★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

震度6

2024-04-17 23:20:07 | ニュース


愛媛あたりでは震度6ぐらいあったらしい。高松もゆっさゆっさ揺れた。

水の恩はわすれぬ。香川は南海トラフのときには他県を助ける計画でがんばるときいておる。

香川は台風とかでも四国で唯一被害がなかったりと仲間はずれ的なかんじであり、南海トラフでもまだ香川はましかみたいに言われる。海が邪魔しているのだが、海を除いて考えれば、むしろ香川は岡山南の一部、大阪あたりの土地の仲間と考えた方が良いかも知れないが四国のみんなを見捨てたわけではないのだ。

さっきの地震で書棚からパイドンが落下せり

昨日は木曽でさっきは四国で地震のやつ我が一族をねらとる。

中日ドラゴンズ優勝おめでとうございます

2023-09-14 23:10:27 | ニュース


阪神タイガース18年ぶりの優勝おめでとうございます。逆に考えると、順位表をひっくりかえして中日優勝。18年というと、いまの大学一年生が生まれた時以来だからえらく昔であるが、わたしなんか最近の出来事のようにおぼえている。今回の阪神優勝で実は一番喜んでいるのは中日ファンで、最近では、阪神が優勝すると次の年は中日が優勝しているのである。

星野阪神優勝→落合中日優勝→岡田阪神優勝→落合中日優勝→落合中日日本一

この流れが来ている。そもそも今年だって、いまからでも遅くはない、今中とウッズが復帰すれば中日は優勝できるといへよう。

たぶん、阪神の選手は、もと李徴の可能性があるから、暗黒時代、劣等感を刺激してやるだけでイケる。

今頃知ったのだが、阪神の優勝は禁句で「あれ」と呼ばなければならなかったらしいのだ。いいだしっぺは監督らしいが、もともとは、「Vやねん」という優勝記念雑誌かなにかを優勝する前に発売してしまったときがあり、美事V逸したのでそれを意識したのであろう。その意味でも、阪神は優勝という言葉を吐いてしまった時点で、もう優勝はない。来年は中日優勝。

三島由紀夫「仮面の告白」には、NGワードを示す「あの事」という言い方が出てくるけれども、それを阪神優勝におきかえてみると、よりカオスな話になる。三島は、なぜこの「あれ」路線を放棄し、なんでも裸的になればよいと思ってしまったのであろうか。天皇制など、「あれ」みたいな話である。★秀実ではないが、天皇制を隠語に、である。

それにしても1950年以降、V9ごろまでの巨人の優勝確率というのはすごい。ほとんど巨人が優勝している。この調子じゃ、巨人優勝ていうのはほとんど心のインフラ整備みたいになってたのかもしれない。つまり、心の安定が巨人優勝という見える化を要求していたのである。三島が自衛隊に突撃したのも、この巨人優勝が続く時代であった。日本国民は、くたばれジャイアンツと三島の天皇陛下万歳が、単に見える形で同時に生起する世の中がやってきたことに気付くべきであった。

いつのまにかわたくし抜きの強豪現象

2022-12-26 17:40:32 | ニュース


世の中、油断は出来ないのが、いつの間にか強豪現象というものがあるからだ。国民国家レベルでも時々起こるのだが、知らないうちに国力が上がっていたり下がってたりする。国民国家レベル、領域国家でもおこるんだから、スポーツや音楽では案外個人の力で何か急激に変わったりするものである。

昨日、高校駅伝で、男子 1位倉敷 (岡山)に次いで、2位佐久長聖 (長野)が入っていて、いつの間に信州は強豪国になってんねんと思っていたら、午前中に終わってた女子は長野東が優勝していた

佐久長聖は吹奏楽でも強いし、なんかあれなのであるが、そんなことはどうでもいい。ちなみに、わが男子うどんは42位小豆島中央 (香川)である。小豆島強いね。女子うどんは45位四学大香川西である、頑張ったからいいと思う。

ちなみに、わが都留文科大学吹奏楽部もコロナ禍にひそかに高松で行われた全国大会に出場していた。

……冷静に考えてみて、わたくしが属していないチームだから優秀なのだ。

日本の夏、敗退の夏(2022)

