■第13回 インヴェンション講座、「バッハの対位法」を分かりやすく身近に■
09.7.30 中村洋子
★「インヴェンション講座」も、あと3回となりました。
インヴェンション13番は、インヴェンション8番 ヘ長調と並び、
最も、有名な曲です。
どなたも、どこかで耳にしたことがあるこの名曲を基に、
≪「バッハの対位法」とは、何であるか≫を、
分かりやすく、お話します。
★「対位法」 (counterpoint) とは、
点対点 (point counter point) という語を、
起源にして、生まれた楽語です。
point は、音符を意味します。
和音をどのように連結していくかが、「和声法」ですが、
「対位法」は主に、音の流れの横の線のための、書式です。
カノンやフーガに代表されるように、横の流れ、すなわち、
それ以前に出た「旋律」や「動機」を記憶し、
展開して、演奏しなければなりませんので、
ある程度、音楽的素養が必要であるとはいえます。
★この「対位法」の敷居で、つまずき、
それを、乗り越えられず、
結果的に、「インヴェンション」を、
敬遠してしまうことに、なり勝ちです。
★この講座では、どうやって、苦痛なく「対位法」に親しみ、
自然に、知らないうちに「対位法」を身につけていくか、
それを、お話します。
また、「シンフォニア13番」で、
対位法の拡大形、縮小形、反行形などの技法を、
具体的に、見てみます。
★バッハの最高の演奏家であったアルベルト・シュヴァイツァーは、
次のように著書で、書いております。
★(ここでの【多声部】とは、【対位法】にほかなりません)
≪作曲理論の知識が乏しい、平均的な音楽家が、もし、
本物の芸術と偽物の芸術とを、厳しく見分ける能力を、
もっていたならば、それは、まさに、
バッハのインヴェンションのお陰である、
ということが、できる。
インヴェンションを、練習したことがある子どもは、
ピアノ習得のための、機械的な練習だったとしても、
多声部の作曲法を、既に、身につけたといえる。
それは生涯、消えないものである。
それを習得した子どもは、どんな音楽に接しても、
本能的に、その音楽の中で、インヴェンションと同じように、
多声部が、巧みに見事に、織り込まれているかどうか、
探求するようになる。
多声部が、紡がれていない部分は、
貧困な音楽である、と感じるのである≫。
★この言葉を、単純化しますと、次のようになります。
≪子どもに限らず、大人でも、インヴェンションを、
対位法を、学びさえすれば、本物の芸術と偽物とを、
区別できる能力が、自然に養われる。
そして、それは、終生、消え去らないのである≫。
講師:中村 洋子
日時:2009 年 9月 29日(火)午前10 時~12 時30 分
会場:カワイ表参道 2F コンサートサロン「パウゼ」
会費:3000 円 (要予約)
参加ご予約・お問い合わせは カワイミュージックスクール表参道
Tel.03-3409-1958 omotesando@kawai.co.jp
★第14 回は、10月 29日(木)インヴェンション第14 番、
シンフォニアの第14番の変ロ長調です。
★第15 回は、12月 4日(金)インヴェンション第15 番、
シンフォニアの第15番のロ短調です。
■カワイ表参道・特別講座「シューベルトの即興曲Op90-2番、4番」
9月 13日(日)午後3時~6時
■カワイ名古屋 第1回インヴェンション講座:
「インヴェンション&シンフォニア各1番」
10月 21日(水)午前10時~
講師:作曲家 中村 洋子
東京芸術大学作曲科卒。作曲を故池内友次郎氏などに師事。日本作曲家協議会、日本音楽著作権協会(JASRAC)の各会員。ピアノ、チェロ、ギター、声楽、雅楽、室内楽などの作品を発表。2003 年~05 年、アリオン音楽財団《東京の夏音楽祭》で、新作を発表。自作品「無伴奏チェロ組曲」などをチェロの巨匠W.ベッチャー氏が演奏したCD『W.ベッチャー 日本を弾く』を07 年に発表する。このチェロ組曲やチェロアンサンブル作品がドイツ各地で演奏されている。08年9月、CD「龍笛&ピアノのためのデュオ」とソプラノとギターの「星の林に月の船」を発表。
(ギボウシの花)
▼▲▽△無断での転載、引用は固くお断りいたします▽△▼▲
09.7.29 中村洋子
★「第12回 バッハ インヴェンション・アナリーゼ講座」を、
昨日28日午前、カワイ表参道で、開催しました。
その朝、地下鉄が事故で止まり、私はバスや徒歩で、やっと、
「表参道カワイ」に、ぎりぎり、辿り着きました。
そんな事情や、夏休みにであるにもかかわらず、
熱心な皆さまが、本当に、多数おいで下さいました。
★毎回、サブタイトルで、インヴェンションに関連する、
興味深いお話を、しております。
今回は、「暗譜をどのようにするか」でした。
私が実践しています「暗譜の方法」を、
シンフォニア12番(3声の対位法楽曲)を、例にとり、
具体的に、詳しく、ご説明いたしました。
★簡単に、申しますと、
自分にとって「最も弾きやすい指使い」と、
「実際に弾く際の指使い」の両方で、
毎日、数小節ずつ、暗譜していく、ということです。
★テンポも、「ゆっくり」と「実際の演奏のテンポ」の、
二通りで、練習します。
その結果、数小節を、計30通りの方法で、
アプローチすることになります。
数小節ですので、集中しますと、
毎日、20分弱で、着実に身についていきます。
★この方法ですと、一週間で、難なく確実に、
バッハの音楽が、記憶に焼き付きます。
いったん、焼き付いた後は、
一枚ごとのカードに、1から30までの数字を、
一つずつ記入します。
毎日、そこから、無作為に一枚のカードを抜き出し、
その番号の方法による「暗譜」で、演奏します。
★以上の方法は、多声部~対位法の音楽の、
暗譜に適しているばかりでなく、例えば、
ショパン「エチュード Op25-1」の暗譜にも、
応用できます。
この曲を、右手の部分を、ソプラノとアルト、
左手の部分を、テノールとバスから成る「4声」の曲と、
解釈すれば、上記の暗譜方法を、そのまま当てはめて、
練習することが、できます。
★さらに、意外にも、このエチュードが「対位法」の曲でもある、
ことも、分かってくるのです。
ショパンの音楽が、単なるサロン音楽でもなく、
ロマンティックな曲でもなく、
超一流の芸術作品である所以の、一端は、
「対位法」を駆使している点に、あるからです。
★次回の「第13回 インヴェンション・アナリーゼ講座」では、
インヴェンション&シンフォニア13番を基に、
≪バッハの「対位法」とは、どういうものか≫を、
サブタイトルにして、お話いたします。
■日時:2009 年 9月 29日(火)午前10 時~12 時30 分
(酢橘の青い実)
▼▲▽△無断での転載、引用は固くお断りいたします▽△▼▲
09.7.26 中村洋子
★カワイ表参道「コンサートサロン・パウゼ」での、
「第12回 バッハ・インヴェンション アナリーゼ講座」が、
明後日となりました。
09.7.5のブログ「大バッハは、本当に“古い”対位法だけで
作曲していたか?」で、「シンフォニア12番」の様式について、
触れましたが、今回は、直筆譜と原典版楽譜との、
「符尾の位置」の違い、についてお話いたします。
★この違いについて、
「バッハの符尾の書き方が、現在の印刷譜と異なるのは、
大したことではない、当時の習慣によってバッハが、書いただけ」、
という反論が、あろうかと思いますが、以下は、私の見解です。
★バッハは、「シンフォニア 12番」を、
「上声をソプラノ記号、下声をバス記号(ヘ音記号)とアルト記号」を、
使って、書いています。
これを、「大譜表(上声をト音記号、下声をバス記号)」に、
書き換えますと、符尾の書き方が、バッハの書いたものと、
当然、異なってきます。
それにしても、バッハが、符尾の位置を換えることにより、
≪意図的≫に、「何かを伝えたい」と、
そのようにしたことも、多いのです。
★符尾の位置の相違点を、一部、列挙いたします。
・2小節目の下声、3、4拍目の8分音符について:
バッハは、3拍目初めの「A」の符尾を「上向き」、
次の1オクターブ上の「A」と、「Gis」、「Fis」の符尾を、
「下向き」にし、さらに、この4つの音を、
1本の「譜鉤」で、結んでいます。
・ベーレンライター版は、この4音をすべて「下向き」とし、
「譜鉤」で結んでいます。
・ヘンレ版は、4音をすべて「上向き」とし、「譜鉤」で結ぶ。
★3種類を比べますと、バッハの書き方が、圧倒的に、
「分かりやすい」と思います。
大バッハの弟子や息子たちは、ここを、どのようなフレージングで、
弾くべきか、楽譜を見れば、一目瞭然、
直接に教えてもらわなくても、
自然に、演奏できたことでしょう。
★・5小節目 内声の1拍目について:
バッハは、「Cis」の符尾は「上向き」、
直後の1オクターブ上の「Cis」と「Fis」は、「下向き」。
その3音を、1本の「譜鉤」で結んでいます。
★バッハが、このように、書いたのは、
「最初の「Cis」が、フレーズの終わりの音、
次の「Fis」が、新しいフレーズの始まり」と、
意識させるためです。
・ベーレンライター版、ヘンレ版とも、この3音を、
「下向き」の符尾で、1本の譜鉤で結んでいます。
★7小節目 内声の3つの音すべてについて:
・バッハは、符尾をすべて「上向き」に。
・ベーレンライター版、ヘンレ版とも、
この3音を、「下向き」の符尾にしています。
★一見したところ、ベーレンライター版とヘンレ版のほうが、
整った形になっており、
最初の「Gis」の音は、ソプラノ記号では、第3線ですので、
「上向き」でも「下向き」でも、可能なのです。
なぜ、バッハが、あえて、「変則的」な書き方をしたか?
