論者、というか「スピード感あるツッコミ専門職」みたいな妙なポジションに追い込まれつつあるのはみな実感しているところだろう。特に人文系の一部は、制度や権威に対して「誰が決めたんだよ~」如き正義の中一みたいなポジションに頼った結果、言うことがなくなっている訳である。そりゃそうだ、夏目漱石やベートーベンはいまや制度的権威だろうが、彼らは何かの制度や権威によってのみ「心」や「月光」を創ったわけじゃなし――、創造の世界は権威や制度によってどうにかなるほど甘くないわけである。神秘主義を批判する者がしばしば本物の神秘主義者であるように、権威批判が好きな者に本物の権威主義者がいることは、世の中の常識というものであって、「対案を示せ主義」みたいなアホな感じに変形されてしまっているが、何か足りないものがあるといろいろな人が感づいてはいるのである。

学者がもっていた「分析の深さ」、即ち「認識の深さ」というものの実態をちゃんと引き継ぐのにわれわれは失敗しつつある。学者だけではない、教員や親といった存在にもいえることではないだろうか。

とはいえ、過ぎ去ってよかったと思うものも沢山ある。

甲子園大会のニュースを見ていたら、応援の吹奏楽部がまだ「宇宙戦艦ヤマト」をやっていた。

日本人の皆さん、この曲がベルリンフィルのモーツアルトやマーラーのあとに演奏されたと冷静に想像してください。わたくしも想像してみましたが、――

わたくしの心に浮かんだせりふは、

この土人の盆踊りか行進曲かわからん腐った曲を直ちに殲滅せよ

でした。

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すばらしきかな、人生

2017-08-16 23:08:39 | 大学
わたくしは両親が教師という家庭で育ったので、教師の世界にはかなり小さい頃からアンヴィヴァレンツな感情があった。学校で出会う教師と自分との関係が、自分の親子関係と重なって見える(ということは、強烈にずれを感じるということでもある)からである。田舎なので、自分の親が自分の通う学校にいたこともある。反抗期で教師に対して悪態をつく生徒に対してまったく同情を覚えたことがなく、教師に同情していた思春期のわたくしは、同時に、よくその程度で人に教えられるよな、みたいな感情で教師一般を相当軽蔑しきっていた気がする。そのくせ、同級生達をそれ以上に軽蔑していたような気もするから、親に対する感情に似て教師に対しては「優等生」として助けてあげたい気があり――、高校まではそんなかんじでもやもやしていた。中学校が結構荒れていたせいもあるが、思春期以来、人間と学校の関係について根本的に考えなければならないと思ってきたことは、偶然教育学部に勤めることになったとはいえ、結構運がよかったと思っている。正直なところ、自分の学校の成績よりも、わたくしが高校までに経験したことがらの方が、当時から今に至るまで重要なのである。従って、わたくしが学校そのものよりも文学が大事だとみなしていることも当然である。

自分の専門の勉強以外にときどき教育の本をめくって勉強することにしているが、それは教育学部に奉職しているからじゃなくて、もう少し複雑感情が手伝っているわけである。いまでも、教師を浅はかな認識で批判する意見を目にすると頭が瞬間に沸騰する一方で、なるべく教師をやっている人間には会いたくない気もするから不思議である。いや、全然不思議ではない。

