愉しむ漢詩

漢詩をあるテーマ、例えば、”お酒”で切って読んでいく。又は作るのに挑戦する。”愉しむ漢詩”を目指します。

閑話休題395 漢詩で読む『源氏物語』の歌 (十二帖 須磨)

2024-03-17 14:03:57 | 漢詩を読む

本帖の要旨(前半) 光源氏は、自分を取り巻く政情の悪化から自ら須磨へ退去する決意をした。都へ残る紫の上は悲嘆にくれるが、源氏は後ろ髪を引かれる思いで邸や所領の管理を託す。

 

藤壺、春宮をはじめ親しい人々を訪れ、別れの挨拶を交わした源氏は、故桐壺帝の御陵を訪ねる。そこで源氏は故桐壺帝の幻が立ち現れるのを見た。紫の上と最後の別れを済ますと源氏はごく少数の供とともに須磨へと向かった。

 

zzzzzzzzzzzzzz  須磨-1

朧月夜との密会事件を契機に、当帝外戚の右大臣一派が源氏に対して圧迫を加え、不愉快な目に合わせることが多くなってきた。努めて冷静にしていても、このままでは大きな禍が起るかもしれぬと源氏は思い、隠棲を考える。

 

隠棲の地として人の多い田舎は避けたいし、一方、京から遠くては夫人・若紫のことが気がかりでならぬと煩悶の結果、須磨行きを決心した。夫人は、御一緒でさえあればどんな所でも耐えられるというが、同伴はやめることにした。

 

別れの日が近づくにつれ、悲しんでいる夫人のようすが、何にも勝って痛ましかった。例え離れていても、私の心が離れることはないよ と源氏は訴え、若紫は泣く泣く納得します。

 

ooooooooooooo   

身はかくて さすらへぬとも 君があたり 

  去らぬ鏡の かげははなれじ (光源氏) 

 (日・大意) 私はこのようにしてさすらいの身となっても 私の心はあなた

  の許を離れることはありません。ちょうどあなたから離れない、 

  あなたの心の鏡の中の 私の面影と同様に。 

 (中・大意) 以后即使我流浪,我的心却永远不会离开你,就像你心里镜子里的

  我影像。 

  Yǐhòu jíshǐ wǒ liúlàng, wǒ de xīn què yǒngyuǎn bù huì líkāi nǐ, jiù xiàng 

  nǐ xīnlǐ jìngzi lǐ de wǒ yǐngxiàng. 

xxxxxxxxxxxxxxx  

<漢詩> 

   倆一条心     倆(フタリ)一条(ヒトツ)の心   [上平声一東韻] 

身逝将流西復東, 身は将(マサ)に流れ逝(ユ)かんとす 西復(マタ)東, 

跟随親自決潔衷。 親自(ミズ)から決せし潔(キヨ)き衷(ココロ)に跟随(シタガ)う。

但余心不分離汝, 但(タ)だ余の心は汝より分離(ハナレ)ることなし, 

如余影留心鏡中。 余の影が君の心の鏡の中に留(トドマ)るが如くに。 

 [註] ○一条心:心をひとつにする; 〇逝将:間もなく…しようとする; 

  〇跟随:…にしたがい;〇潔衷:清いこころ、心にやましさはない; 

  〇心鏡:心の鏡、記憶。 

<現代語訳> 

  両人 心(オモイ)は一つ 

身は間もなく、西また東とさすらうことになろう、

これは 自ら決めたことで、なんらやましいことはない。

だが私の心は 君から離れることはないよ、

君の記憶の中に私の影が留まっているように。 

<簡体字およびピンイン> 

   俩一条心        Liǎ yītiáoxīn  

身逝将流西复东, Shēn shì jiāng liú xī fù dōng,   

跟随亲自决洁衷。 gēnsuí qīnzì jué jié zhōng.  

但余心不分离汝, Dàn yú xīn bù fēnlí rǔ,  

如余影留心镜中。 rú yú yǐng liú xīn jìng zhōng.    

ooooooooooooo  

 

別れても 影だにとまる ものならば 鏡を見ても 慰めてまし  (若紫) 

 (日・大意) お別れしたとしても、せめて影としてだけでも鏡に留まる

  ものであるなら、鏡を見るだけでも慰められましょうに。 

 (中・大意) 我们分开后,如果你影像能留在镜子里,我一看镜子, 就感到安慰。

  Wǒmen fēnkāi hòu, rúguǒ nǐ yǐngxiàng néng liú zài jìngzi lǐ, 

  wǒ yī kàn jìngzi, jiù gǎndào ānwèi. 