★11小節目の3拍目から、12小節目最後までの「下声」について:
・バッハは、9小節目からずっと、符尾を「下向き」にして、
書いていましたが、ここから、急にすべてを、
「上向き」に、換えています。
・ベーレンライター版、ヘンレ版とも、ここは、
11小節目の1拍目から、「上向き」とし、
12小節目最後まで、続けています。
両版とも、小節の冒頭から、符尾の「向き」が換わっており、
大変に、「整った見映えのいい楽譜」という印象を受けます。
★16小節目 下声2拍目について:
・バッハは、4つの16分音符の1番目の「H」を「下向き」、
次の「Cis」を「上向き」、3番目にくる1オクターブ上の
「Cis」、4番目の「H」を、「下向き」にし、
それらを、1本の譜鉤で結んでいます。
・ベーレンライター版、ヘンレ版とも、この4つの音を、
「下向き」の符尾で、1本の譜鉤で結んでいます。
★その他、重要な変則的記譜がある小節を、以下に列挙しますが、
なぜ、バッハがそう書いたかは、「当時の習慣」だけでは、
絶対に、説明しきれず、その「変則」の中にこそ、
深い内容が、秘められているのです。
★「17小節目の内声の符尾の書き方が変則的」
「18小節目の3拍目で段落を換えている」
「21小節目の3拍目で段落換え」
「23小節目の3、4拍目のバスの符尾の位置が変則的」
「25小節目 バスの2拍目の符尾の位置が変則的」
「26小節目 ソプラノの4拍目の符尾の書き方が変則的」
「27小節目 内声の3拍目の符尾の書き方が変則的」
★特に、「28小節目後半から、31小節目前半」にかけての、
この曲の頂点となる部分に関して、バッハは、
内声とソプラノの符尾の書き方により、
≪ここを、どう演奏すべきか≫
豊かに、ヒントを指し示しています。
これらは、カワイ・アナリーゼ講座で、お話いたしますが、
バッハの≪意図と示唆≫を、記憶に叩き込むことが、
「暗譜の近道」でもある、といえます。
(名無しのキノコ)
▼▲▽△無断での転載、引用は固くお断りいたします▽△▼▲
09.7.25 中村洋子
★7月28日(火)午前10時から、
カワイ表参道「コンサートサロン・パウゼ」で、
「第12回 バッハ・インヴェンション アナリーゼ講座」を、
開催いたします。
きょうは、じっくりと、テキスト作りをいたしました。
バッハの「インヴェンション&シンフォニア」は、
幸いにも、バッハ自身の直筆譜が、15曲づつ、全30曲が、
すべて、残されています。
★前回のブログで、ショパン「エチュードOp25-1」の
手稿譜について、書きましたように、
作曲家自身の直筆が、残されている以上、
何をおいても、たとえ小さなことでも、
その作曲家が譜面に残した意図を、優先すべきであると、
私は、思います。
その小さなことが、実は、大変に大きなことを、
示唆している、ということが、あるからです。
★「インヴェンション12番」は、≪21小節≫という、
極小の、小節数で、できています。
私が、所有しております楽譜、例えば、「ヘンレ版」、
「新バッハ全集」(ベーレンライター版)、
「ヴィーン原典版(Ratz/Fuessl/Jonas)」、
「ヴィーン原典版(Leisinger/Jonas)」などの、
譜割り(1段に、何小節を書くか)は、
最初の1段には、1小節だけを書き、それ以降は、
1段に2小節ずつ、計11段として、記譜しています。
★ところが、バッハの直筆は、以下のようになっております。
1段目:3小節目の3拍目まで(変則的な記譜)
2段目:3小節目の4拍目から、6小節目2拍目まで(変則的)
3段目:6小節目3拍目から、8小節目の最後まで(通常の記譜)
4段目:9小節目から、11小節目の最後まで(通常)
5段目:12小節目から、15小節目2拍目まで(変則的)
6段目:15小節目3拍目から、18小節目2拍目まで(変則的)
7段目:18小節目3拍目から、最後の21小節の最後まで(通常)
★まるで、詩の韻律のように、変則×2の後に通常×2、
変則×2の後に通常×1と、計7段に、納めています。
★そのような譜割りにしたことに対する、(これから述べます)
私の見解に対して、予想される反論を、挙げてみます。
① バッハ時代は、紙が極めて貴重であり、
バッハは倹約家で、なるべく、詰めて書いたのであろう。
② どのような譜割りをするかは、本質的なことではない。
③ バッハは、極めて、早書きの人であったため、
譜割りについては、特別に配慮せず、かなり無頓着であった。
★私の見解は、以下のようです。
「インヴェンション&シンフォニア」は、15番までどの曲も、
1曲につき、2ページを使って、書いています。
1ページは、必ず、3段になっています。
2ページも、3段で書かれています。
つまり、計6段で書かれています。
★しかし、例外は、この「インヴェンション12番」と、
「シンフォニア11番」です。
この2曲は、2ページ目が、4段で書かれています。
上記のように、「12番」は、1段目と2段目の終わりが、
小節線で終わっておらず、途中まで書き、その続きを、
次の段から始めるという、大変に「変則的」な、書き方です。
5、6段目も同様で、小節線では終わっていません。
これは、紙を節約するということとは、
全く、関係のない次元のことでしょう。
★すぐれて、「作曲上の理由」なのです。
★ここで、お気付きになられた方も、いらっしゃると思います。
ショパンは、バッハから、何を学び、自分の作曲の源泉としたかに、
関係してきます。
この「インヴェンション12番」は、「8分の12拍子」と記されています。
楽典上では、8分の3拍子が、4個複合された「複合拍子」と、
いうことに、なります。
★皆さまは、この曲を、≪4拍子≫として、
演奏されていると、思います。
≪4拍子≫としてみた場合、この曲の1拍は、
16分音符6個から、できています。
16分音符6個からなる1拍が、4個集まった拍子。
ショパンの、「エチュードOp25-1」に、
重なって、見えてきませんか?
