■チャイコフスキー「四季」の真正な楽譜の見分け方■
~流布している改竄校訂版では、曲の真の姿に到達できません~
~四季「6月 舟歌」の冒頭は、なぜ二つのスラーと単音?~
2018.8.23 中村洋子
★アポロン、ギリシア神話の詩と音楽を司る太陽神、
アポロンの4頭立て日輪馬車が、轟音をたてて疾走していくような
「平均律1巻5番 D-Dur フーガ」。
光り輝くSubject 主題です。
この太陽のような主題は、どこから来て、どこへ行くのか?
★ぶり返した酷暑の中で勉強を続けていきますと、不思議に、
スルスルと、解答が 「Manuscript Autograph 自筆譜」から、
流れ出してきました。
この剛毅な音楽を弾く楽しさ、学ぶ楽しさに、浸っております。
その解答は、9月22日の「第5回平均律第1巻 第5番 D-Dur
プレリュードとフーガアナリーゼ講座」で、
https://www.academia-music.com/news/59
詳しく、お話いたします。
★BACHを勉強しつつ、Tchaikovsky チャイコフスキー(1840-1893)の
「四季」も、勉強しています。
夏の季節の曲も、ロシアの冷涼な風が吹いているようで、
一抹の涼を、感じることができます。
曲の「題名」について、私はロシア語が分かりませんので、
2011年出版の「Edition Jurgenson」で、ロシア語の英訳を見ますと、
≪The Seasons Twelve Character Tableau For Piano
シーズンズ ピアノによる12の絵画的描写≫と、なっています。
★春夏秋冬の「四季」ではなく、
12ヵ月個々の描写と言ってもいいのかもしれません。
「 Jurgenson 」版は、失われた「4月」以外、残りの11ヵ月分の曲の、
作曲家自筆ファクシミリと、その自筆譜に則った実用譜の両方が、
掲載されていますので、現在、最も信頼できる楽譜の一つと言えます。
https://www.academia-music.com/products/detail/161511
★有名な6月「舟歌 June Barcarole」の冒頭、自筆譜1段目は、
1~4小節間が、このように書かれています。
★右手のフレーズでは、2小節目の「d¹ e¹ fis¹」に、スラーが一つ。
3小節目の 「g¹ a¹b¹c² d² g² fis² g²」に、スラーが一つ。
4小節目の冒頭音の二分音符「d²」には、スラーが付いていません。
皆さまお手持ちの楽譜は、どうなっているでしょうか?
もし、これが2小節目から4小節目にかけて、一気に一つのスラーが
掛けられていますと、その楽譜は、残念ながらTchaikovsky本人が
意図した音楽とは違い、「真正な」楽譜ではないと言えるでしょう。
★10小節目3拍目から12小節目も、Tchaikovskyは、このように記譜。
従来多く見られる校訂版の楽譜は、これもまた、一つのスラーで
一つのフレーズに、くくってしまっています。
★2小節目3拍目から4小節目冒頭までの「上声」を、
一つのスラー、一つのフレーズで括る校訂版では、
10小節目3段目から12小節目冒頭までも、
同様に一つのスラー、一つのフレーズで大雑把に括っています。
この個所だけでなく、
この種の校訂版とTchaikovsky自筆譜との「齟齬」は、
自筆譜の現存する11曲分すべてについて、無数にありますので、
是非、じっくり見比べてください。
★Tchaikovsky自筆譜に則る「真正」な楽譜と、そうでないものとの
最も手っ取り早い見分け方が、あります。
「6月 June Barcarole」1曲前の「5月 May White Nights」の
67小節目を、お手持ちの楽譜で見て下さい。
★Tchaikovskyは、冒頭音にはっきりと「♯」を付けています。
多くの校訂版では、「♮」が付いた「e」音になっています。
これは正しくありません。
★この5月は、全曲にわたって薄い鉛筆のような色で、
追加した臨時記号やアクセント等が見られ、丁寧に
推敲されたように見受けられます。
★このため、67小節目冒頭音は、「e♮」ではなく、自筆譜通りに
「e♯」=「eis」が、正しいでしょう。
この音が「eis」の楽譜は、信頼できるでしょう。
★お話を、「6月 June Barcarole」に戻します。
2小節目3拍目から4小節目冒頭にかけての「上声」を、
自筆譜通りにするのと、一つのスラーで括るのとでは、
どのような違いが起きるのでしょうか?
