★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

【地獄的】口頭試問+【謝恩会】

2024-02-09 23:26:16 | 大学


卒業論文口頭試問と謝恩会が終わって一段落である。

コスパ的卒業論文はありえない。授業のためとはいえ、なにゆえわたくしが「推しが武道館いってくれたら死ぬ」をかわにゃならんのだとはわたくしも思うわけだが、すべて様々なもののために必要なのである。以前から申し上げているように、コスパ的生き方というのは誰かに仕事を押しつけている/そして自分の体力のためにさまざまな人の仕事を無視する、という意味で卑怯なのだ。――というわけで、わたくしは、上のマンガから、推しに崇高さがあるとしてそれはやはり崇高さに止まるのではなかろうかという認識を得た。

しかし、思うに、いろんなことをしておりますみたいな人物がどことなく信用できないという若者達の感覚もわかるような気もするのだ。昨日は、『週刊東洋経済』に載っていたアニメの特集をみていたら、なんとか証券のなんとか審議会のなんとかいう人物が1文字も役に立たなさそうな記事を載せていた(文章は、「構成」の人のもの)。所謂「マルチ」みたいなキャラクターが例外なくやばいやつであるというのはイメージ以上の現実を構成している。

押見修造というのはどうみても現代最強のリア充(獣)作家である。彼の作品は、同じ路線で恐竜のような進化を志向している。マルチなのではない。

「夜半の寝覚め」の主人公の娘って、太政大臣の娘であった。まあすごい世界である。政治と色好みが空間的につながっているかんじなのだ。しかし、この作品の音楽の位置づけが途中でそれほど意味を持ってないようにみえるのも、作者がマルチみたいな人間を信用しない証拠のように見える。

試験第2――大河ドラマを中心に

2024-01-14 23:14:57 | 大学


この世をばわが世とぞ思ふ望月の欠けたることもなしと思へば


受験ではべつに月が欠けたり満ち足りもしないので大丈夫です。でもべつになかったことにはならない。

今日は朝、マイナス2度だか3度だかあったらしい。――それにしても、マイナス3℃ぐらいで激寒とか言ってるうどん県民は、木曽に強制移住されるべきであろう。うどん県は木曽とだいたい同じ大きさだからちょうどいいし、水不足解消で最高。うどんも、木曽川の水でつくり放題だ。そのかわりうどんを作ったり食ったものは懲役5年ぐらいにしておく。まことに申し訳ございませんが、木曽のあれは蕎麦と決まっている。

にしても、もう既に試験監督のセリフ、ほぼ暗記したかもしれない。中学の時、田舎のくせに管理教育してた学校の校則のテストで1番とったきがするけど、わし、そういうとこあるよな。。。こんなところで記憶野をつかっているから大学入試でこけたのであろう。

帰宅すると、大河ドラマやってたので見た。国文学徒がひさしぶりに尊大な顔ができる一年がやって来た。今日は第二回で、先週、紫式部の母上が道長のサイコパス兄貴に刺し殺されるという、いつものちゃんばらだけが命の偏差値30ぐらいの野蛮さに対抗していた。いわば、この一年間を支配するのは、偏差値180ぐらいの頭脳の連中の小競り合いであるから、もうすっきりしたかったのであろう。

今回から吉高由里子(紫式部)さんが登場である。吉高由里子さんは家の中にいるのがかったるいので、町中で和歌の代行業をやっている。もう、宮中の和歌をすべて代筆していた話でいいや。クライマックスは、吉高由里子さんが母親の敵を道長にとらせるかもしれないが、――同衾にさそって自ら筆を喉元に突き刺してもよい、ペンは剣より強し。あるいは、彼女の子どもが流れ流れて巴御前の先祖でいいや、やっぱり剣がつよし。

吉高、――義高(義仲の子ども)

懺悔2023-1

2023-12-24 23:08:50 | 大学


今年の懺悔1:ミッキーとアトムの類似性を黒板に絵を描いて説明しようとして、目つきの悪いただのねずみと脳天がぱっくり割れた人間もどきを書いて受講生を怯えさせたことをお詫び申し上げます。


レジャーランドと健康ランド――ミッションの再定義を中心に

2023-11-25 23:23:14 | 大学


誰がそのもっともらしいことを言っているか注意せよというのは、大人の常識であるが、肝心なときにその常識を思い出さずに、そこはそういうことにしとけよみたいなことに対してだけ思い出す。――そういう人間が社会の空気を制圧するといまみたいな感じになる。

