音楽の大福帳

Yoko Nakamura, 作曲家・中村洋子から、音楽を愛する皆さまへ

■ドビュッシーは、ムソルグスキーの技法を吸収し、バッハの土台で練り込んだ■

2022-12-31 21:00:41 | ■私のアナリーゼ講座■

■ドビュッシーは、ムソルグスキーの技法を吸収し、バッハの土台で

練り込んだ■
                 2022.12.31 中村洋子

 

 

★今年もあと数時間となりました。

私にとりまして、本年は二冊の本の執筆があり、

そのために、ブログの更新が間遠になってしまいました。

一つは、≪11人の大作曲家「自筆譜」で解明する音楽史≫

出版です。

度々、皆様にご案内していますが、2023年の前半はこの本に

かかりっきりになりました。


★もう一つは、ドイツの出版社 Ries&Erler社から出版されました

Wolfgang Boettcher先生の追悼文集 "Jawoll !!"。

この本の218~220ページに、私の文章が掲載されています。

https://shop.rieserler.de/product_info.php?info=p3979_jawoll---wolfgang-boettcher-in-memoriam-1935-2021.html

https://www.rieserler.de/2022/04/25/buchveroeffentlichung-jawoll-wolfgang-boettcher-in-memoriam-1935-2021-hrsg-claus-ulrich-bader/


★この本の紹介文は、
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★2021年2月24日に86歳で急逝したベルリンのチェリスト、
ヴォルフガング・ベッチャーを記念して出版された「Jawoll!」は、
親族、友人、同僚、生徒、仲間による思い出を集めた本で、
クラウス=ウルリッヒ・バーダーの編集です。

★Daniel Barenboim, Kolja Blacher, David Geringas, 
Alban Gerhardt, Nele Hertling,Saschko Gawriloff, 
Steven Isserlis, Manuel Fischer Dieskau, Ulf Hoelscher
or Dietmar Schwalke
ダニエル・バレンボイム、コリヤ・ブラッハー、ダーフィット・
ゲリンガス、アルバン・ゲルハルト、ネレ・ヘルトリング、
サシュコ・ガヴリロフ、
スティーブン・イッサーリス、
マヌエル・フィッシャー・ディースカウ、

ウルフ・ヘルシャー、ディートマール・シュヴァルケなど著名人が
並び、目次だけでもベルリン音楽界の「人名録」のようである。

★常に周囲の人々を魅了していた彼の心温まる姿が、たくさんの
人の個人的な思い出により、万華鏡のように浮かび上がって
くる。ベルリン・フィルの首席チェリスト、ベルリン・フィル12人の
チェリストのオルガナイザー、ブランディス弦楽四重奏団のメンバー、
ソリスト、教師としての幅広い活動。

★同時に、幼少期から彼に多大な影響を与えたウルズラと
マリアンネの姉妹との音楽活動にも多くが書かれている。
本書のタイトルは、ヴォルフガング・ベッチャーのポジティブな
エネルギーが、仲間を鼓舞し、勇気づけるという意味である。
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バレンボイム、コーリャ・ブラッハー、ダーフィット・ゲリンガス、
サシュコ・ガブリロフ、スティーヴン・イッサーリス、マヌエル・
フィッシャー・ディースカウ(声楽家のディートリヒ・フィッシャー
・ディースカウの息子)等の寄稿文は興味深く、本ブログで「さわり」
の部分を訳してお伝えしようかと思ったのですが、延び延びになって
しまいました。来年は是非実行したいと思います。

 

 

 


★年末は、日本各地で大雪の知らせがありました。

雪にちなんだクラシックの曲といえば、

私にはすぐに、ドビュッシーの「Children's Corner 子供の領分」の

第4曲「The snow is dancing」が、思い浮かびます。

この曲は中学時代、以前ブログでお話しました、東京・八重洲

ブリジストンホールでのピアノの発表会で、木目の綺麗な

素晴らしいベーゼンドルファーで、弾いた思い出の曲です。

良いピアノで弾きますと、ドビュッシーの「凄さ」が中学生の私にも、

弾きながら、更によく分かりました。

 

★その時から、この曲集の「Children's Corner」の「Corner」は、

どういう意味なのだろうと、ずっと疑問を抱えてきました。

そもそも「子供のための曲集」という分野は、いつ生まれた?

