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小田原の冬の農作業

2021-12-07 04:25:56 | 自給

 
  小田原で行った農作業のことを書いておく。大豆の収穫をして、15キロの大豆を石垣島に持ち帰った。家の脇の畑でとれた分である。渡部さんが作ってくれたという方が本当の所である。何とか蒔くところと収穫は一緒にできた。縁側で十分干してあったので、良く乾いている。これで一年分の納豆大豆が確保できたことになる。

 石垣島生活では毎朝納豆を食べる。常に納豆を仕込んでいることになる。自分でやっているのではないので偉そうなことは言えないのだが。小糸在来の納豆である。日本で一番おいしい納豆である。健康の源である。その貴重な納豆大豆が収穫できたことは大きな喜びである。もうユーパックで送った。

 大豆のあとには麦の播種を行った。大麦、小麦、ライ麦とすべてに蒔いたのだから、3反ほどである。大麦はもう発芽している。上手く出来れば、600キロぐらいになるのだろう。除草が大変なので、除草には小田原に来る約束をした。やろう遣ろうと言いだしぺがそうしなければみんなに迷惑をかける。

 小麦は家庭用製粉機を買う事にしている。今まで精粉所に出していたので、活動がうまく続かなかった。製粉代が高いし、時間がかかりすぎる。持ち込んだ小麦が工場の隅で虫だらけになっていたこともある。持って行く場所も遠い。

 これからは食べる前に粉にするという方式にするつもりだ。これならうまく行くかもしれない。粒のままでもいいという人もいて、その人は醤油を作る人だ。私も醤油は作りたいのだが、その時期寒すぎて、小田原に居られないかもしれない。

 ライ麦は緑肥として蒔いた。寒くても生育が良いので、一番陽の当らないところがライ麦である。3月5日にジャガイモの植え付けが行われる場所である。3ヵ月で30センチくらには成長しているかと予想している。冬の間少しでも草がある方がいい。風で表土が飛ばされることを防いでくれる。そして漉き込めば、緑肥となり腐植を増やしてくれる。

 大麦は地ビールを作る活動の前哨戦のようなものだ。黒柳さんが小田原地ビールを取り組んでいるので、それに便乗させてもらっている。いつか小田原の大麦で、地ビールが作れるかもしれない。麦芽を輸入している地ビールではどうも違う。

 今回麦はすべて45センチ畝幅で撒いた。草取りが追い付かなくなったならば、一畝潰してしまう事にした。90センチ畝ならば間を耕運機が間を通れる。収穫は減るだろうが、草取りが追い付かなくなれば仕方のないことだ。私は1月末と3月初め、そして5月ごろと2カ月おきには草取りに小田原に行くつもりだ。

 タマネギは大豆の後に植え付けた。1メートル幅で14メートルぐらいの長さがあるベットを作った。実際に植え付ける場所は50㎝幅くらいである。そこに4本ずつ並べて植えたから、500本ぐらいの苗を植えたことになる。今までで一番多く植えたかもしれない。その内150本ぐらいが自前の苗である。苗が充分には出来なかった。後の400本は購入した苗。中晩生ネオアースが300本、紅葉3号100本。農の会苗は赤玉ねぎとネオアースと早生。

 鶏糞を深めに一袋入れて、ベットを30㎝ぐらいと高くした。高い方がいいという渡部方式を取り入れている。そこに植え付けてから燻炭を播いた。そして雨を待ってからトンネルをかけた。トンネルをかける前にそば殻を敷き詰めた。草抑えと乾燥防止である。

 トンネルは2穴にした。玉ねぎは黒マルチで作るのが普通かと思うが、穴あきトンネルの方が良く出来る気がしている。気がしているだけで良く理解はできていない。玉ねぎは舟原では寒すぎることと、冬の乾燥した風とで、よくできない。そんなことは無いという意見もあるのだが。

 そして、今回の溜池作業としては改修工事をした。上下の池を繋ぐ太い塩ビ管の周辺から、水が漏り始めてしまった。3本並んでいたのが良くないようなので、今度は1本にして、その一本の周りを土とセメントを混ぜながら埋め戻した。現状では水を戻したが、漏れ出してはいない。心配はまだあるのだが。

 水が戻らなければ、カキツバタがだめになってしまう。今は十分水が溜まり、美しい溜池が戻った。そもそも3本配管したことが間違っていた。意味なく3本にしたために、水漏れが起きやすくなったのだ。1本でも洩れるようなら水路を迂回させるしかないと思っている。工事して10日が経過しても漏れていないので、先ずは大丈夫だろう。

 欠ノ上田んぼの直しでは3日に水路の詰まりを直した。道路側にある水路が、地中を通るところで詰まっているために、田んぼの中央を通る水路が水が多すぎて、壊れている。何とか道路側の水路の詰まり部分を抜いて水を迂回させたい。実は欠ノ上田んぼを始めた時から考えていたことだ。

 今回、半日かけて何とか水が通るようになった。しかし、まだ完全に中煮詰まっている何かが取り除けたようでも無い。完全に水が通ったようでもないので、一応という事で注意しながらやってゆくほかない。こうした地中を通る田んぼの水路はどうしようもないものだとと思う。地中が20メートルくらいあると、何かで詰まるもうどうしようもないことになる。

 それでも相当の苦労して、大きな石を取り除いた。30センチの管の中に、45㎝の大石があった。こんな大きな石が何故入ったのかと思うが、入っていたのである。その石の上部に大袋1杯になるプラステック系のごみが詰まっていた。まだ石があるともうのだが、そこは曲がっているあたりでどうしても届かなかった。ついでに水路掃除もしたが、すごいごみの山であった。道路からごみを放り投げる人が後を絶たない。

 作業最後の12月5日に明星が岳見晴登山道の看板設置作業をした。案内看板は登山道を作った時に設置してあったのだが、壊れてしまって建て直しを行った。そもそも登山道を作ることには反対だった。登山道を作ればその整備を続けなければならない。自分にはその自信がなかった。

 小田原市行政にはそういう事に補助してくれることがない。南足柄の登山道整備作業には補助金が出ている。それでも11年経過した今も、登山道は維持されている。草刈り作業は大変なことになる。最近は参加できていない。申し訳ない思いだ。

 美しい久野里地里山協議会が行った事業である。時々この登山道を利用する人を見かけるようになった。歩く人が増えると踏み分け道がしっかりとしてくる。新しく登山道を管理する人が出てきてくれている。素晴らしいことだ。私には思いもよらない福音であった。次の時代に希望を感じることだ。

 渡部さんからは大量の干し椎茸と、里芋を頂いた。いつも頂くのだがやはり美味しい。いつも帰るときは農産物で一杯である。石垣で試験栽培する予定のイネの種籾もサトジマンと、ハルミを持ち帰った。

 これからは石垣島の農作業と小田原の農作業の日程調整をしてゆかなければならない。次の予定が1月後半の味噌の仕込み。その次の予定が3月の初めのジャガイモの植え付け。そして小田原のイネの播種から田植え。その間に、石垣のイネの播種と田植えが入ることになる。オミクロンが広がらなければ問題ないのだが、気がかりなことである。
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