音楽の大福帳

Yoko Nakamura, 作曲家・中村洋子から、音楽を愛する皆さまへ

■ドビュッシー「水の反映」、手稿譜と初版譜のどちらを尊重すべきか■

2021-12-31 18:28:52 | ■楽しいやら、悲しいやら色々なお話■

■ドビュッシー「水の反映」、手稿譜と初版譜のどちらを尊重すべきか■
    ~今年は大切な三人の先生が逝かれました~
           2021.12.31 中村洋子

 

 

 


★2021年も、あと数時間となりました。

今年の大晦日も例年通り、心静まる除夜の鐘の響きを聴きながら、

ピアノ室で、仕事をしながらの年越しとなりそうです。

来春に出版を予定しています本の執筆に、専念しておりますため、

ブログの更新が間遠になってしまい、申し訳ございません。


★本は、大作曲家の名作を「自筆譜」で分析しながら、音楽史を

辿っていく、という内容です。

もっと早く脱稿の予定でしたが、大作曲家の「自筆譜」

ファクシミリに丁寧にあたっていきますと、現代の実用譜を

見慣れた目では、到底分からない重要な情報や、作曲家達の

肉声に近い息吹に、触れることができます。

思わず、「今まで何を勉強したつもりになっていたのだろう!」と、

声を、上げそうになります。

その驚嘆の繰り返しで、原稿は遅れています。


★  Johann Sebastian Bach バッハ (1685-1750) に始まり、

今は、やっとClaude Debussy クロード・ドビュッシー

(1862-1918)に、たどり着いたところです。

 

 

                                                              (カワアイサ 頭部茶色は雌、黒は雄)

 


ドビュッシーは幼いころ良い指導者に恵まれ、

「バッハの海に投げ込まれ」ました。

9歳の時、詩人のPaul Verlaine ポール・ヴェルレーヌ(1844-1896)

の義母であるモーテ先生に、ピアノを習いました。

この先生は、Chopinから直接ピアノのレッスンを受けた人です。

Chopinは、Bachの"直弟子"と言ってもいいくらいの作曲家ですので、

Debussy は二重にバッハの申し子と言えるかもしれません。


★その堅固な土台の上に、Richard Wagner リヒャルト・ワーグナー

(1813-1883)とは正反対の、Emmanuel Chabrier エマニュエル・

シャブリエ(1841-1894)の洒脱、機知と軽妙さ、

Tchaikovsky チャイコフスキー(1840-1893)の甘美、 

Mussorgsky ムソルグスキー(1839-1881)由来の、

東欧とアジアの旋法

イタリア後期ルネッサンス時代の Palestrina パレストリーナ 

(1525-1594)から、シンプルでありながら奥深い対位法と

教会旋法
・・

これらを天才の"パレット"の上で、色彩を混ぜ、配置し、再創造した

のが、ドビュシーの作品です。

 

 

 

 


★今年7月、私の著作「クラシックの真実は大作曲家の自筆譜にあり」

若い読者の方から、大変嬉しいお便りをいただきました。

お手紙によりますと、彼女はピアノ専攻の学生さんだそうです。

そのお便りは:
『クラシックの真実は大作曲家の自筆譜にあり!』
を拝読し、衝撃を受けた者の一人でございます。先生のお考えを
お聞きし、
これまで紙面上の言葉として、ただ頭に入れていただけの
和声学や対位法が、演奏(実技)と握手したような
(ミケランジェロのアダムの創造のような!)感覚でありました


★私の本を契機に、クラシック音楽の持っている、構造物としての

堅牢さと美しさ、そして、聴く人の心奥を揺さぶる感動と喜びは、

実は、「和声と対位法」が形作っている、ということを実感して

いただき、とても嬉しく思いました。

『ミケランジェロのアダムの創造のような!』、この比喩素敵ですね。


★神とアダムの指先が、今にも触れようとしている場面、

「和声」と「対位法」が、演奏とやっと結びついた、という

彼女の感動が、伝わります。


★お手紙には、ご質問もありました。
ドビュッシー「水の反映」自筆譜ファクシミリと初版譜
(Durand社1905年)の数ヶ所で、記譜内容が異なっておりました。
校訂者のお考えなのか、記譜ミスであるのか・・・。
是非、中村先生のお考えを賜れたらと思い筆をとりました。≫


★確かにこの「自筆譜?」と「初版譜」は、大きく異なる点が

数ヶ所あります。

「自筆譜」と「初版譜」の関係は、その成立背景によっては、

「自筆譜」の方を、尊重しなければいけない場合が数多くある、と

私は、考えています。


★譜例を交えて、「水の反映」について、当ブログで丁寧にご説明

したいところですが、今は少々時間不足ですので、

私のお返事を、ここに掲載します。


★その前に、「水の反映」についての基本情報です。

≪Images 映像≫は、ピアノ独奏のための第1集3曲、第2集3曲の

6曲からなる組曲です。

第1集は1901~1905年、第2集は1907年に作曲されました。

第1集第1曲のReflets dans l'eau (Reflections in the Water)

水の反映は1905年、作曲されました。

 

 

 

 

 


