愉しむ漢詩

漢詩をあるテーマ、例えば、”お酒”で切って読んでいく。又は作るのに挑戦する。”愉しむ漢詩”を目指します。

閑話休題272 陶淵明(1) 園田の居に帰る (1)

2022-07-25 10:20:14 | 漢詩を読む

 

白楽天の長恨歌に次いで、“田園詩人”、“隠逸詩人”と称される、中國・六朝時代(317~581)東晋の陶淵明(365~427)の詩を読みます。詩を読みつつ、淵明の生きた時代や環境、淵明の生涯や人となり、また後代への影響などを垣間見ていきたいと思います。

 

当時、中国では乱立した諸国が興亡を繰り返す混乱の時代、一方、淵明は、出仕/辞職という生活を繰り返し、心の迷いの時であった。406年(淵明42歳)、意を決して官職を辞して故郷に帰ります。帰京の喜び、また農村での長閑な生活を詠い上げたのが、まず紹介する詩《園田の居に帰る 五首》である。 細分して何回かに分けて読んで行きます。

 

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<漢詩および読み下し文> 

 帰園田居 五首 其一 

1少無適俗韻、 少(ワカ)きより俗韻に適(カナ)う無く、 

2性本愛丘山。 性(セイ) 本(モ)と丘山(キュウザン)を愛す。 

3誤落塵網中、 誤って塵網(ジンモウ)の中(ウチ)に落ち、 

4一去十三年。 一(ヒト)たび去って十三年。 

5羇鳥恋旧林、 羇鳥(キチョウ)は旧林を恋い、 

6池魚思故淵。 池魚(チギョ)は故淵(コエン)を思う。 

7開荒南野際、 荒(コウ)を南野(ナンヤ)の際(サイ)に開かんとし、 

8守拙帰園田。 拙(セツ)を守って園田(エンデン)に帰る。 

  註] 〇俗韻:俗世間の調子; 〇塵網:世間の網、俗世間、仕途のこと; 〇一去: 

   園田の暮らしからいったん離れる; 〇十三年:29歳で初めて江州祭酒として 

   出仕し、彭沢の令を辞任して帰田するまでの十三年; 〇羇鳥:旅する鳥、渡り鳥; 

   〇故淵:もと棲んでいた水; 〇守拙:愚直な性格を押し通す、世渡り下手な 

   自分をそのまま保持すること。  

<現代語訳> 

1若い頃からわたしは世間と調子を合わせることができず、

2生まれつき自然を愛する気持ちが強かった。

3ところが、ふと誤って埃(チリ)にまみれた世俗の網に落ち込んでしまい、

4あった言う間に十三年の月日が経ってしまった。

5渡り鳥も曽て棲んでいた林を慕い、

6池の魚がもとの淵を慕うように、わたしも生まれ故郷がなつかしく、

7南の野で荒れ地を開墾しようと、

8世渡り下手な持ち前の自分を守り通して田園に帰る。

          [松枝茂夫・和田武司 訳註 『陶淵明全集(上)』岩波文庫に拠る] 

<簡体字およびピンイン> 

 帰园田居   Guī yuántián jū   

1少无适俗韵、 Shào wú shì sú yùn,     [韻 踏み外し]  

2性本爱丘山。 xìng běn ài qiū shān.    [上平声十五刪] 通韻 

3误落尘网中、 Wù luò chén wǎng zhōng, 

4一去十三年。 yī qù shí sān nián.     [下平声一先] 

5羇鸟恋旧林、 Jī niǎo liàn jiù lín, 

6池鱼思故渊。 chí yú sī gù yuān. 

7开荒南野际、 Kāi huāng nán yě jì, 

8守拙帰园田。 shǒu zhuō guī yuán tián. 

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陶淵明は、江州潯陽(ジンヨウ)郡柴桑(サイソウ)県(現江西省九江(キュウコウ)市柴桑区、廬山近傍)の人、名は潜(セン)、字は淵明。一説に名が淵明、字は元亮(ゲンリョウ)。曽祖父・陶侃(トウカン、259~334)は、淵明が最も誇りにしているご先祖の一人と言えるでしょう。まず陶侃(259~334)から始めて、淵明の出自を見ていくことにします。

 

   陶淵明 家系図 

  

統一王朝・西晋が滅び(316)、北方で五胡、南方で漢の十六国が乱立する五胡十六国時代となる。南方に逃れた司馬睿(後元帝)が建業(現南京)を首都に東晋を興します(318)。その間、西晋滅亡の契機となった“永嘉の乱” ―永嘉年間(307~312)に起こった異民族による反乱― に際し、陶侃の活躍がお上の目に留まり推挙され、313年、荊州刺史となります。

 

虐殺や飢饉が頻発し混乱する世上、各地で自衛のための武装集団が発生、やがて大規模な武装集団へと発展成長し、方々で乱が頻発する状況となっていった。そんな中、陶侃は諸乱、特に“蘇俊の乱(328)” の平定に寄与し、東晋最大の州鎮の統帥として大きな勢力を持つ長沙軍公となった。在任のまゝ没しています(75歳)。

 

淵明の母は、孟嘉の四女で、孟嘉は外祖父に当たる。孟嘉は江夏郡鄂県の人。陶侃の十女を妻とした。性格は穏やかで口数少なく、度量が広く、底なしの酒好きで人望が厚い人であった。征西大将軍・桓温(313~374)の参軍(軍事参議官)、さらに従事中郎から長史に昇進している。

 

陶侃は、淵明の最も誇りとする先祖であったろう。また外祖父・孟嘉を始め、陶侃の父・陶丹は、東呉の楊武将軍、淵明の祖父・陶茂は、武昌太守と、先祖はともに士族として活躍していたことが窺える。父は淵明8歳の頃に亡くなり、名前も伝わっていない。

 

ただ門閥が重視された当時にあっては、曽祖父にしても寒門と呼ばれる下級士族であり、淵明は恵まれた環境にあったとは言えないようである。淵明は、29歳(393)に江州祭酒として初めて官界に出るが、以後、出仕/辞任を繰り返し42歳(402)に田園に帰っている。

 

掲詩の冒頭、淵明自身は、若い頃から世間と調子を合わせることが苦手で、自然を愛する気持ちが強かった。鳥や池魚さえ、それぞれ、かつて棲んでいた林や淵を慕う、私が故郷を恋しく思うのは自然ではないか。故郷に帰って、農地開墾に励むよ と訴えています。

 

南朝梁の皇太子・昭明太子(蕭統、501~531)は、『陶淵明伝』で次のように書き起こしています。淵明は、若い時から理想が高く、博学で文章がうまかった。才気の渙発すること人に抜きんでて、天性の赴くままに行動を楽しんでいた と(『陶淵明全集(上)』)。今で言う、“宇宙人”であったか。

 

陶淵明については、その“生きざま”に兼ねがね興味を抱いており、また先に読者からもコメントを戴いた経緯があります。向後、彼の詩を鑑賞しながら、じっくりと淵明の生涯を振り返り、普段感じている多くの謎々を解き明かしていきたいと思います。

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