 

若紫は、言うともなくこう言いながら、柱に隠れるようにして涙を紛らしているのであった。その優雅な美は、若紫が誰よりも優れた恋人であると、一層源氏に認識させることであった。

 

zzzzzzzzzzzzzz  須磨-2

麗景殿の女御と花散里の姉妹は、源氏の同情によって生活の体面を保っているのであるから、源氏の隠棲後どうなるか非常に不安に思っている。源氏の須磨行きが決まって以来、花散里は絶えず文を寄越すのであった。

 

源氏は、気は重かったが、出発の2日前に花散里を訪ねることにした。姫君は、もう来訪はないものと気を滅入らせていたが、月明かりの中を源氏が歩いてくるのを知り、静かに行き寄り、二人は並んで月を眺めながら、明け方近くまで語らっていた。

 

源氏は、世間を憚り、早暁に帰って行かねばならないのである。月がすっと沈んでしまう時を想像して、姫君は悲しい思いにかられた。花散里は、月光がちょうど袖の上に射しているのを見ながら、次の歌を源氏に送った:

 

ooooooooooooo  

月影の宿れる袖は狭くとも

  とめてぞ見ばや飽かぬ光を  (花散里) 

 (日・大意) 月の光を宿している私の袖は狭いですが、それでもひきとどめて

  おきたいのです、そこに。いつまでも見飽きることない月の光を。 

 (中・大意) 我袖子所承月光很窄,但我想把它、百看不厭的月光,留在那裡。

  Wǒ xiùzi suǒ chéng yuèguāng hěn zhǎi, dàn wǒ xiǎng bǎ tā, 

  bǎi kàn bùyàn de yuèguāng, liú zài nàlǐ.  

xxxxxxxxxxxxxxx  

<漢詩> 

   欲沈暁月    沈まんと欲(ス)る暁月(ギョウゲツ)   [上声二十五有韻]

暁月一何朗、 暁月一(イツ)に何ぞ朗(アキ)らかなる、

月影狹袖受。 月影 狹(セマ)き袖に受く。

明輝看不足, 明輝(メイキ) 看(ミ)れども足(タ)らず,

惟願留永久。 惟(タ)だに願う 永久(トワ)に留(トド)まるを。

 [註] 〇暁月:明け方のつき; 〇明輝:明るい輝き    

<現代語訳> 

  今にも沈もうとする暁月 

明け方の月の何と明るいことであろう、

今 月影は私の狭い袖に宿している。

この明るさはいつまでも見飽きることはない、

狭い袖ながら、月明かりが何時までもそこに留まっていて欲しいものだ。

<簡体字およびピンイン> 

  欲沉晓月     Yù chén xiǎo yuè

晓月一何朗、 Xiǎo yuè yī hé lǎng,  

月影狭袖受。 yuèyǐng xiá xiù shòu.  

明輝看不足, Mínghuī kàn bù zú,  

惟愿留永久。 wéi yuàn liú yǒngjiǔ.  

ooooooooooooo   

花散里の悲しがっている様子があまりに哀れで、源氏の方から慰めてやらねばならなく思うのであった。いずれ私は潔白を証明し、晴れて一緒に住めるようになりますから と:

 

行きめぐり つひにすむべき 月影の しばし曇らむ 空なながめそ  (源氏) 

 (日・大意) 月影は、再びめぐりて澄み輝くことであろうから、しばらく

  曇っているからと言って愁い顔で空を見あげないように。 

 (中・大意) 四节迁逝月光又会清朗明媚,别愁眉苦臉地望天空,因為一時

  陰雲密布。(最終,我会证明自己的清白,我們就能生活一起。)

  Sì jié qiān shì yuèguāng yòu huì qīnglǎng míngmèi, bié chóuméi kǔliǎn 

  de wàng tiānkōng, yīnwèi yīshí yīnyún mìbù. (Zuìzhōng, wǒ huì

  zhèngmíng zìjǐ de qīngbái, wǒmen jiù néng shēnghuó zài yīqǐ.) 

 

 

【井中蛙の雑録】 

・十二帖 「須磨」での光源氏 26歳春~27歳春。

・NHK大河“光る君へ”は10回を迎え、道長と紫式部が、和歌および漢詩で愛を相訴える場面がありました。隠逸詩人・陶淵明(365~427)の詩:「帰去来兮辞」の出だし数句が、愛を語るのに用いられました。意外性があって面白いですね。

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