愉しむ漢詩

漢詩をあるテーマ、例えば、”お酒”で切って読んでいく。又は作るのに挑戦する。”愉しむ漢詩”を目指します。

閑話休題270 句題和歌 22  白楽天・長恨歌(16・完)

2022-07-11 09:25:47 | 漢詩を読む

「天にあっては比翼の鳥となり、地にあっては連理の枝とならん」、漢詩への興味の有無に拘わらず、多くの人が耳にしたことのあるフレーズではないでしょうか。玄宗皇帝と楊貴妃が幸せの絶頂期にあって、誰も居合わせないところで二人が交わした誓いの言葉でした。方士との面接を終え、別れ際に貴妃がそっと打ち明けた一言です。

 

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<白居易の詩> 

   長恨歌 (16)

113臨別殷勤重寄詞、  別れに臨んで殷勤(インギン)に重ねて詞(コトバ)を寄す  

114詞中有誓兩心知。  詞中(シチュウ)に誓ひ有り 両心のみ知る 

115七月七日長生殿、  七月七日 (シチゲツシチジツ)長生殿(チョウセイデン) 

116夜半無人私語時。  夜半 人無く 私語(シゴ)の時 

117在天願作比翼鳥、  天に在りては 願はくは比翼(ヒヨク)の鳥と作(ナ)り 

118在地願爲連理枝。  地に在りては 願はくは連理(レンリ)の枝と為(ナ)らん 

119天長地久有時盡、  天長く地久しきも 時有りて尽く 

120此恨綿綿無絶期。  此の恨みは綿綿(メンメン)として絶ゆる期(トキ)無からん 

   註] 〇長生殿:華清宮の中の御殿; 〇比翼鳥:伝説上の雌雄一体の鳥、男女和合の 

    象徴; 〇連理枝:根の異なる二本の木が上で合体したもの、男女和合の象徴; 

    〇綿綿:長く続くさま。  

<現代語訳> 

113別れに際して、太真はねんごろに言葉を付け加えた、

114その中には二人だけしか知らない帝と交わした秘密の誓いの言葉があった。

115ある年の七月七日、長生殿で、

116夜半、おつきの人も無く、ささやき交わした時のこと。

117「天にあっては、願わくば比翼の鳥となり、

118地にあっては、願わくば連理の枝とならん」と。

119天地は長久と言えども、いつか尽きる時が来る、

120しかしこの恨みは連綿と続き、絶える時はないであろう。

               [川合康三 『編訳 中国名詩選』 岩波文庫 に拠る] 

<簡体字およびピンイン>   

113临别殷勤重寄词    Lín bié yīnqín zhòng jì ,     [上平声四支韻]

114词中有誓两心知。 cí zhōng yǒu shì liǎng xīn zhī. 

115七月七日长生殿、 Qī yuè qī rì chángshēng diàn, 

116夜半无人私语时。 yè bàn wú rén sī yǔ shí. 

117在天愿作比翼鸟、 Zài tiān yuàn zuò bǐ yì niǎo, 

118在地愿为连理枝。  zài dì yuàn wéi lián lǐ zhī. 

119天长地久有时尽、 Tiān cháng dì jiǔ yǒu shí jìn, 

120此恨绵绵无绝期。 cǐ hèn mián mián wú jué .   

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“比翼の鳥”、“連理の枝”について触れておきます。“比翼の鳥”とは、一説では、雄は左眼左翼、雌は右眼右翼という“一眼一翼”の鳥で、地上ではそれぞれ独立して歩けるが、空を飛ぶ時は2羽合体し、助け合わなければ飛べないという伝説上の鳥である。

 

つまり“比翼”とは“翼を並べて飛ぶ”という意である。“比翼の鳥”は、すでに漢代の類語・語釈辞典『爾雅(ジガ)』に載っているということである。その注釈によれば、マガモに似て、青赤色をしていると。後の人は仲の良い夫婦を“比翼の鳥”に譬えるようになった。 

 

“連理の枝”は、東晋代の小説集『捜神記』中の説話に由来し、その内容の概略は次のようである。戦国時代、宋国に仲睦まじい夫婦がいた。その夫人を、国王が横恋慕して奪い、夫を監禁する。夫人は耐えられず自殺し、夫も愛する夫人のため命を絶つ。

 

王は激怒して、これら二人を別々に、しかもすぐそばに埋葬した。お互いそばにいながら、いつまでも一緒になれない辛さを味わわせるためである。ところが数日後には両墓から木が生え、枝が抱き合うように絡み合い、また根も繋がって絡みついた。

 

その木の上では番の鳥が何とももの悲しい声で囀りあっていた と。なお“理”とは木目のことで、“連理”とは、近くに生えた二本の木が合体し、木目が連なることをいう。やはり夫婦の仲睦しさを表す。今日、“比翼の鳥”、“連理の枝”の両者を併せて夫婦の仲睦しさを表す故事成語として「比翼連理」が活きている。 

 

さて本論に還って、太真は「帝をお慕いする気持ちは何時までも変わることはない」と、その標に思い出の品々の片割れを方士に預けます。続いて「天に在りては……、地に在りては……」とある年の7夕の夜半、長生殿で誓った二人だけの秘密の言葉を漏らします。

 

「織姫と彦星は、毎年逢えるとは言え、年一度の逢瀬。私たちは、いつまでも仲睦ましく共に過ごしましょう」との誓いであったのでしょう。しかし「いつかきっと逢える」と願いつゝも、未だに願いは叶えられないという、胸奥の思いの吐露であったのでしょうか。

 

白楽天は、太真が「天に在りては……、地に在りては……」と漏らした裏に、悶々としている様子を読み取り、「この恨みは連綿と続き、絶える時はないであろう」と長編詩を締めた。通読して、ハッピーエンドではなく、読む人の心に余韻を残すような作品でした。

 

[蛇足] “長恨歌”の物語は、漢代(BC202~)の出来事として語り始められました。此処・終結の部に至って、舞台は唐代(618~)に建設された華清宮の“長生殿での誓い”として終わっています。語らずとも、“長久の時”を暗示する意図があったのでしょうか。 

 

<句題和歌>

 

この個所では句題和歌も多い (千人万首asahi-net.or.jp 参照)。主に「在天願作比翼鳥 在地願為連理枝」に関わる歌である。以下3首紹介します。

 

伊勢は、百人一首(19番、閑話休題173)歌人で、平安初期の女性歌人。 

 

 木にも生ひず 羽もならべで 何しかも  

   浪路へだてて 君をきくらん(伊勢『拾遺集』) 

  (大意) 木として隣り合って生えているのでもなく、羽を並べているわけでもない 

    波路を隔てて どのようにして君を聞くと言うのか (意思疎通はむりかも) 

 

崇徳院は、百人一首(77番、閑話休題159)歌人で、平安後期、75代天皇。

 

 恋ひ死なば 鳥ともなりて 君がすむ  

   宿の梢に ねぐらさだめむ(崇徳院『久安百首』) 

  (大意) 恋に焦がれて死んだなら、鳥にでもなって 君の住む宿り木の梢にねぐらを

   設けて住むことにするよ 

 

藤原俊成は、百人一首(83番、閑話休題155)歌人で、平安後期。『千載和歌集』の撰者。

 

 七夕は 今も変はらず 逢ふものを 

   そのよ契りし ことはいかにぞ(藤原俊成『為忠家初度百首』) 

  (大意) 織女星と牽牛星は、今でも七夕には逢っているというのに その夜に誓った 

   ことはどうしたというのか 

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