2022-08-20 23:44:44 | ニュース


わたくしはいろんなところを放浪してきたので、沢山の心の故郷を持っている。甲子園大会はその心の戦いである。太字は心の故郷を表している。

木曽青峰 1-6 上田西……(T T)

高松商(香川)14-4佐久長聖(長野)……そりゃねえよ、だれだよこの組み合わせ考えたの。。高松に清原連れてくんじゃないと(くどい)

愛工大名電(愛知)2ー6仙台育英(宮城)……予備校行っただけの愛知、正直どうでもいい

●天理(奈良)2-1山梨学院(山梨)……田舎もん同士、誠にお疲れ様です。

明秀日立(茨城)4-5仙台育英(宮城)……東北地方同士、誠にお疲れ様です。

高松商(香川)2-1九州国際大付(福岡)……あれっ、もしかして強いのでは?

高松商(香川)6ー7近江(滋賀)……近江と言えば、義仲殿が討ち死になさった場所。田んぼが凍らないとか、どんだけ空気が緩んでいるのだ決して許さぬ。

●ヤ 9 - 7 中……リアル・ドベゴンズではないか

……すべて負けました。

アイスダンスすごい

2022-02-14 23:27:41 | ニュース


酢を飲みながら、アイスダンス決勝をみた。なんだか分からんがとにかくすごかった。

やっぱオリンピックは冬だな。すごいレベルだと素人でも分かる。冬の競技が盛んな土地柄で育ったせいもあるけど、冬の競技はとにかく地上から飛んだり浮き上がって踊る競技がおおいわけよ。夏みたいに地べたをどたどたやってねえわけよ。

雪と氷が我々をして天に昇らしむる。

雪降れば冬籠りせる草も木も 春に知られぬ花ぞ咲きける

紀貫之に欠けているのは、その花に合わせて踊る人間や犬であった。

虚実の皮膜――御嶽海圧倒的優勝

2022-01-23 23:46:01 | ニュース


御嶽海、横綱に勝って優勝。

大関になれば雷電以来の長野県出身大関の誕生である。雷電は、254勝10敗、勝率.962、197センチメートルという、たぶんわたくしとは違う生物という人で、あまりに強かったため横綱になれなかったとかいう噂があるが、江戸相撲にあらずんば相撲にあらずみたいな、いまの大相撲一極集中の基を築いたのであった。引退しても、半引退状態で40代終わりまでやっていたとウィキペディアに書いてあった。相撲は、たぶん、歌舞伎のようなものに近いものであった。最近まで野球ですらそういう芝居がかったものであった。

そういうことが分からない文化が明治に入ってきて、裸体禁止令まででたのはよく知られていよう。相撲を裸体とは認識しないのが我々の文化であるが、はっ、よくみたら裸ではないか、というわけである。しかし、その裸体レスリングが好きなのが明治天皇で、天覧試合を盛り上げた結果、いまの大相撲が出来上がった。考えてみたら、いまのプロ野球も、長嶋・王が天覧試合で活躍してから独特のオーラをまとい、歌舞伎的な何かを取り戻した。

今日御嶽海のつけていた化粧まわしは、上松町元気会のものだと思うが、――寝覚ノ床で浦島太郎が鯛を釣り上げている。従って、どうみても木曾には海があるのではないだろうか。したがって御嶽海の名前は嘘ではない。こういう虚実の狂った世界で成り立っている世界が文化なのである。

静岡では、水が吹き出して山梨県に流れちゃうとかの件で、リニアの工事がもめていると聞いたが、恵那山=アマテラスの胞衣を傷つけたりするから天罰が下ったと言へよう。――と考えた人間はけっこういたはずである。ナンセンスだが、結局、リニア要るのかそれ?という常識を無視してことを進めるとアマテラスまで出現するのである。つまり、理不尽が怪物的な何かを呼び出すのである。しかし、呼び出したものによって我々の心は、やたらいけない隣人や為政者を殺して泥仕合が出現するのを避けているのである。相撲もその一種である。ちなみに、マルクスの言うように「共産主義」もその一種である。