この曲も、ショパンのエチュードも、4拍子として、
機械的に、拍を刻み、演奏することは、おそらく、
作曲家の意図には、沿っていない、と思われます。
★バッハは、この直筆譜から、「演奏法」について、
さらに「作曲法」についても、無限にたくさんのことを、
後世の私たちに、語り掛けてくれています。
それは、バッハが自分で書いた「序文」の言葉、
≪すべて正確に、かつ、上手に演奏できるようにし、
同時に、優れた着想(インヴェンション)を
得ることができるようにし、さらに、それを巧みに展開し、
特に、カンタービレ奏法を身につける、
さらに将来、作曲をする際に味わうであろう、
(その苦楽を)事前に、十分に積極的に体験する≫
と、ぴたりと、一致します。
★この直筆譜で、バッハの息子や弟子たちは、勉強しました。
大バッハが、言葉で教えるより先に、
楽譜を目で見る、つまり「視覚」で、どう弾くか、
どう作曲するかを、教えているのです。
★先ほど述べました、ヘンレ、ベーレンライター、
ヴィーン原典版とも、すべて、
最初の1段には、1小節だけを書いています。
私には、それは、とても間延びした書き方で、
音楽のもつ緊張感から、ほど遠い記譜であり、
学習者が、その楽譜通りに、1小節目だけを強調して、
弾いてしまい勝ちなのは、とても残念なことです。
★以上、直筆譜から、読み取れることの、
ほんの一端を、書きました。
★「インヴェンション・アナリーゼ講座」では、
なぜ、バッハが「変則的」に、小節の途中で段落を変えたか、
その「理由と狙い」について、詳しく、ご説明します。
さらに、それを、演奏にどう活かすかも、お話しするつもりです。
それらを、理解することにより、必然的に「暗譜」が、
容易になります。
これらは、すべて、ショパンにも、その他の作曲家にも、
当然のことながら、応用できるのです。
(山本隆博さんの漆器に、茗荷、唐辛子、アスパラガスの葉)
▼▲▽△無断での転載、引用は固くお断りいたします▽△▼▲
その4 ■
09.7.22 中村洋子
★ショパン「エチュードOp 25-1」について、①09/5/31 ②6/12
③7/13と、3回にわたって、手稿譜とエキエル版との違いを、
書いてきましたが、今回は、その4回目です。
★この一曲を、子細に検討することにより、
ショパンの他の曲についても、どのように解釈するべきか、
分かると、思います。
手稿譜(ファクシミリ版)は、そんなに簡単に入手できません。
ここで、その細部を、ご説明したいと思います。
★ショパンは、「エチュードOp 25」を、3カ国で、
同時に、出版しています。
・フランス版初版は、1837年10月、パリ・シュレジンガー社
M.Schlesinger。
フランス版の2回目の出版は、1842年12月、パリ・ルモワンヌ出版、
H.Lemoine、数ヶ所の訂正あり。
★・ドイツ初版は、1837年10月、
ライプツィヒ・ブライトコップフ & ヘルテル社
Breitkopf & Haertel。
第2版も、1852年、Breitkopf & Haertelから。
★・イギリス初版は、1837年10月 ロンドン・ウェッセル社
Wessel & Co.
第2版も、1848年にWessel & Co.から出版され、多数の修正あり。
★上記のような、出版事情と、ショパン自身が、
自作に対し、固定的な奏法を示したわけではない、という理由から、
“これが、絶対に正しい”という版は、存在しません。
★しかし、唯一、現存するショパンの手稿譜から、
読み取れることを、学びますと、
ショパンが、その楽譜を書いた時点で、どのように考え、
どのような奏法をとったかが、手にとるように、分かります。
★21世紀の現時点では、それを学びつくすことが、
ショパンに、最も近づくことである、と思います。
★今回は、6月12日に第一回目として書きました、
≪「手稿譜」と「エキエル版」との相違点≫の続きです。
★12小節目:
「手稿譜」は、1拍目から 「cresc.」が始まり、
4拍目6連符の2番目の音で、終わる。
「エキエル版」は、1拍目から 「dim.」が始まり、
3拍目6連符の2番目の音より、少し前で、終わる。
3拍目6連符の3番目の音から、「cresc.」が始まり、
12小節目と13小節目を区切る小節線の直前で、
「cresc.」が、終わる。
★私の考え:
ショパンは、最初に書いた12小節目の左手パートの部分に、
ペンで、斜線をたくさん引き、完全に消し去っています。
その真下に、現行の左手パートを、書き直しています。
13小節目から、新しく展開を始めるにあたり、
どのように、12小節目を閉じるか、推敲した生々しい跡です。
★3拍目と4拍目の、右手と左手の両方に現れる
「E」ナチュラルは、1拍目の「Es」と、13小節目の1拍目
「F」をつなぐ、「経過音」ですが、「導音機能」も喚起させ、
浮き上がって聞こえるような、際立った音です。
「dim.」しながらも、その中から、導音的な際立った音が、
浮かび上がってくるという効果を、ショパンは、
推敲によって、狙った、といえます。
★「エキエル版」では、「12小節」を、
前半は「dim.」、後半を「cresc.」としています。
極めて常識的な、あまりに単純な発想です。
1拍目のソプラノ「B」は、倚音で、2拍目のソプラノ「As」が、
倚音の解決音ですから、「dim.」とし、
3拍目、4拍目は、導音的な「E」が、次の小節の
主音的な「F」に向かうため、「cresc.」としたのでしょう。
しかし、ショパンは、いつも、常識の裏をかき、
そこに芸術の機微を、見出した人です。
はたして、この「エキエル版」が、ショパンの発想かどうか?。
★同じく、12小節目の右手の「Es」、「E」、13小節目「F」を、
アルトの声部、同様に、左手の「Es」、「E」、「F」を、
テノールの声部と、考えて、弾くべきでしょう。
さらに、内声に、2声部ありますから、
この12小節は、結局、「6声部の音楽」と、なっているのです。
★この曲での、ショパンの書式は、「cresc.」 と
「 dim.」について、「始める位置」と「終える位置」が、
拍頭や、次ぎに来る拍の直前には、ほとんどの場合、
置いていません。
★ピアノで正確に、ショパンの意図どおりに、弾きますと、
「 cresc.」 の開始が、「アウフタクトの意味」をもったり、
この12小節目のように、「dim.」が、4拍目の頭部で、
終わらないため、4拍目の6連符の音が、全部均等ではなく、
一番目と二番目の音のなかで、依然として、
「 dim.が続いている・・・」、と意識しながら、
演奏をすることになります。
その結果として、巧まずして、大変に、
繊細な演奏になっていく、と言うことができます。
★12小節目と13小節目とを区切る小節線 :
「手稿譜」では、小節線上に、「6」という数字が、記されている。
「エキエル版」には、この「6」という数字は、記されていない。
ショパンは、この1枚目の楽譜には、この数字を「6」までしか、
記していません。
その後は、全3枚の楽譜のうち、3枚目の41小節目の前に「2」、
43小節目の前に「3」、47小節目の前に 「5」、そして、
終止線上に「6」の数字が、読み取れます。
★私の考え:
数字の記入されている、1枚目の12小節間と、
3枚目の部分には、大きな類似点があります。
(3枚目39小節目の前に「1」という数字が記されていませんが)、
この「2小節づつの単位」は、詩の「韻律」、「拍節」と
同じ様な意味を、もっていると、思われます。
★ことし6月7日に、カワイ・表参道で開きました、
アナリーゼ講座「前奏曲とは何か」で、お話しました、
「Metrum メトラム」に、深く関係します。
★その詩の韻律や拍節が、機械的に表現されるのを
避けるため、「 cresc.」 と「 dim. 」や、
ペダルを踏む位置を、あえて、≪「韻律」や「拍節」と、
一致させないようにする≫のが、ショパンの演奏です。
★完全に一致させて、弾きますと、興奮度は高まります。
昨今のコンクールでは、
そのような演奏が、聴かれるかもしれませんが、
ショパンの欲した、意図した音楽ではないでしょう。
★余談ながら、ショパンは、12小節目左手2拍目を、
「反復記号 Faulenzer(ファウレンツァー)」を使って、
書いています。
1拍目と、同じであるからです。
★Faulenzerは、ドイツ語で「怠け者」という意味です。
ショパンは、12小節以前で「Faulenzer」を、
使うことが、可能な部分でも、
一切、「Faulenzer」を、使っていません。
たとえ、分散和音であっても、
一音一音に、深い意味があるからです。
バッハが「平均律クラヴィーア曲集第1巻」1番の前奏曲で、
分散和音の一音一音に意味をもたせ、
単なる分散和音としていないのと、同じ意味合いです。
★ショパンは、「12小節目の左手2拍目」から、「Faulenzer」を、
使い始め、14、17、19小節目でも「Faulenzer」を使っています。
このことは、次のようなことを意味している、と思われます。
★「提示の部分」である「12小節目」までは、
一点一画を揺るがせにしない、緊迫した構成感で作ろう、
という意識でしたが、ここで一転、それが変化し、
それ以降は、緊張感を解き放ち、
「大きな感情のうねりの音楽」を、志向した。
「反復記号 Faulenzer(ファウレンツァー)」を
使ったことから、そのようなショパンの、
意識の変化が、読み取れます。
★次回は、13小節目以降の比較です。
(伝通院・本堂の夜景)
▼▲▽△無断での転載、引用は固くお断りいたします▽△▼▲
09.7.19 中村洋子
★昨夜は、伝通院の本堂が満員となる、約200名の皆さまに、
お集まりいただき、「納涼コンサート」を、
楽しく、開催することができました。
浴衣をお召しになった若い女性や、お孫さんを連れたおばあ様、
さらに、私のカワイ・アナリーゼ講座に、
参加されていらっしゃる方も、たくさん、お見かけしました。
今回が、5回目となります私の企画ですが、
毎回、必ずおいでくださる方々にも、