かかる人間的空気のおかげかしらないが、――結局実現したのは脱近代じゃなくて脱温暖湿潤気候だった。

コミュニケーション能力を観察できなにか人間性を判断できると考えるのは、そもそもコミュニケーションを舐めてる。もっと言えば人間を舐めている。その結果がこの有様である。

ぼくたちはこわれてしまったぼくたちはこわれてしまったぼくたちはこわ
――中澤系『uta 0001.txt』


大学はレジャーランドか、みたいな議論は定期的に催される。そろそろ入試の季節だからであろうか。管見では、――苦労して入った割にはずっと出られない人たちがおり(ここにいる)、もすかして遊園地に見せかけた監獄なのではないだろうか。そして、やっと娑婆に帰ってきたら白髪の老人になってましたとか、どっかできいたことある話だ。最近は竜宮城にもミッションの再定義などの地上の何かがながれてくるのであるが。酒池肉林ではないから、竜宮城でも監獄でもどっちでもかまわない。もっといえば、レジャーランドでも健康ランドでも解放区でも植民地でもなんでもいいけれども、――従業員の給料、とくに事務の給料をあげてほしい。あとレポートには自分の名前を書け。

夕方は寒くなりました

2023-11-07 23:58:01 | 大学


唯我は子產むわざもしらざりしに、しうの御使にいちへまかりしに、又わたくしにもぜに十貫を持ちて侍りけるに、にくげもなきちごを抱きたる女の、これ人にはなたむとおもふ、子を十人までうみて、これはし十たりの子にて、いとゞさつきにさへ生れてむづかしきなりといひ侍りければ、この持ちたる錢にかへてきにしなりと。姓は何とかいふと問ひ侍りければ夏山とは申しける。さて十二三にてぞおほき大殿には參り侍りし

繁樹老人は、市で買われてきた幼児だったという。市は寒かったであろうか、暖かったであろうか。

祭りにまつわるエトセトラ

2023-10-29 16:39:13 | 大学


教師をしていると学生の虚言癖をどうするかはいつも悩まされるけれども、倫理自体を教えてもだいたいだめで、実力をつけないと結局は嘘をつくようになるということを教える必要があるのだ。しかし、この必要性から逃避していつも倫理だけいう教師が多くなる。教師という職業、もともと少し嘘をつくことが必要だということもあって、そういう心のからくりがわからなくなった人間もたぶん多いんだろうと思う。

このような意識の欺瞞と惰性は日常性という維持が目的のせいでもある。これだと息が詰まるので、人間は、嘘を虚構という花火にすることによって昇華してしきり直しをするという発明を行った。スポーツ大会や祭りもその一種であろう。スポーツが虚構化されているのは言うまでもなく、いわゆる「文化」だってそうなのだ。だから、文化祭も少しスポーツの祭典の香りがしないでもなく、スポーツに文芸臭も付着しているのだ。

昔の学生に会って、黄表紙とか太宰の話をしてするする通じるいうちは世の中捨てたものではないが、誰も彼も疲れている。

文化祭で、こういう疲れを別のものに変形しなくてはならない。

もっとも、わたくしくらいになってくると、学園祭への参加は、秩序維持(警備)ぐらいだ。ゆえに、なにゆえ我が輩は秋空のなかを出勤しているのであるかと思わざるをえない。

海の向こうでは相変わらず戦争である。無駄な批判的能力をそぐと肯定する力はおろか伝言も精確にできない人間が大量生産されることがわからないようなやからは教育に関わってはならない。当たり前であるが、戦争責任やらなんとか責任は、その主体がどう評価され信用されているかによる。で、個人を超えた主体の場合は、過去の歴史や現在や未来(の見方)によってその信用は変化し、「やはりやばい」や「不幸にもやばい」、「なくなってもかまわんのでは」といった価値によって規定される。我々は価値から生ずる責任にむかって歩んでいる。今戦争をやっている国でさえそうなのだ。

学園祭でなんか文化の香りがなくなったとか言うてるそこの同世代のおじさんに告ぐ。その香りのいくらかは酒のにおいである。バッカスは退場せられた。学園祭の治安維持係の一角を担っているので、コロナ開けの学生の酒喜乱舞を怖れていたのであるが、とっくに学内では普段から飲酒が禁止されていた。チャットGPTにきいてみた。

