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石垣島で農地を借りる申請をした。

2021-12-08 04:02:45 | 楽観農園
 崎枝に以前八重山農林高校の小峰先生が放牧牛の牧場をされていた、3,6ヘクタールの土地がある。ここで日本で一番美しい体験農場を作るために、昨日、地主さんとの賃貸契約は済ませた。10年間の賃貸契約である。お借りした以上全力で素晴らしい場所にしてゆくつもりだ。

 農業委員会が許可してくれればいよいよ進むことになる。お借りして石垣島農の会の活動拠点を作る為である。活動を一歩進めるためには自由に長く使える田んぼがどうしても必要になる。短期間では良い土壌を作ることができない。活動の中心になる場所がみつかった。

 理想的な場所である事は確かなのだが、余りに広いので、どのように他の活動と連携できるのかが課題になる。今相談している組織が2つある。一つはゆんたくガーデンという石垣島移住の相談などを運営している組織である。運営者の大倉さんは是非一緒にやろうと言ってくれた。

 もう一つの組織が水牛を飼われている福仲さんと栗林さんである。崎枝が遠くて、現実的かどうかが問題になっている。もう少し細かく話を詰めてゆかなければならないが、協力して上げようと言うことになった。まだ実際の運営は相談しなければならない。

 崎枝のその場所ではいつも絵を描かせて貰っていた。今年の3月頃に牧場を辞められたらしい。シーラ原で田んぼをやるようになり、いつも行っていた崎枝の牧場にはしばらく行っていなかった。それで牧場を止められたことに気付かなかったのだ。

 あるとき、新聞に崎枝の牧場用地貸しますという広告が出ていた。TY商事が掲載主であった。TYさんは家のすぐそばにあるので、社長は一応知り合いぐらいの関係なので、話を聞きに言った。丁度その農地を借りたいという若い方がみえていた。それでその話はしないで帰った。

 荒れ地になってしまう前に借りてくれれば良いなと思っていたのだが、牧場が始まっているかと思い崎枝に絵を描きに言ったのだが、借りた様子は無かった。TYさんの貸しますという看板が立っていた。牧場も随分草が茂り以前の様子では無くなっていた。良い場所なのだから、早く誰かが使ってくれれば良いのにと思った。

 最近改めて田んぼが出来ないか、水の様子を見せて貰った。小川は流れていた。相変わらず借主はいないようだった。ここで田んぼが出来るのではないか。ため池を作り、うまく管理すれば、5セぐらいの田んぼを3枚の棚田に出来るのではないかと思えた。当然その下に水牛の池も出来るだろう。しかし、夢のような話で、現実化するにはまだハードルは高いと思っていた。

 崎枝は日本一美しい集落である。至る所を絵を描いて歩いた結果そう決定した集落である。そして日本でも有数の風の強い集落かもしれない。サラダ記念日の歌人もこの集落に住まわれていたらしい。名蔵湾と崎枝湾との間にある。屋良部半島の付け根の乗越のような地形の、尾根筋に家が点在している。風が強い地形である。この南斜面に牧場はある。

 集落には崎枝小中学校がある。この学校が出来た頃の教師だった安間繁樹さんは「石垣島自然誌」という、若い時代の離島の教師とその生徒の交流の物語を書かれている。安間繁樹さんはイリオモテヤマネコの生態を調べたくて、崎枝小中学校の教師になられた方だ。

 今は動物生態学の日本の第一人者である。その石垣島自然史に書かれた生徒だった野生児達が今崎枝に暮らしている。戦後開拓のそれは大変な暮らしだったはずだ。今は移住者が多くなって、しゃれたレストランが3つもある。ハーブガーデンをやりながら、そのハーブ料理を出すという、珍しいレストランもある。

 崎枝に絵を描きに行っていた頃よく食べさせて貰っていた、イタリコというお店はスパゲッティーがとても美味しい。また、お店をやられている方の印象がとても優しい感じで良い。明るい抜けるような海と空。そして気持ちよいお店。すべてが集落の魅力を高めている。

