★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

今年のベスト10以上を挙げてみようと思う

2015-12-30 23:20:32 | 文学


今年読んだ本でよかったもの……

・多和田葉子『献灯使』
・野中英次『未来町内会』
・土門拳『筑豊の子どもたち』
・沖浦和光『幻の漂泊民・サンカ』
・中沢啓治『広島カープ誕生物語』
・ミシェル・ウェルベック『服従』
・山内志朗『小さな倫理学入門』
・岸政彦『断片的なものの社会学』
……

もう忘れたな、今年のことは……

グラムシを読み直したことがよかったな。相変わらず、言ってることはよく分からんが。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20151230-00000085-jij-bus_all

新食材「昆虫」に注目=エコな上、味・食感も良好

……今頃気付いたのかよ

No. Try not. Do or do not. There is no try.

2015-12-29 23:06:19 | 映画


どうも、フォースを持つ連中というのは暗黒面に墜ちるか否かで悩むらしいのである。しかし、まず、そのフォースとやらを捨ててしまえば何の問題もないのではなかろうか。ヨーダもほかのジェダイも、そのフォーストやらで未来を視てしまう能力があるらしいのであるが、それが間違いの元である。ヨーダは「No. Try not. Do or do not. There is no try.」とか何とか若い戦士に説教していたが、そりゃ彼らのような職業ではそうかもしれん。先を読みながら即座に確信を持って進むべし、である。そこにはなるべく臆断というものもあってはならない。固定観念をすててかからなければならない。

しかし、だいたい奴隷を母親から引き離して戦士に仕立てようとすりゃ性格がゆがむに決まってるし、恋愛禁止とか無理だし……。テクノロジーの発達がジェダイの役割を変えるのも当たり前である。

という感じで、奴らの世界に必要なのは、過去の分析であり、一度持った力を捨てる勇気である。

「スターウォーズ」を観てると、とにかく何でもかんでも前へ前へ進んでゆく人物たちで疲れてくる。彼らに必要なのは、スカラベ・サクレのような後退である。作者だってそれは分かっていた。で、「Ⅵ」において、ルークが何もせず、熊みたいな小さいぬいぐるみたちがかわいく力を合わせてせっかく平和をもたらしたというのに……

噂によると、ディズニーはあと100年「スターウォーズ」で儲けようとしているらしい。最近始まった新三部作は、ダースベーダー死後の世界を描きはじめたから危ない。帝国の誕生に遡行しようとしたこの前の三部作は、うんこを後ろ足で後退させる意気込みが感じられたが、また先へ進むつもりである。せめて、ヨーダの若い頃、共和国が誕生した頃まで遡行して頂かないといけないのではないだろうか。再び「共和国誕生」を描くつもりは彼らにはない。これから泥沼の戦争を100年間やるに決まっている。暗黒面に墜ちているのは彼らである。

最終的、不可逆的

2015-12-29 14:30:18 | 思想
戦争の罪の問題は、永久に終わらないのが特徴である。国家が何をしようと終わらない。

細君と「スターウォーズⅣ」を久しぶりに観たのだが、ただのドタバタコメディであった。

しかし、このあと、この話がどんな風に膨らんでしまったかは、みんなが知ってるとおりだ。なぜかといえば、とにかくこの話では人が死にまくっているからだ。「Ⅳ」がベトナム戦争大敗北で暗くなっているアメリカの一部を元気にし、視る者の脳内も元気にしてしまったのは一部確かである。しかも、それが日本刀や日本の兜、並びに「フォースとともにあらんことを」みたいな精神論――を伴った映画だったことは重要である。アメリカは戦争の罪を認めたくないときに、なんとやらかした罪を忘れる技量に長けた日本を使ったのである。確かに、このシリーズに描かれているように、戦争は相互浸透の法則を忘れない。

何回もフォースを持った騎士がゾンビのように復活してくるこのシリーズであるが、復活するのは悪の力の方ではなく、罪の方だ。主人公たちは、悪夢を克服して、良き力にも悪の力にも目覚める。希望とか覚醒とかはそうやって起きる。悪夢は罪である。そう意識されない罪である。

「Ⅳ」で、主人公はデススターに住んでいる無垢の住民を虐殺した。もうだめだ。


ルーク、わしが最終的、不可逆的に父親だ。


恋する百人一首 第4回「モテ女・和泉式部に学ぶ魔性テク大研究」

2015-12-28 23:06:38 | 文学


和泉式部の素晴らしく魔性な世界がNHKを通じて明らかになりました。もっとも、文学部の王朝研とかはもっとただれた話題で盛り上がっているのであるが……

大久保さんの「それ人としてどうなんだろう……」という発言が一番的を射ている。

挿入される現代のドラマは何だろう……逆にわかりにくくなったんだが……NHKは、ただベッドシーンを映したかっただけだろう。この女優は、何とかの県民ショーで転勤族の奥さんじゃなかったであろうか……NHKで汚れてしまうとは……