バッハの「Johann Sebastian Bach~ Klavierbüchlein für Anna 

Magdalena Bach アンナ・マグダレーナ・バッハのための

クラヴィーア小曲集」は今でも弾き継がれている、有名な舞曲や

小品が含まれていますが、あくまで家庭の音楽帳で、バッハ本人は

これを公表したり、ましてや出版する気持ちは

全くありませんでした。


★芸術作品として公表し、出版された「子供のための作品」で

今も演奏されている第一級の作品は、シューマン作曲の「ユーゲント

アルバム」でしょう。

この作品については≪11人の大作曲家「自筆譜」で解明する音楽史≫

10~25ページのchapter1《シューマンは曲集「ユーゲント

アルバム」第1番を、なぜ「メロディー」と命名?》で、

詳しく書きましたので、是非お読み下さい。

この章には、偶然ドビュッシーが登場し、「沈める寺」の

完全5度平行移動についても、書いてあります。

 

 


★シューマン「子供のための曲集」が傑作として認知されてからは、

特に、フランスで数多くの「子供のための曲集」のマスターピース

作曲されます。

Gabriel Fauré ガブリエル・フォーレ(1845-19249)の

Op.56 「Dolly ドリー」(1893-1897年作曲)

Claude Debussy クロード・ドビュッシー(1862-1918)の

「Children's Corner」(1908年完成)、

Maurice Ravel モーリス・ラヴェル(1875-1937)の

「 Ma Mère l'Oye」(1908~1910年作曲)など枚挙にいとまが

ありません。


★それでは、Robert Schumann ロベルト・シューマン(1810-1856)

「Album für die Jugend ユーゲントアルバム」(1848年作曲)

と、ドビュッシーの「Children's Corner」(1908年完成)の間は、

全く子供のための作品が、空白なのでしょうか?


★実はその間に「子供のための作品」ではないのですが、

「子供を描いた」重要な作品があります。

Modest  Mussorgsky ムソルグスキー(1839-1881)の歌曲集

「子供部屋」(1868-1872年作曲)です。


7曲から成る曲集で、歌詞はムソルグスキーが書いています

ここで各題名の英訳をあげてみます。

(英語のタイトルはSchirmerとInternational版に依ります)

1  With My Nanny (With nursey) ばあやと
2  In the Corner 隅っこで
3  The beetle カブト虫
4  Playing  with a Doll (With the Doll)お人形遊び
5  Now I Lay Me Down to Sleep (Evening Prayer) 
                                                     おやすみ前のお祈り
6  The Cat Sailor (The Naughty Puss) いたずら子猫
7  At the Countryhouse An Episode from a Child's Life
                     "A Ride on a Hobbyhorse"(first version)
7a.  A Ride on a Hobbyhorse(second version) 
                                                            木馬に乗って

 

 


★私は学生時代、この曲集の楽譜を入手し、

ピアノで弾いてみましたが、「まるでドビュッシーみたい!」と、

音楽史の時代的流れを考慮せず、ムソルグスキーがドビュッシーの

影響を受けて、作曲したと「大勘違い」をしたほどです。


「子供部屋」の演奏を、耳で聴きますと、

この中には、ドビュッシーの「歌曲」や「ペレアスとメリザンド」、

「Children's Corner」がぎっしりと詰まっていることが分かります。


★現在入手できる最高の演奏CDは、

「リヒテル・プレイズ・ロシアン・コンポーザーズ」という、若い頃の

リヒテルの演奏を集めた13枚組のCDセットです。

この中の、CD4に、リヒテル夫人のNina Dorliakのソプラノ、

リヒテルのピアノ伴奏で、この「子供部屋」の素晴らしい演奏

聴くことができます。

https://www.kinginternational.co.jp/genre/ph-19061/

https://tower.jp/item/5203278/%E3%83%AA%E3%83%92%E3%83%86%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%97%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%82%BA%E3%83%BB%E3%83%AD%E3%82%B7%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%9D%E3%82%B6%E3%83%BC%E3%82%BA


★ドビュッシーは1901年4月15日号のラ・ルヴュ・ブランシュ

La Revue blancheという文芸雑誌に、ムソルグスキーの

「子供部屋」について書き、ムソルグスキーの「天才」を

手放しで賛辞しています。

 

 


「子供の領分」の完成(1908年)の、7年前のことです。

この7年間に、どれだけドビュッシーがムソルグスキーを研究し、

我が物にし、自身の血肉と化していったか、

その凄まじいばかりの熱意と努力には、感嘆しかありません。


★巷ではドビュッシーの「音楽語法」を、パリの万国博覧会で

聴いたインドネシアのガムラン音楽に求める解説が、多くあります。

確かにドビュッシーは、東洋の美術品に憧れ、現物も所持し、また、

聴く機会のあったアジア音楽に関心を寄せたことは、事実でしょう。


★しかし、ドビュッシーの音楽の中に、アジアの音楽の血は、数滴も

流れていない・・・と思います。


★私の見るところ、ロシア以東(以南)の音楽の影響は

ほとんどないようです。

彼の音楽の特徴である、五音音階、全音音階、長調や短調

ではない数多くの旋法による「異国趣味」は、ほとんど、

ムソルグスキーから吸収した「音階の技法」を、

バッハの土台の上に、手を変え品を変え、練りこみ、構成して

いった音楽のように思われます。


★しかし、その結果、ムソルグスキーの天才を、はるかに乗り越え、

「前人未到」の音楽の頂に上り詰めたことも確かなのです。

この具体例は、次回の当ブログで、なるべく「近日中」に

お知らせします。


★来年はもう少し頻繁に、ブログが更新できますように!

本年も当ブログをお読みいただき、有難うございます。

皆様の良い新年をお祈りいたします。

 

 

 

 

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