■J.C.F.フィッシャーの作品と、バッハの平均律との驚くべき密接な関係■
2010・5・24 中村洋子
★明後日26日のカワイ・名古屋での「インヴェンションアナリーゼ講座」、
6月8日のカワイ・表参道「平均律クラヴィーア曲集アナリーゼ講座」のため、
勉強や準備で、忙しい毎日です。
★この2つの曲集を、レッスンでどのように使ったらいいのか・・・
その件につきまして、
音楽雑誌「ムジカノーヴァ」6月号、「今月のプレトーク」欄、
中村洋子へのインタビュー記事≪「バッハ」は、すべての音楽の源泉≫に、
詳しく、述べておりますので、是非、ご覧ください。
★ことしが、生誕200年を迎えます≪ロベルト・シューマン≫は、
子供たちに向けて、「大家、ことにバッハのフーガを、
熱心に弾きなさい。平均律クラヴィーア曲集を、毎日のパンとするように。
そうすれば、いまにきっと立派な音楽家になります」と、熱く語りかけています。
★しかし、この≪大家バッハ≫は、忽然と出現し、なにもないところから、
泉のごとく次々と、永遠の傑作群を、生み出したのでしょうか?
そうではありません。
その謎を解くカギの一つとして、以下をご覧ください。
★バッハより、ほんの少し前に生誕したドイツの作曲家、
ヨハン・カスパル・フェルディナンド・フィッシャー
Johann Caspar Ferdinand Fischer
( 1656~1746、生年については1670という説もあり )の、
鍵盤作品をつぶさに、研究いたしますと、驚くべきことに、
そのいたるところに、
「バッハの作品の断片」が、見出されます。
★例えば、「アリアドネムジカ Ariadne Musica」という名前の曲集は、
≪24の調の「前奏曲とフーガ」≫から成り、
バッハ・平均律クラヴィーア曲集の先駆的作品と、言われています。
その第8番 ホ長調 のフーガのテーマは、
バッハの平均律クラヴィーア曲集 2巻 9番 ホ長調のテーマと、
ほとんど同じです。
初めてそれをご覧になる方は、とても驚かれることでしょう。
★しかし、巷の解説書にあるように、その類似点だけを眺めるだけでは、
フィッシャーを、さらにはバッハをも、理解することはできません。
★フィッシャーの作品を、分析していきますと、
バッハが、どのようにして、フィッシャーの曲を糧として、
その豊富な楽相やアイデアを、自分の創作の中に取り込み、
寸分の隙もなく、宇宙を遊泳する惑星の軌跡のように、
展開し、さらに、それを大木のように育て上げ、
永遠に残る傑作としたか・・・、
それが、手に取るように、実によく分かります。
その意味で、バッハをより深く理解するうえで、
必携の作品、ともいえます。
★フィッシャーの「音楽の花束」Musical Blumenbueschlein
という曲集の、「 前奏曲 6番 ニ長調 」 は、
バッハ・平均律クラヴィーア曲集の、
「 第 1巻 21番 変ロ長調 前奏曲 」と、
" 双子ではないか " と、見間違うほど、
酷似しています。
★しかし、
フィッシャーの作品は、あくまでも、
可憐な花束であり、花束を構成する一つ一つの花は、
小さく可愛らしい存在です。
それを複雑に、八重十重には、展開していません。
一つの曲集として、全体を鳥瞰しますと、
小さなお花をたくさん束ねた、 ≪ 大きな花束 ≫ になっています。
★一方、バッハの作品は、前奏曲やフーガの ≪ 一曲ずつ ≫ が、
強固な骨格と展開に支えられた「 大伽藍 」のような存在です。
★私が提案したいのは、このフィッシャーの愛らしい小品群を、
初心者のレッスンに、お使いになったらいかがでしょうか、
ということです。
★フィッシャーのフーガは、「アリアドネムジカ Ariadne Musica」にも、
10 小節程度のものが、たくさんあります。
★まず、これらを、レッスンを始めたごく早い時期に、
練習していただき、その後、バッハの平均律に入りますと、
子供たちの驚きと、喜びが目に浮かぶようです。
★さらに、フィッシャーの「前奏曲」につきましても、
とても、一筋縄ではいかない作品、ということができます。
★同じ名前の大ピアニスト、「 エドウィン・フィッシャー 」による、
ベートーヴェン・ピアノソナタ集の、名演を聴きますと、
ベートーヴェンの作品の中にも、このもう一人のフィッシャー
Johann Caspar Ferdinand Fischer の作品が、
密やかに、かつ、大きく息づいているのが、とてもよく分かります。
★その分析は、6月8日のカワイ・表参道での、
「平均律クラヴィーア曲集・アナリーゼ講座」で、お話いたします。
( 紫蘭 )
▼▲▽△無断での転載、引用は固くお断りいたします▽△▼▲
2010・5・24 中村洋子
★明後日26日のカワイ・名古屋での「インヴェンションアナリーゼ講座」、
6月8日のカワイ・表参道「平均律クラヴィーア曲集アナリーゼ講座」のため、
勉強や準備で、忙しい毎日です。
★この2つの曲集を、レッスンでどのように使ったらいいのか・・・
その件につきまして、
音楽雑誌「ムジカノーヴァ」6月号、「今月のプレトーク」欄、
中村洋子へのインタビュー記事≪「バッハ」は、すべての音楽の源泉≫に、
詳しく、述べておりますので、是非、ご覧ください。
★ことしが、生誕200年を迎えます≪ロベルト・シューマン≫は、
子供たちに向けて、「大家、ことにバッハのフーガを、
熱心に弾きなさい。平均律クラヴィーア曲集を、毎日のパンとするように。
そうすれば、いまにきっと立派な音楽家になります」と、熱く語りかけています。
★しかし、この≪大家バッハ≫は、忽然と出現し、なにもないところから、
泉のごとく次々と、永遠の傑作群を、生み出したのでしょうか?