ご挨拶をすることが、できました。
★私が着用しましたのは、デザイナーの昼神佳代さんが、
古い着物生地を使って、制作したドレスですが、
「それを見るのが、毎年、楽しみ」と、おっしゃる方も、
いらっしゃいました。
ことしは、紫の地に、漆を染み込ませた糸を織り込んだ、
夏の衣装でした。
★コンサート後にいただきました花束を、昨夜は、寝室に飾りました。
芳香に満ち、今朝は、爽やかな目覚めでした。
★コンサートの曲の間には、チェンバロがどのような楽器であるか、
実際に、二段鍵盤の、上の鍵盤だけ、下の鍵盤だけ、
リュートストップ(フェルトを弦に押し当て、リュートに似た音を出す)、
カプラー(上下鍵盤の同時演奏)で、それぞれ、
バッハの「インヴェンション1番」を弾き、ご紹介いたしました。
バッハを弾きますと、チェンバロが、“うれしそうに歌いだす”
ような、感じがいたします。
★リュートストップでの演奏は、実に、小さな音量なのですが、
会場の音響が、優れているためでしょうか、
本堂の最も遠い隅まで、しっかりと、
音が飛んで、届いていることにも、驚きました。
チェンバロの秘密を、これから、自分なりに解き明かし、
作曲に、活かしていきたいと、思います。
★チェンバロは、温度や湿度にとても敏感で、
リハーサルが終了してからも、再度調律する必要があり、
会場に、お客様がお入りになってからも、
コンサート直前まで、調律を続けました。
チェンバロも珍しい楽器ですが、その調律を見ることも、
あまりございませんので、お客様には、
いい機会だったと、思われます。
「モモセハープシコード(株)」の川上幸和さんが、熱意を込めて、
調律を、担当されました。
★斎藤明子さんの10弦ギターに対し、
尾尻雅弘さんは、7弦ギターです。
通常の6弦ギターの最低音「ミ」の、完全5度下の「ラ」を、
7弦目の解放弦として、加えています。
今回は、その最低音の弦を、さらに短3度低い「嬰へ」に、
調律して、演奏されました。
★お二人のギター二重奏は、なかなかの迫力で、
また、新しい作品を、書いてみたくなりました。
★フルートの大保麗香さんも、
故郷である、宮崎の民謡をテーマとした、
「刈干し切り唄による主題と変奏」を、熱演されました。
この曲は、20分ほどの長い曲ですが、
今回は、主題に第1、第2変奏、フィナーレを
組み合わせた版で、演奏しました。
★日ごろは、作曲で、ピアノ室にこもる毎日ですが、
今回のように時には、“演奏家”として、舞台に立つのも、
いろいろと、得るものが多く、お客さまの反応を、
直接感じることも、とても、大きな喜びです。
(納涼コンサートの出演者4人)
▼▲▽△無断での転載、引用は固くお断りいたします▽△▼▲
■■ 伝通院・納涼コンサートの聴きどころ ■■
09.7.18 中村洋子
★本日は、私が企画、出演いたします
「伝通院・納涼コンサート」の日です。
ご参考までに、聴きどころを、お知らせいたします。
★第1曲目の、バッハ作曲「シチリアーノ」は、最初、
「フルートと10弦ギターの伴奏」により、演奏されます。
その後、オリジナルの「フルートとチェンバロ伴奏」で、
お聴きいただきます。
ギター伴奏と、チェンバロ伴奏との聴き比べを、
お楽しみください。
★10弦ギターは、6弦の通常ギターの最低音「ミ」の下に、
「レ、ド、シ、ラ」と、4本の弦が、加えられています。
豊かな充実したバスの音が、特徴です。
http://saitoakiko.seesaa.net/category/6228015-1.html
↑ここで、少しですが、私の作品を、斎藤さんが、
10弦ギターで演奏されているのを、試聴できます。
★第2曲目は、ビゼーのよく知られた曲を5曲、
演奏いたします。
斎藤明子、尾尻雅弘ご夫妻の2重奏は、「ハバネラ」、
「セギディーリャ」、「前奏曲」の3曲。
フルートとチェンバロの2重奏は、「アルルの女」、
「間奏曲」で、ギター、フルートと交互に、演奏されます。
★チェンバロは、William Dowd ウイリアム ダウド
Paris パリ 1982年製です。
チェンバロは、2段鍵盤がそれぞれ異なる音色をもち、
そこに、リュートストップや、カプラーなどを、
組み合わせることにより、万華鏡のように、
多彩な音色を、響かせることができます。
★「アルルの女」では、途中の華やかな曲想の場面で、
カプラーにします。
カプラーとは、2段の鍵盤を、同時に鳴らす装置です。
カプラーを使う部分の前後は、
カプラーの効果を、際立たせるため、
音色の柔らかい上段の鍵盤で、演奏します。
★私の作品が、2曲続きますが、「荒城の月幻想」は、
チェロ2重奏や、ピアノトリオ版があり、
今回は、フルート、チェンバロ、2台ギターの4重奏版を、
新しく、作りました。
★チェンバロのリュートストップは、弦にフェルトを、
接触させることで、響きの拡散を押さえ、
弦楽器のリュートのような、典雅な音色を出す装置です。
日本人にとっては、お箏の音色ように、
聴こえるかもしれません。
中間部で、そのリュートストップのチェンバロと、
2台ギターによる、3重奏が出てきます。
★伝通院・本堂の、檜張りの素晴らしい舞台で、
どのように、鳴り響くことでしょうか。
★コンサートの最後は、2台ギターの「もがみ川」です。
この曲が初演されましたのは、この伝通院の本堂です。
斎藤さんご夫妻により、日本の各地で、この曲を、
演奏していただていますが、
再び、初演の地、源流に、戻ってまいりました。
(五色蔦の新芽)
▼▲▽△無断での転載、引用は固くお断りいたします▽△▼▲
09.7.17 中村洋子
★東京のカワイ・表参道で、昨年から、月一回、
バッハの「インヴェンション・アナリーゼ講座」を、
開催しておりますが、カワイ・名古屋でも、
「第1回 インヴェンション・アナリーゼ講座」を、
10月に、開くことになりました。
★日時:10月21日 (水)午前10時~12時
場所:カワイ名古屋 2Fコンサートサロン「ブーレ」
詳しくは、以下の案内をご覧ください。
http://shop.kawai.co.jp/nagoya/recture/pdf/lecture20091021.pdf
★日ごろ、私は次のようなことを、感じております。
ピアノを教える場合、先生ご自身が、
ご自分の先生から、習ったことを、
そのまま、生徒さんに伝える、ということが、多いと思います。
しかし、「どうして、そのように弾くか」ということを、
先生が、ご自分で理解されていませんと、
内面から湧き上がってくる音楽には、なりえません。
★有名なピアニストの公開講座を、たくさん受けたり、
弾き方のDVDを、いくら研究しましても、
いつも、不安に駆られる結果に、陥り勝ちです。
★暗譜についても、指だけで、感覚的に覚えた方法では、
ちょっとしたつまずきで、演奏中に、混乱してしまうことも、
往々にして、あります。
★また、バッハの「インヴェンション」を、
お習いになっているお子様が、
先生の、バッハへの“不安”を、敏感に察知して、
バッハに馴染めないまま、バッハを敬遠してしまうことも、
あるそうです。
★今回の名古屋での講座では、≪曲の構造≫をお話し、さらに、
それを、どのように、演奏に活かすか、お話いたします。
≪曲の構造≫、例えば、「あるテーマの、この音が、
全体のなかで、どのような意味をもっているか」、
それが分かれば、その音を、どのようなディナミーク、
エスプレッション、音色、指使いで弾くか、
自然に、見えてくるのです。
★その結果、≪どの原典版、どの校訂版を使ったらいいか≫、
ご自身で選択できるように、なります。
以上のことが、無理なく自然に、
頭に入るように、お話いたします。
(雑草の花)
▼▲▽△無断での転載、引用は固くお断りいたします▽△▼▼
■ショパン「エチュードOp 25の1」の手稿譜から、読み取れること■
09.7.13 中村洋子
★7月18日に開催いたします「伝通院コンサート」の、準備のため、
チェンバロの名器「ダウド」で、練習させて頂いております。
演奏会用の曲の合い間に、7月28日の第12回 カワイ
「インヴェンション・アナリーゼ講座」で、お話します
「インヴェンション&シンフォニアの各12番」を、
弾いてみました。
驚くべきことに、固かった芙蓉の蕾が、一気に花咲いたように、
チェンバロの音が、豊かに共鳴して、響き始めたのです。
“音の愉悦”とでも呼びたくなるような、心地よさに
部屋中が、包み込まれました。
★この豊かさは、バッハのインヴェンションを、
チェンバロで弾く際、いつも、感じることです。
ピアノで、インヴェンションを弾いても、
同じ様な体験は、ありません。
アナリーゼ講座で、いつもお話していますように、
バッハの曲を、ピアノで弾くには、ある種の“ 翻訳 ”
という作業が、必要なのです。
★これは、ショパンについても、同様です。
「“ピアノ”の詩人」と言われ、現代の大きなグランドピアノで、
作曲したような、イメージがあります。
以前、ショパン時代の、古い「プレイエル」を、
実際に、試弾したことがありました。
★現代のピアノとは、大きな相違がありました。
ピアノのスケールが小さく、タッチもペダルも、
全く別物と、考えたほうがよさそうです。
ショパンの手稿譜から、ショパンの作曲の意図を、
誠実に読み取り、さらに、それを現代のピアノで弾くとき、
どのように“翻訳”するかを、考える必要があるのは、
バッハを、ピアノで弾くときと、同じ作業です。
★5月31日のブログ≪ショパン・ナショナル・エディション
(エキエル版)は、本当に原典版か?≫と、
6月12日の≪ショパン「エチュードOp 25-1」の、手稿譜と
エキエル版との相違点≫の2つのブログの、続きをお話します。
★「エチュードOp 25-1」の手稿譜は、全3ページです。
その1ページ目の下に、製版者への、ショパンの注意書きが、
記されています。
nota :Pour le graveur.Il faut graver bien distinctement
les grandes et les petites notes.