 シーラ原田んぼの仲間の内2人がなんとこの崎枝の住人である。そんなこともあり、崎枝にいよいよ気持ちが惹きつけられてきた。崎枝での田んぼに惹きつけられると、小峰先生の牧場の跡地がますます気になりだした。牧場で水牛を飼い。畑や田んぼが出来ないかと思うようになった。

 この牧場の一番良い所は湧き水があるところだ。こういう場所は滅多に無いだろう。それだけでも借りる価値がある。その昔はその湧き水のそばに地主さんの家があったらしい。そこには井戸があり、集落のみんながその水を使っていたと言うことだ。1950年頃の話らしい。

 登記簿を調べると田んぼという地目の土地が、3反ほどある。今は水が減っているとしても、2反までは田んぼが出来るのではないだろうか。そうであれば、理想的な自給農業のための体験農場が出来る。ため池を上部に作ることが、必要だと思われる。

 今は家があった形跡は無くなっている。地目上にも無い。開拓小屋のような作りだったのかもしれない。崎枝は戦後開拓で出来た集落である。しかしさらに古い時代にも集落はあったらしい。ところがマラリアが流行して人が住めなくなった。それでも崎枝小学校には120人もの生徒がいた時代があるらしい。今は確か12人になっているのではないか。

 借りる以上農地として立派な管理をしなければならない。出来れば岩手の兄に一度来て貰って、牧場の作り方を相談に乗って貰えないか相談してみよう。兄は牛の専門家なのだから、良い意見が聞けるかもしれない。先ずは周囲の柵と作業道である。

 絶好の場所なのでやりたいことは次々出てくるが、ますます一人では出来ない。水牛の管理に関してはその地域に住まわれている方が協力してくれなければ不可能だ。そのことを崎枝の住人のひとりの方に話したところ、そこで田んぼや畑をぜひともやりたいと言って喜んでくれた。それなら出来るのかもしれないと思い、さらに借りる気が増した。

 4ヘクタールもあるから、牧場と組み合わせなければ無理だ。水牛を飼われている福仲さんや栗林さんは水牛牧場用地に利用できると言われている。ただし、家から遠いので大変ではないかと思う。日常の管理を私と崎枝の3人の方とうまくローテーションを組みたいと思う。福仲さんは以前、小峰先生の牧場は八重山農林の同僚同士だから、牧場の管理にきたこともあり、よくご存じだった。

 水牛の牧場が出来るのであれば、草地をいくつかに区切り、しっかりした管理道路と柵で囲いを作る。そして水はいつでも飲めるようにしたい。出来れば水牛のヌタ場も欲しい。ヌタ場は臭くなるから、人家から離れたところで無ければダメだろう。

 そして、機械小屋と農業用倉庫と、水牛の日陰を作る林も考えてやらなければならない。この点は第2弾になる。そして車が入れる道を田んぼまで作る必要もある。あれこれ考えると、胸躍るモノがある。水牛に乗って美しい屋良部半島の道を歩くことも出来るかもしれない。この場所は事業としては素晴らしいものになる可能性がある。

 4ヘクタールの農地を自給農業者の研修場所にできる。田んぼや畑や果樹の試験栽培をここで行い。石垣島での農業体験塾の研修場所になるだろう。研修事業を以前から石垣島でやっている、ゆんたくガーデンという組織と連携することは決まっている。

 ヌタ場のような池を作る必要はあるだろう。そこは日陰で無ければならない。そして人家から離れていた方が良い。匂いがするからだ。これは田んぼのさらに下に作った方が良いだろう。木陰があるのかどうか。無ければ木を移植すると言うことも出てくる。あれこれやることがありそうだが、どうだろうか。

 これは一大事業になる。この歳になってこのような大事業に取り組むとは思っていなかったが、やるだけの価値がある事業になる気がしている。この崎枝の活動が、石垣島に若い農業者を呼ぶ一つの道を付ける可能性がある。残りの力を振り絞り軌道に乗せたい。
 
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