愉しむ漢詩

漢詩をあるテーマ、例えば、”お酒”で切って読んでいく。又は作るのに挑戦する。”愉しむ漢詩”を目指します。

閑話休題9 漢詩を読む 『詩経』から(2)

2015-06-21 10:16:33 | 漢詩を読む

先に取り上げた「采葛」では、恋人(かな?)に対してのますます募る思いを順次に長い期間を挙げて表現しようとしています。すなわち、お目にかかれぬ一日が、「三月」、「三秋」および「三歳」に相当する と。ここで「三月(ミツキまたはサンゲツ)は3か月として異論はない。続く「三秋」および「三歳」が、具体的にいかなる期間を表しているのかが問題なのだが、それが“読む”人によって異なる点が面白いのである。「三秋」を“1年”、「三歳」を“3年”、と解釈したとき、“ミツキ、イチネン、サンネン”と順次に長くなることからすんなりと(?)胸に入ってくるように思われるのだが、話はそう単純ではなさそうである。ここで先達たちの“読み方(解釈)”を検討してみたいと思います。

先ず「三秋」。各種辞典類にはその意味として、第1に「秋季の3カ月。初秋、仲秋、晩秋。陰暦7・8・9月」とある。そのまま前掲の詩に当てはめるなら、3カ月がダブることになる。第2に「3回秋を過ごすこと。3年。」とあるが、この場合、3年がダブることになる。

先の川合康三師は、現代語訳で「一日お会いできないと、三度の秋も合わないみたい」とし、第2の意味で解釈されておられる。ただし、期間の数値として理解するのではなく、“「月」と「歳(年)」との間に“季節”という単位をおいて、時間が次第に長くなることを表している“ としている。すなわち、デジタルの間にアナログ思考を含めた“読み方”と言える。その他、「秋」を3か月とし、「三秋」をその三つ分で9か月と解釈する場合もあるようであるが、筆者はこの例に接していない。

次に「三歳」。「歳」は、大辞林では、「年齢、年数を数える助数詞」とあり、「三歳」を3年と読むのに抵抗感はない。しかし碇豊永師は、“「三歳」を「3生涯」、「3世」と解釈し、1世を35年とみれば、3世で約100年になる”としている。「三秋」は3年と読んで、前掲詩については“3カ月―3年―100年”と順次に期間が長くなるように読んでおられる[Web上、碇豊長:『詩詞世界 二千三百首 詳注』から]。確かに諸橋『大漢和辞典』では、「歳」について、古漢文資料中「一生、生涯」と読まれている例のあることが挙げられており、納得のいく解釈と言える。

「三秋」について、筆者は次のように読みたいのだが如何であろうか?直接的な意味は「秋季の3カ月」とする。一方、季節の推移は春夏秋冬の1年を単位として巡っており、一たびの秋{三秋}は循環単位の1年に包含されることから、敷衍して“1年を意味する”と採る。この“読み”が許されるなら、前掲の詩における期間は、順次に“3か月―1年―3年”と、すんなりと読めることになる。ただ、筆者の調べた辞典類ではこのような意味の記載は見当たらないし、また古漢文資料に用例があるか否かも知らない。

何事か待ち焦がれることが強い場合に使われる、現代に生きる表現として“一日千秋の思い」があるが、この四字熟語「一日千秋」は、「一日三秋」に由来するという。今や100年どころの話ではなくなっているのです。

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