雷電の出現は、言動が半分外国人であるような?御嶽海に対する人々の気持ちをなんとなく鎮めるであろう。こういうのは、道徳的な説教で鎮まるものではない。

【予言】聖火台【的中】

2021-07-24 16:25:40 | ニュース


むかしエンブレム騒ぎのときに、悪ふざけでいろいろな私案を作っていたのだが、これ予言的中じゃないかいや

https://blog.goo.ne.jp/shirorinu/e/bd686668f40f2651da5d03a5b8ce2f03

つまり、われわれの文化は悪ふざけが辛うじて自由であるような情況におかれているということである。それがわしのような末端から上?の方まで覆い尽くしている。で、それを回避しようとして観念的な正義に飛びついたりもするのだが、これはこれでうまく機能しないだけでなく認識としても半端だということは人文学や文学が語ってきたとおりである。


2021-02-11 23:22:03 | ニュース


Mをはじめとする政治家から感じられるのは封建的家制度の残滓ではなく、現代的なミソジニーという感じである。例えば竹下登なんかは若い頃、家父長制度の恐ろしさを父親に苛められた妻の自殺とか何やらで思い知っていたはずだ。それに比べてそのほんとのおそろしさなんかを知らないから逆に「話が長い」とか言ってしまうのだ。

彼らは、現代的なミソジニー(これは決して意識ではなく「制度」である)を生きているにもかかわらず、根本的に男女の関係について観念的な把握しかない。戦争を知らない世代が、一発撃ったら何が起こるかを想像できないように、家制度のしでかした数々の殺人を忘れてしまい、男らしさとか責任について考えている。政治家のくせに、意識とそれが制度化されたときの弊害について思考していない。

リベラルはリベラルで、エリート主義とか特権意識みたいな説明で人間を批判するが、そんなもんで人間の意識が説明できるか。できない。確かに、現代は、根本的な馬鹿に対して、学歴や業績や地位といったアクセサリーで勘違いを起こさせることばかり一生懸命制度化してきてしまった。まさしく平等化の奇形的な暴走である。しかし、かれらの意識はもっと複雑な葛藤の中にいるので、その自己欺瞞自体を批判してもなんともならない。

曲がりなりにもデモクラシーの制度が作動している限り、権力が下に向かって力をいろいろな意味で行使するという構図だけでなくて、権力が下を模倣するということも考えとかなければならない。明らかなハラスメントとして顕れる以前から、いろいろな相互作用があるのが当然であり、我々の意識はその相互作用のなかにある。作用が少なくとも固定化しないような制度設計をすることは大事なんだが、ただ作用を自由に作動させておくばかりでは、パワーを誇示する輩が意識を一部の作用で塗り固めて勝つだけだ。だから、デモクラシー下では、主体の自由を許容する「支援」より以前に「教育」が必要なのである。

例えば、教師が生徒を模倣するということがあるし、むろんその逆もある。学級経営なんかはその相互作用が力の行使として変に暴走しないように教師も生徒も気を遣っている。その場合、教師が知と権力を持っていることによって、より重大なことが起きるのを防いでいるのである。谷崎の「小さな王国」みたいに、教師と生徒の力の逆転が貨幣(この場合は偽金だが)を起きることがあり、レーニンの「帝国主義戦争を内乱へ」みたいな発想が出てくるけれども、やっぱり、力の方向が切り替わっているだけの場合は危険だ。僭主政治みたいなものの誕生はもっとひどい力の作用を生み出してしまう。人間関係は、そういうオセロみたいなものではなく、もっと複雑な相互作用をみとめることでなければならない。

家父長制云々は勉強していないからよく分からないが、どちらの両親が同居しているかによって状況が一変したりすることがある。あるいはどちらの実家が近いかでもよい。問題は権力を自ら生み出しているのではなく「笠に着る」みたいなありかたの方が本質的に問題なのである。制度はそのあり方を容易にしてしまう。一方で、現代では、自分が家の中で一番頭がよいと思っていて、親や兄妹の行動にケチをつけつづけることでアインデティティを形成してきている人間も男女問わず最近は多くて、結婚しても自分が王様でないと耐えられない。これだって、その人が男であった場合は容易にミソジニーの発生を促すのである。