「和泉式部、紫式部、清少納言、赤染衞門、相模、などいふ當時の女性らの名を漠然とあげるとき、今に當つては、氣のとほくなるやうな旺んな時代の幻がうかぶのみである。しかし和泉式部の歌は、輩出したこれらの稀代の才女、天才の中にあつて、容易に拔き出るものであつた。當時の人々の思つた業のやうな美しさをヒステリツクにうたひあげ、人の心をかきみだして、美しく切なくよびさますものといへば、いくらか彼女の歌の表情の一端をいひ得るであらうか」
(保田與重郎『和泉式部私抄』)


保田の解説はつまらんの


Luke, I am your father→Son's reaction

2015-12-27 16:35:51 | 文学


賢一郎 (昂然と)僕たちに父親があるわけはない。そんなものがあるもんか。
父   (激しき憤怒を抑えながら)なんやと!
賢一郎 (やや冷やかに)俺たちに父親があれば、八歳の年に築港からおたあさんに手を引かれて身投げをせいでも済んどる。あの時おたあさんが誤って水の浅い所へ飛び込んだればこそ、助かっているんや。俺たちに父親があれば、十の年から給仕をせいでも済んどる。俺たちは父親がないために、子供の時になんの楽しみもなしに暮してきたんや。新二郎、お前は小学校の時に墨や紙を買えないで泣いていたのを忘れたのか。教科書さえ満足に買えないで、写本を持って行って友達にからかわれて泣いたのを忘れたのか。俺たちに父親があるもんか、あればあんな苦労はしとりゃせん。
(おたか、おたね泣いている。新二郎涙ぐんでいる。老いたる父も怒りから悲しみに移りかけている)
新二郎 しかし、兄さん、おたあさんが、第一ああ折れ合っているんやけに、たいていのことは我慢してくれたらどうです。
賢一郎 (なお冷静に)おたあさんは女子やけにどう思っとるか知らんが、俺に父親があるとしたら、それは俺の敵じゃ。俺たちが小さい時に、ひもじいことや辛いことがあって、おたあさんに不平をいうと、おたあさんは口癖のように「皆お父さんの故じゃ、恨むのならお父さんを恨め」というていた。俺にお父さんがあるとしたら、それは俺を子供の時から苦しめ抜いた敵じゃ。俺は十の時から県庁の給仕をするし、おたあさんはマッチを張るし、いつかもおたあさんのマッチの仕事が一月ばかり無かった時に、親子四人で昼飯を抜いたのを忘れたのか。俺が一生懸命に勉強したのは皆その敵を取りたいからじゃ。俺たちを捨てて行った男を見返してやりたいからだ。父親に捨てられても一人前の人間にはなれるということを知らしてやりたいからじゃ。俺は父親から少しだって愛された覚えはない。俺の父親は俺が八歳になるまで家を外に飲み歩いていたのだ。その揚げ句に不義理な借金をこさえ情婦を連れて出奔したのじゃ。女房と子供三人の愛を合わしても、その女に叶わなかったのじゃ。いや、俺の父親がいなくなった後には、おたあさんが俺のために預けておいてくれた十六円の貯金の通帳まで無くなっておったもんじゃ。
新二郎 (涙を呑みながら)しかし兄さん、お父さんはあの通り、あの通りお年を召しておられるんじゃけに……。

――菊池寛「父帰る」


Son's reaction to 'Empire Strikes Back' reveal!!!!
https://www.youtube.com/watch?v=ZbV5hn_ET0U

蜘蛛も光れば蛇も光る

2015-12-26 23:54:55 | 文学


「やっぱり、はあ、真白な膚に薄紅のさした紅茸だあね。おなじものでも位が違うだ。人間に、神主様も飴屋もあると同一でな。……従七位様は何も知らっしゃらねえ。あはは、松蕈なんぞは正七位の御前様だ。錦の褥で、のほんとして、お姫様を視めておるだ。」
「黙れ! 白痴!……と、こんなものじゃ。」
 と従七位は、山伏どもを、じろじろと横目に掛けつつ、過言を叱する威を示して、
「で、で、その衣服はどうじゃい。」
「ははん――姫様のおめしもの持て――侍女がそう言うと、黒い所へ、黄色と紅条の縞を持った女郎蜘蛛の肥えた奴が、両手で、へい、この金銀珠玉だや、それを、その織込んだ、透通る錦を捧げて、赤棟蛇と言うだね、燃える炎のような蛇の鱗へ、馬乗りに乗って、谷底から駈けて来ると、蜘蛛も光れば蛇も光る。」