★このように一つのスラーで括りますと、
Tchaikovskyが書いていない「dolce」という発想記号とも、相まって、
弱くピアノ(p)で、静かにやさしくスーッと、なだらかに弾く、
というメッセージが発せられます。
ところが、Tchaikovskyが記したスラーですと、
様相がかなり変わってきます。
2小節目冒頭から3小節目3拍目にかけて、和声は「g-Moll ト短調」の
主和音です。
★そうしますと、「d¹ e¹ fis¹ g¹」の「d¹」音と「g¹」は、和声音。
この二つの和声音を結ぶ「e¹」と「fis¹」は、経過音passing noteになります。
★その場合、経過音二つはさんだ和声音「d¹」「g¹」は、
途切れさせず、一つのスラーで括るほうが常識的です。
しかし、Tchaikovskyは、そうはしません。
3小節目冒頭音の「g¹」から、また新しくスラーを始めています。
★本来、滑らかに進むはずの「d¹ e¹ fis¹ g¹」を、「d¹ e¹ fis¹」で一旦、
切断することにより、3小節目冒頭の「g¹」が、なだらかな音階の流れの中の、
一つの音に過ぎないのではなく、新しいスラーの始まり音として、
何か「特別」な音に、格上げされます。
★同様に、3小節目上声最後の音「g²」から、4小節目冒頭音「d²」を、
スラーでそのままつないでいくのは、十分可能であるのに、
Tchaikovskyは、3小節目でスラーを閉じてしまいます。
これにより、4小節目冒頭の2分音符「d²」音も、「特別」な音として、
認識されます。
★これを、2小節目3拍目から4小節目冒頭まで一つのスラーで括りますと、
4小節目冒頭は、なだらかなフレーズの単なる最終音となってしまいます。
Tchaikovskyは、そうしませんでした。
ここで、二つの「特別な音」が、Tchaikovskyのフレージングによって、
現出します、「g¹」音と「d²」音です。
★もう、お気づきでしょう、1小節目を見てみましょう。
一見、左手のみの単純な前奏に聴こえるのですが、
そうではないのです。
大作曲家は、無駄な音を書きません。
そして、無意味な前奏も書かないのです。
★この「G-d」音が、
3小節目冒頭「g¹」音と4小節目冒頭「d²」音、
この二つの「特別な音」と、谺(こだま)し、カノンとなり、
全100小節の「June Barcarole」の核となる「motif モティーフ」
であることを、高らかに宣言しているのです。
★そして、この「G-d」音は、どこから来ているのか?
「5月 May White Nights 白夜」最後の2小節87、88小節目に
由来するのです。
★これこそ、Bach的手法と言っていいでしょう。
楽譜は「真正」に近いものを選択しませんと、
何年勉強しましても、真実に辿り着けません。
★2011年 Jurgenson版は、各月の冒頭に掲げられている
epigram エピグラム(短い詩)は、ロシア語のみですが、
もう一つの、お薦め楽譜 、Edition Schottショット版
Tschaikowsky
Die Jahreszeiten Edition Schott ED 20094
には、Die Jahreszeiten -The Seasons-
ドイツ語と英語に、epigram エピグラムが訳されていますので、
これも、お薦めいたします。
★ロシア語が読めませんので、このドイツ語訳や英訳が適切かどうか、
断言できませんが、少なくとも頭を捻ってしまう日本語訳よりは、
優れていると、思います。
Jahreszeiten をそのまま英語にしますと「Years Times」=The Seasons
なのでしょうね。
★このように、考えを巡らしていきますと、
思考は、≪平均律第1巻≫に、戻っていきます。
やはり、すべてはBachに。
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