森問題が男女差別の問題に限られてしまうのはそもそもよくない。それはオリンピックに主体的に参画しようとしていた聖火ランナーやボランティアの人間の意識のありかたにまで向けられるべきだ。私は、そもそも聖火ランナーをやる人の気持ちがまったく理解できないが、わたしなんか重たい松明でバランスを崩してこけたついでにその火が群衆に乗り移り大惨事に、みたいな想像をしてしまうのだ。私は、義仲祭りだか松明祭りで火が山の木に燃え移ってみたいな(空想かも知れない)事件しか記憶にないからだ。荒唐無稽かも知れないが、聖火ランナーやボランティアに、そんな滅茶苦茶なことを想像してぼんやりしている自由はない。これこそがオリンピックによる自由の制限=動員なのである。森や小池だってある意味でその犠牲者といって差し支えない。

これは大人の常識だと思うが、政治家でも学生でも学者でも失礼な態度をとるやつっていうのは謙譲の美徳が欠けているからそうなるのではなく、無責任だからなのである。他人を処世のために使用するからなのである。MとかAとかが責任を権力と相即するほど負っているのであれば、多少威張ってても気にならないが、そうではない。こういう人間は敬語の使用法に熟達しても、行動自体によって周囲に責任を負わせ続ける。こういうタイプが処世のために「頑張る」。その「頑張り」自体は無視できないので、上がそいつを引きあげてますます頑張らす。そうやって、出来上がっているのがいまの一部の管理職たちなのだ。あまりに目に付くので、たぶん一般的な現象ではないかと疑われる。

だから、――Mさんは自分には頑張りが足りなかったと思っているのではないか。だから自分の面白おじさんみたいなキャラクターを切り落としたまずい意味で真面目な川淵を後釜に据えようとする。

根本的に、その頑張り=処世とは自分のためのそれで、祖国とか人類のためのものではない。だいたい、Mとかの発言には、「日本の女」という限定もなかった。つまりこの人には、祖国への愛憎といったものを含んだナショナリズムすらない。きわめて、現代的だと思う。ナショナリズムは、罪と罰に引き裂かれる自己の解体を必要とする。本当はリベラリズムだってそれが必要なのだ。

甲子園惨敗の夏2019

2019-08-18 23:26:02 | ニュース


今年も負け続ける甲子園ですが、みなさん元気でいらっしゃいますか。太字がわたくしが住んだことのある県であります。

県予選

更級農(長野) 3‐0木曽青峰(長野)……御嶽海で全精力を使い果たしているので木曽にはボール遊びの余裕はない。

甲子園大会

八戸学院光星(青森) 9-0 誉(愛知)……もう絶対愛知には吸収合併されへんで

霞ケ浦(茨城) 6 - 11 履正社(大阪)……じ、常総学院はどうなったんでしょうか……

仙台育英(宮城) 20 - 1 飯山(長野)……おい、そりゃねえだろうがよ、やっていいことと悪いことがあるんだよ。

高松商(香川) 4 - 6 鶴岡東(山形)……山形には海がねえだろう――と思ったらちゃんとあるじゃないか。おまけに月山まであるのかい。

熊本工(熊本) 3 - 2 山梨学院(山梨)……くまもんは遠慮せい。山梨学院はいま大学でも問題発生なんだから……





もう全て負けておりました。誠に申し訳ございません。

中日 49勝60敗(5位)……安定の5位、お疲れ様です。

できちゃった政治と芸術

2019-08-07 23:21:09 | ニュース


一政治家のできちゃった婚報告を官邸で記者会見をやっていたがなんともばかばかしい限りである。首相と官房長官に報告してというのが、上司に結婚のご報告をいちいちしている子犬社員と一緒ではないか。わたくしもいいかんじの歳なので、ニュースニッポン(違ったか……)で、急に身をよじって「次です」とこちらを向いてくる滝川クリステル嬢に5ミリぐらいどっきりしたことは確かである。それ以来4ミリぐらいファンであったが、例の「オ・モ・テ・ナ・シ オモテナシ」で、国家に寝返った犬好きの方だと判明したので、1ミリぐらいに減っていたわけであるが、それがよりによって、純一郎の息子とできちゃった婚ということで、いまやわたくしは、マイナス500ミリぐらいのファンである。

この純一郎の息子の記者会見での発言は、よく考えると結構酷くて、「自然にこうなった」を何回か言ったのであるが、その自然とは、「勢い」のいみではなく、自然主義的な意味での自然であって、これではクリステル嬢がかわいそうである。自然の摂理が作用しなければ、結婚しなかったのか?あと、一番酷いのは、