製版者への注意:大きい音符と小さい音符を、
はっきり区別して、彫ること。
★現在、出版されている楽譜も、大きい音符と小さい音符とを、
2種類に区別して、印刷していますが、
ショパンの手稿譜では、それ以上に、視覚的にはっきりと、
大と小を区別して、書かれています。
1小節目から10小節までの間の、左手パートの、
大きい音符の中でも、特に、1小節目1拍目の As 、
5小節目1拍目の Des 、8小節目の Es 、9小節目1拍目の As が、
黒々と大きく書かれ、目に飛び込んできます。
★1小節目の As は、この曲の主調である As dur の主音で、
5小節目の Desは下属音、8小節目の Es は属音、
9小節目 As は、再び主音に戻ります。
≪この9小節目までで、大きなカデンツを、形作る≫、
これが、5月31日のブログで書きました、
「8小節目から、9小節目第1音まで、スラーを延ばしている」
理由なのです。
と同時に、9小節目第1音は、そこから、また、
新しいカデンツの、始まりの音でもあるのです。
★「エキエル版」では、8小節目の終わりで、
スラーが、終了しています。
エキエル版の表記では、カデンツが、主音に戻らずに、
終わってしまい、完結していません。
★また、6月12日のブログで、書きましたように、
8小節目と9小節目の間について、
手稿譜では、 piano記号が、小節線の真上にあるのに対し、
エキエル版では、 piano記号が、9小節目の1拍目頭部にあります。
1小節目から9小節目までを、大きなカデンツと、とらえた場合、
カデンツの終止音にあたる9小節目第1拍目の前、即ち、
8小節目と9小節目の小節線の真上に、ピアノ記号を置くことで、
終止音が、デリケートなピアノで、詩的に奏されます。
エキエル版のように、9小節目に入ってから、
ピアノ記号が付されますと、いかにも、無機的な、
あまり詩的とは言い難い音楽に、なってしまいます。
★エキエル版を、何十年見つめていても、手稿譜のように、
新鮮な、感動は得られません。
ショパン自身が≪9小節目で、いきなりピアノ記号に飛び込まず、
その前にほんの一瞬、心の中で準備をし、それから、
“ピアノ”で弾くように≫という指示を、出しているのです。
これは、ショパン時代のピアノと、現代のピアノとの、
機能的な相違ということとは、関係ありません。
これは、すぐに、実験できますので、お試しください。
★また、ショパンは、2小節ごとに、1単位として作曲しています。
2小節目と3小節目の間の小節線の真上に「1 」
4小節目と5小節目の間の小節線の真上に「 2 」
6小節目と7小節目の間の小節線の真上に「 3 」
というふうに、「 6 」まで、数字が書かれています。
★骨格は、2小節単位でありながら、旋律の運び方、
ペダルの位置、強弱、cresc. dim. の位置により、
複雑に、デリケートに、単調な2小節単位の音楽に、
陥らないように、変化させています。
例えば、4小節目について、手稿譜では、ペダルを離す記号が、
2拍目6連符の、5番目の音の位置にあり、
次ぎに踏むペダル記号の位置が、2拍目と3拍目の中間に、
記載されています。
★エキエル版では、ペダルを離す記号が、
2拍目と3拍目の間にあり、次ぎに踏むペダル記号の位置が、
3拍目の頭部に記載されています。
手稿譜の、ペダルを離す位置は、
エキエル版よりも、早くなっています。
それによって、1拍目と2拍目が、
一つのまとまった「音の動き」であることが、分かります。
★その「音の動き」とは、即ち、
ソプラノの1拍目 B が、非和声音の倚音であり、
2拍目のAsは、倚音が解決した和声音であるからです。
現代のピアノで演奏すると、不自然に聴こえるかもしれませんが、
当時のピアノは、現代のピアノほど、ペダルによって、
音が拡大しないために、早めに、ペダルを離しても、
指のレガートによって、それほど、違和感はなかったはずです。
★ショパンが、ここで、最も表現したかったのは、
Bの不協和な響きが、Asによって、協和音程に解決し、
この二つの音が、一つのまとまりであることを、
ペダルのニュアンスで、表現させることです。
★さきほど、バッハを例にとって、書きましたように、
この曲を弾く時には、それを、どうやって、現代のピアノに、
“ 翻訳 ”していくか、考える必要があります。
ただし、ショパンの本来の意図を知ることがなければ、
“ 翻訳 ”のしようがない、ともいえます。
★ 9小節目のcres.を始める位置も、エキエル版は、
大雑把に、2拍目6連符の1番目の音から、始めていますが、
これは、ショパンの意図を、無視しています。
9小節目のソプラノは、1、2、3、4拍とも、
各拍頭が、Es の同音連打になっています。
ショパンは、cres. を始める位置を、
2拍目の6連符の5番目の音から、とすることにより、
3拍目のソプラノEs に、向かって、あたかも、
アウフタクトの As、C、が存在しているように
演奏することを、示唆しています。
★それは、4回の同音連打が、単調に陥らないにするものであり、
エキエル版のように、機械的に2拍目から、cres.を始めますと、
4回奏される同音連打の、Es の音の弾き方が、
ショパンの求めていたものとは、
大きく、異なってしまうでしょう。
★私は、この手稿譜を読むことにより、
ショパンがどれだけ、心血を注いでこの曲を作曲し、
どれだけ、豊かな音楽を創造したか、
初めて、分かりました。
もっと早くから、優れた「原典版」で、
勉強することができたら・・・と、残念な気持ちも、ありますが、
学ぶことに遅すぎるということは、ありませんので、
これから、じっくり勉強し、皆さまにも、
お知らせしたいと、思います。
★私の著作「クラシックの真実は大作曲家の自筆譜にあり!」
http://diskunion.net/dubooks/ct/detail/1006948955
153~160ページ≪ショパン「EtudeエチュードOp.25-1」の
自筆譜とエキエル版との相違点≫で、
詳しく解説しております。
(女郎花)
▼▲▽△無断での転載、引用は固くお断りいたします▽△▼▲
09.7.9 中村洋子
★ラヴェル作曲「 Menuet en ut diese mineur 」pour Piano
「 メヌエット 嬰ハ短調 」~ピアノのための~ の楽譜は、
「フランス国立図書館」la Biblioteque nationale de France に、
保存されていましたが、2007年に初めて、出版されました。
自筆譜に基づいた、出版です。
★添付の解説には「この作品は、1904年の作曲
(音楽学者のマルセル・マルナMarcel Marnatの説)」
と、書かれています。
ラヴェルが、29歳のときの作品です。
1904~5年にかけては、ピアノ曲集「鏡」
(第4曲目が、有名な「道化師の朝の歌」)が、
作曲されています。
★ラヴェル(1875~1937)は、それまでに、
「古風なメヌエット」20歳、
「クレマン・マロの墓碑銘」(独唱とピアノ) 21~24歳、
「亡き王女のためのパヴァーヌ」 24歳、
「水の戯れ」 26歳、「弦楽四重奏曲」 27~28歳など、
今日でも愛され続けている名曲を、たくさん、書いています。
歌曲「クレマン・マロの墓碑銘」は、私も大好きで、
完璧な、非の打ち所のない作品と、思います。
★≪ドビュッシーは、「ひらめき」の天才、
ラヴェルは、「努力」の天才≫という、誤ったイメージが、
ありますが、どちらも見当はずれな「誤解」です。
天才は、若いときから、天才で、
20歳のころから、傑作を、たくさん書いているのです。
★ラヴェル(1875~1937)は、生涯で、いくつかの、
重要なメヌエットを、書いています。
「古風なメヌエット」(1895)、
「ソナチネ」(1903~05)の第2楽章、
