音楽の大福帳

Yoko Nakamura, 作曲家・中村洋子から、音楽を愛する皆さまへ

■仏映画「デリシュ Délicieux」は、「バベットの晩餐会」の“続編”■

2022-11-30 12:22:01 | ■楽しいやら、悲しいやら色々なお話■

■仏映画「デリシュ Délicieux」は、「バベットの晩餐会」の“続編”■
   ~一流の料理人、音楽家でも貴族の“持ち物”だった~

          2022.11.30 中村洋子

 

 

★もう今週は十二月、師走です。

「早いもので」という言葉は使うまい、とは思いながら、

時のたつ早さに、やはり驚かされます。

今年は≪11人の大作曲家「自筆譜」で解明する音楽史 ≫

出版しました。

皆様のおかげで、この本はじっくり大切に読んでいただいています。

心からお礼申し上げます。

https://blog.goo.ne.jp/nybach-yoko/e/ac93adde4ed249260746c2e63da21a10


★この本のcolumn1 、26~28ページに

私の好きな女優さん~「バベットの晩餐会」

ステファーヌ・オードラン~について、書きました。

この映画はパリコミューン(1871年)で、労働者階級の夫と息子を

殺された女性「Babette バベット」の物語です。

バベットは当時のパリで、随一と名高かったレストランのシェフを

務めていた、という設定です。

詳しくは本を読んでいただくことにし、私の感覚では、

まるでこの映画の“続編”のような、素晴らしい映画

この秋に観ました。


題名は「デリシュ Délicieux」 

https://delicieux.ayapro.ne.jp/ 

https://eiga.com/movie/95944/

「予告編」では、「世界で初めてレストラン誕生の秘密が明かされる」

としていますが、少々お門違いの説明です。

昨今流行りの「グルメ」映画のようにも見えますが、

内容は全く違います。

 

 

★時はフランス革命(1789~1795年)前夜

「バベットの晩餐会」より、80年ほど前の時代設定ですが、

この映画の主役の料理人マンスロン Manceronと、その料理の価値を

真に味わう事ができる彼の雇い主 シャンフォール公爵

Duc de Chanfort との関係は、

バベットとその夫と息子を殺した貴族たちとの関係に、類似しています。


★ここで「続編」と私が言いました意味は、バベットの作る

究極ともいえる料理の価値が分かる貴族たちと、バベットとの

関係は、揺るぎなかったのに対し、マンスロンと、

彼の元雇い主であるシャンフォール公爵の関係は、

お話が進むにつれて、どんどん変化していくことです。

最後は、貴族という存在を、いわば否定する訣別となります。


★映画の冒頭場面は、「予告編」で観ることができます。

シャンフォール公爵主催の食事会で、マンスロンは公爵の指示を破り、

公爵が指定したメニュー以外に、彼の考案した創作料理を提供します。

ジャガイモと生のトリュフ、鴨の脂とすりおろしたカンタルチーズ、

塩コショウで焼いたパイです。


★実は、マンスロンを雇っていることを自慢にしている公爵は、

この食事会により、自分が如何に優秀な料理人を抱えているかを

自慢したかったのです。

そして客の貴族たちに、マンスロンの料理を供することで、公爵が

貴族社会での出世に利用するつもりでした。

 

 