酒の香りとの関連について言えば、一部の学園祭ではアルコール飲料を提供することがあります。ビールやカクテルなどのアルコールの香りは、祭りの一部として楽しまれることがあり、社交的な雰囲気を醸し出すことがあります。ただし、未成年者へのアルコール提供は法律に反する場合があるため、適切な規制と監督が必要です。
 学園祭は、文化とエンターテインメントが融合する場であり、多くの異なる香りが出会う場所でもあります。その香りは、参加者にとって楽しい思い出と共に残ることでしょう。


そういうことを聞いてんじゃねえんだよ。

学生の展示を見て回るとそれなりに文化はある。文芸部の展示は、自分たちの同人誌と好きなライトノベルとかイラストとかが同一平面に並んでいるカオスで、しかもえらく盛況だなと思ったら、ほぼ部員が客みたいに騒いでいるという、読者文化論的に非常に興味深い事態が展開されている。美術部はこれにくらべて作品をみてくれみたいな感じが強く、展示の裏のすごく奥に眼光鋭い部員が座ってるみたいな感じがいつもの感じである。ジャズ研はいつもがんばっている。

秋なのに授業

2023-10-05 23:51:24 | 大学


就職したからといって仕事が出来るとは限らないのは当たり前だが、案外その自明の理を想定しておかないから自分の無能さにびっくりというのがあるわけなのである。入学できたからといって卒業できるとは限らないのと同じで、というかそれ以上に、「限らない」のである。庇護する人間いなくなった状態を早く経験しないといけないのは昔も今も同じだ。最近は社会も社会事業意識化したケアの論理が、むしろ社会の学校化をおしすすめている。

学校化が進むことは、逆に学校の社会化が進むことの裏返された現象でもある。実際は対立物は、つねに総合浸透しているから、変容が起こるのだ。例えば、高野悦子/岡田鯛のコミック版『二十歳の原点』は、現代の大学生が、自分に目覚めて先生になろうとする話になってた。以前読んだときには、なんでそんな原作無視したことするのと思った。がっ、いまやみんながいやがる先生になろうとすることは、全共闘参加ぐらいには勇気のいることになったのである。闘争の場は学園闘争みたいにあらかじめ広場が与えられていたみたいなことよりも、もっと苛烈に、小学校や中学校で権力とのそれが実現してしまっている。

今日も授業で少し間違えてしまったが、つまり、経験を重ねたからといって間違いが減るとは限らないのも当然である。

我々は自分の人生の中でのみ、自分に価値を求めようとするからおかしいことになるである。ノーベル文学賞はもう宇佐見りんでいいだろ、と思う一方、宇佐見氏が真の価値が見出されるのが1000年後かもしれないし、永久にないかもしれないとも思うのである。これはまじめに思うのであるが、――文学も哲学もいつ価値が判明するのかわからんわけだが、平気で1000年以上かかったりするわけだ。没落しつつある西洋文明の記念にプラトン大先生にでも受賞させておくべきだ。

休講

2023-06-02 23:56:51 | 大学


就職問題で始終頭を悩ますと同時に、卒業試験が可なり気になる。これでお仕舞いだからといって、教授連中は斟酌してくれない。出来ないものを卒業させると学校の信用に関するから、進級試験よりも寧ろ厳重だ。うっかりしていると、就職が及第で学校が落第のこともある。素より卒業が条件で採用されるのだから、これは当然取消になる。そこで学問と社会の両方面へ心を配らなければならない。教室と掲示板に等分の注意を払うことが必要となる。
 学校の掲示板も、
「何教授今明両日休講」
 なぞというのを楽しみにしている中が花だ。昨今の掲示は学生の運命を決定するから恐ろしい。
「駄目だよ」
 と口には言っても、会見をして来たものには皆多少自惚がある。自分のことだから然う悪くばかりは考えない。殊に多少縁故もあるし、馬鹿に調子が好かったと思って九分通り大丈夫の積りでいる男が、

安田関係諸会社に就職確定したる諸君左の如し

 の次に他の名前ばかり立派に並んでいるのを見て顔色忽ち蒼白となる。


――佐々木邦「恩師」


大学は雨のため休講