「ハイドンの名前によるメヌエット」(1909)、
「クープランの墓」(1914~17)の第5曲目、などです。
★今回出版された、嬰ハ短調のメヌエットは、
「ソナチネ」と同時代の作品です。
曲は、アウフタクト1拍 + 23小節の短い曲ですが、
実に、精緻で、ドビュッシーの「前奏曲集」の短さを思えば、
決して、侮ることのできない曲、といえます。
★3部構成の第2部に当たる、9小節目から16小節目まで、
バスの部分に、属音の嬰ト音が、保続音として置かれています。
これは、私が「前奏曲とは何か」で、お話ししました
スタイルの、変形です。
★「ソナチネ」や、「ハイドンの名前によるメヌエット」に似た、
響きをもちながら、7小節目から8小節目にかけての、カデンツは、
ラヴェル20歳の作品「古風なメヌエット」
「 Menuet Antique 」の7小節目から8小節目のカデンツに、
酷似しています。
★日本で出版された、「古風なメヌエット」の、
とある楽譜の解説で、「<古風>、というより生硬な音造り、
教会旋法の使用は、ラヴェル生涯の手法だが、それを、潤色する
非和声音が倚音、経過音、刺繍音に限られ、ラヴェル特有の
多彩で精緻な非和声音の合成に至っていない」と、書かれています。
★「古風なメヌエット」は、決して、<生硬な音造り>の、
曲ではない、と思います。
ラヴェルが狙ったのは、「 Antique 」、即ち、
メヌエットが踊られていた、古い時代の宮廷を、
懐かしく、思い起こすような曲です。
ラヴェル自身がこの曲を、オーケストラ用に直した曲を、
聴きますと、どのようなイメージであったか、
手にとるように、分かります。
★上記の、日本で出版された楽譜の解説には、
“ラヴェルが20歳で書いた、若書きの作品”、
“作曲技法は、年とともに上達する”という、
2つの思い込みが、あるようです。
★しかし、以前、書きましたように、
ショパンは、20歳になるかならないかで、
「エチュード」Op.10 という大傑作を、書いています。
リヒャルト・シュトラウスは、16~19歳で、
名曲の「チェロソナタ」を、作曲しました。
(6月28日のブログ<ベルリンでのコンサートのアンコールは、
「荒城の月幻想」>を参照)
“ミューズの神”に選ばれた大作曲家は、年とともに、
作風が変化することは、ありましても、
若年時代だから、「生硬」であるということは、
決して、ないと思います。
★ラヴェルは、この20歳の作品「古風なメヌエット」を、
54歳になった1929年になって、オーケストラ用に編曲し、
1930年に出版しました。
ラヴェル自身の指揮で、1930年1月11日に、
ラムルー管弦楽団が、初演しています。
よほど、愛着があったのでしょう。
自信をもって、2回にわたって、世に問うたのです。
★私が一番危惧しますのは、この曲を練習しようとして、
この日本の楽譜を手にした、若い人が、
この解説により、ラヴェルを誤解することです。
★「非和声音が倚音、経過音、刺繍音に限られ、
ラヴェル特有の多彩で精緻な非和声音の合成に
至っていない」と書かれていますが、
その意味が、よく分かりません。
非和声音の主なものは、上記の「倚音、経過音、刺繍音」であり、
それ以外には、「逸音、掛留音、先取音」くらいしかありません。
しかも、その三つは、上記の主要な非和声音が変化したものです。
★「倚音、経過音、刺繍音」のみの名曲は、あまた、あります。
さらに、「古風なメヌエット」を、よく見てみますと、
4小節目の1拍目「嬰ト音」は、3小節目から、
タイで結ばれており、「7の和音」の7音、つまり、
通常の和声音と、とらえることも可能ですが、同時に、
3小節目からのタイによる、「掛留音」としてとらえ、
直後の「嬰へ音」で、解決したようにも、聴こえます。
★これは、和声音でもあり、同時に、非和声音でもあり、
両方にとることができる、大変に綺麗な和声です。
演奏する場合は、非和声音の「掛留音」と、
意識したほうが、効果的です。
とても、“老獪な”和声と、いうことができます。
★このような和声進行が、「古風なメヌエット」の魅力の一つです。
アウフタクトの曲頭の「嬰ホ音」は、嬰へ短調の導音ですが、
1小節目1拍目で、主音の「嬰へ音」に解決しません。
なぜなら、アウフタクト曲頭で、既に、
主音の「嬰へ音」が、奏され、
1小節目1拍目まで、タイで結ばれているからです。
即ち、導音は、解決すべき主音と同時に、奏され、
そのまま、解決しない、という、
とても前衛的で、複雑な見事な和声進行です。
★音楽に熱心な真面目な方ほど、「解説」をじっくり読み、
その通りに、理解しようと努めます。
自分の解釈と、「解説」とが異なる場合、
“自分の方がおかしい、自分の理解が足りない、
自分は、勉強不足なのであろう”と、
自分を、責めてしまいます。
しかし、そうではなく、「解説」より、なによりも、
ご自身の「感動」が、大切です。
その感動や直感、印象を信じ、絶えず演奏し、
「楽譜」を自分で、読み解くことが、第一です。
★新しく出版された、このラヴェルの小品
「 Menuet en ut diese mineur 」pour Piano は、
「古風なメヌエット」と同様に、
美しい「対位法」が、絶妙に、駆使されています。
この曲を勉強することにより、「古風なメヌエット」など、
ラヴェルの舞曲を、より深く理解できる、と思います。
ただし、それには、大作曲家と真摯に向き合い、何度も弾き、
“どこにカノンがある、拡大形がある、ここで声部が増えている、
ここが頂点だ”など、ラヴェルが、この曲に隠した
“宝物”を、自分で見つけ出そうとする努力が、必要です。
★出版社は、Editions Salabert です。
(紫式部の花)
▼▲▽△無断での転載、引用は固くお断りいたします▽△▼▲
09.7.6 中村洋子
★忙中閑ありで、“81歳の老人が、銀行強盗する”映画を見ました。
バルトークの故郷である「ハンガリー」で07年、制作されました。
1966年生の若い、ガーボル・ロホニ監督。
日本語のタイトルは、「人生に乾杯」ですが、
原題は、「コニェツ」(終わり)で、
副題として「コップの中の最後の一滴」が、付けられています。
主演は、エミル・ケレシュという、実年齢も現在81歳の、
ハンガリーの、大舞台俳優。
妻ヘディを、テリ・フェルディという国民的人気のある女優。
映画の設定では、妻は70歳。
★夫エミルは、共産主義政権時代には、共産党幹部の運転手。
定年の際、その要人用の最高級車「チャイカ」を、譲り受けます。
黒光りするチャイカは、装甲車のように、頑丈で広く大きく、
入念に、整備されています。
アメリカのゴージャスな車と異なり、質実剛健な美しさです。
★夫役のケレシュは、知的で、物静か、存在感があり、
ピアニストの「ウィルヘルム・ケンプ」に、よく似た風貌です。
市場経済の導入後、年金は、平均的労働者の月収の、
3分の1ほどしか入らず、団地の家賃も滞納中です。
電気も止められました。
★遂に、借金取りが、差し押さえにきます。
読書家であるエミルの立派な蔵書を、持ち去ろうとしますが、
妻は、「チャイカはあまり、使っていない。それを・・・」。
夫は、猛反発。
妻は、遂に、何より大切なダイアのイアリングを、
差し出します。
このイアリングは、夫との愛の証し、
結ばれるきっかけとなった、因縁の家宝でした。
★イアリングにまつわるお話は、映画を見てのお楽しみですが、
二人が出会った1950年代、妻は伯爵令嬢だった、という設定。
半世紀たらずの間に、貴族制の残る旧体制、戦後の共産政権、
ハンガリー動乱、ベルリンの壁崩壊後の自由主義体制と、
政治の荒波、強風に翻弄され続けた、ハンガリーの一般国民。
(ちなみに、ハイパーインフレに襲われた1946年には、
ギネスブックで、「史上最高額面の紙幣」と記録されている
「10垓・がい(=10京=10億兆)ペンゲー」紙幣が、発行されています)