お客の貴族たちは口々に、料理を作ったマンスロンではなく、

公爵を褒め讃えます。


★映画を観る楽しみは、映像の美しさにもあります。

豪華なお城、貴族や下僕の目も覚めるような衣装。

男の貴族がかぶるカールヘアの気取った鬘(かつら)、ツケボクロ。

知性の片鱗もなく、空疎としか言いようのない貴族たちの駄洒落会話、

美しく飾り立てたサロンには、堕落と荒廃が充満しています。

押し寄せる革命の波、時代の潮流を感じていません。


この美しいお城の廊下を、モーツァルトが歩いていても、

調理場にモーツァルトが立っていても、違和感はありません。

そうです! この映画は、設定を「料理」にしているだけで、

「料理人」が貴族の“所有物 ”であった時代の、「料理人」を

「音楽家」に、置き換えても成立する筋書きなのです。


★マンスロンが創作した料理の新鮮さ、美味しさに感嘆する貴族たち。

しかし、ここで公爵のすぐ横に陣取る位の高い聖職者が、

マンスロンの創作料理を罵倒し始めます。

その素材が、「トリュフ」と「ジャガイモ」と分かったからです。

地下で育つトリュフやジャガイモは、天上にいる神から最も遠い

存在で、聖職者たちは、「悪魔の産物」と、とらえていたそうです。

ジャガイモは、憎らしいドイツ人が常食している

下賎な食材でもあったのです。

それまでは、頬を緩めてその美味しさを堪能していた貴族たちは、

直ちに同調して、マンスロンにあらん限りの罵倒を浴びせます。


★映画では説明されていませんでしたが、この聖職者、

どうも公爵の出世のカギを、握っているようです。

そのように、私は感じました。

この食事会は、所謂「ご接待」ですね。

満足至極だった公爵が、この聖職者の発言で豹変し、

「謝れ!」と、怒鳴ります。

 

 


★「言われたものだけ作れ」、「謝れ」と命令する公爵に対し、

謝罪を拒否したマンスロンは解雇され、豪華なお城を離れ、

埃だらけのみすぼらしい実家に、息子と共に戻ります。


★マンスロンの息子の母親は、息子が幼い時に亡くなっていました。

ここで私が興味深かったのは、こんなひどい仕打ちを受けながら、

それでもマンスロンは、公爵への忠誠心を失わず、

心は揺れ動きつつも、また、お城の料理長に復職することを

願っています。


★マンスロンの心を徐々に変えていったのは、息子と、一人の女性。

大雨の中、マンスロンのあばら家を訪れ、「どうしても弟子にして

ください、イエスがでるまで帰りません」と、押しかけてきた

謎の女性「ルイーズ Louise」です。


★マンスロンは元々、公爵の父親に見出され、

貧しい暮らしから抜け出て、お城の料理長にまで、

上り詰めました。

解雇されても、その恩義を忘れません。

実家のあばら家で、馬や馬車で旅する人たちに、貧しい食事を供し、

糊口を凌いでいる中、息子はパリからの新聞を旅人から貰い、

世の中の不穏な流れを、察知しています。

息子はマンスロンにそれを伝えますが、マンスロンは

その「新思想」を、受け付けません。

 

 

謎の女性ルイーズは、旅人や平民にも分け隔てなく、

彼らの財布に見合った料理を提供することを、提案します。

現在、私たちが「レストランで気に入った料理を注文する」という

当たり前の事が、当時は当たり前ではなかったのですね。


貴族は貴族だけとしか、食事はとりません。

現在のレストランのように、見ず知らずの人同士が、同じ空間で

食事をすることは、当時は考えられないことでした。

貴族と平民が一緒に食事をするということは、

あり得ないことだったのです。

旅人や平民にも、そして貴族にも分け隔てなく食事を提供する、

という発想は、天地がひっくり返るほどの

革命的発想だったのです。

 

息子の「新思想」と、ルイーズの「柔軟な考え方とアイデア」

により、生まれ変わったマンスロンは深夜お城に乗り込み、

公爵に直談判。

「あなたを2日後、私のレストラン”デリシュ Délicieux"に

招待します」。

公爵はマンスロンに去られた後、次々と料理人を雇いますが、

その腕前は、マンスロンの足元にも及ばず、後悔の連続でした。

フランス革命前夜で、お取り巻きの貴族も傍におらず、

お城の台所で一人ポツネンと、食事をしていました。


★公爵はマンスロンが改心し、自分に「和睦」を申し入れたと、

思い込み、指定日時に、愛人と「デリシュ Délicieux」に赴きます。

 