そうではありません。
その謎を解くカギの一つとして、以下をご覧ください。
★バッハより、ほんの少し前に生誕したドイツの作曲家、
ヨハン・カスパル・フェルディナンド・フィッシャー
Johann Caspar Ferdinand Fischer
( 1656~1746、生年については1670という説もあり )の、
鍵盤作品をつぶさに、研究いたしますと、驚くべきことに、
そのいたるところに、
「バッハの作品の断片」が、見出されます。
★例えば、「アリアドネムジカ Ariadne Musica」という名前の曲集は、
≪24の調の「前奏曲とフーガ」≫から成り、
バッハ・平均律クラヴィーア曲集の先駆的作品と、言われています。
その第8番 ホ長調 のフーガのテーマは、
バッハの平均律クラヴィーア曲集 2巻 9番 ホ長調のテーマと、
ほとんど同じです。
初めてそれをご覧になる方は、とても驚かれることでしょう。
★しかし、巷の解説書にあるように、その類似点だけを眺めるだけでは、
フィッシャーを、さらにはバッハをも、理解することはできません。
★フィッシャーの作品を、分析していきますと、
バッハが、どのようにして、フィッシャーの曲を糧として、
その豊富な楽相やアイデアを、自分の創作の中に取り込み、
寸分の隙もなく、宇宙を遊泳する惑星の軌跡のように、
展開し、さらに、それを大木のように育て上げ、
永遠に残る傑作としたか・・・、
それが、手に取るように、実によく分かります。
その意味で、バッハをより深く理解するうえで、
必携の作品、ともいえます。
★フィッシャーの「音楽の花束」Musical Blumenbueschlein
という曲集の、「 前奏曲 6番 ニ長調 」 は、
バッハ・平均律クラヴィーア曲集の、
「 第 1巻 21番 変ロ長調 前奏曲 」と、
" 双子ではないか " と、見間違うほど、
酷似しています。
★しかし、
フィッシャーの作品は、あくまでも、
可憐な花束であり、花束を構成する一つ一つの花は、
小さく可愛らしい存在です。
それを複雑に、八重十重には、展開していません。
一つの曲集として、全体を鳥瞰しますと、
小さなお花をたくさん束ねた、 ≪ 大きな花束 ≫ になっています。
★一方、バッハの作品は、前奏曲やフーガの ≪ 一曲ずつ ≫ が、
強固な骨格と展開に支えられた「 大伽藍 」のような存在です。
★私が提案したいのは、このフィッシャーの愛らしい小品群を、
初心者のレッスンに、お使いになったらいかがでしょうか、
ということです。
★フィッシャーのフーガは、「アリアドネムジカ Ariadne Musica」にも、
10 小節程度のものが、たくさんあります。
★まず、これらを、レッスンを始めたごく早い時期に、
練習していただき、その後、バッハの平均律に入りますと、
子供たちの驚きと、喜びが目に浮かぶようです。
★さらに、フィッシャーの「前奏曲」につきましても、
とても、一筋縄ではいかない作品、ということができます。
★同じ名前の大ピアニスト、「 エドウィン・フィッシャー 」による、
ベートーヴェン・ピアノソナタ集の、名演を聴きますと、
ベートーヴェンの作品の中にも、このもう一人のフィッシャー
Johann Caspar Ferdinand Fischer の作品が、
密やかに、かつ、大きく息づいているのが、とてもよく分かります。
★その分析は、6月8日のカワイ・表参道での、
「平均律クラヴィーア曲集・アナリーゼ講座」で、お話いたします。
( 紫蘭 )
▼▲▽△無断での転載、引用は固くお断りいたします▽△▼▲