その心に刻まれた、癒えない傷、つまり、歴史軸が、
このドラマの背後に、見えない柱として、立っています。
★腰痛の夫は、黙って家を出ます。
愛車チャイカを走らせ、郵便局へ。
カウンターの女性に、短銃を、静かに見せます。
「お嬢さん、頼みがあるんだ」
「有り金全部、この袋に詰めてもらえんかな」
「そうじゃないと、大怪我することになるかもしれん」
カウンターの女性は、顔が引き攣り、声も出せません。
「どうも、ありがとう。良い一日を!」。
波風一つ立てず、老人は、立ち去ります。
真っ黒な短銃「トカレフ」は、重量感に満ちています。
★この夫婦に、恋愛中のアベックの刑事が、絡んできます。
男性刑事は、ベッカムそっくりのイケ面、
女刑事も、ベッカムの妻に似た美女。
このアベック刑事が、追い詰める役です。
楽しく、作っています。
★妻役のフェルディーは、一旦は、
夫の逮捕に、協力しようとしますが、
夫の優しさ、度胸、逞しさ、清々しさに、
あらためて、惚れ直します。
そして、二人で、愛車チャイカを駆り、強盗逃避行。
宝石商に押し入り、イアリングも、取り返します。
妻の誕生日に、温泉リゾートでの、豪華なディナー。
★チャイカは、いまでも猛スピードを出すことができ、
何度も、警察の包囲を、振り切ります。
砂利だらけの急坂も、チャイカは、
駆け上がることができます。
新しい現代の車は、上れません、
敵いません。
★“81歳の老人が強盗”のニュースが、全国に流れ、
生活苦にあえぐ、国民の共感を呼びます。
老人の模倣犯まで、現れます。
★30年前、軍トラックに轢き殺された、息子の墓に参り、
「思い残すのは、海を一度、見たかったこと!」と妻。
ハンガリーは、海のない国だったのですね。
そして、バリケードに猛速で突進、激突、炎上・・・。
★ハンガリーは、「東欧革命」の1989年以降、
市場経済に組み入れられ、外国資本の流入、
安い賃金と、高い文化水準を利用しての、
海外企業の下請け化。
そして、グローバリゼーションに伴い、
多国籍企業による、経済支配へと、
めまぐるしく、変動してきました。
★欧米の金融資本主義が破綻し、その余波で、
深刻な経済危機に、陥っているようです。
年金生活者、農民、小商工業者の生活が、
特に、苦しいようです。
日本の数歩先を、歩んでいるのかもしれません。
★老夫婦の、白い髪、
いつまでも黒く輝く、チャイカと短銃。
その対比が、鋭く、画像として残ります。
朽ち果てるのを、待つだけの老境。
「強盗」はさておき、発奮して、
何かをしてみたい、と思う観客、
老人も、多いかもしれませんね。
★この81歳の主人公は、「チャイカ」と、
「トカレフ」という“武器”、
もはや、流行遅れで、
共産党時代の遺物ともいえる“武器”を、
絶えず整備し、磨き上げ、
最高の性能を、維持していました。
”強盗”をするのであれ、
“知的戦い”をするのであれ、
そのような“自分の武器”を、備え、
絶えず、自分を磨いていることが肝要と、
言外に、いいたいのかもしれませんね。
★困難な状況で、真に力を発揮するのは、案外、
風雪に耐えた、一見“ 古い ”、“ 陳腐 ”と、
みなされている技術、思想であり、
流行を追った、新しいものは、その場限りで、
無力である、と示唆しているようです。
★旧共産党政権下での、耐え難い人権弾圧、
文化芸術思想への抑圧、自由の制限など、
過酷な負の半面、
住居やパンなど、生活必需品は最低限ながら、
まがりなりにも保証してきた、という一面。
★その一方で、自由経済に組み込まれた結果、
年金生活者など弱者が、徹底的に痛めつけられ、
息も絶え絶えに、あえいでいるという現実。
旧体制の怖ろしい権力の、象徴でもあった「チャイカ」、
いまでも逞しく、黒光りする年代物の「チャイカ」を、
“もう一人の主人公”として見せることで、世界に、
その矛盾を、提示しているのでしょう。
★“人生は、パンのみにあらず、自由なくして、息もできず”、
“パンも食べられずして、なんの自由、文化かな”
★このような映画を見て、いつも思うことは、
ヨーロッパの俳優の、層の厚さと、
演技が、年とともに、重厚に、輝きを増す驚きです。
ちょうど、ピアニストの「ウィルヘルム・ケンプ」や、
「アルトゥール・ルービンシュタイン」が、80代に至って、
至極の演奏を残したのと、同じです。
★この映画は、あと、数週間上映されるようです。
お薦めいたします。
▼▲▽△無断での転載、引用は固くお断りいたします▽△▼▲
09.7.5 中村洋子
★私のブログを、お読みいただいている皆さまには、
お分かりと思いますが、「ドビュッシー」と
「ラヴェル」の音楽は、一般にイメージされるような
「印象派的」な音楽では、ありません。
同様に、「ショパン」、「シューマン」には、
「ロマン派的」な要素は、ほとんど、入っていません。
★名曲といわれるもので、音楽史上、一般的に使われる
「・・・派」や、「・・・様式」、「・・・学派」
という形で、作曲されたものは、ほとんどありません。
音楽史の「論文」や、「解説」を書く上では、
大変に便利な、区別法ですが、そのように区分できるほど、
芸術は、単純なものでは、ないのです。
ましてや、当事者の作曲家たちは、
自分が“・・・派”であるとは、意識していません。
★次回のブログでも、取り上げますが、
ショパンの「自筆手稿譜」から、うかがえる、
本当の作曲の意図を、後世や現代の校訂者や原典版が、
いかに、たわめているか、ということと、
根本は同じであると、言えそうです。
★バッハについて、「テレマンが≪第一期ギャラント様式≫で、
書いていたのに対し、バッハは、それより古い時代の、
対位法のスタイルで、書き続け、それがため、
バッハはテレマンほど、もてはやされなかった」という、
誤解が、昔から伝わっています。
★しかし、前回のブログで書きましたように、
あの大バッハが、≪第一期ギャラント様式≫を、
知らなかったはずはありません。
★バッハの「フルートソナタ 変ホ長調」(シチリアーノを含む)は、
1720年ごろに作曲された、とされています。
そのときに、二男のエマニュエル・バッハは、まだ6歳ぐらい、
長男のフリーデマンですら、10歳ころです。
この年齢を見ても、エマヌエルの作品とするには、
齟齬を、きたしそうです。
★1723年に序文が書かれた「Invensionen & Sinfonien」の、
「シンフォニア12番 イ長調」は、明らかに、
「ギャラント様式」で、書かれています。
フルートソナタに限らず、バッハは、ここでも、
「ギャラント」で、書いているのが分かります。
★1744年に完成した「平均律クラヴィーア曲集2巻」の
「12番 前奏曲 ヘ短調」も、「ギャラント」な曲です。
★前回のブログで、「ギャラント様式」について、
音楽書から、要約して以下のように書きました。
≪すべてが明澄で、簡素で明確な和音、
同じリズムを続けるバス、優雅なセンチメンタリズム、
三和音と短いフレーズに基づく旋律、これらが主な特徴です≫。
★定義は、かなり曖昧です。
言えることは、大バッハは、このような、
“レッテル付け”に対し、彼の大きな翼でもって、
そのレッテルを、“意味がない”と、
吹き飛ばしている、ということです。
★ショパンを、≪ロマン派の作曲家≫とした時点から、既に、
ショパンを、正しく理解する方法が閉ざされかねない、のと同様、
テレマンやエマヌエル・バッハを、理解するうえでも、
このような用語の束縛から、逃れたほうがいいと思います。
★さらに、「ギャラントな音楽」、つまり、
≪簡素で明確な和音、三和音と短いフレーズに基づく旋律≫は、
実は、新しいものではないのです。
バッハが若いころ、イタリアのヴィヴァルディや、
マルチェッルロの編曲をし、それらを、
自分の音楽に、結実させていった経緯があり、
イタリアの巨匠たちの音楽に、「ギャラント」は、