 

★さて、公爵を迎えたレストラン「デリシュ」は、

どのような場であったのでしょうか

「ネタばれ」になりますが、ここで公爵は、生れて初めて、

平民がいる場に晒されました。

ズカズカと入ってきた平民ブルジョワが、別のテーブルに座ったのを

見た時の、公爵の驚愕と怒りは、発狂せんばかりのものでした。

「絞首刑だ!!!」と絶叫します。

面と向かって、平民をまじまじ見たのも、

初めてだったのかもしれません。


貴族以外は、“人間でない”とまで言えるほどの差別意識で育った

人間が、初めて味わった、この上ない屈辱です。

これが、マンスロンの「おもてなし」でした。

出された料理は、もちろん「トリュフ」と「ジャガイモ」。

この短いシーンで、貴族階級とは、階級制度とはどういうものか、

人間の差別意識とはどういうものかの一片が、即座にわかります。

見事な映像です。

一瞬にして、歴史が学べます。


★マンスロンと公爵の連絡役だった執事が、最後のシーンで、

頭のかつらを、引きちぎるように脱ぎ捨てたのは素敵でした。


人類の宝、バッハ Johann Sebastian Bach (1685-1750)も、

宮廷での地位が、「料理長」並みであったとよく書かれて

いますが、この映画を見ますと、 それがどんなものか、

具体的に分かります。


★ザクセン=ヴァイマル公国の領主ヴィルヘルム・エルンスト公の

楽士長だったバッハは、1717年末、アンハルト=ケーテン侯国の

宮廷楽長に招聘され、ヴァイマルを離れました。

しかし、その直前の1ヵ月は、ヴァイマルで投獄されています。

ヴァイマル公の許可なく、ケーテンに移る契約をしたため、

と言われます。

楽士長も、やはりご領主様の“持ち物”だったのです。

 



それでは狭く暗い牢獄に閉じ込められたバッハは、

1ヵ月間、一体そこで、何をしていたのでしょうか。

その後のクラシック音楽の歴史を規定し、礎となった曲集

「Wohltemperirte Clavier Ⅰ平均律クラヴィーア曲集 第1巻」の

構想を練り上げた、と考えられています。

生涯多作、多忙なバッハにとり、この屈辱的な収監生活は、

熟考する為の、有り余る時間を与えたのでした。

結果として、人類にこの上ない宝物をプレゼントする切っ掛けを、

この惨めな牢獄生活がもたらしました。


★一般的に理解されていないのですが、作曲家は頭の中で曲を構想し、

練り上げることが多いのです。

「月の光を浴びながら、憑かれたようにピアノを弾き、作曲する」

という光景は、絵本やおとぎ話にしか存在しないでしょう。

「平均律クラヴィーア曲集第1巻」の、24曲の“恒星”たちを、

どのように配置し、立体的な宇宙にするか、

バッハは、牢屋でそれを熟考しました。

この24曲の“恒星”相互の、揺るぎようのない関係が、一番重要なのです、

それをバッハは長考し、構築しました。


 


謎の女性「ルイーズ」は何者だったのか。

その種明かしも、二転三転してとても面白かったです。

彼女は、「自分は調理人でジャムばかり作っていたので、

料理を覚えたいと思った」という触れ込みで、弟子入りします。

しかし、マンスロンはお見通し。

「あんたの様な歩き方をするのは、娼婦か貴族の女だけだ」

種明かしは、映画で。


マンスロンは時代の潮流を掴み、新しい人生を獲得しましたが、

同時代のMozart モーツァルト(1756-1791)も、

聖職者と貴族によって、虐げられ続けました。

短いモーツァルトの生涯は、とても映画のようにハッピー・エンドでは

ありませんでしたが、彼の芸術は永遠です。


★この映画の公開は、既にほとんど終っていますが、

機会がございましたら、一見をお勧めします。

 

 

※copyright © Yoko Nakamura    
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