★それでは私のお返事です。

≪お便り有難うございました。お尋ねの件ですが、「自筆譜」とおっし

ゃっていますのは、Shelf numbers Mss.998,999,1000

Bibliothèque 
nationale de France  département de la Musique ,

Paris パリの
「フランス国立図書館音楽部」所蔵の手稿譜だと思います。

これを記譜しましたのは、初版を作成するための engraver

(楽譜を彫る
人)によるもののようです

この初版作成のための筆写譜は、engraverが、作曲家の書いた通り、

比較的正確に写譜しているとされています。

ドビュッシー自身による書き込みもあります。

ですから、この「手稿譜」を最重要資料としたいところなのですが、

作曲から出版までを時系列を見た場合、問題があります。


★初版は1905年10月、Durand社から出版されているのですが、

1905年9月にドビュッシーは、校正刷りをDurandに返却したことが記

録されていることです。

残念ながら、ドビュッシー本人による校正刷りの現物は

現存していません。

恐らく、この校正刷りにドビュッシーは、今私達が目にしている初版

のような校正をしたのだ、と思われます。


「映像」は、ドビュッシー(1862-1918)の「生前」出版であり、

評判も
大変よかった曲集ですので、engraverによる手稿譜よりも、

初版を信
じてもよいのではないか、私は、そう思っています。

ドビュッシーの自信作ですから、初版が気に入らなかった、あるいは

間違いがあった、という場合、ドビュシーは何らかの行動を起こして

いる、と思われるからです。

その行動がないのですから、ドビュッシーは「初版譜」を、「良し」

していたと思われます。


★しかし問題がひとつ有ります。

既に書き終えた作品には、あまり気に留めず、頭は次に作曲する曲

で一杯になっているという、ほとんど全ての作曲家の習性です。

ですから、この初版譜も、細かい点では、訂正されるべき箇所は、

多分いくつも存在するでしょう。

 

第1集「イメージ」に関して、ドビュッシーは

出版社の
Jacques Durand ジャック・デュラン

<https://en.wikipedia.org/wiki/Jacques_Durand_(publisher)>

に宛てて、次のように書いています。

"Without false pride, I feel that these three pieces hold together well, 

and that they will find their place in the literature of the piano ...

to the left of Schumann, or to the right of Chopin... "

「この3曲はよくまとまっており、ピアノの曲の中では、

シューマンの左、あるいはショパンの右にくるでしょう、

はったりでもなく、私はそう自負しています」



フランス近代音楽のみならず、20世紀の音楽の礎を築いた

ドビュッシーは、バッハを「音楽の善き神」

(「le Bon Dieu de la musique」)と呼んで畏敬の念を抱いていました。

そしてその上で、シューマンやショパンの滋養の上に、自分は大作曲

家になったのだ、という自負が込められた言葉です。

 

 

 

 

 


★さて今年は、私にとりましてとても大切な三人の先生を喪いました。

Wolfgang Boettcher ヴォルフガング・ベッチャー先生
             (1935年1月30日-2021年2月24日)、

尾高惇忠先生(1944年3月10日-2021年2月16日 )、

江原昭善先生(1927年4月7日-2021年11月30日)です。


江原先生は自然人類学者として、今西錦司さんの片腕となって、

「自然人類学」という学問の分野を確立された方です。

「自然人類学」とは生物としての、「ヒト」の研究を目的とする学問。

2007年、私の「無伴奏チェロ組曲」1番が、ベルリン市庁舎のフンボ

ルト財団記念演奏会で、Boettcher ベッチャー先生により初演された、

という新聞の記事をお読みになって、江原先生は「Boettcher 日本を

弾く」という私の作品のCDを、真っ先にお求め下さった方です。

ご自身でもチェロを、演奏されました。


★それをきっかけに、お付き合いが始まり、私が名古屋で「アナリー

ゼ講座」を開催します時には、お住まいの岐阜からお出かけ下さった

り、私も先生のご自宅に伺ったり、愉しい交際が続きました。

奥様の律先生も、優れた詩人です。律先生は、「飢餓海峡」で

知られる映画監督の内田吐夢(うちだ とむ1898- 1970)の姪です。

吐夢さんの破天荒なエピソードをお聞きして、大笑いしたり、

思い出は尽きません。


★忘れられないお話は、多々あるのですが、江原先生がドイツの

キール大学で教授をされていた時のお話も、その一つです。

当時は東西冷戦の真っ只中で、先生はドイツ語に慣れるため、

研究室のラジオをいつもつけっ放しにしていたそうです。

そうしましたら「あの教授はいつもラジオをつけている。スパイではな

いか」と疑われたそうです。

今から考えますと、何ともばかばかしいお話なのですが

「当時はそんな時代だったのですよ」とおっしゃっていました。

 

★それがいかに的外れで、おかしなことであっても、その時代には

ほとんどの人が、それを疑わずに信じている、つまり妄信している、

という歴史的事例は数多くあります。

それは、今年亡くなられました、半藤一利さんが著作の中で、

太平洋戦争中の具体例を挙げ、繰り返し語られていることです。

さて、現代はどうでしょうか。


研究に際し、徹底的に追及されていく江原先生の手法をお聴きし、

私は先生から、物事を深く省察する術を、少しは学べたと思います。

コロナ禍のため、お会いできませんでしたが、

お電話で、時々お話していました。

この春の「あぁ、又会ってお話がしたいですなぁ。是非我が家におい

で下さい」というお電話をいただいたのが、最後の会話でした。

「出会いがあれば、お別れがある」、という当たり前ながら、

厳しく悲しい現実に直面した一年でした。


Bachや Debussyに出会ったからには、生ある限りずっと

"お付き合い"していくことが、肝要ですね。

どうぞ良いお年をお迎え下さい。

 

 

 


※copyright © Yoko Nakamura    
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