見え隠れしており、当然、
バッハにも、宿っているのです。
有名なバッハ「イタリア協奏曲」(1735年出版)も、広義では、
世に言う「ギャラント」と、言えなくもないでしょう。
★奇しくも同じ番号ですが、平均律2巻の「12番 前奏曲」と、
「シンフォニア 12番」も、ギャラントな曲です。
特に、「平均律第 2巻」は、バッバの集大成で、
あらゆる様式の曲が、全24曲に込められていますので、
当然、ギャラント的な曲も、含まれます。
★ここでは、平均律2巻の「12番 前奏曲」について、触れます。
“天才を理解できるのは、天才しかいない”と言われますので、
バルトークの校訂した、平均律の楽譜を見てみましょう。
バルトークは、「平均律 1、2巻」の全48曲を、
独自の配列で、並べ変えています。
この「12番 前奏曲」は、26番目に配置されています。
★最初の4小節間の、4分音符のバスに、
「テヌート」記号を、付け加えています。
室内楽の、バスのイメージでしょう。
1小節目の上2声の最初の8分音符二つを、
スラーで、つないでいます。
同様に、2小節目、3小節目の上2声の、
最初の8分音符二つも、スラーで、つないでいます。
スラーでつながれた、二つの8分音符の、
初めの音は、この3ヶ所とも、「倚音」です。
この「倚音」は、次の音に、解決されますので、
「倚音」のほうに、音の重みが加わります。
★この「12番 前奏曲」は、アウフタクトの
メゾフォルテによって、始まっています。
アウフタクトから、1小節目の前半を、一つのまとまりとし、
1小節目後半から、2小節目前半を、次のまとまりとしています。
2小節目後半から、3小節目、さらに、4小節目の前半までを、
三つ目のまとまりとし、バルトークは、この三つ目のまとまりに、
大きなディミヌエンドを、付けています。
★同型反復3回の原則(3回目は、大きく変化させる)に則り、
彼は、上記のような演奏法を提示することで、
自分の解釈、としています。
4小節目後半から、8小節目前半にかけては、
ピアノ記号が付され、1拍ごとに、
スラーで、まとめられています。
「曲頭から、4小節目前半」と、
「4小節目後半から8小節目前半」が、
えもいわれぬ、美しい好対照をなしています。
「Andante sosutenuto (4分音符=76)」の
指示も、付けています。
★「シンフォニア 12番」につきましては、7月28日午前10時からの
「第12回 カワイ・インヴェンション アナリーゼ講座」で、
詳しく、お話いたします。
(唐辛子の花)
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09.7.2 中村洋子
★テレマン George Philipp Telemann(1681~1767)の、
「小品集を伴った小フーガ集」
「Leichte Fugen mit kleinen Stuecken TWV 30:21ー26
「Easy Fugues with little Pieces」(1738年出版)は、
小フーガの後に、演奏が容易な数曲の小品を伴った曲集です。
★全5曲で、第1番を例にとりますと、第1曲目が「Fuga prima」、
2曲目が「Vivace」、3曲目が「Allegro」、4曲目は「Presto」、
5曲目は「Allegretto」。
フーガは、2ページですが、他の曲は、
1ページ前後の、短くやさしい曲です。
★バッハの「組曲」と異なるのは、冒頭のフーガを除く他の曲が、
「ダンスの曲」ではない、ということです。
バッハでは、「アルマンド」、「クーラント」、「サラバンド」、
「メヌエット」、「ジーグ」などが、並びます。
★この曲集が、作曲されたころ、まだ、大バッハ
J.S.BACH(1685~1750)も、活躍していました。
テレマンは、バッハより、4歳年上ですが、
バッハより、17年、長生きしました。
しかし、この両巨匠が活躍していた1730年代における、
二人の作風は、大きく、違っていました。
★テレマンが、この曲集を「Galanterie - Fugen」と、
名付けたように、第一世代の「ギャラント様式」の曲です。
大バッハの、複雑で、対位法を極めた音楽様式に対し、
簡潔で、分かりやすく、後のガルッピ、クリスチャン・バッハ、
エマニュエル・バッハ、ぺルゴレージ などへと、
つながっていく、音楽といえます。
★「ギャラント」は、フランス語で「楽しみを求める」が原義。
「ギャラント様式」は、すべてが明澄で、簡素で明確な和音、
同じリズムを続けるバス、優雅なセンチメンタリズム、
三和音と短いフレーズに基づく旋律、これらが主な特徴です。
★このテレマンの曲集は、現代のピアノ学習者や、
音楽愛好家にとっても、馴染みやすく、
楽しいうえ、質が高いので、お薦めです。
★楽譜は、Schott社( ED9015 )、
Schott piano classicsシリーズの、一つです。
★バッハの有名な「フルートソナタ」BWV 1031
Sonate Es-Dur fuer Floete und obligetes Cembalo の、
作者は、現在では、バッハの息子のカール・フィリップ・
エマヌエル・バッハ Carl・Philipp ・Emanuel・Bach(1714~1788)
と、されています。
その理由として、この曲の様式が、上記のテレマンの様式に、
とても近いためです。
★しかし、この「フルートソナタ」は、
大バッハの指導と手助けによって出来た、
あるいは、バッハが自分で、かなり手を入れていたのでは、
という説も、あります。
★私は、この作者が、息子なのか、大バッハであるか、
興味ありませんが、もし、息子の作品であるならば、
彼は、大バッハの様式を骨の髄まで、染み込ませ、
理解したうえで、次の世代の曲として、創造したと思います。
★この第2楽章「シチリアーナ」の和声と形式は、
大バッハの平均律クラヴィーア曲集 1巻 1番の前奏曲を、
そのまま、移してきたものである、と言えるからです。
先月、カワイアナリーゼ講座「前奏曲とは何か」で、
お話しました、「前奏曲様式」が、完全に消化されて、
このシチリアーナが、作られています。
★「最初の4小節の和音」を、要約し、
「ト短調」を「ト長調」に変えて、弾いてみてください。
平均律クラヴィーア曲集 1巻1番の「前奏曲」と、
同じ音楽が、出現します。
また、属音や、主音の保続音の位置、使われ方を見ますと、
大バッハの前奏曲様式を、そのまま用いています。
そして、これが、ショパンの「エチュード」へと、
つながっていくことが、読み取れると思います。
息子の作であるならば、彼の力量がうかがわれます。
★この曲に、大バッハが手を入れている、
あるいは、大バッハ自身の作品である可能性については?
★壮年時のバッハは、テレマンの曲を、当然、知っていたはずです。
バッハの音楽様式を、「ギャラント様式以前の、複雑で、
手の込んだ対位法」と、固定してとらえなければ、
“バッハの作品”であった、ということもいえます。
★一人の作曲家が、一つの様式でしか書けなかった、
ということはない、と思います。
まして、あの大バッハなのですから、当然、
なんなく、新しい様式でも、作曲できたはずです。
★そんなことを考えながら、わずか33小節のシチリアーナを、
演奏することは、とても楽しいことです。
33小節という長さは、インヴェンション1曲の長さに
よく似ています。
私は、作曲家探しには、ほとんど興味ありません。
その曲の内容がすばらしく、その素晴らしさを理解し、
楽しめれば、十分です。
★10月21日にカワイ・名古屋で「第1回 バッハ・インヴェンション
アナリーゼ講座」を開催いたします。
(野生山吹の実と龍のひげの花)
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