今日めくったのは、これ↓


和田氏は、教育困難な高校にも生徒指導で活躍した人らしい。わたくしも以前名前を聞いたことがあった。おおざっぱな印象としては、書いてあることにはだいたい賛成なのだ。

学校に対する印象――政府やマスコミ(によって誘導された世論)がもっているそれは、現場との温度差、立場の違いなどというものではなくて、いろいろと単純に間違っている。問題はつねに非常に個別具体的で入り組んでいるためにほとんど原因も教育効果も予測できない。そんななかで、複数の問題を同時に解き続けるというウルトラCを日々こなしているのが教師である。自分が教壇に一ヶ月ほど立ってみれば、多くの日本の教師の能力が相当高いことが分かるはずである。他の職業と同じく――、素人は五分も教壇に立っていられないし、授業を一〇分続けるだけでも相当な頭脳(センスと学力)が必要なのである(教育実習は、そういうことを実感してもらうために行うのであって、だから実務訓練ではない。だいたい資格もないものが長い間現場で偉そうに教えてはなりません。自分の身の程を知ったら、現場から退散して大学での頭脳と人格?の訓練に戻るべきなのはさしあたり当然です。もっと重要な理由があるのだが、それは後述)。子どもたちは別に大人と変わりない、悪人もいりゃ善人もいるし、まあいろいろと(以下略)。そんな場所をノーミスでくぐり抜けられるか?所詮人間である限り無理な話だ。ただ、教師の中にも同じように悪人もいりゃ善人もいるし(以下略)。だいたいなぜか威張ってはいけない人に限って出世したがり、反知性的なノリを重視してしまうところも全く他の業種と一緒である。しかし、全面的にそうとも言い切れぬ。――というわけで、学校に対する怨恨のためにゆがんだ感情を抜きにして、普通に世の中を見る目で見れば、容易な決めつけと判断は禁物であり、過剰な期待も軽蔑も不要だということが分かるはずである。

それをなんですか、勝手に改革と恐喝をくりかえしおって、もうしらんわ、――という感情が、教師の世界に蔓延するようになったらコトである。もう蔓延してるように思えるが……

とはいえ、本書の「あとがき」で、氏が大学で特別講義を行った時の体験を「講義後、学生の感想もいただいたのですが、その素直さ・前向きさに、日本の将来は決して暗くないと確信しました」とか書いてしまうところは、やはりアンヴィヴァレンツな感情を抱く。わたくしはこういうことを書いてしまう人とはあまり会いたくないのだ。「前向きって何ですか?」という質問を排除している言い方をしてしまう人は好きじゃない。全然「すばらしきかな」とは思わない。これはつむじ曲がり的な性格の問題なのではなくて、思考の倫理の問題なのである。和田氏の想定している以上に、これが倫理の問題だと思わない教師が増えている気がするのが、わたくしが気にかけているところである。

それも理由は推測できないことはない。われわれは、即座に倫理的な問題を判断しなければならない場合に、道徳や教義を持ち出すか、聖書が言う意味での「隣人」の声の呼びかけみたいなものを根拠にするしかない。教師はそれを日々逼られているので、前向きとか率直さという虚構を理想に掲げて子どもを屈服させる道学者になるか、子どもの心に寄り添うみたいな実存的な賭博者じみたあり方に傾斜してゆくのである。しかし、われわれの生には自由というものがあり、様々な議論の余地というものがある。忙しい困難な職業だからといって、自由を手放したら、文科省の打ち出す施策やファシストの主張に近づいてしまう可能性が誰にでもある。要するに、教育業界は、自由を手放した時に、自分の領域を失う。和田氏が最後に「政府、官庁、大企業、マスコミ任せの無関心や無責任」をやめよ、と言っているのは、かかる自由を認めることでなくてはならないと思う。結局、忙しさは自由を奪うことであり、それが文科省の狙いだったことは明らかだ。同じことを大学にもやっているから分かる。

如上の事情は、過去の戦争をふり返る時にもいえることである。最近、NHKで、近年では珍しく、戦争をふり返るよいNHK特集が続いた気がするが、これが、圧倒的な悲惨さや、「日本は上司の無能で部下が犠牲に」とか「無辜の民が犠牲に」とか「官僚たちの隠蔽体質がひどすぎる」といった認識を強調しているだけだと、またそういった戦後的思考を壊してやるみたいな怨恨に満ちたモンスターペアレンツならぬモンスタープライムミニスターが出てきてしまう。前者は道学者で、後者は賭博者である。同じように、教師の主体性を否定して、子どもにそれをうつしゃいいというのは、王政を否定してスターリン独裁を認めるようなもの、――というか、道学者を賭博者に変えただけで話にならぬ。問題は、どちらも大して思考の自由を認めないことである。

だから、大学で批判的訓練――学問をちゃんとしとかにゃ、その自由は身につかんといつも言っておるのに……もうしらんわ

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今かえるとこ

2017-08-10 23:42:55 | 大学


いまから帰ります。


ご飯を食べて、トランプのニュースを見てくつろぐわたくしの足。

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