――泉鏡花「茸の舞姫」


……年末になって、タクシーに乗る機会が増えたが、聞いてもないのに運転手さんが口々に「景気全然よくなってねえだろうがよ」と怒りまくってるんだが……ごめんなさい(つい謝ってしまいます)

こいを、しちゃったんだから。 「いつ、こっちへ来たの?」

2015-12-24 23:18:30 | 文学


そうして今夜、五年振りに、しかも全く思いがけなく私と逢って、母のよろこびと子のよろこびと、どちらのほうが大きいのだろう。私にはなぜだか、この子の喜びのほうが母の喜びよりも純粋で深いもののように思われた。果してそうならば、私もいまから自分の所属を分明にして置く必要がある。母と子とに等分に属するなどは不可能な事である。今夜から私は、母を裏切って、この子の仲間になろう。たとい母から、いやな顔をされたってかまわない。こいを、しちゃったんだから。
「いつ、こっちへ来たの?」と私はきく。
「十月、去年の。」
「なあんだ、戦争が終ってすぐじゃないか。もっとも、シズエ子ちゃんのお母さんみたいな、あんなわがまま者には、とても永く田舎で辛抱できねえだろうが。」
 私は、やくざな口調になって、母の悪口を言った。娘の歓心をかわんがためである。女は、いや、人間は、親子でも互いに張り合っているものだ。
 しかし、娘は笑わなかった。けなしても、ほめても、母の事を言い出すのは禁物の如くに見えた。ひどい嫉妬だ、と私はひとり合点した。
「よく逢えたね。」私は、すかさず話頭を転ずる。「時間をきめてあの本屋で待ち合せていたようなものだ。」
「本当にねえ。」と、こんどは私の甘い感慨に難なく誘われた。
 私は調子に乗り、
「映画を見て時間をつぶして、約束の時間のちょうど五分前にあの本屋へ行って、……」
「映画を?」
「そう、たまには見るんだ。サアカスの綱渡りの映画だったが、芸人が芸人に扮すると、うまいね。どんな下手な役者でも、芸人に扮すると、うめえ味を出しやがる。根が、芸人なのだからね。芸人の悲しさが、無意識のうちに、にじみ出るのだね。」
 恋人同士の話題は、やはり映画に限るようだ。いやにぴったりするものだ。
「あれは、あたしも、見たわ。」
「逢ったとたんに、二人のあいだに波が、ざあっと来て、またわかれわかれになるね。あそこも、うめえな。あんな事で、また永遠にわかれわかれになるということも、人生には、あるのだからね。」
 これくらい甘い事も平気で言えるようでなくっちゃ、若い女のひとの恋人にはなれない。
「僕があのもう一分まえに本屋から出て、それから、あなたがあの本屋へはいって来たら、僕たちは永遠に、いや少くとも十年間は、逢えなかったのだ。」
 私は今宵の邂逅を出来るだけロオマンチックに煽るように努めた。
 路は狭く暗く、おまけにぬかるみなどもあって、私たちは二人ならんで歩く事が出来なくなった。女が先になって、私は二重まわしのポケットに両手をつっ込んでその後に続き、
「もう半丁? 一丁?」とたずねる。
「あの、あたし、一丁ってどれくらいだか、わからないの。」
 私も実は同様、距離の測量に於いては不能者なのである。しかし、恋愛に阿呆感は禁物である。私は、科学者の如く澄まして、
「百メートルはあるか。」と言った。
「さあ。」
「メートルならば、実感があるだろう。百メートルは、半丁だ。」と教えて、何だか不安で、ひそかに暗算してみたら、百メートルは約一丁であった。しかし、私は訂正しなかった。恋愛に滑稽感は禁物である。
「でも、もうすぐ、そこですわ。」
 バラックの、ひどいアパートであった。薄暗い廊下をとおり、五つか六つ目の左側の部屋のドアに、陣場という貴族の苗字が記されてある。
「陣場さん!」と私は大声で、部屋の中に呼びかけた。
 はあい、とたしかに答えが聞えた。つづいて、ドアのすりガラスに、何か影が動いた。
「やあ、いる、いる。」と私は言った。
 娘は棒立ちになり、顔に血の気を失い、下唇を醜くゆがめたと思うと、いきなり泣き出した。
 母は広島の空襲で死んだというのである。死ぬる間際のうわごとの中に、笠井さんの名も出たという。
 娘はひとり東京へ帰り、母方の親戚の進歩党代議士、そのひとの法律事務所に勤めているのだという。
 母が死んだという事を、言いそびれて、どうしたらいいか、わからなくて、とにかくここまで案内して来たのだという。
 私が母の事を言い出せば、シズエ子ちゃんが急に沈むのも、それ故であった。嫉妬でも、恋でも無かった。