「来年年明けには出産ということになりますけど。そこまで静かな環境の中で、彼女を守っていけるように全力を尽くしたいと思っています」

で、「静かな環境」って、自民党が憲法論議をごり押ししたいときの決まり文句ではないか。あ、そうだ、どうやって「守る」のであろうか。自衛隊ですか?あと、

「愛情深く、心から、自分が親から愛されているということを一点の曇りもなく思わせてくれたからこうやって生きてこれたので。そんな父親になりたいと思います」

もしそんな父親がいたらそれは人間ではないが、「一点の曇りもなく」って、確か、モリカケ問題の言い訳のせりふではないか。そんな微妙な問題を引き合いにだしてイイワケ?

と、ふざけている場合ではなく、この問題は、現在の病理を明らかに示している。政治の話題も愛の問題も同じ言葉を使って平気だというその問題である。シンジロウ氏は自分を「政治バカ」だと言っていたが、全く逆で、彼にはおそらく「政治」が消滅しているのである。安倍首相や麻生にもそれが感じられるが、――政治家という特殊な職業のオーラがないのだ。我々が不安なのは、彼等がバカだからというより、「政治家」を本当にやろうとしているのか分からないからである。残念ながら、多くの野党の政治家にはもっとそれが感じられる気がする。庶民に寄り添うって、もともとみんな庶民ではないか、もはやたいして違わんじぇねえか。ちゃんと違って貰わなくては困るのである。今回の会見を人民から「政治」を更に遠ざけるための陰謀だとみなせるのなら、まだいい。怖れるのは、「自然」にこうなった可能性である。その場合、もはやこれは「出来ちゃった婚」というより「できちゃった政治」と言った方がよい。

例の展示会中止問題も、似たようなところがある。美術作品が、きれいな風景や、美人画や、地元の人と協働してつくりあげる、瀬戸芸における一部作品みたいな(パブリックアート?)ものだと思っている人民の教養のなさを責めてもしかたがないような気が、普通はするのであるが、――どこかで津田氏は自分をこれからは「前衛」と位置づけると述べていたと思うので、明らかにそれはそういう教養のなさにたいして前衛から戦いを仕掛けることが目的であったといってよい。あるいは、いわば、19・20世紀に起こった芸術と国民国家との戦いを再現しようとする試みと換言してもよいと思う。これがしかし容易なことではないのは、その歴史を振り返ってみればわかる。戦後もさまざまな紆余曲折があって、この問題から逃避してきた経緯がある。某百田氏の存在は、皮肉ではあるが、その逃避から生み出されたのである。

ショスタコーヴィチの音楽や、ピカソの絵画や、サルトルの哲学などなどは、政治の恐ろしさを世に伝えているのではない。むしろ、それらは息の長い「政治」を創り出すことに成功したのである。――しかし、彼等の才能と伝統をもってしても容易ではなかった。ある程度、恋人たちと仲間と幸運が必要だった。

酷暑過ぎて奇跡

2019-07-28 18:45:31 | ニュース
昨日はわたくしの書斎が38度ぐらいになっていたので、わたくしはエアコンを全力運転させながら、

【BEYOND THE STANDARD vol.2】バッティストーニ&東京フィル/のん(語り)「武満徹:系図」


能年さんの語りの武満徹を聴いて心を静めていたのである。昔、遠野凪子さんの語りの名演があるこの曲であるが、能年さんのやつもいい。

で、今日も35度ぐらいで、県立図書館に行ったら人民のみなさんが大量に涼みにいらしていて勉強に来ていて、わたくしもマリー・ロール・ライアンの『可能世界』などを読むことにして自宅に帰ってきたのであるが、細君とお茶を啜りながらテレビをみていると、

【(スロー映像あり)2019夏☆香川大会決勝/土壇場の同点スリーバントスクイズ!】2019/07/28英明高2年生・前田 大(丸亀西中)


こんな場面があって、――さすがに暑さで目の錯覚かと思ったのであるが、スクイズ成功である。英明高校は大学の近所なのでいつも生徒さんとすれちがうのであるが、とりあえず理由は何もないが頑張って欲しい。

10分後、英明高校サヨナラ負け。