――太宰治「メリイクリスマス」



……クリスマスの爛れた男女が読むべき文学の最高峰。太宰治「メリイクリスマス」。大学の時、これを読んで、その才能に圧倒され、恋も文学もあきらめそうになったわたくしである。無論、あきらめた方がいいことは結構あるのである。人生とか。

「恋する百人一首」の魔圏

2015-12-23 21:21:57 | 文学


少し前から、Eテレで「恋する百人一首」という番組をやっている。第一回「ベッドイン」から内容的にも様子が変なのだが、百人一首の内容なんかはもともとかなりイカレておるので別になんとも思わない。

それより、出演者がすごい魔圏を作り出している。

山口仲美先生……いや、もっと違った人も居るだろうに……よりによって、山口先生……すばらしい。

壇蜜さん……もっと詠んでください

大久保佳代子さん……言うまでもなく、ベストの人選。

こういう人たちのおしゃべりのなかで、山口先生が出すテロップが「逢う=SEX」とか、NHKもよっぽど溜まってるんだろうなあ。ニュースでもそんな勢いでやりゃいいに。

一応ゲストの先生(恋愛学みたいなことやってる人とか)の説明も挿入されたりするのであるが、これが恐ろしくつまらない。結果的に、文学は文学の説明でしかおもしろくならないことを大衆に知らしめるための番組になっている。

附記)昨日のニュースで、大学入試改革で、英語と国語の記述式の問題の例が出ていた。なんじゃあれ?小学校の面接問題か?しかも、正答例が間違ってたけど?頼むから、国家は入試から撤退してくれ……頼む。


tonttu

2015-12-22 23:18:17 | 旅行や帰省


木曽の家では、トントゥ(フィンランドの妖精)を作っていたようです。

フィンランド国――芬蘭土語ではスオミ、Suomi ――の首府へルシングフォウス――芬蘭土語でヘルシンキ――は、密林と海にかこまれた、泣き出したいほどさびしい貧しい町だった。
 一九一八年に露西亜から独立したばかりで、そのとき四箇月間「人民の家」と称する共産党政府に苦しめられたことを人々はまだ悪夢のように語りあい、ソヴィエットの風が北部西欧へ侵入してこようとするをここで食いとめる防壁をもってみんな自任している。そのためと明かに公言して、国民軍の制度が不必要と思われるほど異常に発達し、四箇月の軍事教育ののちに属する国民軍なる大きな団体が、政治的にも社会的にも力を持っている。これに対立して露系共産党の策謀あり、この北陬の小国にもそれぞれの問題と事件と悩みがあるのだ。何だか「国家」の真似事をしてるようで妙に可愛く微笑みたくなるが、しかし、同時にその素朴さ、真摯な人心、進歩的な態度――約束されている、フィンランドの将来には何かしら健全で清新なものが――気がする。

――谷譲次「踊る地平線」

それを追っかけた

2015-12-19 23:18:51 | 文学


翌日中隊は、早朝から、烏が渦巻いている空の下へ出かけて行った。烏は、既に、浅猿しくも、雪の上に群がって、貪慾な嘴で、そこをかきさがしつついていた。
兵士達が行くと、烏は、かあかあ鳴き叫び、雲のように空へまい上った。
そこには、半ば貪り啄かれた兵士達の屍が散り散りに横たわっていた。顔面はさんざんに傷われて見るかげもなくなっていた。
雪は半ば解けかけていた。水が靴にしみ通ってきた。
やかましく鳴き叫びながら、空に群がっている烏は、やがて、一町ほど向うの雪の上へおりて行った。
兵士は、烏が雪をかきさがし、つついているのを見つけては、それを追っかけた。
烏は、また、鳴き叫びながら、空に廻い上って、二三町さきへおりた。そこにも屍があった。兵士はそれを追っかけた。
烏は、次第に遠く、一里も、二里も向うの方まで、雪の上におりながら逃げて行った。

――黒島傳治「渦巻ける烏の群」


大貧に、大正義、望むべからず――フランソワ・ヴィヨン

……かなしい土曜日

公開講座一日目

2015-12-18 23:31:31 | 文学


「月山」を読む第一回終了。今日は「山の文学」の歴史を振り返りました。祝い歌「高い山」やみこしまくりの話、霊山と「山の民」の話とか……「崇高さ」とか……。次回から本文をちゃんと語ろうと思ってます。

――夜は、国語研究室の忘年(忘れてたまるかよ)会